1.クルマお宝話

2019年7月23日 (火)

車お宝話(510)自動車メーカーになった男 7話

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第7回

Yoshikazu Tomita (No.7)

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第7回

前回までのあらすじ──単身イタリアへと渡った富田は、当時まだ非常に珍しかったフェラーリやランボルギーニの中古車を仕入れることに成功する。時を同じくして、トミタオートにはカメラをぶら下げた子供たちが集まってくるようになった。老若男女、日本中が熱くなったスーパーカーブームがやってきた。そのとき富田は何を思い、何を心に決めたのだろうか……。 文・西川 淳 編集・iconic

デ・トマソ パンテーラ

3歳にして戸籍筆頭者、言わば天涯孤独の身であった富田。それゆえだろうか、歳上の経営者や成功者には不思議とよく可愛がられた。

そのなかのひとりに、大臣を平気で連れ回すような60歳を超えた怪紳士がいた。富田とは年齢や社会的立場の違いを超えて、夜を徹しクルマのことを語り合う仲だった。

その紳士から富田は「デ・トマソ パンテーラにGT4という高性能仕様があるらしいんだけれど、それを買ってきてくれないか?」、と頼まれる。生意気盛りだった富田はこうきり返した。「そんなレーシングカーみたいなクルマ、絶対無理ですよ。パワーもあるし、クラッチも重いし、エンジン掛けるのも大変です。でも、どうしても乗りたいというなら、まずノーマルのパンテーラを1万キロ以上乗ってからにしてください」

件の紳士はその場で新車のGTSを購入。1年かけて1万kmをクリアした。富田もまた約束を果たすべく、デ・トマソ本社へと赴く。

「できるだけ早く作ってあげるよ」

遠く日本からやってきた富田を歓待したデ・トマソ。テストドライバーの駆るGT4の助手席に乗せられ、田舎道を200km/h以上でかっ飛ばされた。

「対向車が来たらどうするの?」、と富田が問う。

「畑に突っ込めばいいだけさ」

数々の修羅場をくぐり抜けた富田にとっても、三本の指に入る怖い思い出だという。

日本第1号車として富田が自ら購入したワインレッドのランボルギーニ ウラッコ。一目惚れだったにも関わらず、たった10日ほどで飽きてしまったという。

ランボルギーニ ウラッコ

ランボルギーニ車販売の西日本総代理店となっていたトミタオート。その記念に、と富田は自分の名前でランボルギーニ ウラッコの日本1号車を買い付けている。

イタリア買い付けツアーのごく初期の段階で、ランボルギーニ社を訪れていた。そこで開発し終えたばかりのウラッコを見せられヒトメボレしていたのだった。

ウラッコは2.5リットルのV8エンジンをミッドに積む2+2のスポーツカーで、デザインはカウンタックと同じくマルチェロ・ガンディーニ、ライバルはポルシェ911、という話を本社の人間から聞かされていた富田は、日本でもそれなりの数を売るべく、まずはデモカーとして日本初号機を買い付けたのだった。

富田のウラッコはワインレッドだった。早速、ナンバーを付けて毎日乗り回した。けれども、10日ほど経つと急に熱が冷めてしまった。12気筒と比べてパワーはないし、シフトチェンジのフィールもそれほど楽しいわけじゃない。けれども、そんな性能面に飽きたわけではどうやらないらしい。

富田はウラッコを眺めて、ふいに悟った。直線基調にみえるスーパーカーは自分の趣味ではなかったのだ、と。もっと丸みを帯びて愛嬌のあるデザインが自分の好みであることに今さら気づいたのだった。

女性と同じでじっくり長く付き合えるデザインは、丸みを帯びていなければならない。この確信が、のちのちのオリジナルカー製作に生かされることになる。

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第7回

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ギャラリー:自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第7回

フェラーリBB

70年代後半に巻き起こっていたスーパーカーブーム。実はヨーロッパやアメリカでも当時、スーパーカーというカテゴリーは非常に注目されていた。子供たちを巻き込んで、というのは日本独特の展開だったが、フェラーリランボルギーニといったブランドが競い合うようにして派手な新型車を出していたのだから、目立たぬわけがない。

こんなこともあった。本業がクルマ屋だというのに、ブームだからといって売買よりも貸出しの方が増えていた。そんな状況に嫌気が指していた頃、トミタオートのショールームに、ほとんど新車に近いフェラーリBBの在庫があった。そのBBを西ドイツの友人が欲しいと言ってきたのだ。

日本はスーパーカーブームで価格が高騰している。割に合わないのでは? と返すと、採算は取れるという。ヨーロッパでもスーパーカーが注目されていたという証であろう。富田はBBを売却した。

BBが1カ月半かけて西ドイツに到着するかどうかという段になって、とある日本人が同じBBを求めてショールームにやってきた。彼は何度もそのBBを下見に来ていたらしいのだが、決心がつかずにずるずると購入を先延ばしにしていたらしい。そうこうするうちにショールームからBBがいなくなってしまった!

貸出しか何かでいないだけだろう、と高をくくっていたら、待てど暮らせど戻ってこない。慌てて買う決心をして富田の元に現れたのだった。

インターネットのない時代。在庫確認は雑誌広告が全てだった。

富田は彼の熱意にほだされ、BBを西ドイツから買い戻した。

トミタオートで在庫していたフェラーリ 365BBの極上車を西ドイツの友人に売却したが、とある日本人の熱意に負けて、西ドイツから買い戻したこともあった。

スーパーカーブームって……

“西の仕掛人”として一躍ブームの寵児となった富田だったが、彼の心のなかでは終始、違和感があったという。好きなクルマを懸命に探し、見つけてはリスクを負って仕入れ、愛情をこめて売る。それがカービジネスの本質だと思っていた。

ところが、ブームというものは様々に波及し、ビジネスのチャンスを拡げていく。勢いカービジネスの本筋とはずいぶんと離れたところで、さらに大きなビジネスが栄えていった。社会現象となったスーパーカーブームたる所以でもあった。

このままではスーパーカーの魅力が誤ったカタチで伝わってしまうかもしれない。自分は子供だましの“見せ物”としてスーパーカーを日本に紹介したかったわけじゃない。

20代の頃にイタリアのカロッツェリアを巡った経験のある富田には、夢を描いてカタチにするという当時のスーパーカーの本質を日本人にも知ってほしいという願いがあった。本物のスーパーカー文化を伝えたかったのだ。

富田は『ラ・カロッツェリア・イタリアーナ』という伝説のカーイベントを仕掛けている。ピニンファリーナやザガート、イタルデザイン、ミケロッティ、ベルトーネといった有名カロッツゼリアがこぞって参画し、珠玉の名車たちを晴海にあった国際見本市会場に並べた。1977年のことである。

【次回予告】
富田が扱ったのはド派手なスーパーカーばかりではない。ジャガーやメルセデス、モーガンなど欧州ブランドはもちろん、アメ車にもよく乗った。なかにはシェルビーコブラ・デイトナクーペのような、今となっては数億円の価値がある名車もあった。世界中のスポーツカーを乗り尽くしたことで、富田の進むべき次のステップが見えてきたのだった。

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2019年5月14日 (火)

車お宝話(507)自動車メーカーになった男 4話

2019.05.11

Yoshikazu Tomita (No.4)

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回

──前回までのあらすじ──ポルシェに乗りたい一心で独立を決意し、京都は北野に好きなスポーツカーだけを扱う専門カーショップ“トミタオート商会”を設立した富田義一。356に始まり念願のポルシェを次々と乗り継いだが、並行してロータス7やアルファロメオなど当時はまだ超マニアックだったクルマも大いに楽しんだ。なかでもアルピーヌとの出合いは、ポルシェよりもいろんな意味で富田のカーガイ人生に影響を与えることになる。

文・西川淳 編集・iconic
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回

※本企画は富田義一氏の許可を得て、氏のブログ「ライフ・チューニング 〜これからの挑戦〜」のクルマお宝話シリーズを、再編集したものです。写真の著作権©は富田義一氏に属しています。

クルマ造りの原点

生涯を通じて最も思い入れのあるクルマとして富田がいつも挙げるのがアルピーヌA108である。何を隠そうこのクルマ=かの有名なA110シリーズの前身、こそが、富田をしてスポーツカーを自ら造りたいという思いと夢、つまりは想像力を与えてくれたクルマなのだった。

富田はアルピーヌA108を独立して3年目くらいに購入している。本当はA110のなかでも最もハイチューンドな1300Sが欲しかった。けれども当時デビューしたばかりの本格派ライトウェイトスポーツカーであるA110 1300Sは輸入台数もまだ少なく、日本で手に入れることはほとんど不可能に近かった。

富田の元へとやってきたのは1963年型のA108ベルリネッタで、地味なシルバーカラーにペイントされていた。スチールホイールに細いタイヤを履き、最新のA110 1300Sのイメージに似せたかったのかフロントバンパーにはいかにも取って付けたようなフォグランプが付いていた。

富田はすぐさま手を入れている。フォグランプを外し、ステアリングホイールとミラーを交換して、太いタイヤを履かせてみた。車高も下げて、キャブレターのジェットも大きくした。少しは富田の気に入る雰囲気の個体になっていた。

軽さは正義だ

けれども所詮はドーフィン用の1リッターエンジンを積んだクルマだ。カタログ馬力至上主義だった当時の富田はさほど期待せずにA108に乗り込み、山へと向かう。

驚いた。想像以上によく走る。しかもヒラリヒラリとコーナーをクリアするしなやかな身のこなしに富田はゾッコンとなった。力強くは決してない。けれどもクルマそのものの軽さを実感できた。馬力のでかいヤツが速くて偉いというそれまでの考えが大間違いだったことに富田は気づく。

クルマにとって軽さは正義。そのとき富田はそれを自ら体感した。そして、その思いが後々のトミーカイラZZのコンセプトへと繋がっていく。

ある時、友人の林みのるとA108に乗って比叡山までドライブにでかけた。琵琶湖へと抜ける峠道の途中でクルマを停めたふたりは車体の隅々までチェック

しはじめた。

ボンネットや、
フード、ドア、開くところはすべて開けて、まるで検査官のように細部まで覗き込んでみた。ふたりの意見は見事に一致する。これくらいのクルマなら自分たちでも造れるんじゃないだろうか?

 

 

 

 

 

                                               

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富田が独立して3年経った頃に手に入れたアルピーヌA108。1963年製。取って付けたようにフォグランプを装着していた。
ボディカラーはシルバーグレーでいたって地味だった。ただし、そのしなやかな身のこなしに富田は衝撃を受けた。
1963年製のシルバーグレーだったA108のフォグランプを外し、ホイールとミラーを交換。少しは気に入る雰囲気に近づけた。
それから数年後、買えずにいたアルピーヌA110 1300Sを入手した。想像通りに楽しいクルマで、富田はA110に夢中になった。
フランスにあるA110すべてを日本に! そんな勢いでA110をフランスで探す。最終的には程度のいい20台ほどのA110を仕入れた。
20台ほど仕入れたA110のうちの1台。このA110 1300Gは富田の愛車として2年ほど所有していた。
A110 1300Gに搭載されていたゴルティーニエンジン。
レース仕様の軽量モデルも手に入れた。ボディのFRPが薄く、バンパーもFRP製だった。
リアウインドウはアクリル製でロールオーバー・バーも装着されていた。

 

アルピーヌA110捕獲大作戦

それから数年が経った。富田はすでにスポーツカー専門店の社長としてひとかどの人物になっていたが、その昔憧れてとうとう買えずじまいだった黄色いアルピーヌA110 1300Sを手に入れる。

想像通り、素晴らしく楽しいクルマだった。アルピーヌを思う富田の心に再び火がついた。よし、フランスで走っているA110をすべて日本に持って来てやろうじゃないか。それぐらいの勢いが当時の富田にはあったのだ。

富田はその頃、縁あって高島屋の外国自動車部顧問を務めていた。パリ高島屋にアルピーヌA110の情報を探ってもらうと、基本的には個人売買でしか出回らず、それも夏場のバカンス前にのみ売りに出るという傾向があるという。

フランス人は7〜8月にかけてバカンスに出掛ける。その費用を捻出するために売るか、もしくは、家族を載せるクルマに買い換えるために売るか、そのいずれかが狙い目だというわけだ。富田は6月から7月にかけて『アルピーヌA110の極上車求む!』という広告を、現地の新聞や雑誌に集中的に打つことにした。

名付けて“極上A110捕獲大作戦”である。

A110ブームを興そう!

作戦は見事に的中する。フランスと西ドイツの2つのルートから合計70台以上(!)の売り物を見つけ出したのだ。インターネットどころか海外の最新情報を得る手段でさえほとんどない1970年代の話である。

面白い話がある。フランス語に堪能な日本人の仕入れ担当はフランス人の大口に閉口したという。アルピーヌのオーナーは誰もが「自分のA110が世界一だ」と必ず言うらしい。なかには「無改造の極上だ」と電話で聞いたものだから、片道500キロをすっ飛んで見に行ってみたら、これがオーバーフェンダーにシャコタンのバリバリ改造車で程度も悪かった、なんてこともあった。もっとも、それが正真正銘のラリーカーだったという可能性もなきにしもあらずだけれど……。

結局、富田は程度のいいアルピーヌA110を20台も仕入れている。専門誌の「カーグラフィック」に2頁見開きの広告をうって1頁はすべてA110を掲載した。

日本でちょっとしたA110ブームが起きるのはその直後のことだった。

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自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回
1963年製のシルバーグレーだったA108のフォグランプを外し、ホイールとミラーを交換。少しは気に入る雰囲気に近づけた。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回
それから数年後、買えずにいたアルピーヌA110 1300Sを入手した。想像通りに楽しいクルマで、富田はA110に夢中になった。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回
フランスにあるA110すべてを日本に! そんな勢いでA110をフランスで探す。最終的には程度のいい20台ほどのA110を仕入れた。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回
20台ほど仕入れたA110のうちの1台。このA110 1300Gは富田の愛車として2年ほど所有していた。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回
A110 1300Gに搭載されていたゴルティーニエンジン。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回
レース仕様の軽量モデルも手に入れた。ボディのFRPが薄く、バンパーもFRP製だった。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第4回
リアウインドウはアクリル製でロールオーバー・バーも装着されていた。
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1963年製のシルバーグレーだったA108のフォグランプを外し、ホイールとミラーを交換。少しは気に入る雰囲気に近づけた。
それから数年後、買えずにいたアルピーヌA110 1300Sを入手した。想像通りに楽しいクルマで、富田はA110に夢中になった。
フランスにあるA110すべてを日本に! そんな勢いでA110をフランスで探す。最終的には程度のいい20台ほどのA110を仕入れた。
20台ほど仕入れたA110のうちの1台。このA110 1300Gは富田の愛車として2年ほど所有していた。
A110 1300Gに搭載されていたゴルティーニエンジン。
レース仕様の軽量モデルも手に入れた。ボディのFRPが薄く、バンパーもFRP製だった。
リアウインドウはアクリル製でロールオーバー・バーも装着されていた。

次回予告

好きなクルマだけを扱う。自分が一番のクルマ好きだから、自分の気に入ったクルマならクルマ好きがきっと欲しがるに違いない。そう信じて疑わなかった富田は、今回のアルピーヌがそうであったように、海外とのビジネスにひるむことなど全くなかった。次回、富田はいよいよスーパーカーの世界に誘われて、イタリアへと単身旅立つ。1970年代半ばのことである。

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2019年4月 4日 (木)

車お宝話(505)自動車メーカーになった男 2話


GQ-WEB CAR

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2019.03.31

Yoshikazu Tomita (No.2)

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第2回


前回までのあらすじ── メカニックとして自動車販売会社に勤め始めた
富田だったが、ある時、京の街中でポルシェ356に出会って衝撃を受けた。
乗ってみたい! けれどもこのままサラリーマンを続けていたところで、
一生ポルシェになど乗れっこない。そう悟った富田はすぐさま独立を決意。
京都は北野にトミタオート商会を設立する。自分の好きなクルマだけを扱う
スポーツカー専門ショップは繁盛し、富田もまたにわかにポルシェにハマって
いった。


文・西川淳 編集・iconic

Miura_2


自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第2回
※本企画は富田義一氏の許可を得て、氏のブログ「ライフ・チューニング 
?これからの挑戦?」のクルマお宝話シリーズを、再編集したものです。
写真の著作権cは富田義一氏に属しています。


憧れのスターが駆った幻のポルシェ

1964年、第2回日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催されたとき、富田は19歳だった。
日産ワークスのスカイラインGTで走る生沢徹や、プライベートながらポルシェカレラGTS
(904)を駆った式場壮吉といえば、当時の富田にとって、雑誌でしか見たことのない
ような雲の上の人たちだった。

自分の店を立ち上げ、ポルシェをある程度自由に乗って楽しめるようになると、益々、
クルマ好きの友人が増えてきた。もとより不思議と人に好かれる男だった。ある時など
雑誌の“クルマ売りたし買いたし”欄で赤い356スピードスター(前回の写真参照)を
見つけてオーナーに会いに行ってみれば、「クルマ屋さんには絶対売りたくないけれど
富田さんには譲ってもいいわ」、となぜか気に入られ(女性だった。もてたのだ)、
富田は富田で「昔から憧れのクルマだったんです」、と引き取り、律儀にも、

そしてクルマ屋らしくないことに、なんと9年間もその赤いスピードスターを所有して
いたのだという。富田の人柄が偲ばれるエピソードだろう。

“幻のポルシェ”との出会いも、クルマ好き(というかプロフェッショナル)の友人が
縁だった。後に日本で最も有名な自動車評論家となった若かりし日の徳大寺有恒(杉江博愛)
を通じ、浮谷洸次郎(伝説のレーサー東次郎の父)と親しくなった富田は、ある時浮谷から
式場が日本GPで駆ったポルシェ904GTSを見に行かないかと誘われた。浮谷の友人が所有して
いるのだという。憧れのポルシェに会える!富田は喜び勇んで関東へ出向いた。

まるで宇宙船のよう

ガレーヂを訪れてみれば、ボディカバーを被ったまるで宇宙船のようなシルエットの物体が
そこにあった。初めての904、しかも伝説の個体。シルバーに輝く幻のポルシェに圧倒された
富田だったが、そこはやはりクルマ屋だ、売るつもりなど毛頭ないオーナーに向かって、
「万が一手放されるようなことがあれば、ご一報だけください」と、最低限のオファーを
かけたのだと言う。

しばらく経って、とある自動車雑誌にそのポルシェ904が取り上げられていた。
写真のキャプションまでつぶさに読んでいると、「売るつもりはないけれど、
もし売ることがあったとしたら京都のT氏に譲ることになっている」といった
主旨の一文があった。富田はすかさずオーナーに連絡をとり、
いつまでも待っている旨を伝えている。

このあたりの記憶は定かではないというが、それからまた1、2年ののち、
おそらくは浮谷を通じて運命の連絡がきた。幻のポルシェを譲ってもいい。
取る物も取り敢えず富田は駆けつけた。

実をいうと、買った値段はもちろんのこと、乗って帰った道中の記憶まで
ないらしい。確かに京都まで自走で帰っている(写真が残っている)。
けれども、まるで記憶がない。

宇宙船に乗った富田は興奮の極みにあったということだろう。

904gts_3-2
1964年の第2回日本グランプリで式場壮吉がドライブしたポルシェ カレラGTS(904)。
富田は幻のポルシェを決して飾るようなことはせず、ガンガン走らせた。

オリジナルエンジンは要りません

富田とポルシェ904GTSに関しては面白いエピソードがいくつかある。
購入に際してひとつだけ鮮明に覚えているのが、オリジナルエンジンのくだりだ
(前述したようにその他のことはほとんど記憶にないという)。

実は当時、この有名な個体にはオーナーの趣味で911S用の2リッター フラット6が
積まれていた。オリジナルのエンジンは2リッター空冷水平対向4気筒DOHCで、
それでも当時のレーシングカーとしては乗りやすく、市街地走行もできると
言われていたが、
よりハイパワーな6気筒で軽い車体を存分に楽しみたいというのがオーナーの希望だった。
おそらくはオリジナルエンジンを大切に保存しておこうという意味合いもあったのでは
ないだろうか。

いよいよ譲ってもらえるとなったとき、当然、オーナーから
「4気筒のオリジナルエンジンも必要ですか」と富田は聞かれている。
今となっては信じ難いことに富田は即座に、「要りません」と答えたのだという。

このころの富田に懐古趣味などまるでなかったのだ。
オリジナルのレース用高回転型4気筒エンジンより、乗り易くてパワーのある
6気筒が良いに決まっている。
富田のそんな思考(これからもそんな逸話が何度も出てきます)をモノ知らずだと
言って笑うのは簡単だ。

けれども、その頃のポルシェ904は伝説のクラシックカーでも何でもなく、
ただ現役を退いた(つまり一線級ではない)レースカーだったということを
理解しておかなければならない。

08092

オリジナルエンジンは2リッターの空冷水平対向4気筒DOHCエンジンを搭載していたが
、前オーナーが2リッター フラット6に換装していた。実用的なエンジンだったこともり、
富田はそのままオリジナルに戻すことなく乗り続けた。

E2

スポーツカー専門ショップであるトミタオートの客が乗るデ・トマソ・パンテーラ(左)や
BMW 3.0CSL(右)、さらにはランボルギーニ ミウラSUVと頻繁にドライブしたという。

 


自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第2回
富田のポルシェ カレラGTSを先頭に。その2台後ろにいるランボルギーニ ミウラSUVには
峠道ではどうしても付いていけなかったという。


ミウラに負けた

当時は一般的にレーシングカーといえば“ぽんこつ”と同義だった。
しかも今とは逆にレース戦歴があればあるほど安モノ扱いされていた。
カテゴリーやレギュレーションの変更で使えなくなったレースカーなど用無しの邪魔モノ、
かさばるだけで倉庫のこやしにもならない。シーズンオフの年末ともなれば、
お役御免のレースカーをただ同然で買うことができた時代だった。

ポルシェといえどもそれが当たり前で、レーシングカーの価値がロードカーを上回って
くるのはつい最近の話である。

ちなみに、ポルシェ904はそもそも6気筒エンジン搭載を前提に設計されており、
ドライバーの背後には十分なスペースがあった。
後にポルシェも904/6というフラット6搭載モデルを製作している。

乗用車用のフラット6を積んだ904は当然のことながら、とても乗り易かった。
ただ、外から見るにもまして狭かった記憶があるという。

富田は904をガンガン走らせた。ふた月に一度のペースで開催していた一泊二日の
ドライブ会でのこと。客の駆るランボルギーニミウラSVを、BMW3.0CSLや
デ・トマソ・パンテーラ、ポルシェカレラRSとともに、富田は904で追いかけていた。

ストレートでは速い。4リッター12気筒ミドシップを積んだミウラSVにも十分ついていける。
2リッターしかなかったけれど、車体が軽かったからだ。ところが峠道をかなりの速度で
駆けぬけるリアタイヤの太いミウラSVにはどうしてもついていくことができなかった。
トレッドが狭く、タイヤも細かった904では、峠道のコーナーで思うように
速度を出せなかったからだった。

このときの経験が、後のオリジナルスポーツカーに生かされることになろうとは、
その頃の富田はまだ知る由もない。(つづく)


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2019年3月22日 (金)

車お宝話(504)自動車メーカーになった男 1話

 


前回書いた、開発部隊の親分との打ち合わせの内容は
1弾、2弾、3弾、のタイムスケジュールの調整と、
当初計画の検討、内容の見直し、実現性等など・・・
まぁ大変だが、気持ちが充実し、想像力が湧きだす。
いよいよ現実に向けて、動き出したということか!
そうこうしていたら、翌々日に淳ちゃんから連絡が!
お宝話が500話に達した事から、お宝話をベースに
彼自身が再編集し、小説風にアレンジして書くという!
こんなところから始まる、自身のサクセスストーリー
を「GQーWEB」で連載してくれるというのだ!
欧文タイトル/
CAR GAY STORYーYosikazu Tomita
和文タイトル/
自動車メーカーになった男ー想像力が全ての夢を
叶えてくれる。
その「連載第一回」となっている。
「GQーWEB」だから、英語版もあるのだろうな~!
では見出しだけコピーします。
GQ WEB 富田義一で是非見てくださいね!
::::::::::::::::::::::::::
CAR
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2019.03.17
Yoshikazu Tomita (No.1)
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第1回

これは、ひとりのクルマ好きが23歳でカーショップをたちあげ、スーパーカーブームや
チューンドカーブームのハシリを造りながら、49歳でついにオリジナルスポーツカーの
企画・生産・市販に至るという、究極の“カーガイ・ストーリー”である。

文・西川淳 編集・iconic
03055
サラリーマンじゃ無理
日本の自動車シーンに今なお大きな影響を与えているスーパーカーブームの頃、京都の北野にとある有名な
スポーツカー専門ショップがあった。
東のシーサイドモータースと並び称された、西のトミタオート。富田義一率いるトミタオートは、
後にオリジナルスポーツカーのトミーカイラZZを製造する伝説のカーショップだ。
小さい頃からクルマやバイクに親しんだ富田は18歳でメカニックとして京都の国産ディーラーに就職すると、
持ち前の知識と経験、センスですぐさま頭角をあらわす。なけなしの給料をはたいては、
いろんなスポーツカーを弄って楽しんだ。けれどもある日、街で出会ったポルシェ356が彼の人生を180度
変えることになる。
このままサラリーマンを続けても一生ポルシェなんて買えない。そう悟った富田は、いきなり自分の店を
もつことを思いつく……。
トミタオート誕生
大好きなスポーツカーを乗りまくる。その早道はスポーツカーを専門に扱う店を自分で持つこと。
23歳になっていた富田は、ポルシェ356と街で出会ってすぐにそう決断した。1960年代も終わろうとした頃だった。
京都・北野天満宮の近くに“トミタオート商会”を設立。資金はまるでなかった。
たまたま今出川通りを挟んだ真向かいに国民金融公庫があって、足しげく通ってみれば、
何とか60万円ほどの資金を調達することができた。本当は工場を持ちたかったけれど、
資金的にまるで手が届かない。まずはクルマを売って利益が出してから。
そう新たな夢を掲げて自分の店をスタートしたのだった。
設立当時のトミタオートの写真を見ると、HONDAの看板が掛かっているのが見える。
ホンダの特約店も兼ねていたのだ。新車のホンダN360とともに、3台のスポーツカーが店舗に並んでいた。
ホンダS600、トヨタS800、そしてオースチンヒーレースプライト。
いずれも富田が独立前に親しんだ大好きなスポーツカーばかり。
当時はまだスポーツカー専門店などほかになかった。物珍しさと京都人の新しい物好きとが相まって、
たちまち評判に。経営は順風満帆にいくかに思われた。
事実、京都中のスポーツカーを買いあさっているとみるみるクルマが面白いように集まるようになり、
よく売れた。
サラリーマン時代の最後にもらった給料が1万8000円だったというのに、創業2年目には月収が30万円を
超えるようになっていた。
あとはWEBでお願いします・・・写真も沢山ありますよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年3月 7日 (木)

車お宝話(503)トミーカイラINC 開発計画!

この半年間は頭の中で得意の想像カをフル稼働!

やっと第一計画、第二計画、第三計画と構想が
まとまった。

となれば早速INCの仲間とセッションを開始!

まずは世界のスポーツカー新旧をすべて知りつくし、
市場の動向、今後の見通しなど、世界を駆け巡って
情報を肌で感じている人物と!

そう、旧知の仲である西川淳ちゃんである。

彼とは第一期のトミーカイラからの付き合いだし、
世界の自動車メーカーの動向もよく知る人物!

毎年のことだが、岡山のクラシックカーラリー、
「春のベッキオバンビーノ」も一緒に走る。

何と言っても彼は今、初代トミタオートの跡地の
本当に二軒隣りに住んでいるんだから・・・

早速、連絡を取り合い、ランチでもという事に!

二人とも大好きな超レアのステーキでランチ、
そのあと、京都の超老舗の喫茶店「花の木」で
楽しいミィーティング・・・

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僕の若い頃からある喫茶店で、落ち着いた雰囲気
は、大事な話や、想像カを育むには、もってこい
の店。

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昔に戻ったようで、再起をかけた今の心境には
ぴったりかと!

あれや、これやと、2時間ほどで、まとまった!

2日後、今度はINCのテストドライバー、兼、
実戦部隊長の白石君とランチ&ミィーティング。

僕の本気モードで、白石君も一安心といった所か!
まずは第一計画の実行を前提に動き出す・・・

勿論、白石君が活躍できるレース活動も充分頭に
入っている!

週末には頼れる開発部隊の親分が来てくれる事で、
セッティング完了!

その他にも、ワクワクする話もあるけど、まだ公表
する時期ではない!

また逐次報告します!!

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2019年2月 9日 (土)

車お宝話(502)トミーカイラm14が完成!

この「m14プロジェクト」は15年振りの出来事で、
そもそも「夢工場」が無いのにどうしてできたのか?

一昨年だったと思うけど、TKOCの川口会長が、
「クラブミーティングで集まるトミーカイラ車が、
みんな旧車化し維持が大変」との話を切々と聞いた!

そして川口君が「本来のトミーカイラ車を復活させ、
今維持している、トミーカイラ車を少し休ませ、
代わりに楽しめるトミーカイラ車を出したい」と!

時が経つのは早いもので、その話を聞いた途端、
15年のブランクに火がついた・・・

多少時間は掛かるが、以前と同じように京都で
開発はできる・・・

トミーカイラのエントリーモデルのベースとして、
心ひそかに「スイフトスポーツ」しかないと思い
を馳せていたので、当然の様に話はとんとん拍子
に進む・・・

川口会長の熱い想いが、僕の心を突き動かし、
「じゃ~、やろう」という事に・・・

幸い旧スタッフの時武も、松本稔も京都で頑張って
いる・・・

シャシーチューニングもエンジンも、松本が居れば
以前と同レベルで多少時間は掛かるが開発はできる・・・

僕の予想を超えた、オーナーズクラブの生の声が、
心を突き動かした!

「最小の変更で最大の効果を」その思いを継承する
本来のトミーカイラ車の復活がスタートした。

本末転倒のようだが、よくよく考えれば素晴らしい
出来事、生の声を反映するなんて、もっとも正しい
姿かもしれない・・・

こんな形が成立するのも「トミーカイラ」だから
なのかも!

予告・・・いよいよステージⅠ、ステージⅡが発売!

チューン度レベルの高いステージⅢは近々発表される。

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2019年1月25日 (金)

車お宝話(501)500話を回想して(2)

無いない尽くしの話しを、もう少しだけ!

金もない、コネもない、相談する相手もない、
だけではない・・・

物心ついた頃には両親も兄弟もない!

だから親父と話した記憶もない・・・

その上、中学2年生までチビで、ガリっちょで、
栄養失調、おまけにひどい猫背!

彼女なんてできる訳もない・・・

ところが、ちょっとしたきっかけで1年で身長が
14センチも伸びた。

前から2番が定位置だったのに気が付けば真ん中。

これで気がついた・・・!

無ければ作ればいいし、手に入れればいいと!

筋トレ、拳法、ラグビー、モトクロスと、
大暴れ、お蔭で高校時代はバラ色の日々・・・

独立して10年を経たころには、15歳年上の
親父のような兄貴分の親友が出来た・・・

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京都財界の重鎮で日産系ディラーの社長だった。

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だから、この先のチューニングカーやZZも
日産車がベースという訳!

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勿論、グレたこともあるし、あと一歩で悪の道
という場面もあったが、紆余曲折、独立できた。

目の前に何も無いから、つい想像や空想にふける!

お腹が空いて堪らない時、美味しモノを想像する
のと同じようなもので、それを手に入れるには
どうすればいいか、と考える・・・

少しづつだが答えが見つかる、これの繰り返し!
どんなことでも想像力が叶えてくれる。
(「奇跡の杖」参照)

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まぁ僕の人生はざっとこんな感じで、如何に何も
無いことが、想像力を駆使する要因になり、
素晴らしい人生になるかを物語っていると思う。

決して、卑下したり、愚痴ったり、人のせいに
してたら、想像力は生まれてこない!

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2019年1月18日 (金)

車お宝話(500)500話を回想して!

車お宝話(500)500話を回想して!

まずは僕も最初から読み直してみようと思い立ち、
すぐに読み始めたら、なんと22話まで一気に進んで
しまった。

いちいち頷きながら、何の抵抗もなく前に進む!

自分で言うのもなんだけど、結構面白いから引き
込まれていく感覚。

その頃は書きたいことが一杯で、次々と情熱を
伴って書いているのが手に取るように感じるし、
つくづくクルマが好きなんだな~と再認識できた。

でも不思議なことに、当時の自分と書いている頃の
自分と、現在の自分が余り変化していないというか、
変わっていない事に気づく!

そのまま歳を取ったって感じで、当時好きだった
車は現在もクラシックカーとして手元に何台もあるし、
トミーカイラブランドは現在も進行中だし・・・

環境があまり変わってないからかも!

お宝話(2)で、「自分の考えで、自分のやりたい事
をやろう!」と、ないない尽くしの23歳の若者が、
独立するところから始まるが・・・

その時、世情とか環境とか境遇とかを、一切気にせず、
迷わず、真っ直ぐに突き進んできたことが、今日に繋
がっているのだと、改めて気付く!

今まで全く同じで、これは正しいと思ったら、即実行
に移すのが、僕の信条・・・

それは僕が一番大事にしている信条で「本心・良心」が
すべてを決めてくれる。

「本心」は、直感に近いもので、強く思う気持ち!
「良心」は、世のため人のためになるのか!

スーパーカーブームの先駆となるきっかけも、26歳で
生まれて初めて飛行機に乗ってイタリアに行く決心を
したこと!

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チューニングカーに先鞭をつけたのも、誰も知らない
西ドイツのAMG社に行く事を決めたことが切っ掛け!

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前例のないハンドメイド・スポーツカーを造る時も、
難しいと思わず、正しいと信じ、スタートした。

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勿論、そこに付いて回るリスクは計り知れない!

スーパーカーという名前さえ存在しない時代に、
それらを仕入れにイタリアまで出向いていくのだ!

登録できるのか?、資金繰りは?、売れるのか?等々!

飛行機だって、ツアーの名前さえない時代・・・
交通公社の人だってあまり知識はなかった・・・
銀行だって決済方法LCの言葉さえ知らない・・・
同業者だってチューニングカーの言葉さえ知らない・・・

そんなレールの無いイバラ道をなぜ好んで歩くのか!

それは簡単なことで、物心ついた時から人に有って、
自分に無いものが、余りにも沢山あったから、無い
のが当たり前で、さして苦にもならないし、無ければ
造ればいいと!

楽天家になれたのは生まれ育った環境が造ってくれた
と想う、無いない尽くしがプラス思考を育ててくれたと!

だから独立した時の無いない尽くしも、さして気にせず
前に進めたのだと思う!

 つづく・・・・・

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2019年1月 9日 (水)

車お宝話(499)年始のご挨拶を!

新年明けましておめでとうございます。

身の回りは、穏やかなお正月なんだけど、
何故か、スッキリした気持ちになれない!

そんな世界の情勢が混とんとしている中でも、
新しい年の幕は否応なしにあがった。

目先の経済とは裏腹に、将来の不安が先行した
形での幕開け・・・

経済、株、貿易、軍事、等々・・
どれをとっても有事に直結する不安・・・

決して有事前夜とは思わないし、思いたくはないが・・・
これほどの緊張状態は、北朝鮮ミサイル発射以来か・・・

せめて自分ができることは、しっかりと準備して!

「それは常に心身共に最高の状態を維持すること」・・・

そう信じて実践し、この歳まで生きて来た様に思う。

次回で500回となる「車お宝話」でその事も含め、
掘り下げていければ、有意義かなと!

少しづつだけど12年以上続けてこられた事は、
皆様のご支援の賜物と本気で感謝しております。

あとふた月ほどで74歳になろうとしてますが、
別段、困った事も何一つなく、性能的にも、
外装的にも(笑)、つつがなく、楽しい人生を
送っております。

それどころか、まだまだヤル気のチャレンジ魂は、
膨らむばかりで、我ながら苦笑しております。

そんなことで、何故いつまでも気力を失わず元気で、
挑戦し続けることができるのか・・・

期せずして「車お宝話」や「奇跡の杖」の最初に記し
ている事柄が、しっかりと答えています。

12年前に遡って、12年後の今を、次回の500回、
「車お宝話」で検証出来たらと思っています!

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今後とも変わらずよろしくです。

近々書きますね~!

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2018年12月13日 (木)

車お宝話(498)平成年号も最後の師走になりました。

 

今年最初のタイトルが「大変化の年を迎えて!」だった。

予想通り、世界全体の雰囲気が大きく変化し、益々先が
読み辛くなってきた。

自然界の変化も大きく、永い間、関西に暮らす僕にっても、
今年の、猛暑、地震、大型大風などは、過去の記憶に無い!

まぁ、だから今年の漢字は「災」になったんだけど・・・

北朝鮮のミサイル発射や核実験の強行が収まったと思ったら、
今度は貿易経済戦争・・・

ほんと人間って「欲」が絡むと変化する・・・

ゴーンしかり、アメリカファーストしかり・・・

まぁ、フランス、ドイツ、イギリス、ロシアだって似たよう
なものだけどね!

でも、これって本音は権力の誇示と、支配者の継続に見えて
しまうのだけれど!

この歳になって思うことだけど、やっぱり人間ってそういう
ものなんかもしれないな~。

任期が限られている企業のトップや、政治家のトップは、
短期間で結果を出そうとする人が多いから、周りはいつも
振り回される・・・

地球レベルで見れば、大昔から権力闘争が根底にあって、
国が栄えたり、滅びたりを繰り返しているんだから!

月並みだけど、年号が変わる来年には、全てに於いて良い
方向へ向いて欲しいものだ!

僕の事業も貿易戦争による株の暴落で、一進一退の渦中に
あるが、焦らず、信じて、しっかりと前を向いて歩んでます。

好きな車に囲まれ、好きなことをして、好きな人たちだけと、
毎日を大事にしながら、楽しくやってます!

もうすぐスイフトスポーツベースのチューニングカー「m14」が、
TKOC川口会長の頑張りで完成するのも、年明けの楽しみ!

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本当に激動の1年でしたが、新しい年は皆様にとっても良き年で
ありますように祈念して、締めくくります。

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