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2019年8月 7日 (水)

車お宝話(512)自動車メーカーになった男 8話

Yoshikazu Tomita (No.8)

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第8回

前回までのあらすじ──1970年代後半、日本中の老若男女がスーパーカーに熱くなった。スーパーカーブームだ。けれどもいちクルマ好きとしての富田の興味はイタリアンスーパーカーに留まることなどなかった。英国、ドイツ、フランス、アメリカ……、世界中のスポーツカーに興味をもった。ありとあらゆるクルマを乗り尽くしたからこそ、進むべき次のステップが見えたのだろう。今回は富田が今でも最も好んで乗っている英国車の思い出を振り返ってみよう。

メーカー単位でなく、国単位でのめり込むクルマが変わって行ったという富田。この頃はモーガンやジャガーだけでなく、パンサー、ロータス、ミニ、バンデンプラスなどを集めていた。

英国車:ジャガーの紳士

ポルシェ356とジャガーEタイプが若い頃の富田の憧れだった。サラリーマン時代のこと。当時、日本中がボーリングブームに沸いていたが、富田も例に漏れずハマっていた。否、根っからの凝り性である富田は、サラリーマン生活を抜け出すため、真剣にプロボウラーを目指していた。

通ったボーリング場にはいつもシルバーのEタイプが停めてあった。全国大会出場をかけた予選の最中に恰幅のいい紳士から声を掛けられた。なぜか富田がクルマ好きであることを知っていたその紳士は、「この予選に勝ったら君をEタイプに乗せてあげよう」と言う。聞けば、このボーリング場の経営者だった。

残念ながら富田は予選で敗退した。肩を落として会場を出ようとすると玄関にシルバーのEタイプが横付けされていた。

「よう頑張ったな。食事でもしに行こか」。

Eタイプはそのまま富田をのせて比叡山方面へと向かった。興奮のドライブだった。親の顔すら知らない富田にとって、その紳士は理想の父親にもみえたのだろう。比叡山のレストランでは自分の将来について熱く語っていた。

「そんなにクルマが好きなら早く独立しなさい」と、紳士は富田を激励した。京都では有名な実業家だった。

「ボクもいつかジャガーが買えるように頑張ります!」。

ワインを嗜んだ紳士は、最初からそのつもりだったのだろう、帰り道のドライブを富田に託している。夢見心地のジャガー初ドライブから数年後、独立を果たした富田は緑のEタイプを買って、紳士との約束を果たした。

富田をジャガーに乗せた紳士の子息が目をつけたプラス4。仕様としては標準的だが、コンディションは新車並みだった。

英国車:モーガンの縁起

ジャガーに劣らず富田はモーガンを好んだ。あるとき、店に3台のモーガンを展示していると身なりのいい中年の紳士がやってきて、新車のようなコンディションのプラス4を熱心にチェックしはじめた。

「このモーガンは売り物でしょうか」。紺のブレザーにストライプのネクタイといういかにも英国流の着こなしでもの静かにそう問う紳士に、富田は少し戸惑いを覚えた。似合うのは間違いない。けれども、こんな上品な紳士が果たしてモーガンを乗りこなそうと思うものだろうか……。

話を聞けば、ケンブリッジ大学を卒業してからイギリス生活が長かったのだという。家業の都合で帰国したが、イギリスでよく見かけた憧れのモーガンが忘れられず、日本で夢を叶えようとあちらこちら探していたらしい。

面影がなくもなかった。そう、忘れもしない、彼こそは独立前の富田をジャガーEタイプに乗せてくれたオーナーの子息だったのだ。理想の父親にみえた紳士はすでに亡くなっておられた。けれども、その子息とクルマを介して再び、深い縁を結ぶことができたのだった。

トライアンフ社製のエンジンを積み、内装も本革張りになった特別仕様のプラス4も置いていた。

案の定、彼はモーガンを颯爽と乗りこなした。冬でもオープンにし、バーバリーの襟を立て、ゴルフバッグを助手席に置いて、京都の街なかを当たり前のように走っていた。

ロールズロイスを受け取りに行った帰りに、富士スピードウェイへと足を運ぶこととなった富田。生まれて初めてのF1観戦に憧れのクルマでのドライブで向かうとあり、意気揚々と足を運んだ。

英国車:ロールズの真価

富田の英国車趣味はとうとう極まった。ロールズロイス・コーニッシュを買ったのだ。1976年のことだった。

東京までコーニッシュを受け取りにいく直前に、一本の電話が掛かってきた。旧知のM氏だった。彼は74年から自ら設計したマシンでF1挑戦を続けている。そう、海外のF1レースに日本から挑戦した史上唯一のプライベートチームである、マキF1だ。

資金難に喘いでいたチームは、藁をもすがる気持ちで富田に援助を仰いだ。予選を走るガソリン代にも困っているという。ちょうど東京に行く用事もあることだし、パドックパスも出すというので、富田は喜んで引き受けた。

自らの運転スタイルまで変えられ、F1会場では特別待遇を受けた冨田は、あっという間にロールズロイスにより魅せられた。

初めてドライブするコーニッシュに富田は驚いた。ドライブフィールに、ではない。ドライバーのフィールを変えてしまうことに、だった。ロールズロイスのステアリングを握ると、不思議と落ち着いたのだ。普段のせっかちなドライビングスタイルはすっかり影を潜め、誰に対しても「どうぞ、お先に」という気分になった。ロールズロイスは人間をも変えてしまうクルマだった。

そんなわけで富士への到着が予定よりも随分と遅れてしまった。パスを受け取るはずの場所にはもう誰もいない。まずはクルマをどこかに停めて、と思案していると、フェラーリのチームウェアを着たスタッフに、「専用駐車場へどうぞ」と、ひどく丁寧に案内されるではないか。

フェラーリとロールズロイスの日本販売代理店が顧客サービスの一貫として行なっていたという。今とは違って、ごく一部の限られた人たちだけが所有できた時代だったからこそ、真っ白なロールズロイス・コーニッシュに乗る富田はフリーパスでフェラーリピット脇の専用パドック駐車場まで案内されたのだった。

写真でもわかるように、ナンバープレートこそついていたが、車検や保険は全て切れていた。

英国車:ジャガーの厄難

話は独立直後に戻る。富田が悩んだすえ初めて仕入れた高級スポーツカーは、例のEタイプではなくXK140フィクスドヘッドクーペだった。ワイヤーホイールが珍しい1台で、当時の富田にとってはそれこそ“清水の舞台から飛び降りる”覚悟で購入した青い個体だった。

ところが、このクルマがとんでもない厄介を呼び寄せてしまう。ある日のこと、右も左も分からない新人社員がひとり店番をしていると、近所の若者が狙ったかのようにやってきて、「社長の了解は得ているから」と、XK140をショールームから引っ張りだし、乗っていってしまった。

富田が戻ると、例の新人が血相を変えて飛び出してきた。「社長、大変です!すぐ西陣署へ行ってください」。事務所の前が今出川通りで、東隣に北野天満宮があり、その向かいに西陣署(現上京署)があった。その交差点で、ジャガーが大事故をおこしてしまったという。四重事故でけが人も出ていた。

しかもこのジャガー、ナンバーは付いているけれど車検は切れているし、当然、保険も何も入っていない。若者も新人も、ナンバーが付いているから大丈夫だと思ったことが大間違いだった。しかも、当事者の若者は、事件後すぐに家を捨て行方をくらましてしまった。

結果、所有者責任を問う、ということで、5人分の治療費を持ち主が払えという国からのお達しが来てしまう。富田にも言い分はあった。クルマはほとんど盗まれたのも同然で、しかも全損に近い。賠償して欲しいのはこっちのほうだ、と、霞ヶ関の運輸省まで怒鳴り込んだ。

国の言い分はこうだった。盗まれたことと事故はまるで別の問題。怒り心頭の富田は担当者に雷を落とすと“毎月千円でも良いから返済してほしい”という。結局、富田は国に15年かけて完済している。

このジャガーには後日談がある。ほとんど全損になったジャガーXK140を、とある有名なクラシックカー屋が引き取りにきた。事故の際、ワイヤーホイールが1本盗まれており、揃わないと値打ちがない、などとさんざんケチを付けられた挙げ句、わずか2万円で引き取られていった。

1年後、同じジャガーがきれいに修復され、「日本に1台しかないワイヤーホイール付きXK140」として、とてつもなく高いプライスタッグを付けていた。

霞ヶ関とクルマ屋は、怖い。

次回予告

童夢もコジマも京都から、だった。富田義一もまた、一時は彼らの仲間として行動をともにしたり、レース活動をサポートしたりしている。次号ではトミタオートとモータースポーツとの関わりについて振り返ろう。レース業界との関わりもまた、チューニングカービジネスやオリジナルカーの製作へと突き進むキッカケとなった。

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