« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »

2019年7月

2019年7月31日 (水)

車お宝話(511)南イタリア アマルフィの旅

急に思い立って、ふと書いてみたくなったので・・・

半月ほど前にイタリア~フランスを旅したときのこと。

南イタリアは初めてで、世界でも最も美しいといわれるアマルフィへ!

Img_4214

Img_4213

海外へ行くときの楽しみの一つは、ワクワクする車を発見すること、

それは、僕にとって旅をするうえで、一番大事なこと・・・

ところが、今回の旅でワクワクする車には、一度しか出会えなかった!

停まってる車も、走ってくる車も、おもしろくない!

ワクワクする車が走っていないし、停まってもいない・・・

なぜなんだろう、なんてぼんやり考えていたら、フト気が付いた。

60年以上にもなる、永い車好きが、過度の期待を定着させたのだろう・・・

確かに世界中の車が似通ってきていることは否めないが、

多分、見飽きたのだろうと思う!

食べるものだって、若いころから和食一辺倒で、海外でも必死に

日本料理を探してたのに、今は二の次、三の次で、飽きてしまった!

最近は週に三回は、イタリアンのお店に行くし、自分でも好んで作る。

先週なんぞ、初めてのべトナム要理が偉く気にいってしまったほど・・・

タイ料理も食べられるようになったし、肉は根っから好きだし・・・

多分、同じような感覚で飽きたのだろう!

で、唯一 今回の旅で気に入って、思わず追いかけて撮った車が、

初代フィアット500、いわゆる「チンク」だ!

それもめったにないオープンカーで、多分、改造車だろう・・・

Img_3630

色よし、雰囲気よし、乗っている男女もぴったり似会ってた!

多分、もう普通の車では飽き足らなくなってしまったのだろう・・・

10年ほど前からなんとなく始めた料理も、自分が思うように、

自分が食べたいものを、自分の味付けで食べたいからだ!

同じように車も、もう自分で造るしか、ワクワクしないだろうな~。

 

 

 

 

 

 

| | コメント (1)

2019年7月23日 (火)

車お宝話(510)自動車メーカーになった男 7話

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第7回

Yoshikazu Tomita (No.7)

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第7回

前回までのあらすじ──単身イタリアへと渡った富田は、当時まだ非常に珍しかったフェラーリやランボルギーニの中古車を仕入れることに成功する。時を同じくして、トミタオートにはカメラをぶら下げた子供たちが集まってくるようになった。老若男女、日本中が熱くなったスーパーカーブームがやってきた。そのとき富田は何を思い、何を心に決めたのだろうか……。 文・西川 淳 編集・iconic

デ・トマソ パンテーラ

3歳にして戸籍筆頭者、言わば天涯孤独の身であった富田。それゆえだろうか、歳上の経営者や成功者には不思議とよく可愛がられた。

そのなかのひとりに、大臣を平気で連れ回すような60歳を超えた怪紳士がいた。富田とは年齢や社会的立場の違いを超えて、夜を徹しクルマのことを語り合う仲だった。

その紳士から富田は「デ・トマソ パンテーラにGT4という高性能仕様があるらしいんだけれど、それを買ってきてくれないか?」、と頼まれる。生意気盛りだった富田はこうきり返した。「そんなレーシングカーみたいなクルマ、絶対無理ですよ。パワーもあるし、クラッチも重いし、エンジン掛けるのも大変です。でも、どうしても乗りたいというなら、まずノーマルのパンテーラを1万キロ以上乗ってからにしてください」

件の紳士はその場で新車のGTSを購入。1年かけて1万kmをクリアした。富田もまた約束を果たすべく、デ・トマソ本社へと赴く。

「できるだけ早く作ってあげるよ」

遠く日本からやってきた富田を歓待したデ・トマソ。テストドライバーの駆るGT4の助手席に乗せられ、田舎道を200km/h以上でかっ飛ばされた。

「対向車が来たらどうするの?」、と富田が問う。

「畑に突っ込めばいいだけさ」

数々の修羅場をくぐり抜けた富田にとっても、三本の指に入る怖い思い出だという。

日本第1号車として富田が自ら購入したワインレッドのランボルギーニ ウラッコ。一目惚れだったにも関わらず、たった10日ほどで飽きてしまったという。

ランボルギーニ ウラッコ

ランボルギーニ車販売の西日本総代理店となっていたトミタオート。その記念に、と富田は自分の名前でランボルギーニ ウラッコの日本1号車を買い付けている。

イタリア買い付けツアーのごく初期の段階で、ランボルギーニ社を訪れていた。そこで開発し終えたばかりのウラッコを見せられヒトメボレしていたのだった。

ウラッコは2.5リットルのV8エンジンをミッドに積む2+2のスポーツカーで、デザインはカウンタックと同じくマルチェロ・ガンディーニ、ライバルはポルシェ911、という話を本社の人間から聞かされていた富田は、日本でもそれなりの数を売るべく、まずはデモカーとして日本初号機を買い付けたのだった。

富田のウラッコはワインレッドだった。早速、ナンバーを付けて毎日乗り回した。けれども、10日ほど経つと急に熱が冷めてしまった。12気筒と比べてパワーはないし、シフトチェンジのフィールもそれほど楽しいわけじゃない。けれども、そんな性能面に飽きたわけではどうやらないらしい。

富田はウラッコを眺めて、ふいに悟った。直線基調にみえるスーパーカーは自分の趣味ではなかったのだ、と。もっと丸みを帯びて愛嬌のあるデザインが自分の好みであることに今さら気づいたのだった。

女性と同じでじっくり長く付き合えるデザインは、丸みを帯びていなければならない。この確信が、のちのちのオリジナルカー製作に生かされることになる。

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第7回

ギャラリーを見る

11 Photos

ギャラリー:自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第7回

フェラーリBB

70年代後半に巻き起こっていたスーパーカーブーム。実はヨーロッパやアメリカでも当時、スーパーカーというカテゴリーは非常に注目されていた。子供たちを巻き込んで、というのは日本独特の展開だったが、フェラーリランボルギーニといったブランドが競い合うようにして派手な新型車を出していたのだから、目立たぬわけがない。

こんなこともあった。本業がクルマ屋だというのに、ブームだからといって売買よりも貸出しの方が増えていた。そんな状況に嫌気が指していた頃、トミタオートのショールームに、ほとんど新車に近いフェラーリBBの在庫があった。そのBBを西ドイツの友人が欲しいと言ってきたのだ。

日本はスーパーカーブームで価格が高騰している。割に合わないのでは? と返すと、採算は取れるという。ヨーロッパでもスーパーカーが注目されていたという証であろう。富田はBBを売却した。

BBが1カ月半かけて西ドイツに到着するかどうかという段になって、とある日本人が同じBBを求めてショールームにやってきた。彼は何度もそのBBを下見に来ていたらしいのだが、決心がつかずにずるずると購入を先延ばしにしていたらしい。そうこうするうちにショールームからBBがいなくなってしまった!

貸出しか何かでいないだけだろう、と高をくくっていたら、待てど暮らせど戻ってこない。慌てて買う決心をして富田の元に現れたのだった。

インターネットのない時代。在庫確認は雑誌広告が全てだった。

富田は彼の熱意にほだされ、BBを西ドイツから買い戻した。

トミタオートで在庫していたフェラーリ 365BBの極上車を西ドイツの友人に売却したが、とある日本人の熱意に負けて、西ドイツから買い戻したこともあった。

スーパーカーブームって……

“西の仕掛人”として一躍ブームの寵児となった富田だったが、彼の心のなかでは終始、違和感があったという。好きなクルマを懸命に探し、見つけてはリスクを負って仕入れ、愛情をこめて売る。それがカービジネスの本質だと思っていた。

ところが、ブームというものは様々に波及し、ビジネスのチャンスを拡げていく。勢いカービジネスの本筋とはずいぶんと離れたところで、さらに大きなビジネスが栄えていった。社会現象となったスーパーカーブームたる所以でもあった。

このままではスーパーカーの魅力が誤ったカタチで伝わってしまうかもしれない。自分は子供だましの“見せ物”としてスーパーカーを日本に紹介したかったわけじゃない。

20代の頃にイタリアのカロッツェリアを巡った経験のある富田には、夢を描いてカタチにするという当時のスーパーカーの本質を日本人にも知ってほしいという願いがあった。本物のスーパーカー文化を伝えたかったのだ。

富田は『ラ・カロッツェリア・イタリアーナ』という伝説のカーイベントを仕掛けている。ピニンファリーナやザガート、イタルデザイン、ミケロッティ、ベルトーネといった有名カロッツゼリアがこぞって参画し、珠玉の名車たちを晴海にあった国際見本市会場に並べた。1977年のことである。

【次回予告】
富田が扱ったのはド派手なスーパーカーばかりではない。ジャガーやメルセデス、モーガンなど欧州ブランドはもちろん、アメ車にもよく乗った。なかにはシェルビーコブラ・デイトナクーペのような、今となっては数億円の価値がある名車もあった。世界中のスポーツカーを乗り尽くしたことで、富田の進むべき次のステップが見えてきたのだった。

| | コメント (0)

2019年7月 3日 (水)

車お宝話(509) 自動車メーカーになった男 6話

連載
STORIES OF A CAR GUY
Yoshikazu Tomita (No.6)

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回

前回までのあらすじ──70年代前半にトミタオート商会は株式会社トミタオートへと発展した。珍しいスポーツカー販売に商機を嗅ぎとった富田はイタリアへ渡り、フェラーリやランボルギーニの中古車を仕入れる。富田の目論みは見事に当たって、イタリア製の高価なスポーツカーが飛ぶように売れた。そうこうするうちに、子供たちがカメラをぶら下げてぽつぽつとトミタオートにやってくるように。空前のスーパーカーブームがそこまでやってきた。

文・西川淳 編集・iconic
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回

北野に押し寄せる子供たち

すでにトミタオートは株式会社へ改組されていた。事業はいっそう勢いを増してゆく。そして富田が30歳を迎えたころ、あのブームがやってきた。

老若男女を問わず日本中の人々を熱狂させたスーパーカーブームだ。当時、富田は自宅の一階をショールームに飾りきれないスーパーカーたちの倉庫にしていた。週末ともなればそこに300人以上の子供たちがカメラをもってやってくるようになった。平日でも学校が終わる時間になると100人くらいの子供が集まったという。

いろんな事件にも悩まされた。スーパーカーのエンブレムが盗まれる、などは日常茶飯事で、なかには鍵束をごっそり盗まれたこともあった。これにはさすがに往生したという。また、ある夜などはガレーヂにもぐり込もうとシャッターの穴を通り抜けようとした子供が途中でつっかえてしまい、救急車を呼ぶ事態になったこともあった。

熱狂は人々を狂わせる。同時に、そんな熱さこそが社会を動かす原動力であったことも確かだ。40年が経った今、自動車の産業や文化を支えているのは、あの頃カメラを持って自転車で必死になってフェラーリランボルギーニを追いかけていた、スーパーカーブーマー世代が中心となっている。

自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
空前のスーパーカーブームが到来。週末ともなればカメラをもった子どもたちが集まった。その数は300人以上になることもあった。
富田の最も思い出に残る1台が、初めて輸入したカウンタックLP400。日本に到着したときには新聞社の取材を受けるほどの大騒ぎだった。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
カウンタックLP400以外にもさまざまなスーパーカーを扱った。写真はランボルギーニ ハラマ。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
ランボルギーニ エスパーダ
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
カウンタック以外も人気。こちらはマセラティ ボーラ。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
幼い息子をランボルギーニ イオタに乗せて高雄嵐山へ紅葉狩りに出掛けたとき、思わぬトラブルに。なんとドライブ中に燃えてしまったのだ。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
レース仕様のレプリカであるイオタのエンジンルームは、エアクリーナーが取り省かれ、エアーファンネルが綺麗に並んでいるが、このエアーファンネルとキャブレターの隙間からチョロチョロと出火したのだ。
Recommended Posts
あわせて読みたい
フィアット パンダを普段使いする!
フィアット パンダを普段使いする!
スーパーカーの中のスーパーカー、パガーニの本社を訪ねる──第4回 パガーニ・ミュージアム
スーパーカーの中のスーパーカー、パガーニの本社を訪ねる──第4回 パガーニ・ミュージアム
アウディ S5 カブリオレ × EXILE SHOKICHI──ミュージシャンとオープンカー
アウディ S5 カブリオレ × EXILE SHOKICHI──ミュージシャンとオープンカー
メルセデス・ベンツSクラスを普段使いする!
メルセデス・ベンツSクラスを普段使いする!
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第5回
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第5回
4ドアになってさらに感動!シェアする時代にこの1台!Mercedes-AMG GT63S 4MATIC+|GQ at the Wheel
Read More
1 11
空前のスーパーカーブームが到来。週末ともなればカメラをもった子どもたちが集まった。その数は300人以上になることもあった。
富田の最も思い出に残る1台が、初めて輸入したカウンタックLP400。日本に到着したときには新聞社の取材を受けるほどの大騒ぎだった。
カウンタックLP400以外にもさまざまなスーパーカーを扱った。写真はランボルギーニ ハラマ。
ランボルギーニ エスパーダ
カウンタック以外も人気。こちらはマセラティ ボーラ。
幼い息子をランボルギーニ イオタに乗せて高雄嵐山へ紅葉狩りに出掛けたとき、思わぬトラブルに。なんとドライブ中に燃えてしまったのだ。
レース仕様のレプリカであるイオタのエンジンルームは、エアクリーナーが取り省かれ、エアーファンネルが綺麗に並んでいるが、このエアーファンネルとキャブレターの隙間からチョロチョロと出火したのだ。
Share on:
  •  
  •  
  •  

カウンタックがやってきた!

初めて輸入したカウンタックLP400(最初期型)は、富田にとって数あるスーパーカーのうちで、最も思い出に残っている1台だ。

エンリコ山崎氏の手配で赤いカウンタックが神戸に上陸した。通関すると、新聞社が取材に押し寄せた。明くる日の新聞に大きなニュースとして取り上げられたという。

首を長くして待ったほとんど新車のカウンタックLP400を初めて運転したときのことを、富田は未だ鮮明に覚えている。スプリングの効いた重めのクラッチを踏み込み、これまた重いアクセルペダルを思い切って踏んでみたならば、それまでウ〜ウ〜ウ〜と低く唸るだけだったV12DOHCエンジンが、まるでライオンのように吠えはじめる。エンジン回転はみるみる上昇し、留まるところを知らないかのよう。どこまでも、どこまでも回っていきそうだった。

街中はすべて2速で事足りた。カウンタックで出掛けると、クルマを停めるたびに人垣ができて、再発進に苦労をしたという。人気のない場所を探して走っていても、どこからともなく人が集まってくる。山口百恵と同レベルかそれ以上の人気者だったのだ。

高速道路では、今までにない加速の伸びと安定感をみせていた。

14
Read More
1 4
幼い息子をランボルギーニ イオタに乗せて高雄嵐山へ紅葉狩りに出掛けたとき、思わぬトラブルに。なんとドライブ中に燃えてしまったのだ。
レース仕様のレプリカであるイオタのエンジンルームは、エアクリーナーが取り省かれ、エアーファンネルが綺麗に並んでいるが、このエアーファンネルとキャブレターの隙間からチョロチョロと出火したのだ。
Share on:
  •  
  •  
  •  

イオタが燃えた!?

ランボルギーニミウラを幻のイオタ風にメーカーが改造したミウラSVJを仕入れたこともあった。のちに日本から海外のオークションへと流れ数億円の価値がついた個体である。

ある日、テレビ番組などでいっぱしのスーパーカー博士になっていた子供にねだられて、イオタで高雄嵐山まで紅葉狩りに出掛けた。当時から紅葉シーズンの京都は混み合っていたが、道が渋滞するほどではなかったという。だからイオタで出掛けようと思ったのだ。

きれいに舗装された高雄への道のりを2速で駆る。カウンタックより豪快なライオンの雄叫びをイオタ=ミウラSVJはあげていた。

ミウラのV12エンジンは、パッセンジャーシートの後、壁一枚を隔てて数十センチの場所に横置きされている。SVJはノーマル仕様には存在するエアクリーナーが省かれており、その代わりに12本のエアファンネルが片バンク6本ずつ屹立していた。ダウンドラフトだ。その様子がルームミラー越しに見える。ミウラの魅力のひとつである。

高雄の山を2速で引っ張っているとき、ふとルームミラーを見れば、ファンネルとキャブレターの間からチロチロと炎が見えていた!

14
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
カウンタックLP400以外にもさまざまなスーパーカーを扱った。写真はランボルギーニ ハラマ。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
ランボルギーニ エスパーダ
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第6回
カウンタック以外も人気。こちらはマセラティ ボーラ。
Recommended Posts
あわせて読みたい
フィアット パンダを普段使いする!
フィアット パンダを普段使いする!
スーパーカーの中のスーパーカー、パガーニの本社を訪ねる──第4回 パガーニ・ミュージアム
スーパーカーの中のスーパーカー、パガーニの本社を訪ねる──第4回 パガーニ・ミュージアム
アウディ S5 カブリオレ × EXILE SHOKICHI──ミュージシャンとオープンカー
アウディ S5 カブリオレ × EXILE SHOKICHI──ミュージシャンとオープンカー
メルセデス・ベンツSクラスを普段使いする!
メルセデス・ベンツSクラスを普段使いする!
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第5回
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第5回
4ドアになってさらに感動!シェアする時代にこの1台!Mercedes-AMG GT63S 4MATIC+|GQ at the Wheel
 
Read More
1 4
カウンタックLP400以外にもさまざまなスーパーカーを扱った。写真はランボルギーニ ハラマ。
ランボルギーニ エスパーダ
カウンタック以外も人気。こちらはマセラティ ボーラ。
Share on:
  •  
  •  
  •  

鎮火、代わりに燃えたのは……

富田は急いでクルマを停めて、子供が不安にならないよう何気なく離れた場所に誘導し、自分はクルマにもどってゆっくりと巨大なリアカウルを開けた。急に開けると炎に酸素を供給してしまう=火に油を注ぐことになるからだ。

けれども、開けたときの負圧で地面から空気が大量に注ぎこまれ、炎が想像以上に大きくなってしまった。ヤバい! 富田はとっさに、お気に入りだった茶色の革コートでばたばたと炎をはたきはじめる。

どれくらい時間が経ったのだろうか。火がようやく鎮まりそうになったとき、「これを使って!」と横から消火器が差し出された。消火に無我夢中だったから富田はまるで気づかなかったけれど、見れば反対車線が大渋滞している。スーパーカーブームの真っ最中にイオタが燃えているのだから、見物渋滞するのも当然だ。消火器を持ってきてくれたのは、観光バスの運転手だった。

「大丈夫、もう消えましたから」。富田は冷静に答えていた。内心、消火器なんか使ったらクルマが台無しになると思っていたのだ。

幸い、イオタ=ミウラSVJは何ごともなかったかのように走り出した。茶色のコートも少し汚れただけで済んだ。

「パパ!髪の毛が!」。前髪が焼けて、なくなっていた。


次回予告
フェラーリランボルギーニ、デ・トマソ……、スーパーカーブームで富田が関わった忘れられないクルマたちについて、その思い出を振り返る。スーパーカーブームの仕掛人は、そのときいったい何を考えていたのだろうか……。

連載
STORIES OF A CAR GUY

| | コメント (0)

« 2019年6月 | トップページ | 2019年8月 »