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2011年7月 1日 (金)

車お宝話(316)クルマが愛されない自動車大国

  

コメントの返事を書いていたら、どうしても欧米の自動車文化と、
日本の自動車文化の違いを書いておかなくてはと思い、書くことに・・・

但し全くの私見で、云いたい放題、書きたい放題なので、ご勘弁を・・・!

これも私見だが、優れた技術者たちが造るクルマは、もっと芸術的に
評価されなければいけないと思うのだが、残念ながらこの国の評価は
全く違う。

それはこの問題が持つ原点に、日本の古い歴史が非常に根深く関わって
いると思うのだが・・・

そこには江戸時代から連綿と続いた「士農工商」の制度に名残があり、
今なお日本の国の制度や風習の中に、根強く生きていると強烈に感じる!

クルマ業界の問題だけでなく、日本政府が司る政治や法律、特殊な組織
なども、徳川家康が制定した江戸幕府の影響を強く感じてしまうのだが・・・

そしてその原点から来る現在の日本の姿が、今日の世界基準に合致しなく
なってきたからこそ、急速にパワーダウンしてきたのではないだろうか!

まぁ素気なく簡単に云えば、「お上至上主義」とでも呼べるものだろう。

国も、大組織も、大企業も、このお上にお伺いをたてる「お上至上主義」
が今だに蔓延している。

先日も楽天の三木谷社長が、経団連を脱退したいと申し出たらしいが・・・
おそらく昔から連綿と続く「お上至上主義」に嫌気がさしたのではないか!

最も重要な事柄がすり替わり、主題がボケてしまう本末転倒型が多い。
要するに、必要なことや大事なことの順番が、後回しにされてしまう状況!

何事にも「お上にお伺い」をたてる姿勢は、個性を萎えさせる・・・
根回し最優先で考える必要性がないから、自分で考える力が欠落してくる。

世界の子供たちと比べ、今の若者や次世代の子供たちが「自分で考える力が
弱い」と言われるのも、そんな処に原因があるのかも・・・

クルマに話を戻すが、日本の自動車メーカーはエンジニアもデザイナーも、
単なる組織の中の専門職に過ぎず、マイスターのような技術職人としての
扱いを受けていない・・・

これは「士農工商」の制度で、武士が地位の低い工業従事者や商業従事者
に相談したり、任せたりした経緯が非常に稀少だった事にも似ている。

それは幕末期の長州や薩摩などの、非常に優秀で個性的な兵法や教育論を
幕府が認めなかったことにも共通している。

長州の吉田松陰による松下村塾の教育論は、今日まで語り継がれているし、
薩摩独自の薩摩学や、近代工業化を認めなかった幕府に対し、密輸により
近代工業化を計っていたのは薩摩藩だった・・・

一方幕府は、イギリスやロシアなど、海外の国に依存して国を制定しよう
としていたのだから、海外に弱いのはこの頃からかも知れない!

自動車の分野でも外部に技術集団があったとしても、日本人の集団は認めず、
海外の集団に依存することの方が多かった。

上から「もの申す」的な習わしで、有無も言わさず、命令によって物事が
進んだ時代に、技術職人の立場や地位、発言権などがはく奪されてしまった
のだろう・・・

だから日本には昔からマイスターのような、技術職人としての地位を確立
する制度が少なく、せいぜい伝統工芸の職人が人間国宝として扱われる
程度のものしかない。

昨今ブームになっている「坂本竜馬」は、この時代には珍しい商業感覚の
持ち主だったが、それは「坂本家」の家系によるもので、この商業感覚が
あったからこそ、大政奉還をやり遂げたのではないだろうか・・・!

それは、武士を捨てて革命家となったからできたことで、サムライの組織
のなかでは考えも及ばなかっただろうし、実現もしなかっただろう・・・!

この違いが”技術者たちが造るクルマが芸術的に評価されない”理由の一つで、
クルマを造るための一人の「駒」では、造る人の顔が見えないからアートでは
無くなってしまう。

だから我が国での”クルマ”は儲けるための商品で、単に便利な乗り物として
社会に受け止められている。

それでは芸術品とか趣向品とは違った感触になるから、愛されないのだろうな~!

でも素晴らしいことに、日本の企業も民族の枠を超えた雇用が増えて来て
いるから、きっと近い将来には、世界の基準で評価されるようになるだろう。

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コメント

自動車デザイン=芸術性
日本社会では容認されにくいもののひとつだと思います。
クルマに対して興味がない人でも古いクルマに対して
「あのカタチいいよね」なんて会話が弾むことがありますが
最近のクルマとなると...(特に国産車は似たり寄ったりで)

クルマのデザインは国民性や社会を反映させている部分があると思います。また古くから海外の自動車メーカーやカロッツェリアで活躍された日本人デザイナーが携わったクルマが高く評価されたニュースに自分が日本人であることを誇りに思うと同時に、なぜ日本の自動車のデザインは高く評価されることが少ないのか?と
答えのひとつは富田氏が指摘された点、「お上至上主義」に起因しているのではないかと思いました。

日本人はクルマやファッション界のトップクラスのセンスをもっているのだから、お上に翻弄されないように未来のデザイナーの卵たちには頑張ってもらいたいと思います。

投稿: 野村宏一郎 | 2011年7月 1日 (金) 21時24分

今のことは知らないけど、僕の現役時代には何から何まで国のお上や、会社のお上が口出ししてたよね~!
それにしてもフランスやイリアタのクルマは超個性的・・・
それに比べて国産車は事務用品みたいな乗りで、いかにも没個性的だけど、日本人のデザインセンスが悪いんじゃなくて、お上となる素人が口出ししすぎるんだよね~・・・!

投稿: 富田義一 | 2011年7月 4日 (月) 16時29分

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