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2010年6月 2日 (水)

車お宝話(246)(新)回想録・・・チューニングカー Ⅲ

   

『クルマお宝話(19)「チューニングカー」の章』に書いた文章の中で、
いま振り返っても納得できる、二行の文字がある・・・

『もし訪れたAMG社が、現在のように立派な工場と設備を誇っていたなら、
 多分、チューニングカーを造る会社を興そうなどとは思わなかっただろう』

全くその通りで、やはりこれも流れの中にチャンスがあったということだろう!

後に造ることになる、オリジナル・スポーツカー「トミーカイラ・ZZ」だって・・・
・・・アルピ-ヌA110が、完璧な仕上げを誇っていたら・・・
・・・ランボルギーニの工場が、目を見張る設備と、規模だったら・・・
・・・デ・トマソの工場が、途轍もなく立派だったら・・・

・・・後々スポーツカーを造ろうなどと、大きな夢は持たなかっただろう!

だから遠い外国といえども、出かけて行って、自分の目で確かめることが何より
大事だし、必要なことなんだろう。

お宝話(244)の写真を見てもらえば分かる通り、その頃の「AMG」の工場は
至極簡素で、何ひとつ高度な工作機械などなく、少人数で1台1台を手作業で、
ゆったりと仕事を進めていた・・・

畑の中にポツンとある工場はのんびりとした雰囲気で、社長のアウヒレヒト氏
も地味な感じのする、工場の親父って風情だったから、親しみが持てたのを
昨日のことのように思い出す・・・

1232

左端が当時のAMG社長・アウヒレヒト氏            右手前が僕

そう言えば日本を出発するとき、お土産は何にしようかと思いあぐねて悩んだ末、
日本屈指の古い都、京都のことを知ってもらいたくて、「京扇子」にしたんだが、
極東の端の日本ことなど、全く知らない様子で、ホント説明には苦労したな~・・・

たった30年前のことなのに・・・その頃と比べたら、今の世界は比較にならないほど、
狭くなってしまったけどね~・・・!

いま思えば運が良かったんだろうな~、だって今の「AMG」なら年間生産台数は
数万台なんだから、とてもチューニングカー・ビジネスをやろうって気にはならないよ!

こう考えるとおもしろいよね~、”一寸先は闇”って言うけど、過去から現在を
見つめるのも、仲々おつなもんですよ・・・。

まぁ僕も、もっと運が良けりゃ~、どこかの自動車メーカーとくっ付いて、
チューニングカー・ビジネスで、年間数万台は造っているだろうけどね~・・・!

それにしてもどうしてるのかな~、アウヒレヒトさん、メルセデスに「AMG」を
売って大資産家になったのは知ってるけど、スポーツカーは出さないのかな~・・・?

以前に、オリジナル・スポーツカーを出すような噂を聞いたんだけど・・・!

ホントひとの一生は判らないもんですよね~、それぞれに夢があり、現実がある!
それが実る人もいれば、そうでない人もいる・・・

・・・いやいや、僕が思うに、全ての夢が果たせる人はいないでしょう!

だって、その時、そのとき、その齢、その歳で、夢の大きさも違うし、
内容も異なるでしょう・・・

仮にドンドン夢が叶ってサイズが大きくなり、その次のドデカイ夢に向かって
走っていても、もしそこで病に倒れたら・・・”おしまい”。

・・・今度は病を克服することが、次の夢になるでしょうからね~!

だから、その時、そのときを、目いっぱい生きなければ悔いが残る・・・。

そしてそんな生き方をしていれば、もし途中で夢が潰えても、悔いは残らないし、
またチャンスが巡って来たとき、目いっぱいチャレンジできるんだから・・・!

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