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2010年6月

2010年6月29日 (火)

車お宝話(251)久々にワールドカップに湧く日本・・・!

   

いや~、これほど老いも若きもワールドカップに夢中になっている
とは知らなかった・・・

グループリーグで2位の結果が出た日、行きつけのコーヒーショップで
聞いた話だが、若い人だけでなく、そこそこお歳を召した人までもが、
早朝に起きてワールドカップを見ているのだという・・・

コーヒーショップの場所は、大阪・淀屋橋界隈のビジネス街の中心で、
東京なら丸の内ってところか・・・

ほとんどが背広族で、普段は仕事の話ばかりなのに、ワールドカップ
開催中はサッカー話に夢中になっている人が多いという・・・

誰もが夢中になれるワールドカップには、それぞれの夢があるのだろう!

僕のかすかな記憶だが、発展途上国は「万博」と「ワールドカップ」を
招致すれば必ず栄えると、なにかの記事に書いてあった・・・

なんと万博と同格なのはオリンピックではなく、ワールドカップの方で、
球技人口が多いサッカーの方がランクが上なのだという・・・

だからワールドスポーツで、圧倒的に人気があるのはサッカーで、
その要因はボール1個あれば、誰でも、どこでも、楽しめるからだ。

だから発展途上国だけでなく、後進国の子供も参加できるスポーツとして、
類のない人気を誇っているのだろう・・・

日本人が想像も出来ないほど、貧困な国はいくらでもある・・・

その中からハングリー精神で逆境を跳ね返した子供が、やがて世界レベル
の選手となって人々に夢と感動を与える・・・。

だから底辺に流れるハングリー精神が、サッカーの真髄ともいえる・・・!

現在、世界ナンバー1と認められているアルゼンチンのリオネル・メッシも、
工場労働者の父と、パート清掃員の母との間に生まれた・・・

幼いころ発育障害で身長が伸びなかったが、13歳のとき貧しくとも才能が
あったが故にFCバルセロナが引きとり、成長ホルモンの治療費を全額負担
したとある。

その頃の身長が140cm強だったという話しは、医学界でも有名な話だが、
成長ホルモンの投与とトレーニングよって、ほぼ170cmまで成長したという!

なんとも感動的で勇気づけられる話だが、このような人を育てるシステムが、
若者に勇気を与え、その結果として、我々にも感動を与えてくれるのだろう・・・!

最近の日本も、サッカーの本田選手、女子プロゴルフ界の宮里選手、
男子プロゴルフ界の石川選手など、真に世界で活躍する選手が増えてきた・・・

そうそう、F1界の小林可夢偉もハングリーさにかけては凄いものがある。
やはりこれも、陰りが見え始めた日本とは、無関係ではないだろう・・・

僕の勝手な分析だが、最近、世界的に苦境色の目立つ日本だからこそ、
ハングリーな選手が生まれてきたのではないだろうか・・・!

だってバブル時代のような、浮かれた雰囲気からは、間違ってもハングリー
精神は育たないだろうから・・・

だから末端の末端まで、ハングリー精神が浸透している代表的なスポーツ
といえば、やはりサッカーということになる・・・。

サッカー、オリンピック、ゴルフ、F1、この順位は世界中のテレビ視聴率
をもとにして決めるのだそうだが、やはりサッカーの視聴率はダントツらしい。

これはF1のように見るスポーツと違い、世界中でサッカーの球技人口
が圧倒的に多いことが要因だから、万民を見方にしているということになる・・・。

おもしろいことに気がついた・・・サッカーも、ゴルフも、F1も、トップで
活躍する選手たちの契約金は桁違いだということ・・・

ところが、F1界も、ゴルフ界も、桁違いの契約金を手にするのは、
ほんのひと握りの人でしかない・・・

その点、自分の力で地位と名声を得、とんでもない富を手にすることができる
選手の数は、圧倒的にサッカーが一番多い・・・!

だから豊かな国の人達だけでなく、途上国の人達や、貧しい国の人達の夢が、
ぎっしりと詰まっているのが「ワールドカップ」・・・

その「ワールドカップ号」という夢のクルマ乗って、まるで自分が成し遂げたような
陶酔感に浸れるのも、サッカーの醍醐味なんだろうな~・・・!

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2010年6月23日 (水)

 車お宝話(250)2年と7ヶ月で250話達成・・・!

 

2007年11月 6日より始まった「クルマお宝話」も250話に達して
しまったけど、よくもまぁネタが尽きなかったことだ・・・!

出来るだけクルマに纏わる話を心がけてきたが、やってみると仲々
難しいもので、そのときの気分や、そのときの社会情勢など、色々
と変わるから単純には進めない・・・

と言いつつ、久しぶりに249話すべてのタイトルをゆっくりと眺めて
見たが、いやいやどうして!・・・我ながら多岐にわたって書いている
のに驚いてしまった・・・。

おもしろいことに、なぜか分からないが途中で「クルマお宝話」が
「車お宝話」に変わっているが、これも心境の変化が途中で起きた
としか思えない・・・。

2008.05.21 の『車お宝話(53)「鈴木オート」とトミタオート!』から
そうなっているが、この(53)話は原点回帰のストーリーだから、多分
新たな気分でスタートしたのだと思う・・・。

そうそう思い出した・・・そのころ既にネタが尽きてしまい、新たな方向性で
書き始めたから、自分の中で区切りのつもりで「車お宝話」に変えたのだ!

だから駆け足だったが一応50話ほどで、僕が言いたかったことは全て
書いてしまっていたから、良く続いても100話が関の山だと思っていた。

「クルマお宝話」が50話、「車お宝話」が50話で、合計100話が限界かな~、
と、思っていたのを思い出した・・・!

その頃は、まさか250話も続くと思っていなかったから、
頭に浮かんだまま、想い付いたままを、書いていたのだろう・・・。

そこで『車お宝話(53)「鈴木オート」とトミタオート!』からは作戦を変え、
写真だけでなく、テレビでも、映画でも、雑誌でも、なんでもいいから資料を
元にして書くことにしたのだが・・・

それが良かったのか、楽だったのか、お蔭さまで現在も続いているのだから
有難いことだ・・・

でも「鈴木オート」の出てくる「三丁目の夕日」はテレビで見たのだが、
あまりの親近感に「続・三丁目の夕日」はネットでビデオを買ってしまった。

だけどこの映画を見ていなければ、多分ここまで「車お宝話」は続いて
いなかったと思う・・

そこで少し「車お宝話(53)」の冒頭の部分を紹介させてもらう・・・

『最初にテレビで「三丁目の夕日」の「鈴木オート」を見た時は正直ジンときた』
『まぁ僕の創業より10年も前の話だから、細かくは違うのだけれど・・・!』

『道路とか、三輪車のミゼットとか、走っているクルマを見ていると、
『懐かしいのを通り越して、映画ではなく、現実になってしまう!』

『映画にのめり込むと云うより、入り込んでしまう、そして一瞬にして
 その時代にタイムスリップしてしまうのだ!』

『この映画を観て、即座に現代と大きな違いを感じるのは、人に対する
 情の部分だろう!』

『生活空間も環境も交通も所得も病さえも、ほとんど全てが変化したが、
 何より大きく変わったものと言えば、やはり人の心だろう!』

・・・ざっとお宝話53話はそんな内容だったが、このときに気が付き、
古い思い出話だけでなく、今後は当時と今を比較して書いていこうと
思ったから、新鮮さが出てきて続けることが出来たのだと思う。

そして一方で、このお宝話を書くことが殆ど日課に近い習慣になって
いるから、もし止めたら僕自身の心にも、ぽっかりと穴が空くだろう・・・

こうなると仲々止める訳にはいかない・・・!

なにげなく始めたことでも、何年も続くと習慣になる。
その習慣に意義があれば、継続させるべきだと気がついた・・・!

トミタ夢工場時代の合言葉は・・・
「挑戦し続けること」「夢を追い求めること」をモットーに「継続こそ偉大なり」
を実践していたのだから・・・。

 

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2010年6月18日 (金)

車お宝話(249) トミーカイラ・ブランドのいきさつ Ⅱ

   

前回に書いた「AMG」に続く「HARTGE」は、正真正銘僕も知らなかったブランドで、
商標権など、法的な手続きもしっかりとやってスタートしたから、
何の心配もないと思っていたが、またまた落とし穴があった・・・。

BMW635CSIのレーシングカーをブルーの濃淡のハルトゲカラーにして、
第一回全日本ツーリングカー選手権にフル参戦、トヨタ、日産を敵に回して、
見事、初年度はシリーズチャンピオンを勝ち取った・・・

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このレースは、国際イベントの組み込まれた・インターTECシリーズで、
世界的にも注目されていたから、メリットも大きかった・・・

そんなモータースポーツのイメージと、そして社会的な現象にまでなっていた
「ディスコ・マハラジャ」とのコラボが功を奏し、六本木発の「ハルトゲ」の
イメージはもの凄い勢いで浸透し、一躍有名ブランドになってしまった・・・!

ちょうどその頃、東京を中心にしてBMWの3シリーズが爆発的な人気で、
「六本木のカローラ」なる流行語も生まれたほど、ブームになっていた・・・!

そんな時、ディスコ・マハラジャの本店に併設されていたショールームに、
3シリーズベースの「HARTGE・H3」が展示されたのだからグッドタイミング!

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すぐに話題となって、マハラジャとコラボしたステッカーはプレミアが付く
ほどだった。

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・・・ところが、後々まで順風満帆という訳には行かなかった!

いくら努力して有名にしても・・いや!・・・有名になればなるほど
利権を求めて他社が参入し、争い事が起きて来る。

今度は本家のハルトゲ(HARTGE)が莫大なノルマを課してきたのだ。

日本で有名になったハルトゲを扱いたいと、何も知らない同業他社が本家の
ハルトゲに申し入れたのだろう・・・

結局ドイツのハルトゲと法廷で争い、全面的に勝訴はしたが、将来を考えれば
心もとない!

こうして「AMG」に次ぐ「HARTGE」も、夢を掛けるほどには育たなかった。

冷静に考えれば解ることだが、「AMG」ブランドも「HARTGE」ブランドも
自分が創ったブランドではないということだ・・・!

余談になるが、以前に東京に行った折、久しぶりに飯倉の角にある「ポルシェ」の
ショールームを覗こうと行ってみたら、なんと「アウディ」と「ランボルギーニ」が
置いてあるではないか・・・

とっさに、三和自動車がポルシェの利権を無くしたことを思い出したが、
この三和のショールームに「ポルシェ」が並んでいなかった事は少なからず
ショックだった・・・。

日本でポルシェの名前を浸透させたのは、間違いなく三和自動車だろう・・・
僕に近い年齢の人は必ずそう答えると思う。

三和自動車といえば、何十年もカーグラフィックの巻末に見開きで掲載していた
ポルシェの広告・・・

トミタオートの広告はいつもその隣の頁だったことを、懐かしく思い出すが!

それでも、ポルシェの利権問題から三和は手を引かざるを得なかったのだから・・・

・・・自分で創ったブランドでなければ、自由が制限される。

・・・そうして追い詰められた状況の中で、決断する時が来た!

以前から心の中にひっそりと秘めて、誰にも云わなかったブランドをいよいよ
公表するときが来た・・・「トミーカイラ」の出発である。

考えて見れば「AMG」も「HARTGE」も、将来的にオリジナルブランドを立ち上げる
ためのものだったはず・・・

ここからは次回につないで行くことにしよう・・・!

全く余談だが、第一回全日本ツーリングカー選手権に参戦していた頃は、
日産自動車とかなり深い関係にあり、初代「M30」の前身となる
「ハルトゲ・スカイライン」なるプロジェクトを水面下で進めていた・・・

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ところが日産を敵に回して、初年度のシリーズチャンピオンを勝ち取って
しまったものだから、当時の日産レーシングチーム・ニスモの難波社長から
敵外視されてしまい、”ハルトゲ憎し”となってしまった・・・

『メーカー・チームに勝つヤツは強力な敵だ、仲間ではない・・・』と!

紆余曲折いろいろあったが、結果的にこのプロジェクトは「スカイライン・
ヨーロピアンコレクション」となってしまい、「ハルトゲ・スカイライン
プロジェクト」はお蔵入りになってしまった・・・

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まぁこのレースに参戦していなければ「ハルトゲ・スカイライン」は世に出て
いただろうが、さすれば後々の「初代トミーカイラ・M30」は誕生することは
なかっただろう・・・

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”なにが幸となり、なにが災いとなるかは、天のみぞ知る”ということだろう!

                                               つづく

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2010年6月14日 (月)

 車お宝話(248) トミーカイラ・ブランドのいきさつ Ⅰ

 

僕は20代の後半より、仕入れの為に海外に行くことが多くなったが、
そのことによって「ブランド」の大切さを知った様な気がする・・・!

だから30代の頃には「お金」「土地」「売上高」「規模」そんなものより、
「ブランド力」の方が断然重要だし、必要なものだと、漠然とはしていたが
理解していた・・・

最初にそう感じたのは、初期のスーパーカーブームの頃だったと思うが、
魅力的なスーパーカーを造っている「ランボルギーニ」や「デ・トマソ」を、
どうしても自分の目で確かめたいと思いイタリアに旅立った・・・

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もうかれこれ40年ほど昔の話になるが・・・当時はそんなことの為に、
わざわざ極東の島国から、20時間以上も掛けてイタリアに行くヤツなど
ほとんどいなかったと思う、

イタリアに着いて、トリノ迄行き、「ランボルギーニ」と「デ・トマソ」を
訪問したが、そこで感じたことは”そんなに規模は大きくないな~”という
印象だった。

ということは、両者ともにブランドから受けるイメージの方が遙かに大きく、
勝っていたのだろう・・・

だからもの凄く大きなものを想像していたのだろうし、又ブランドが持って
いるカにも惹かれたからこそ、わざわざイタリアにまで行ったのだろう・・・!

この経験がブランドというものを最初に意識し、強く感じた出来事だった。
そして、このとき初めてブランドの大切さを知ったような記憶がある・・・。

その後、決定的にブランドの必要性を感じたのは、やはり「AMG」の展開
のときだった・・・

ほとんど誰も知らなかったAMGのブランドを、あの手この手で3年ほど掛け、
有名にした頃、一通の内容証明が届いた・・・

自動車関係でもない、全く知らない人物から、「AMGの商標権を取ったから
使用を差し止める」といった内容のものだったが、当時の僕はほとんど無知で
さっぱり分からない・・・

すぐに顧問弁護士に相談したがラチガ明かない・・・

仕方がないから自分で調べて、弁理士という存在を知ったが、時すでに遅し、
なんともしようがないらしい・・・

もっともその頃は、一般的に知的所有権など知らない方が普通だったから、
仕方がないが、それにしても腹立たしい話だ・・・!

いくら僕が知名度のないモノを有名にしたからと云って、商標権には勝てない
ということだった・・・。

まぁそのことが後々の為になるのだが・・・。

そこで、仕方がないからと云っては語弊があるが、今度はBMWベースの
チューニングカー「ハルトゲ」を育てることにした。

このいきさつは、「スーパーカー」「デ・トマソ」「AMG」と矢継ぎ早に日本人が
知らなかったモノを紹介し、またアルピーヌ・ブームなどを仕掛けた実績も
あって、その頃は”ブランドの仕掛け人”としての地位が確立されつつあった時期!

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・・・誰も知らない、僕も知らなかったブランド「HARTGE」・・・!

しかし、その頃はすでに「AMG」のブランドも、結構有名になっていたから、
この「HARTGE」ブランドの仕掛けも、上手く行く自信はあった・・・

ここからは『クルマお宝話(19)チューニングカーの章』から抜粋することにする。

『そのブランド発表会は「ハルトゲの日」と称して無数の旗をたて、
 当時の社会的現象ともなっていた、ディスコ「マハラジャ」を舞台とした。』

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『同時にレース参戦の発表会も行い、華やかに開催した。』

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『BMW635CSIベースのレーシングカー(お宝話1参照) も展示して、

Hartge
 何から何までド派手にやったから、業界外の有名人や報道のテレビ局まで来てくれ、
 瞬時に有名になった!』

                               つづく

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2010年6月 9日 (水)

車お宝話(247)「ココ・シャネル」と「シャネル・ブランド」

   

今日は「ブランド」の話しをしようかと思う、直接的にはチューニングカー
の話からは離れるが、かと言って重要性から言えば最も大事なことと
云えるだろうからね~・・・!

たまたま日曜日の夕方、あの有名な「シャネル」の大阪支店に、
フランスから直接担当者が来て、シャネルを代表する「バッグ」の
造り方をお披露目するという。

知人を通じて、「滅多にない機会だから是非見たら」と、
モノ造りが好きな僕を誘ってくれた。

土曜、日曜と出張だったが、早く帰れたので喜んでお邪魔したが・・・

同時通訳を通して聴くなめらかな説明からは、底辺に流れる誇りと、
自信に満ち満ちたモノ造りが自然に伝わってくる・・・

やはり創設者、「ココ・シャネル」の思い入れと、アイデアが素晴らしく、
現在も当時と何一つ変わらず、「ココ・シャネル」の意思が受け継がれ、
姿かたちまで当時と変わらず製造されている・・・

これは当たり前のようだが、実は最も難しく、凄いことだろう・・・!

この「ココ・シャネル」の思い入れの、一つひとつが、
シャネルのブランドを世界のトップブランドにまで育てたことは
言うまでもないが、生涯を通じて自分の意思を見事なまでに貫いた
ところに感動がある・・・

だからこそ、いまもそのポリシーが脈々と受け継がれているのだろうが!

そのココ・シャネルが、50年前に愛用していたというバッグを
手にとって見せてもらったが、今もなにかが脈々と息づいているようで、
不思議な気持ちにさせられる・・・

多分このバッグに染みついた「ココ・シャネル」の思い入れが
そんな気持ちにさせたのだろうが、それにしてもインパクトが
あり過ぎる・・・

やはり世界の巨匠にまで上り詰めた背景には、並々ならぬ意志の強さ
があるのだが、そこには彼女の悲痛な人生が隠されている・・・。

その人生観こそが「シャネル」を世界のトップブランドに押し上げた、
原動力であることは間違いないが、何事もプラスに変える力が備わって
いたことを忘れてはならない・・・!

失礼な言い方だが、たかが「バッグ」と思われがちな、そのバッグに
隠されている想いが、持つ人の人格まで変えることになるのかも知れない・・・

これは車も同じで、「ロールスロイス」に乗れば、誰でも上品な振る舞いと、
言葉使いを手に入れることができるように・・・!

普段は「シャネル」など、まったく縁のない僕だが、このブランドの奥に
秘められた真実に触れることができ、ブランドの真髄を教えられた
気がした!

奇遇なことに次の日の夜、シャーリー・マクレーン主演の「ココ・シャネル」
をBSチャネルで放映していた。これを見て益々想いを強くしたが・・・

「私は流行をつくっているのではなく、スタイルをつくっているの・・・」
というサブタイトルを見て、すべて納得した気がする!

僕の仕事場のご近所さんには「アルマーニ」「カルチェ」「ルイヴィトン」
「エルメス」など、世界でも屈指のブランドたちが、ずらり勢ぞろいしている・・・

この世界的なブランドたちも、其々同じように強い思い入れとサクセスが
あるのだろうな~と、あらためて見直すと興味が湧く・・・

僕だって自分なりに「トミーカイラ・ブランド」の構築には随分と神経も使ったし、
強い思い入れもある。

だから次回は、僕が考えるブランド展開の話をしよう・・・!

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2010年6月 2日 (水)

車お宝話(246)(新)回想録・・・チューニングカー Ⅲ

   

『クルマお宝話(19)「チューニングカー」の章』に書いた文章の中で、
いま振り返っても納得できる、二行の文字がある・・・

『もし訪れたAMG社が、現在のように立派な工場と設備を誇っていたなら、
 多分、チューニングカーを造る会社を興そうなどとは思わなかっただろう』

全くその通りで、やはりこれも流れの中にチャンスがあったということだろう!

後に造ることになる、オリジナル・スポーツカー「トミーカイラ・ZZ」だって・・・
・・・アルピ-ヌA110が、完璧な仕上げを誇っていたら・・・
・・・ランボルギーニの工場が、目を見張る設備と、規模だったら・・・
・・・デ・トマソの工場が、途轍もなく立派だったら・・・

・・・後々スポーツカーを造ろうなどと、大きな夢は持たなかっただろう!

だから遠い外国といえども、出かけて行って、自分の目で確かめることが何より
大事だし、必要なことなんだろう。

お宝話(244)の写真を見てもらえば分かる通り、その頃の「AMG」の工場は
至極簡素で、何ひとつ高度な工作機械などなく、少人数で1台1台を手作業で、
ゆったりと仕事を進めていた・・・

畑の中にポツンとある工場はのんびりとした雰囲気で、社長のアウヒレヒト氏
も地味な感じのする、工場の親父って風情だったから、親しみが持てたのを
昨日のことのように思い出す・・・

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左端が当時のAMG社長・アウヒレヒト氏            右手前が僕

そう言えば日本を出発するとき、お土産は何にしようかと思いあぐねて悩んだ末、
日本屈指の古い都、京都のことを知ってもらいたくて、「京扇子」にしたんだが、
極東の端の日本ことなど、全く知らない様子で、ホント説明には苦労したな~・・・

たった30年前のことなのに・・・その頃と比べたら、今の世界は比較にならないほど、
狭くなってしまったけどね~・・・!

いま思えば運が良かったんだろうな~、だって今の「AMG」なら年間生産台数は
数万台なんだから、とてもチューニングカー・ビジネスをやろうって気にはならないよ!

こう考えるとおもしろいよね~、”一寸先は闇”って言うけど、過去から現在を
見つめるのも、仲々おつなもんですよ・・・。

まぁ僕も、もっと運が良けりゃ~、どこかの自動車メーカーとくっ付いて、
チューニングカー・ビジネスで、年間数万台は造っているだろうけどね~・・・!

それにしてもどうしてるのかな~、アウヒレヒトさん、メルセデスに「AMG」を
売って大資産家になったのは知ってるけど、スポーツカーは出さないのかな~・・・?

以前に、オリジナル・スポーツカーを出すような噂を聞いたんだけど・・・!

ホントひとの一生は判らないもんですよね~、それぞれに夢があり、現実がある!
それが実る人もいれば、そうでない人もいる・・・

・・・いやいや、僕が思うに、全ての夢が果たせる人はいないでしょう!

だって、その時、そのとき、その齢、その歳で、夢の大きさも違うし、
内容も異なるでしょう・・・

仮にドンドン夢が叶ってサイズが大きくなり、その次のドデカイ夢に向かって
走っていても、もしそこで病に倒れたら・・・”おしまい”。

・・・今度は病を克服することが、次の夢になるでしょうからね~!

だから、その時、そのときを、目いっぱい生きなければ悔いが残る・・・。

そしてそんな生き方をしていれば、もし途中で夢が潰えても、悔いは残らないし、
またチャンスが巡って来たとき、目いっぱいチャレンジできるんだから・・・!

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