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2010年5月31日 (月)

車お宝話(245)(新)回想録・・・チューニングカー Ⅱ

当時を思い出し、チューニングカー・ビジネスについて、じっくりと回想
してみたが、やはりその時は全てのタイミングがその方向へと、流れて
いたのだと思う・・・

ノッテるときって、物事の流れが自然に一つの方向へ行くでしょう・・・!
アレですよ、その時も・・・!

スーパーカーブームの波に乗り、ひとつの峠を超えたところで我に返り、
次に目指すものを自然に求めていた時期だと思う・・・。

そんな状況の中で最初にAMGのことを知ったのは、確か自動車専門誌
モーターファンの、成江淳氏の記事だったと記憶している。

スーパーカーは素晴らしく魅力的だが、話にならないほど実用性に乏しく、
トラブルも絶えなかったから、ブームが下火になると同時にバッタリと
姿を消してしまった・・・

当時のスーパーカーは乗って楽しむというより、所有する歓びの方が
勝っていたと思う。

だから正直なところスーパーカーで長距離走行した後は、精神的にも、
肉体的にも疲れきってしまい、暫く乗る気がしなかったのも事実・・・!

そんな時、「性能・信頼性・ルックス」と、三拍子も揃ったチューニングカー
に出会ったんだから、一瞬にして心を奪われても不思議ではない・・・

では「チューニングカー」と「スーパーカー」は、なにが違うのか・・・?

・・・最大の相違点は、信頼性と実用性だろう!

それはチューニングカーを造るベース車が、大自動車メーカーによって
造られている大量生産車だと言うことに尽きる・・・。

膨大な時間と莫大な資金をつぎ込み、可能な限りのテストをクリアした、
実用的で信頼性の高い車が、チューニングカーとなるべきベース車に
なっているのだから・・・

一方、当時のスーパーカーはフェラーリにしろ、ランボルギーニにしろ、
マセラッティーにしろ、小規模生産で、ほとんどハンドメイドに近い
クルマたちだった・・・!

今でこそ、そのスーパーカーたちは大自動車メーカーの傘下で、
潤沢な資金と共に完成度の高いクルマを造って大きな信用を得ているが、
当時の状況では、とても信頼性と実用性を確保することは、無理だった。

話を戻す。・・・・・そんなとき、当時メルセデスベンツの輸入元だった
ウエスタン自動車の人が書いた、「AMG」の記事を目にした・・・

この記事を読んだときの衝撃は、今もハッキリと記憶にあるが・・・
迷っていた僕の心に光がさし、一瞬にして晴れた想いがしたものだ・・・!

ちょうどその頃、自分の愛車・メルセデス350SLに、モモのステアリングを
取り付け、メッシュのワイドホイールに、幅広タイヤ、そして自製のタコ足・
マニホールドを取付け、得意げに乗り廻していたんだから・・・

このタコ足の効果は抜群で、レスポンスと加速は著しく向上したと感じていたが、
当時の風潮ではメルセデスベンツを改造するなど、もっての外で、親しい評論家
でさえ「ベンツはノーマルで乗るクルマだと思うけどな~」って言ってた時代・・・!

だから、この「AMG」の取材記事を読んだときは、僕の強い味方が現れたと
正直思ったし、大きな自信にもなった・・・。

このときの気持ちを素直に表現すると、今流行りの幕末の志士みたいなもので
広い世界に同志を得た心境、今すぐにでも西ドイツの「AMG」に飛んで行って、
話がしたかった・・・!

(この章は『お宝話(20)AMG社に契約に行く!』に詳しく書いているので、
詳細は省くが、ぜひ参照を・・・)

四方を海に囲まれた島国の日本で、チューニングカーがビジネスになるなど、
当時は誰一人として、思っていなかっただろうに!

でも、なぜか僕の心がときめき、一直線にチューニングカー・ビジネスに走って
しまった・・・

そのときは僕なりに天命だと信じて、大きな賭けに出たのかもしれないな~・・・!

このあと手がけるBMWベースの「HARTGE」だって似たようなもので、
まだまだ島国の日本には、不必要だと思われていたが、初志貫徹を貫いた・・・!

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1.クルマお宝話」カテゴリの記事

コメント

チューニングカーは乗る人乗る人の『色』が出て非常に面白いですよね~
AMG・BRABUSなどは非常に興味深いカスタムメーカーです
個人的にはBRABUS派ですが。。。
東京の街中では非常にAMGなどのチューニングカーが多いと感じました・・・
これも富田さんの功績ですかね?

今日、近所のスーパーカー修理工場で
子供が興味津々にデ・トマソを覗いていました。
これを見てると、まだまだ日本も捨てたもんじゃないなと思いますw

最近就職活動始めました。
4年生専門学校なので若干早めですが。
しかし、なかなか自分の力を最大限に出そうと思える会社は見つからないですねぇ・・・
富田夢工場みたいな会社があればいいのですが・・・
もちろん、プロジェクトと平行に・・・ですよw
最近研究授業に昇格したので、これから本格的に動くことになりそうです。

しかし、就職活動となるとやはり『足』も必要なわけで・・・
でも、ほしい車がまったく見つからないんですよね・・・・
あえてあげるならZZⅡなんですが・・・

投稿: あきら | 2010年6月 1日 (火) 21時33分

私がトミタオートに始めて行ったのは’84年でした、まだあの敷居の思いっきり高いコンクリ打ちっぱなしの綺麗な建物になる前で、山に向かいやや登り勾配のあるブッティクで、裏庭によだれのでる外車がずらりとならんでました、そのなかにHARTOGEも有ったような......、長くBMWのボクサーに乗ってますのでBMのよく回るエンジンには魅力を感じてましたがこのHARTOGE には未だに縁がないままです、多分あのカチっとした出来が性格に合わないのです。

ところで富田さんにお伺いしたいと前から思っていたのですが、そのごtommyakairaの4本サイドデカールラインとロゴになる意匠デザインがHARTOGEによく似てますが コレはかなり意識なさったのでしょうか? 私はこのラインが大好きで劣化してきたラインを自分で中性洗剤を薄めた液をスプレーして新しく貼りなおしたりしてます、愛車はM30Zですが案外コカコーラボトルラインなんで難しいんですよね真っ直ぐ貼るのは、貼るまえにマスキングテープでラインを出したりしてます。 

  ところで、さる夜、国道1号山科の辺りでサイドデカールも鮮やかな”M30C”に邂逅した気がするんです、一瞬だったので不確かですがあれは貴重も貴重、富田さんには申し訳ないですがマニアには営業的に不成功のものに限って垂涎の的になるのです。

投稿: aphrodisiaque | 2010年6月 1日 (火) 22時29分

あきら君、頑張ってますね~・・・!
「なかなか自分の力を最大限に出そうと思える会社は見つからないですねぇ・・・」・・・でも最初から自分を買ってくれる会社は皆無だと思いますよ・・・。
少しずつ実績を残して、コイツなら任せられると思われるところまで食い下がらないと。
その点は僕だってかなり永い下積みがあったんだから・・!

最早AMGはカスタムメーカーとは言えないくらいの地位を築きましたね~。
僕の永年の理想の形態ですよ、やはりメルセデスは桁違いの会社ですよ!

投稿: 富田義一 | 2010年6月 2日 (水) 15時56分

aphrodisiaqueさん、懐かしいトミタオートの話しですね~・・・。そう山に向かってやや登り勾配のある展示場だったですよ!
サイドデカールのラインはおっしゃる通りハルトゲの流れをそのまま流用しました。
AMG、HARTGEと育ててきて、やっと自分たちのブランドを世に出すのですから、わざとHARTGEのイメージを使って共通性を持たせました。片方はドイツ製、片方は日本製みたいなイメージです。
それに、その頃はまだHARTGEも併売していましたから
共通性がなければ共食いになりますしね~。
M30Cですか、懐かしいです。このクルマは特にインテリアにお金をかけましたから大損ですよ(笑・・・)。
滅法速いクルマでしたけど・・・!

投稿: 富田義一 | 2010年6月 2日 (水) 16時19分

サイドデカールのお話ありがとうございます、仲間は6人いましてそれぞれm30zをとても大事にしてます、が.....、私のが年齢に合わせて一番走り現在253000キロです、メタルさえ逝かなければこのまま距離をのばします。ほぼノントラブルです、コレも基本チューニングの確かさの賜物です。

次回の、車お宝話(246)(新)回想録・・・チューニングカー Ⅲにも触れてらっしゃいますが、AMGに限らず物事建物が立派、じゅうたんがふかふかになりすぎるとどうも近寄りがたくなりいけません、組織内に思い違う人も出始めますし。
昔、桂太郎という人が貫禄なんてフロックコート着て町内を馬車で一周してくれば付く物さ と言ったらしいですが明治の人から学ぶものは多そうです。

今や世界の成長の奇跡、デュバイのシェイクムハマド皇太子に過日NHKの仕事でインタビューしたことがありますが、
皇太子ご自身はとても柔和なご仁なのに周囲がいかめしい、権威を付けすぎです、ソレが巷間知られるデュバイショックの形になったかもしれません、たかだか30年前はダウ船と真珠生産のべドウインの民です、新しく召し抱えた能力者たちはいずれも向上心のみの世界から集まった人々、こういった環境は国作りだけでなく企業作りも同じではないでしょうか?人からにじみ出る癖とリスクが付きまといます、 でももの作りの面白さは欠点は出てもやはり無限の可能性に挑めるからパワーも出るのでしょう、
あの金閣寺のブテックが今頃10階建てになってたら富田さんのお話も大分違ったものになってたかもしれません、
門前の小僧がお釈迦さんに説法でした、ご容赦を。

投稿: aphrodisiaque | 2010年6月 3日 (木) 18時20分

スゴイですね~・・・253000キロとは、ホント脱帽です。僕が1台で乗った最高記録は169000キロでしたよ!

『仲間は6人いましてそれぞれm30zをとても大事にしてます』とありますが、つい先週の日曜日に30Zをお持ちの方がZZⅡを見に来られましたよ・・・!ご存じ・・・?

『あの金閣寺のブテックが今頃10階建てになってたら富田さんのお話も大分違ったものになってたかもしれません』・・・そうでしょうね~、いい悪いは別にして!
でもまぁ~残念ながらそうはなりませんでしたとさ・・・。

投稿: 富田義一 | 2010年6月 3日 (木) 20時09分

”日曜日に30Zをお持ちの方がZZⅡを見に来られましたよ”←この人物大よその検討はつきます、zzⅡは私も是非1度拝見したい車です。

富田さんはもともとメカ出身でらっしゃるからストレスのかかるチューン車で25万オーバーがどれほどのことか私が申し上げるまでもありません、基本チューンが素晴らしかったのです、脱帽してます。
 私 大成功した人物にも何人か会いましたが 果たして棺おけに入るときに満足できる人生であったか、
人生快感があるとしたら金品を残すことでなく自分の作り上げたものが他人評価で後世に残されることですね。例えば印象派の画家の殆どは生前不遇でしたモジリアニなどは髄膜炎でパリの石畳で息を引き取ってますが、しかし名と作品は永久にのこります、工業製品でもブラフシューぺりア辺りはこの粋にはいりました。
10階建てのオーナーでなくてよろしかったのではないでしょうか・

投稿: aphrodisiaque | 2010年6月 3日 (木) 21時11分

そうですか、ありがとうございます。でも日本人の手でAMGのような形態を造り上げたかったですよ、僕の考えに間違いはなかったのですから・・・!
まぁ、まだ終わった訳ではないのでチャンスを待ちますよ。

それからいつでも見に来て下さいよ・・・ZZⅡは!

投稿: 富田義一 | 2010年6月 4日 (金) 12時19分

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