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2010年3月10日 (水)

車お宝話(227)(新)回想録・・・スーパーカーブーム Ⅱ

この記事の文中に、当時の僕の様子を示すことが書かれているから、
手前味噌で気恥ずかしいが、少し紹介させてもらうことにした・・・

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『特に富田は、地域にこだわらず、何がスーパーカーなのかを、
 子供たちに教えようと、東京・晴海で「ラ・カロッツェリア・
 イタリアーナ」なるビッグイベントをプロデュースしたほか、
 TV局に働きかけて全国にすべてのスーパーカーを紹介したり
 もしたという。 まさにブームの頂点を築いた男である・・・』

まぁそんな内容のことが書かれているのだが、その頃のブームは
二極化していて、平気で偽物のスーパーカーを展示していたものも
結構あった・・・

早い話が、単なるお金目当ての興行で、集客さえできれば何でも
よかったのだろう・・・

だけど僕は根っからの自動車屋だし、プロとしての意地もある。
だから誰にも真似の出来ない、本物を展示したいと・・・!

そこで僕自身も、イタリアのカロッツェリアに行って感激した
のだから、それと同じものを子供たちに見せたいと思いついた・・・!

早速、イタリア在住の相棒に掛け合い、ピニンファリーナ、
ジウジアーロ、ザガード、ミケロッティなど、大御所に話を通してもらい、
すぐに僕もイタリアに飛んだ・・・

その相棒は、当時の日本人デザイナ―としては結構力があったから、
話はトントン拍子に進んだが・・・

《この話は「クルマお宝話(12)イタリアお宝さがしの旅Ⅱ」にも
 書いているので是非参照を・・・。》

今でこそ、その大御所たちを、世界的に有名なカロッツェリアだと
知る人は多いが、当時の日本で、そんなことを知る人は極々少数派。

その頃の数少ないカーデザイナーか、自動車雑誌の編集者ぐらいかも・・・!

でも国産自動車メーカーも、以前からそんな大御所達にデザインを
依頼していたんだけどな~・・・

有名なところでは、1966年のジュネーブ・モーターショーに発表された、
「いすゞ・117クーペ」が、紛れもないジウジアーロの作品で、
そのショーでコンクール・ド・エレガンスを獲得したし・・・

ミケロッティも、1960年に発表されたプリンス・スカイラインスポーツと、
その翌年に発表された、日野・コンテッサなどを手掛けた・・・。

でも、そのカロッツェリアの大御所達が、スーパーカーのデザインを
担当していたとは当時の子供が知っている筈もなく、ましてや
そのショーカーなど見る術もない・・・

そこで、そんな子供たちに本物のスーパーカーの原点を見せたいと、
僕自身、大きな夢に立ち向かった・・・!

それは、世界的に活躍するイタリアのカロッツェリアたちを招いて、
世界で最大級のスーパーカーショーを企画することだった・・・

その為にイタリア在住の相棒と、互いに、行ったり来たりしながら、
電話でも連絡を取り合って、大いに盛り上がっていたが・・・

時差の関係で、夜中に連絡を取り合って、1時間も2時間も話して
いたのを懐かしく思い出す・・・

・・・だけど国際電話の請求書を見て、倒れそうになったけどね~!

まぁそんな苦労の甲斐あって、とうとう門外不出の作品まで含め、
東京晴海の地に招き、お披露目することが決まった・・・

大御所達も、こんなブームは世界でも初めてのことだし、
何より子供たちのためになると、僕の自動車文化論を理解してくれ、
大いに協力してくれた・・・!

それに、当時は今の中国のように急激に自動車産業が発展していたから、
デモンストレーションになるからと、大いに期待もしていた・・・。

・・・そのショーの名は、『ラ・カロッツェリア・イタリアーナ』・・・

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数日間、テレビでも中継されたほど、ビッグなイベントとなった・・・。

これが僕のそれまでの人生で、一番大きな夢を果たした瞬間だった!                                    

                                    つづく

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コメント

小生もこのショー=ラ・カロッツエリアイタリアーナに行ったことがあります。時に小生7歳でした。
ショーの出品車の中ではマセラティメディチ=イタルデザインの4ドアセダンに心惹かれましたがいかんせん市販車でないのが玉に瑕で.....。
この他フェラーリがピニンファリナと合作したCr25ステュディオのなめらかな面処理に惹きつけられ、同時にモデル嬢たる女性の髪型が「2012年現在の小泉今日子」やかつて若かりし頃の吉永小百合にそっくりでおもわずハッとさせられたことを憶えております―端正なクルマに端正な女性の組み合わせに。
スーパーカーブームの定番であったランボルギーニカウンタックLP400/500やフェラーリBB512には「あえて」目を向けず、一歩身を引いていた「ひねくれ者にしてマせた」小生なのでした(笑)。
この時東京駅から乗った230型日産セドリック個人タクシー(L20搭載の2000デラックス)の「横揺れこそないものの、フワフワした節度のない乗り心地」にも強い印象を抱いた辺り、小生もませすぎて、意識の中心は国産車を中心とした量販乗用車にあったかと自己分析できます!(言うなれば現実主義者∴「スーパーカーは浮世離れ過ぎて魔法使いアニメ並みに幼稚っぽい」という深層心理を抱いていたと取れようか)
そういえば当時1977-78年の小生がよく買うプラモデルも1/28三菱ランサー(大滝製)にトヨタ・コロナ2000GT(ニチモ製)、1/24ホンダアコードLX(エルエス製)そしてマツダ・コスモAP(有井製作所製)と国産車の高性能実用車が中心で、スーパーカーにはいまいちついていけなかったことを思い出します。
PS(おまけの話)
★当時の家の車=1975年日産ブルーバードU1600GL/610型(L16型1595ccエンジン搭載:未対策仕様の4速マニュアルで、スタイルこそ野暮ったいもののキャタライザーがつかないだけにスピードも不満なく出てソフトな乗り心地をエンジョイしたものです)
◎スーパーカーブームも末期になった1977年秋には小生、父親にアウディ80GLEを強く薦め、同車を翌年6月に購入する運びとなったものです。
★かく言う小生の現在の足は
①2004年式トヨタヴィッツ1300U-L/95015km走行
②2009年式レクサスIS350/23000km走行(家族名義)
の二台で、富田さんも「欧州車志向+高性能実用車志向」が強かった小生の「三つ子の魂百まで」を感じられたかも知れません(※レクサスISは1992メルセデス・ベンツ260Eから代替)。

投稿: 真鍋清 | 2012年1月30日 (月) 05時11分

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