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2010年3月

2010年3月31日 (水)

車お宝話(232) 面白かった F1第2戦の妙・・・!

  

先週末のF1第2戦、オーストラリアGPの決勝は見どころ一杯で、
久々に味のあるレースだと感した次第・・・

今年からガソリン補給が出来なく無くなった1戦目のバーレーンでは、
退屈なレース展開に非難の声が上がっていたが、この2戦目は久々に
目が離せない面白い戦いになったと思う・・・

まぁその陰には、旨い味と、苦い味があったと、僕は感じたんだが
どうだろう・・・!

その旨い方の味は、なんと云っても優勝者のジェンソン・バトンがとった、
旨い選択に尽きると思う・・・!

オープニングラップの1コーナーで、アロンソと接触してしまった事が、
結果としてその旨い選択になったんだから、皮肉なもんだ・・・

だってスタート順位のままで、何事もなく1コーナーをクリアしていたら、
あんなギャンブルには、間違っても出なかったと思うからだ・・・

・・・だから、いいことにも、悪いことにも、感謝しないとね~!

そのギャンブルとは、まだまだ路面が濡れている状況なのに、
スタート早々、誰よりも早くにウエット用タイヤから、ドライ用タイヤに
換えてしまい、誰もがギャンブルは裏目に出たと思ったんだから・・・!

僕だってテレビを見ていて、バトンがピットからコースオフした途端に
コースアウトした時は、ギャンブルは裏目、時期尚早と思ったもん・・・!

でも人生と同じで、”時として運はチャレンジャーに味方するんだよね~”
悪いことが起きても、”そんなことは気にせず”、”すぐに次の手を打つ”・・・!

路面の渇きに沿ったドライ用タイヤの威力は凄まじく、ファステストの嵐、
とうとう最後尾からトップに躍り出てしまった・・・

そしてジェンソン・バトンの優勝が、このシーンの決断が正しかったことを
証明して見せた・・・。

これは僕が一番大事にしていることなんだけど、何事においても積極的な
チャレンジ精神が大事だという、最も良い見本だろう・・・!

だからテレビを見終わった時、大きな満足感と共に、ことさら美味しいものを
食べたときのような、深い味わいを感じたもんだ・・・。

その一方で、第1戦、第2戦と、連続で悲運の人となったのは、
若き天才ドライバー、セバスチャン・ベッテル!

先ほどの話しとは対照的な出来事で、これには渋い苦味を感じた・・・。

第1戦、第2戦共に公式予選トップ、そしてポールポジションからの
スタート・・・

両レース共、レース中盤まではダントツのトップで、逃げ切り態勢だった
のに・・・

自動車レースの最高峰はなんと云ってもF1、そのF1のトップチームが、
スパークプラグのトラブルで1戦目の優勝を逃し、続く第2戦目のレースでも、
メカニカル・トラブルで戦線離脱、優勝どころかノーポイント・・・

この若き天才ドライバーに、こんな悲運が宿っていいものかとも思うが・・・
・・・これも人生、”時として運は人を育てる”んだから!

だけど、この残念で、残念で仕方がない結果が、必ず後に喜びをもたらす・・・

この苦い苦い経験に腐ることなく前進すれば、この若き天才ドライバーは
とんでもない大スターになると思うんだけどな~・・・!

だって、まだまだ若いんだから、天の恵みを肥やしにしなくっちゃ~ね~・・・!
歴代の天才ドライバーだって、そうは簡単にチャンピオンになってないもん・・・。

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2010年3月28日 (日)

車お宝話(231)スポーツカー復活の兆し・・!

最近発表されたニューモデルのスポーツカーに異変が起きている・・・
と云うのは、6速マニアルミッションの人気が急上昇しているからだ!

先日発表された「ホンダ CR-Z」も6速マニアルミッションの比率が
40%と、最近では考えられないほどの人気・・・

それだけではない・・・そもそもスポーツカーそのものに人気が帰って
来たから楽しみだ・・・

この「ホンダ CR-Z」など、ほぼ年間の販売目標を発売後たったの1ヶ月で
クリアしたんだから、嬉しくなってしまう・・・。

ここ最近は世の中の風潮として、エコ一色みたいなところがあったから、
エコとスポーツカーを組み合わせた、この「CR-Z」にクルマ好きの人たちが
ストレートに反応した結果だろうな~・・・!

と云うよりクルマ好きにしてみれば、永い間のうっぷんが一辺に噴き出した
といった方が、当てはまっているかも知れないが・・・!

それを証明するかのように、もう一台、ナチュラル・エコともいえる
本格的なスポーツカーが、最近発表された・・・。

まるでクルマ好きの気持ちを鷲掴みにしたような、本物のコンセプト・・・

スポーツカー本来の奇をてらわない、軽量かつ簡素でダイナミックな手法、
そんな僕が大好きなコンセプトを引っさげて、登場したスポーツカーがある・・・

それは昨年末に発表された「ポルシェ・ボクスター・スパイダー」だ・・・!

ポルシェ・ボクスター13年の歴史の中で、これほどホットで、
心をウキウキさせるモデルはなかったと思う・・・

ややもすると、重たく大きすぎるボディに、少しイージーな感じがする
スポーツカーだったが、これぞ本物と思えるクルマになったと僕は思う・・・!

このスパイダーは、ボクスター本来の電動式ソフトトップを取り止め、
手動式の軽量ソフトトップや、アルミを多用したボディに軽量シートなど、
総合的に見直し、車両重量を1275kgまでダイエット、現行ポルシェの
ラインアップ中、最軽量モデルとなった・・・

・・・やっぱり軽量こそスポーツカーの原点だし、エコの原点でもある。

まぁそんな中身の話しもいいが、それよりなんと云っても抜群のルックス・・・
僕が大好きなデザインで、一目見た瞬間10数年まえの「ZZ」の発表を
思い出してしまった・・・

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このリアからのデザインがコブ好きの僕としては堪えられないほど魅了的だし、
何ともいい雰囲気をかもし出している・・・。

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このリアーのコブをポルシェは”ストライキング・ドーム”と呼ぶのだそうだが、
これだけで全く違うクルマに生まれ変わっている・・・

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このフロントの、のっぺりとしたデザインにも「ZZ」との共通点を感じるし、
ローダウンされたルックスがコンパクトに見せている・・・

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性能的にも「ZZ」と似通っていて、0~100kmも5秒ほどだし、
パワーウエイトレシオも「ZZ」の3.83に対して3.98とほぼ同等だから、
嬉しくなってしまう・・・!

話をもどすが、年末にカリフォルニアで開催された、このスパイダーの
国際試乗会では、すべての試乗車が6速マニアルミッションで統一されて
いたそうだから驚く・・・!

今までなら性能的にメリットのあるPDK仕様がテスト車両の大半を占める事が
多かった、ポルシェの国際試乗会なのに、今回は全て6速マニアルミッション
なんだから、スポーツドライビングの真髄を再確認と云ったところか・・・

やっぱりスポーツカーをとことん味わうなら、マニアルミッションだよね~!
自ら操るという行為の素晴らしさは、いつまで経っても飽きないもの・・・。

そんなスポーツドライビングの真髄で、スポーツカーの復活なるか・・・!

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2010年3月24日 (水)

 車お宝話(230)(新)回想録・・・スーパーカーその後!

 

こんなふうに色々書いていると「あのブームって、一体なんだったんだ?」
と改めて思ってしまう・・・

当時のトップスターの何倍もの人気を誇った「カウンタック」や、「イオタ」。

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クルマがヒーローになり、アイドルスターになったのは、このとき以外
にはない・・・

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その当時、マスコミを総動員し、社会現象にまで発展した背景には、
今や立派な40歳代の大人になった、子供たちの行動力がある・・・

土曜の午後や、日曜日になると、カメラを握りしめた子供たちが、
近隣だけでなく、他府県からも続々と「アイドルスター」を求めて
トミタオートにやってくる・・・

・・・それだけではない!

スーパーカーが走りそうな場所には、カメラを持った子供たちが
群れをなして待っている・・・

その期待に応えようと、スーパーカーのオーナーたちもそこに集結する。

次の週も、その次の週も・・・クルマ好きにとって夢のような毎日が続く!

・・・そして足かけ4年半に渡ったブームは終演を迎える。

まぁ気がつけば、あれから30年以上もの月日が経ってしまったん
だから仕方ないが、すっかり世の中も変わってしまった。

だから余計にそう思うのだろうが、ほんとうに一体なんだったんだろう・・・

今ならブガッティ・ヴェイロンのように、16気筒で1000馬力を超え、
2億円もする超スーパーカーがあるけど、殆どの子供は知らないだろうな~!

それどころか、今の小学生や中学生にクルマの話しをしても、
反応以前の答えが返ってくる。

クルマは最早、移動手段であり、その家族によっては必需品でしかないと・・・!

お母さんのお買い物、子供の塾の送り迎え、家族の駅までの送り迎え、
休日の日のお出かけ用、お年寄りの病院までの送迎用、などなど・・・。

たまにクルマ好きのお父さんがいても、車イジリまでするお父さんは、
まずいない・・・

よほど古い車でなければ、コンピューターが邪魔して、何がなにやら、
さっぱりわからないから仕方がない・・・!

まぁ、ホイールやタイヤ、サスペションなど、ショップで換えてもらう
のが精々だろう・・・

だから、子供にクルマのウンチクを云えないし、伝えようがない・・・!

たまに子供をオートショップに連れて行っても、大型ショップは遊園地化
しているから、どんどんとクルマからは、かけ離れて行く・・・

それにしても、あれだけ「スーパーカー」に熱中した若者達が大きくなって、
子供を産み、その生まれた子供たちが、多少は親の意思を受け継ぐのが
自然なのに、無関心、無反応なんだから、不思議で仕方がない・・・!

そうそう、いまどき滅多にいないクルマ好きの学生に聞いてみたことが
あるが、自分と同じようなクルマ好きはクラスにはいないのだという・・・

もしクルマ好きの子がいたとしたら、その子はクルマが趣味なんだと・・・

鉄道マニアみたいな乗りで、「てっちゃん」よろしく、「クルちゃん」とでも
呼ぶのだろうか・・・!

その点、当時の小学生や中学生は、みんな「あのブーム」に翻弄されていた。
と云うより心地よく振り回されていたように思える・・・

まるで宇宙船や、UFOを発見したかのような驚きと興奮があったらしい・・・

僕は35年も風変りな自動車屋をやってきたから、クルマに対する色んな
反応を経験をしてきたが、このときほど子供の視線を感じたことはない・・・

だから、この「スーパーカー・ブーム」世代の人たちに支えられて
トミーカイラブランドのチューニングカーも、オリジナルスポーツカーも、
造ることが出来たのだと思う・・・!

 

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2010年3月17日 (水)

車お宝話(229)トヨタのリコール問題・・・2

 

この前の日曜日に『お宝話(20)AMG社に契約に行く!』に
書いた友人がロスから来て、僕の家に泊まったんだが・・・

そのときに「トヨタのリコール問題」の真相について話したんだけど、
やっぱり米国では一般的にジャパンパッシングだという受け取り方が、
周知の事実らしい・・・。

だから、今回のことはトヨタだけでなく、日本車全体に影響し、
日本のメーカーはシェアーを落とし、反対にアメリカのメーカーは
久々に販売台数を伸ばしたんだそうな・・・!

次から次へと起きる訴訟問題にしても、つい最近まで話題の中心
だったタイガーウッズの時と同じで、訴訟にすれば金になる国だから、
起きる問題なんだと・・・

それにしても、”勝手に加速するプリウスの話し”・・・

びっくりするよね~、スピード違反で捕まった原因をトヨタ車の
せいにするんだから・・・

いくらとっさの便乗話にしても、チトひど過ぎるし、悪質極まりない。
タイミングが良すぎて過剰反応するのは必至だろう・・・!

そう言えば僕もZZを発表したときに、アメリカから話がきたが、
この友人に相談して、アメリカで売ることを諦めた経緯がある・・・

なぜかそんな事があったことを、ふと思い出してしまったが・・・

この国の怖いところは、訴訟を起こされて負けたら、
桁違いの金額を支払わなければならない、事実があるからだ・・・

それも何年も前に遡って、支払わなければならないのだから・・・!

ましてや、我々のような弱小企業が血祭りに挙げられ、
訴訟に負けてしまったら、”店じまい”しか方法はない・・・。

・・・やはり今回の問題もアメリカ独特の現象なんだろうな~!

まぁ今回の場合は、日本一の大企業が血祭りに挙げられているんだから、
徹底的に戦うんだろうけど・・・

・・・それでもアメリカは強大だから、苦戦することは避けられない
だろうな~!

モノ凄く心の美しい人と、トンデモナク怖い人が同居している国・・・
・・・まぁそんな国だから、世界一の強国なんだろうが!

だから、いくら超大企業のトヨタでも、「オバマモータース」に対抗するのは
容易ではない・・・!

でも真実と、捻じ曲げられて造られたものでは、やがてハッキリとした
形で差が出てくるのだろうが・・・・

それよりもっと気になるのは、こんな事に巻き込まれている間に、
中国や途上国での、日本車のシェア―が伸びないということだろう・・・

それでなくとも、日本の企業力が全体的に低下しているときだから、
最も強かった、日本の自動車産業の痛手は、大きすぎると思うのだ・・・。

だって僕の58歳までの人生は、成長の一途をたどって来た自動車業界に
どっぷりと浸かって来たんだから、こんな状況を見れば、ついつい心配に
なってしまうのは仕方がない・・・

それは僕の学生時代に湧き起った所得倍増論が、瞬く間に日本中を
豊かにし、続く日本列島改造論で、一躍世界に注目される国になって
しまった事実を、この目で見て知っているからだろう・・・

そして狂乱物価を招いた最初のオイルショックも、世界一に手が届いた
バブルも経験したんだから、もうこれ以上、日本の国が落ち目になる所
は見たくないと思うのが人情だろう・・・!

一日も早く希望の持てる国になってほしいと、みんな期待しているんだから・・・!

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2010年3月13日 (土)

車お宝話(228)(新)回想録・・・スーパーカーブーム Ⅲ

 

いま思えば単なる外車屋が、あれよあれよと云う間にスター並の
扱いを受けるようになったのだから、当時まだ若かった僕が
少々おかしくなっても仕方がない・・・

関西だけではなく、四国、九州、岡山、鳥取、大阪、東京など・・・
遠いところでは北海道の岩見沢からも呼ばれて出かけて行った・・・

僕がテレビ局とのジョイントが多かったのは、やはり前回紹介した
『ラ・カロッツェリア・イタリアーナ』の企画内容が良かったからだろう

そのうえテレビ局にも、東京や、大阪にまで見に行けない
地元の子供たちのために、是非スーパーカーショーを企画をして
欲しいと要望が多かったそうだ・・・

例えば、岡山のテレビ局、山陽放送とジョイントしたときなど、
山陽放送(RSK)が所有するRSK・バラ園でスーパーカーショー
を開催した・・・

確か2万坪もあるバラの花園に10数台のスーパーカーを展示し、
テレビ中継と、ラジオ番組も組まれていた・・・

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なにせ主催者がテレビ局だから、空いてるコマを使っての前宣伝は
十分に行き届いている・・・

あとは当日に雨さえ降らなければ、まず大盛況は間違いない・・・

約束通り指定された新幹線で岡山駅に着くと、テレビ局のお偉いさんが
お出迎えしてくれている・・・

そのままテレビ局へ直行し、翌日から始まるスーパーカーショーの
宣伝を兼ねた番組に出演・・・

いきなり司会者なしで僕が仕切り役、アシスタントの女性が2人付き、
ぶっつけ本番でトークショーやるんだから・・・

まぁこんな調子で、タレントでもない僕がポンポン仕事をこなして
いたから、テレビ局の人もなにか勘違いをしたのだろう・・・

翌日からの2日間は、僕がラジオのDJをすることに・・・

おぼろげな記憶だが、僕が1分ほど話して、3分ほどレコードが掛かる。
そしてCM、これのくり返しだが・・・

最初のうちは何がなにやら解らず、云われるまま夢中で話していたけど、
プロでもないのに、そうそうネタが次々と頭に浮かぶわけがない・・・

それにテレビは表情でごまかせるが、ラジオはマイクに声がキチンと
入らないといけない・・・

・・・この時ほど1分が長いと感じたことはなかったし、
つくづく僕には向いてないと自己嫌悪、ほとほと自信を喪失した・・・。

相手がいれば以外と簡単だが、一人進行のDJはこの上なく難しい・・・!
やはり餅は餅屋、僕は自動車のことしかできないよ~・・・!

まぁそんな経験はその時1回だけだが、いま思い出しても恥ずかしい!

もう一つ、おもしろ話を・・・

これは鳥取テレビでスーパーカーショーをやった時の話し・・・!

いつもと同じように、テレビの取材を受けていたのだが、
この時はリアルさを出そうと、子供たちをスタジオに入れていた・・・

ところがだ・・・インタビューを受けてる間中、僕を取り巻く子供たちが、
入れ替わり、立ち替わり、僕のお尻を触りまくるのだ・・・

前にはテレビカメラが回っている、アナウンサーは素知らぬ顔で
話し続けるのだが、僕は気になって、気になって、話どころではない・・・

それなのに、そのアナウンサー氏は、僕が幼い頃に鳥取で過ごしたこと
を知ると”故郷に錦を飾った男”なんて叫んで留まるところを知らない・・・

いや~、この時ほど一刻も早くインタビューが終わってほしいと思った
ことはなかったな~・・・

だって平気な顔をしてる積りでも、だんだん顔は引きつって来るし、
お尻がムズムズして、まるでトイレ我慢してるみたいだし・・・

やっと終わって、振り向きざまに子供たちを睨んだら、”やった~”、
”スーパーカーに座ったお尻を触った~”・・・だって!

まだある・・・

その夜、会場からそう遠くない所に住んでいる、育ての母の処へ
泊まりに行ったら・・・

「やっぱりテレビに出てたのお前か、良く似てると思ったけど・・・」
「・・・でもまだ、おしっこが近いのは治らんな~」・・・だって!

                                 おしまい。

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2010年3月10日 (水)

車お宝話(227)(新)回想録・・・スーパーカーブーム Ⅱ

この記事の文中に、当時の僕の様子を示すことが書かれているから、
手前味噌で気恥ずかしいが、少し紹介させてもらうことにした・・・

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『特に富田は、地域にこだわらず、何がスーパーカーなのかを、
 子供たちに教えようと、東京・晴海で「ラ・カロッツェリア・
 イタリアーナ」なるビッグイベントをプロデュースしたほか、
 TV局に働きかけて全国にすべてのスーパーカーを紹介したり
 もしたという。 まさにブームの頂点を築いた男である・・・』

まぁそんな内容のことが書かれているのだが、その頃のブームは
二極化していて、平気で偽物のスーパーカーを展示していたものも
結構あった・・・

早い話が、単なるお金目当ての興行で、集客さえできれば何でも
よかったのだろう・・・

だけど僕は根っからの自動車屋だし、プロとしての意地もある。
だから誰にも真似の出来ない、本物を展示したいと・・・!

そこで僕自身も、イタリアのカロッツェリアに行って感激した
のだから、それと同じものを子供たちに見せたいと思いついた・・・!

早速、イタリア在住の相棒に掛け合い、ピニンファリーナ、
ジウジアーロ、ザガード、ミケロッティなど、大御所に話を通してもらい、
すぐに僕もイタリアに飛んだ・・・

その相棒は、当時の日本人デザイナ―としては結構力があったから、
話はトントン拍子に進んだが・・・

《この話は「クルマお宝話(12)イタリアお宝さがしの旅Ⅱ」にも
 書いているので是非参照を・・・。》

今でこそ、その大御所たちを、世界的に有名なカロッツェリアだと
知る人は多いが、当時の日本で、そんなことを知る人は極々少数派。

その頃の数少ないカーデザイナーか、自動車雑誌の編集者ぐらいかも・・・!

でも国産自動車メーカーも、以前からそんな大御所達にデザインを
依頼していたんだけどな~・・・

有名なところでは、1966年のジュネーブ・モーターショーに発表された、
「いすゞ・117クーペ」が、紛れもないジウジアーロの作品で、
そのショーでコンクール・ド・エレガンスを獲得したし・・・

ミケロッティも、1960年に発表されたプリンス・スカイラインスポーツと、
その翌年に発表された、日野・コンテッサなどを手掛けた・・・。

でも、そのカロッツェリアの大御所達が、スーパーカーのデザインを
担当していたとは当時の子供が知っている筈もなく、ましてや
そのショーカーなど見る術もない・・・

そこで、そんな子供たちに本物のスーパーカーの原点を見せたいと、
僕自身、大きな夢に立ち向かった・・・!

それは、世界的に活躍するイタリアのカロッツェリアたちを招いて、
世界で最大級のスーパーカーショーを企画することだった・・・

その為にイタリア在住の相棒と、互いに、行ったり来たりしながら、
電話でも連絡を取り合って、大いに盛り上がっていたが・・・

時差の関係で、夜中に連絡を取り合って、1時間も2時間も話して
いたのを懐かしく思い出す・・・

・・・だけど国際電話の請求書を見て、倒れそうになったけどね~!

まぁそんな苦労の甲斐あって、とうとう門外不出の作品まで含め、
東京晴海の地に招き、お披露目することが決まった・・・

大御所達も、こんなブームは世界でも初めてのことだし、
何より子供たちのためになると、僕の自動車文化論を理解してくれ、
大いに協力してくれた・・・!

それに、当時は今の中国のように急激に自動車産業が発展していたから、
デモンストレーションになるからと、大いに期待もしていた・・・。

・・・そのショーの名は、『ラ・カロッツェリア・イタリアーナ』・・・

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数日間、テレビでも中継されたほど、ビッグなイベントとなった・・・。

これが僕のそれまでの人生で、一番大きな夢を果たした瞬間だった!                                    

                                    つづく

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2010年3月 6日 (土)

車お宝話(226)(新)回想録・・・スーパーカーブーム Ⅰ

  

スーパーカーブームは、僕が独立開業してからちょうど
10年後の、1977年頃を頂点としたものである。

独立開業してから5,6年経ったころから、ぼちぼちスーパーカー的
なクルマが入庫するようになってきた・・・!

当然、その当時は「スーパーカー」などといった呼び名ではなく、
単にイタリア製のスポーツカーと呼んでいたが・・・

その後、ランボルギーニ、フェラーリ、マセラティ、デトマソなど、
当時は特殊だったハイパフォーマンスなイタリア製スポーツカーを、
「スーパー・スポーツカー」と名付けて雑誌の広告に掲載した・・・

だから「スーパーカー」の名称は、当時はそんなところからマスコミが
作った造語だろうと云うことになっていた・・・。

余談だが、この当時の自動車雑誌は「イタリアン・エキゾチックカー」と
紹介しているところも多かったように記憶しているが・・・。

このスーパーカー・ブームの切っ掛けとなったのは、なんと云っても、
池沢さとし氏が連載した、漫画、「サーキットの狼」だろう・・

1975年から少年ジャンプに掲載された、「サーキットの狼」は、
1979年の半ばまで4年半も続くが、事実上この漫画の終焉が
ブームの終焉ともいえる・・・。

後にモータースポーツにのめり込む池沢さとし氏だが、
当時から大のクルマ好きで、この「サーキットの狼」を連載する前年に
「ロータス・ヨーロッパ・スペシャル」を手にいれ、乗りまわす内に、
この漫画のストーリーを思いついたと、雑誌の対談のときに聞いた・・・

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だから主人公の風吹裕矢は、ある意味、池沢さとし氏でもあるのだが・・・

・・・だからイギリス製のスポーツカー/ロータスヨーロッパで、
当時、見たこともないようなイタリアン・スーパー・スポーツカーを
相手に主人公・風吹裕矢が、「サーキットの狼」のなかで走りまくるのは、
氏の憧れでもあったのだろう・・・

そして、ランボルギーニ、フェラーリ、マセラティ、デトマソなど、
今迄一度も見たことのない、イタリアン・スーパー・スポーツカーを、
一目見たいと思う子供たちが増えて行ったのが、ブームの始まりだろう・・・

この「ロータス・ヨーロッパ」は1966年に発表されたミドシップ
・レイアウトのスポーツカーだが、当初はヨーロッパと北米のみを
ターゲットとしていたから、左ハンドルしかなかったのをご存じか・・・!

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云わば輸出専用車で、それまでロータスが果たせなかった海外進出を
このクルマに託したのだろう・・・

だから名称も「ヨーロッパ」で、本国イギリスでの発売は2年後だったんだから・・・

・・・「あのブームって、一体なんだったんだ?」・・・

これは「GENROQ」という自動車雑誌が、2002年の10月号でスーパーカーを
特集したときの見出しだが、本当に、”一体なんだったんだ”と思う。

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    左から2番目が僕で、右端が池沢さとし氏

この取材の時にも散々話をしたが、結局、誰にもよく分からなかった!

僕も永かったクルマ人生のなかで、色々と経験してきたが、
由一「ブーム」と呼べるモノの中心にいたのは、この時だけだろう・・・

まるで商売替えをしたかのように、それまでの地道な商いを放り出し、
スーパーカーたちと旅に出る・・・

積載車にスーパーカーたちを乗せ、各地を巡る旅に出るのだが、
その間お店は開店休業状態・・・!

まるで慣れないサーカス団の団長のようで、地に足が付いていない・・・
さしずめ、馬やライオンがスーパーカー、それに跨って芸をする僕・・・

テレビに、ラジオに、雑誌にと、まるでスター気取りだったが、
ブームが終わって見れば何のことはない、収支はトントンだった・・・。

若かったから面白かったし、いつまでも続くと思っていたのだろう・・・!
でもこの経験のお蔭で、目立つことの大切さを教えてもらった気がする。

                           つづく。

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2010年3月 3日 (水)

車お宝話(225)MY BIRTHDAY・・・!

 

いや~、とうとう僕も65歳になってしまった・・・!

本当に生まれたのは2月25日だが、法律上は何故か3月1日。
それは戦時中だったから、疎開などで登記が遅れたらしい・・・

僕のくだらん話で恐縮だが、高校生までは2月25日が誕生日
だと思っていたし、京都生まれだと思っていた・・・

ところが就職するときに取り寄せた戸籍謄本で、生年月日と
出生地が違うことに驚いた・・・

それは数十年後に再開した母親に「疎開先で届けたからだよ!」
と教えられ解決したが・・・

当時は良くあったことらしく、僕に近い年齢のひとには多い。

僕だって幾ら戦中生まれと云っても、戦争のことは何も知らないが、
それでも、こんなところに戦争の古傷が残っている。

これも余談だが、2月25日と3月1日では運勢が随分と違う・・・
・・・「陰陽27宿」では、それがはっきりと見て取れるから不思議だ。

30年以上も前のことだが、僕の師匠がある人を紹介してくれた・・・

・・・いつもの師匠のやり方だが、二人を料亭に呼び寄せて、

その人と僕の相性を「陰陽27宿」に照らし合わせて調べてくれた・・・

その人は宿曜占星術では「星宿」の星で、僕は「柳宿」と出た・・・

互いに、その事が書かれている紙を交換して読んでみたが、
読めば読むほど、どう見ても僕も「星宿」の星なのだ・・・

その事を師匠に告げると、生まれ落ちた日が違うのではと云う・・・

そこで僕が法律上は3月1日だが、本当に生まれたのは2月25日
だと告げると・・・・・”あら不思議”僕もやっぱり「星宿」だった!

その人とは「ツタヤ」の創始者・増田氏で、この「星宿」の持つ特性に、
まさにピッタリの人だった・・・。

では簡単に、この「星宿」の持つ特性を紹介しよう・・・

『人とは少し違うオリジナリティーのある個性の持ち主で、
 規制の概念に翻弄されることなく、逆に反発する強さがある。』

『時間がかかっても必ず夢を実現させる粘りと、芯の強さを
 持ち合わせている。』・・・とある。

一部分だけの抜粋だが、本当に微に細に当てはまっていたから、
面白いと云うより恐ろしい感じがする・・・。

まぁ、生まれ落ちた日は、それだけその人にとって大事だという
ことだろう・・・!

人間は一人ひとり、何かの役割があって生まれてきているのだから、
当然と云えば当然だが、改めて宇宙の偉大さを感じる・・・。

話を戻すが、誕生日の前の日に、半年振りに採血した血液検査の
結果が返ってきた。

ところが65歳になろうというのに、またまた前回よりデータが
良くなっている・・・!

前回は昨年の7月に血液検査をしたのだが、その数値より数段
データが良くなっていたから、何よりの誕生日プレゼントだ・・・!

一番大事な成長ホルモンは、相変わらず20歳代だし、
免疫力の基になる、リンパ球も相当増えた。
悪玉も、善玉も、コレステロールはかなり数値が下がったから有難い。

これは永年続けているナチュラルホルモン療法と、1年ほど前から
始めた、週2回の加圧トレーニングと、週1回のピラティスのお蔭か・・・!

とくに嬉しいのは動脈硬化指数が大幅に下がったこと・・・

6年前は年相応に壮年レベルだったものが、6年たった今の方が
若年層に近いんだから・・・

・・・これは、やっぱり血液クレンジングのお蔭だと確信した。

        『血液クレンジングとは・・・』

『採血した自分の血液を医療用オゾンで酸素飽和度を最大限に増やし、
 きれいに浄化した新鮮な血液を体内へ戻す方法で、ドイツで発祥し、
 ヨーロッパで広まり、エリザベス女王の母君が老化防止のために
 定期的に受けていたことでも話題となった。
 新鮮な血液が全身を巡ることでリンパ液が浄化され、活力が回復し、
 若返りを促進する。』

:身体がが軽く、霧が晴れたような爽快感と軽やかさ!
:冷え切っていた手足の先がポカポカに!
:血管を若返らせることが出来る由一の治療法!
:肌トラブルの主原因である血行不良を解消!・・・・・等など。

まぁざっと列記したが、早い話が30分ほどで済む施術で、
最近はテレビでも何度も紹介されているから、ご存じの方も・・・!

  http://cleansing.jp/・・・血液クレンジンング普及会

血管がキレイならほとんどの病気が防げるからと、僕も始めたのだが・・・
・・・ほんと嬉しい結果で喜んでいる。

そんな僕をビックリさせようと、内緒で誕生日のパーティを企画して
くれた面々・・・

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・・・女医の先生たちと、看護師さんたち!

そんなことには鈍感で、僕を驚かそうとしていることなど全く知らず、
本当にビッグサプライズだったが・・・

人生、山あり谷あり、良いことにも、悪いことにも、ただただ感謝・・・  
・・・悪いときがあるからこそ、良いときに有難いと思えるんだから・・・!

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