« 車お宝話(219)トヨタのリコール問題 | トップページ | 車お宝話(221)(新)回想録・・・(8) ランチア »

2010年2月10日 (水)

車お宝話(220)(新)回想録・・・(7) 京都の地の利

 

独立して5年と言えば、僕はまだ30歳にもなっていない。
そう・・・1974年頃の外車屋時代は楽しくて仕方がなかった!

いろんな種類の外国のクルマが、次から次へと入庫し、
毎日が楽しくて仕方がなかったし、飽きることがなかった・・・

・・・見る人も楽しかったと思う!

当時では滅多に見ることのない珍しいクルマが、
次から次へと入庫し、展示されるのだから、
たちまちクルマ好きの名所になってしまった・・・!

そうそう、だから僕は当時では考えられなかった方法だが、
夜通し照明を点けて置くことにしたんだけど・・・

これが結構好評で、深夜に展示場の前に車好きが集まって、
車談義に花を咲かせていたもんだ・・・。

日本に一台なんてクルマはざらにあったし、とにかく珍車が
得意だったから、話題性は抜群・・・!

そのうち、車雑誌のカーグラフィックを見た地方からの
見学者も増えて、益々栄えていったとさ・・・

・・・でも、悩みもあった!

それは、お金があれば目当てのクルマをすぐに仕入れる
ものだから、常に手持ち資金が足りず、金策が大変だった・・・

まぁそれが、悩みと言えば悩みだったけど・・・。

もちろん巷では、何の変哲もない車ばかりが走っていた時代。
だから、僕の外車屋は目立っていたし、注目度も高かったのだが・・・

でも全国的に目立っていた要因には、もうひとつの理由があった!

やはり京都という地の利と、そのなかでも神社仏閣が多い、
古都京都の雰囲気の中に、存在していたことだろう・・・

当時の僕の店は、目の前に市電が走り、北野天満宮と北野白梅町の、
ちょうど中間で、停留所の前にあった・・・

02085

当時の京都の感覚では、九条通りより下(シモ)か、
インターチェンジに近い国道の側が、自動車屋のメッカとされて
いたのだから、随分と的外れな場所に僕の外車屋はあった・・・。

ご存じのように、京都は碁盤の目のように道路が整理されていて、
大阪方面寄りから順に、十条、九条、八条、七条、五条、四条、三条、
二条、一条通りと、横に道路が走っている・・・

なぜか六条通りは、ほとんど消滅してしまっているが、
これは、巨大な本願寺を設営するときに区画整理的に消滅した
ものだと思う・・・!

勿論、一条通りで道が無くなるわけではなく、一条通りより上(カミ)
は今出川通り、北大路通り、北山通りと続く・・・

京都の呼び名で、上(カミ)へ行くは、一条の方角へ北上すること。
        下(シモ)へ行くは、十条の方角へ南下すること。

当時の僕の外車屋は、その一条通よりもまだ上(カミ)で、
今出川通りに面して「北野天満宮」の隣だったから、
目立つこと請け合いだった・・・

この「北野天満宮」は毎月25日に市が立つ、昔から盛大なもんで、
とくに骨董品や、西陣の着物の端切れには定評があった・・・

そのすぐ側には、舞妓ちゃんで有名な「お茶屋筋」がある・・・
ここが日本のお茶屋の発祥の地で、西陣の「上七軒」と言う。

僕の外車の展示場から、歩いても5分とは掛からない・・・

これは有名な話で、豊臣秀吉が北野天満宮に於いて一般庶民に
お茶会を催したとき、北野天満宮より上に七軒だけお茶屋を許可した
ことから、「上七軒」がお茶屋の発祥の地となった・・・。

当時でも数万人規模の「天神さんの市」の日は、僕の店の前も
さながら繁華街の様相だったんだから・・・。

因みに、まだその頃には影も形もなかった後の「夢工場」は、
北大路通りと西大路通りの角で、金閣寺のすぐ側だった・・・。

11052

因みに工場も大将軍神社のすぐ側と、ほんと神社仏閣には縁があった。

まぁ、もともと人とは発想が違うから、ひとの反対を押し切って
そんな場所に店舗を出したんだろうけど、結果としては大正解だった・・・!

ここでひとつ、昔から「東西の通り名」を覚えた手まり唄を紹介しよう・・・

(テレビのコマーシャルで知っている人もいるかもしれないが・・・)

丸 竹 夷 二 押 御池  姉 三 六角 蛸 錦    四 綾 仏 高 松 万 五条
まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき しあやぶったかまつまんごじょう

雪駄ちゃらちゃら魚の棚 六条山哲通りすぎ 七条こえれば八九条 十条東寺でとどめさす。

北から(御所の南の通りから)丸太町・竹屋町・夷川・二条・押小路・御池・

姉小路・三条・六角・蛸薬師・錦小路・四条・綾小路・仏光寺・高辻・松原・

万寿寺・五条・魚の棚・六条・三哲・七条.八条・九条・十条となる。

|

« 車お宝話(219)トヨタのリコール問題 | トップページ | 車お宝話(221)(新)回想録・・・(8) ランチア »

1.クルマお宝話」カテゴリの記事

コメント

"丸 竹 夷 二 押 御池  姉 三 六角 蛸 錦    四 綾 仏 高 松 万 五条" いまでも私くしこの通り名そらんじていえます、それも当然、’74はあの石油ショックの翌年、京都のマスコミに就職して無理やり之を暗記させられた年でした、ただし雪駄ちゃらちゃらは、もはや記憶の彼方です。

何しろ京都、関西は東京生まれの私には難関の地名ばかり、大阪の放出が ”はなてん”...う~む悩みます、 東一口は”ひがしいもあらい”.....これにいたっては逆さになっても読めない!

京都なら鹿ガ谷が”ししがたに”、丹波ささやまは篠山と書くとはいざしらず大恥をかき、さらに名神の蝉丸トンネルを”  弾丸トンネルで今朝乗用車3台を巻き込む事故があり....."などとやったものでした、
でも一つ釈明したいのは殴り書きでミミズが這いずったような字をニュース原稿にかく酔いどれどれ記者が一番わるい、弾丸に見えたってしかたない、名神だけにいっそ弾丸にしたほうがいいと今でも思ってます。

ヨーロッパの町にはいまやエコ交通の要になりそうな低床の快適市電が復活してます、思えば当時京都の町にはまだ市電が晩節を飾ってましたね、通りには丸くくり貫かれた取っ手の公衆電話ボックス、ボディがクリームで夜になると屋根が赤く透けてみえて、街の情緒を作ってました。

フランス語でバックミラーをレトロヴィゾワ~retroviseur{後ろをみつめるもの}といいますが
レトロも時には悪くありません、またc6の話ですが
あの車、後ろ姿はどこかノスタルジック、まさにレトロヴィゾワ~です。

投稿: aphrodisiaque | 2010年2月11日 (木) 12時58分

そうなんですよね~、今回たまたまノスタルジックな気分になってクルマを離れて書きましたよ!

レトロはロマンがあっていいよね!・・・ホント。

投稿: 富田義一 | 2010年2月12日 (金) 16時34分

はじめまして。
いつも拝見させていただいていますが、
こうやってコメント書かせていただくのは初めてになります。
なんだか懐かしい気持ちになったもので...


私は1973年生まれですので、もう数年は後の話になるでしょうが
当時、大将軍にあった祖母の家から天神さんへと向かう途中
お店の前を通るのが天神さんの露天なんかより楽しみで楽しみで・・・

なのに、じ~っと見てると怖い人が出てきて怒られそうな気がして
横目で停まってる車をチラチラ見ながら足早に通り過ぎたり(笑)

今でもその豆腐屋さんになってしまった建物の場所の前を通る度に
その頃のことを思い出して、当時の自分の小心者っぷりを情けなく思いますわ。

今になって当時ちゃんと見ることができなかった車達の画像を
あらためてじっくり見させていただいております。


また、私の現在の勤務先が「当時の店」と「金閣寺の店」の丁度中間あたり
にありまして、現在もよく通る場所の風景と画像の車の後ろにある背景との
違いを楽しませてもらっております。


これからも当時の興味深い話をいろいろ聞かせてください。

投稿: miyamoto | 2010年2月13日 (土) 22時57分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47067/47530739

この記事へのトラックバック一覧です: 車お宝話(220)(新)回想録・・・(7) 京都の地の利:

« 車お宝話(219)トヨタのリコール問題 | トップページ | 車お宝話(221)(新)回想録・・・(8) ランチア »