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2010年2月

2010年2月27日 (土)

 車お宝話(224)(新)回想録・・・(11)コルベット

 

お宝話の新・回想録(1)に、スーパーカーブームの到来までには
最初の外車屋時代だけでも、5年以上の月日を要したと書いているが・・・

全くその通りで、いつまで経ってもスーパーカー話に辿りつかないから、
アメ車の代表としてコルベット・スティングレイで一応の区切りを
つけたいと思う・・・。

ちょうどトヨタの米下院公聴会での大量リコール問題をめぐり、
大波乱の様相のとき、タイミングとしてはいいのかも・・・

これは僕の個人的な意見だが、今回のトヨタ問題には大きな影を感じる!

それは今のアメリカにとって、ゼネラルモータースの復興は大きな問題・・・
だからこの問題が大きな後ろ盾になって、トヨタ叩きが燃え盛るのだと
考えるからだ・・・

勿論、トヨタの社長も認める、トヨタサイドの落ち度も十分にある・・・
急速に世界一になった背景には整備されていないシステムもあったのだろう!

でも過去の前例や自動車業界の現状を考えたとき、余りにも過剰な反応と
思わざるを得ない・・・。

今回取り上げる「コルベット・スティングレイ」は、ゼネラルモータースが
アメリカで、押しも押されぬナンバー1企業として君臨していた時期のクルマ・・・。

そのゼネラルモータースは、既に1950年代にはアメリカ最大の企業となり、
50年代半ばには、アメリカで最初に年間10億ドル以上を稼ぐ企業となっている。

そのゼネラルモータースが経営破綻し、超多額の税金が再生費用として投入
されたのだから、なんとしてでも確実に再生させなければ政治の汚点となり、
問題が大きくなる・・・

そんな時、アメリカの地でシェアーを伸ばし続けたトヨタが、
この時ばかりと、袋叩きに遭うのもうなずける。

そのゼネラルモータースの破綻によって、多くの人々が未来を失い、
日々の暮らしを苦境に落とし入れたのだから、この問題の根は深い・・・。

かといって、トヨタも永い年月を掛けてアメリカに根付いている企業・・・
生産にしろ、販売にしろ、サービスにしろ、労働者の多くはアメリカ人だ。

どちらに世論が傾くにせよ、問題の根は深い・・・
これは現在の日本も同じだが、多分に政治の色が濃い解決になると思うが・・・!

これぞ日本の”ことわざ”にある、「出る杭は打たれる」と「判官贔屓」が
ダブルで重なった典型的な現象だろう・・・。

さて前置きが長くなったが、「コルベット・スティングレイ」に話を戻す・・・

このクルマは確か、1963年型のC2型・コルベット・スティングレイで、
今なら値打ちの「スプリット・ウィンドウ」だったと記憶している・・・

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リヤーのウィンドウが真中から2分割になった個性豊かなリアービューと、
筋肉モリモリのフロントが、巧く融合した歴史に残るデザインだと思う。

向こう隣にはシッカリと、「シボレーカマロSS」が同席している・・・。

スティングレイと言えば、このカタチを思い浮かべるほど強い印象を持つ!

こちらは1964年型のオープンモデルに、珍しくハードトップが付いている・・・

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アメリカという国は世界一オープンモデルが多い国だから、トップを付ける
人は殆どいない、多分このクルマは日本人のオーダーなのだろう・・・。

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僕の記憶では、排気量は5,358 ccの水冷V型8気筒OHVエンジンで、
キャブレター仕様の340馬力だったと思う・・・

この頃のアメ車のハイパフォーマンス・モデルは皆OHVだが、
なにしろ音に迫力があった、”ボォロロロロ”の排気音が懐かしい・・・

写真がないのが残念だが、427モデル、即ち 6,997ccで400馬力以上の
スティングレイも数台取り扱ったが、加速や吸排気音の迫力は凄いが、
高速道路での直進性はとんでもなくひどかった・・・

・・・これはクルマ自身のサスペンションにも問題はあるのだろうが、
当時流行したワイドオーバルタイヤに問題があったのだと思う。

まぁそんなことより、このクルマの魅力は何と言ってもスタイルだろう・・・

・・・その当時でも、抜群のスタイルにみんなが振り向いたが、
画一的なデザインが多くなった現在では、アメリカを代表する
クラシックな1台となったと思うのだが・・・

・・・でも僕は以前にも書いたように、C1、C2、C3型とある中では、
やっぱり初期型のC1に魅力を感じてしまう・・・

1953年にGMが初じめて2シーターのレイアウトでオープンスポーツカー
のプロトタイプを発表、シボレーブランドを一躍スポーティなイメージ
にした野心作だった・・・

その中でも僕が好きなのは、56年式のシングルライトのヤツ・・・!

これは大昔のカーグラフィックに付いていた附録の絵だが、

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今も仕事場の壁に額に入れて飾っている。

でも何故なんだろうな~・・・若いときはヨーロッパのスポーツカー
にしか余り興味がなかったのに・・・

・・・だから僕はこの56年式のシングルライトのC1には乗ったことがない。

時を経て、徐々に郷愁が湧いてきたのは何故なんだろう・・・!

多分今になって、なんの神経も使わずにイージードライブができる、
アメリカンクラシックが恋しくなったのかも・・・!

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2010年2月23日 (火)

車お宝話(223)(新)回想録・・・(10) モーガン

そのほかにも色々なイギリス製のスポーツカーを取り扱ったが、
意外なことに「モーガン」は違った意味で興味を持った車だった・・・!

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と言うのは、「アルピーヌA110」が後の「トミーカイラZZ」を
造る動機になったことは以前に何度も書いたが、実はA110に出会う
もっと以前にもモーガンに触れ、似たようなことを感じていたのだ・・・

それは当時の若かった僕が、モーガンのシャシーが木製で出来ている
ということに、偉くビックリし、規模も小さく少数で、全てが手造り
だということに興味を持ったことがあったからだ・・・

そんな想いから、年式の古いモーガンや、排気量の違うもの、
仕様の違うものなど、当時としては結構な台数を取り扱った・・・・

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いま思えば、「ひょっとして自分でもクルマが造れるかも!」と、
思いだしていた時期なのかも知れない・・・。

現在でもシャシーの一部に木材を使用する伝統的な手法で生産を続け、
世界中の頑固で熱烈なユーザーから愛されている。

ところが新しい「エアロ8」は古風な風貌を持つが、仲々斬新で、、
現代的な造りの魅力的なクルマで、特にヨーロッパのレースシーン
ではつとに有名だ・・・

この「エアロ8」ベースのレーシングカーは、仲々のツワモノで、
FIA・GT3チャンピオンシップレースでも、ポルシェ、アストン、アウディR8、
フェラーリなどの競合を抑えて、勝利をもぎ取っている!

このレースでは、超現代的なレースカーたちに混じって、
由一「モーガンエアロ・8」だけがオールドファッションに身を包み、
孤軍奮闘している姿は圧巻・・・

まるで機関銃をバリバリやっている戦場に、鎧兜を付けた古武者が現れて、
敵をバッタ、バッタなぎ倒す、といったそんな感じだ・・・

・・・と云っても、僕は「エアロ8」の現物は見たことないんだけどね~! 

僕の知っている「モーガン」は、昔から1度もモデルチェンジせずに、
今も変わらず造っているモデルだが、中にはこんなモデルも・・・

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これは当時日本で1台と云われた、珍しい4人乗りモデルだが、

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2+2ではなく、窮屈だが本当にちゃんと4人乗れるから面白い・・・!

随分と永く乗ってはいないが、僕の体が記憶している範囲で書くと、
良い意味で幌馬車的で、いつ乗っても懐かしい香りがした憶えがある。

日本人の僕が幌馬車など知る由もないが、このクルマに乗ると、
何故か西部劇を連想して乗っていた思い出がある。

きっと勝手に当時の「ローハイド」に結びつけて憧れていたのだろう・・・!

まぁ今思えば、普通の車と違う素朴さと荒々しさが、
カウボーイが乗っている馬を連想させたのかも知れない・・・。

乗り心地は結構固く、震動もあるから長距離には向かないが、
オートバイと比べれば、窓も幌の屋根もあるから随分と快適だ・・・。

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そう云えば一度だけ、東京で見つけた変わり種のモーガンに、
京都まで乗って帰った記憶があるが、10時間近くも掛かった・・・

エンジンの調子も良いし、トラブルもなかったと思うのだが、
ビンテージモデルというヤツで、フロントガラスを取っ払って
折りたたみ式の風防が付き、ボンネットには羊皮のストラップが・・・

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古いレーシングカーのような折りたたみ式の風防には幌が取り付かない!
だから、雨が降ろうが、風が強かろうが、ひたすらオープンカーで
走るしかない・・・

まぁ一度でも経験すれば分かってもらえると思うけど、
ハッキリ言ってオートバイよりキツイですよ・・・!

だってヘルメット被ってないし、そのうえ運転姿勢はモロに風が当たる
ような態勢なんだから、正直100キロのスピードで長くは走れない・・・

それでも楽しかった記憶しかないのだから、若かったんだろうな~。
でも、今の僕ならのんびりと景色を楽しみながら走れるかも・・・!

『これに似たような話は「クルマお宝話(7)」でロータス・スーパー7に
 童夢の林君が乗って、珍道中しているから、ぜひ参照を・・・。』

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2010年2月16日 (火)

車お宝話(222)(新)回想録・・・(9) ジャガー

その頃はイタリア車にも凝ったけど、イギリス車にも随分と
入れ込んだもんだった。

以前にも書いたが独立して間もない頃に、なけなしのお金を叩き、
「清水の舞台から飛び降りて」ジャガーXK140を仕入れた。

まぁそのクルマは盗難にあって、後々まで大変な目にあったが・・・!

この話は『クルマお宝話(22)クルマの価値とは!』に詳しく
書いているので、参照して読んでもらうと面白いですよ・・・。

こいつはXK150だが、XK140と比べるとフロントガラス
が1枚ものになって、よりフェンダーのうねりが浅くなった分、
現代的になったが、個性的なXK140の方がアクが強い・・・

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といっても、今見ればほんとレトロ、レトロして懐かしいし、
とっても自動車らしい「姿」「カタチ」をしていると思う・・・。

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XKシリーズは120、140、150、と発展していったが、
なんとトータルでは1万台に届きそうなほど売れたらしい・・・!

因みに「XK120」の名称は、最高速度が120マイル(193km/h)を
意味し、「XK140」は最高速度が140mph(225km/h)を意味するらしい。

でもXKシリーズの後継車に「ジャガーEタイプ」が発表されると、
たちまち世界中の子供から大人まで、万民の心を掴んでしまった・・・

なんと言ってもこの美しいボディラインと、最高速240kmの
高性能エンジンが、その当時の人々を虜にした・・・

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当時としては破格の安さで、この美しい高性能車が手に入ったから、
発売と同時にアメリカを中心に大ブレークしてしまった・・・!

それはXKシリーズではなく、Eタイプの名称になったことで、
より時代にマッチしたコンセプトを打ち出せたからだろう・・・

その理由は、その頃レースで大活躍していたCタイプから発展
したDタイプをイメージし、そのコンセプトを引き継いだ事により、
高性能で流れるような美しいクルマになったことが要因だろう・・・

だからCタイプ、Dタイプに続き、名称もEタイプとなったんだけどね!

そうそう、ジャガーEタイプがジュネーブショーでデビューしたのは、
僕が16歳の時だったと記憶しているが・・・

僕が14歳で車に興味を持ってから、「メルセデスベンツ300SL」と、

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「ポルシェ356」に次いで、衝撃を受けたクルマだった・・・!

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と言っても、当時は現物が見られるわけでもなく、ただただ本屋で
立ち読みするだけだったが・・・

でもその頃の想いや、フラストレーションが、後に外車の自動車屋
をスタートさせる原動力となったのは間違いない・・・

だからショールームに、誰も見たことのないようなクルマを展示して、
一晩中、あかあかと電気を点けていたのも、このときの僕の心の裏返し
なのだと思う・・・。

だから外車屋の動機は単純で、僕が欲しいクルマを展示して、
クルマの好きな人に、思う存分見てもらうことだった・・・!

それは「清水の舞台から飛び降りて」ジャガーXK140を手に入れた
ことでも証明できる・・・

だから少年の頃に、衝撃を伴って現れた「Eタイプ」には思い入れが強く、
外車屋になった後に僕自身の愛車として乗っていたことが幾度もある・・・。

その記憶をたどると、この初期型シリーズ1クーペ、次に4,2ロードスター、
かなり時を経て40歳の時にも、シリーズ3の4シーターA/Tに乗っていた!

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この懐かしい写真は、好きでよく行った大阪伊丹空港で撮ったものだが、
不思議と言うか、面白いことに、今は毎日のようにこの伊丹空港からの
離発着を住まいから見て楽しんでいる・・・

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そして、手元には「Eタイプ」の後継車、「XK8コンバーチブル」が、

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「ZZⅡ」と共に休んでいる・・・!

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2010年2月13日 (土)

車お宝話(221)(新)回想録・・・(8) ランチア

《当時では滅多に見ることのない珍しいクルマが、
 次から次へと入庫し、展示されるのだから、
 たちまちクルマ好きの名所になってしまった・・・!》

まぁ、そんなふうに前回のお宝話に書いたが・・・
それでも仕入れる要素としては、一連の流れがあった。

それは商売と言うより、自分が好きなクルマを見つけては、
仕入れて展示する・・・

ただそれだけのことだけど、僕なりにはこだわりがあって、
フランス車、イタリア車、イギリス車、ドイツ車、アメリカ車など、
そのときの気分と言うか、感覚で、クルマを集めて行った・・・

だから、1台だけポツンとフランス車があるのではなく、
少なくとも、3台、4台と、まとめて展示をしていた・・・。

その理由は単純で、例えばアルファロメオのジュリアSSが
売りに出たとする・・・

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そうすると僕は徹底的に資料を探して、納得のいくまで調べる。

だから調べ終わったときには、そのクルマに気持ちが乗り移って
いるから、仕入れないわけがない・・・

第一、この地点ですっかりイタリア車の大ファンなんだから・・・!

そのうえ、調べていく流れの中で、その車と比較される車種や、
対抗するクルマの知識も、すっかり頭のなかに入っている・・・

そうなると話は単純で、次はその対抗馬や同型車が欲しくて、
欲しくて仕方がないから、探すことになる・・・

だから、同じ系統のイタリア車が3台、4台と揃うことになる、
という訳なんだな~・・・!

そんなことで、相当クルマに対する知識を身につけていたから、
当時の有名な自動車評論家の人たちでさえ、僕に聞いてくる
ひとも結構いたんだから・・・

何しろ東京に行っても、海外に行っても、自動車に関する本を
見つけるのが楽しみで、開業以来10年も経てば資料は膨大に
なっていた。

東京に行ったときには、必ずと言っていいほど南青山にある
嶋田洋書に通って、次の注文をして帰ったもんだし・・・

・・・仕入れの旅でヨーロッパに行ったときには、
車種別の整備マニアルなんかを手に入れて、持ち帰ったりしていた!

今でもほんの1部だが、アルピーヌA110や、スーパーカー関連
の整備マニアルが何冊か手元に残っている・・・

勿論、日本のカーグラフィックの創刊号や、オートスポーツの
創刊号はいまでも持っているが・・・

でも残念なことに、夢工場を閉鎖するときに殆ど資料は無くなった・・・
僕の宝物だったんだけどね~・・・!

でもご安心を・・・僕の頭の中の本棚に、ほとんど残っているから。

この当時アルファロメオと言えば、対抗馬としてランチアが
頑張っていたし、トリノが創業地のフィアットも規模があった。

同じイタリアでも、アルファロメオはミラノを創業の地とし、
ランチアはトリノを本拠地とする自動車メーカーだから、
それぞれに、日本人には理解のできない根強いファンがいた・・・

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まぁ、米国の野球ファンを想像するのが一番近いのかも・・・。

とくにランチアはラリーにめっぽう強く、後のスーパーカーブーム
でも人気のあったランチア・ストラトスは、1974年、1975年、1976年
の世界ラリー選手権製造者部門のタイトルを獲得したほどだ・・・

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このフルヴィア・クーペ1.3HFも、1974年のラリーでは大活躍したし、
小排気量のスポーツカーの中では、本格的な雰囲気を持っていた。

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エンジンは4気筒DOHCで、排気量1298cc、出力101ps/6400rpmで
最大トルクは13.3kg-mと低かったが、当時としては別格・・・

全長×全幅×全高・3935×1555×1300mmとボディは小さく、
車両重量は825kgと、現代では考えられないほど軽かったから、
軽さで走るラリーカー独特のいい味を醸し出していた・・・

だけど今では、アルファロメオも、ランチアも、フェラーリも、
み~んなフィアットグループの1員だけどね~・・・!

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2010年2月10日 (水)

車お宝話(220)(新)回想録・・・(7) 京都の地の利

 

独立して5年と言えば、僕はまだ30歳にもなっていない。
そう・・・1974年頃の外車屋時代は楽しくて仕方がなかった!

いろんな種類の外国のクルマが、次から次へと入庫し、
毎日が楽しくて仕方がなかったし、飽きることがなかった・・・

・・・見る人も楽しかったと思う!

当時では滅多に見ることのない珍しいクルマが、
次から次へと入庫し、展示されるのだから、
たちまちクルマ好きの名所になってしまった・・・!

そうそう、だから僕は当時では考えられなかった方法だが、
夜通し照明を点けて置くことにしたんだけど・・・

これが結構好評で、深夜に展示場の前に車好きが集まって、
車談義に花を咲かせていたもんだ・・・。

日本に一台なんてクルマはざらにあったし、とにかく珍車が
得意だったから、話題性は抜群・・・!

そのうち、車雑誌のカーグラフィックを見た地方からの
見学者も増えて、益々栄えていったとさ・・・

・・・でも、悩みもあった!

それは、お金があれば目当てのクルマをすぐに仕入れる
ものだから、常に手持ち資金が足りず、金策が大変だった・・・

まぁそれが、悩みと言えば悩みだったけど・・・。

もちろん巷では、何の変哲もない車ばかりが走っていた時代。
だから、僕の外車屋は目立っていたし、注目度も高かったのだが・・・

でも全国的に目立っていた要因には、もうひとつの理由があった!

やはり京都という地の利と、そのなかでも神社仏閣が多い、
古都京都の雰囲気の中に、存在していたことだろう・・・

当時の僕の店は、目の前に市電が走り、北野天満宮と北野白梅町の、
ちょうど中間で、停留所の前にあった・・・

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当時の京都の感覚では、九条通りより下(シモ)か、
インターチェンジに近い国道の側が、自動車屋のメッカとされて
いたのだから、随分と的外れな場所に僕の外車屋はあった・・・。

ご存じのように、京都は碁盤の目のように道路が整理されていて、
大阪方面寄りから順に、十条、九条、八条、七条、五条、四条、三条、
二条、一条通りと、横に道路が走っている・・・

なぜか六条通りは、ほとんど消滅してしまっているが、
これは、巨大な本願寺を設営するときに区画整理的に消滅した
ものだと思う・・・!

勿論、一条通りで道が無くなるわけではなく、一条通りより上(カミ)
は今出川通り、北大路通り、北山通りと続く・・・

京都の呼び名で、上(カミ)へ行くは、一条の方角へ北上すること。
        下(シモ)へ行くは、十条の方角へ南下すること。

当時の僕の外車屋は、その一条通よりもまだ上(カミ)で、
今出川通りに面して「北野天満宮」の隣だったから、
目立つこと請け合いだった・・・

この「北野天満宮」は毎月25日に市が立つ、昔から盛大なもんで、
とくに骨董品や、西陣の着物の端切れには定評があった・・・

そのすぐ側には、舞妓ちゃんで有名な「お茶屋筋」がある・・・
ここが日本のお茶屋の発祥の地で、西陣の「上七軒」と言う。

僕の外車の展示場から、歩いても5分とは掛からない・・・

これは有名な話で、豊臣秀吉が北野天満宮に於いて一般庶民に
お茶会を催したとき、北野天満宮より上に七軒だけお茶屋を許可した
ことから、「上七軒」がお茶屋の発祥の地となった・・・。

当時でも数万人規模の「天神さんの市」の日は、僕の店の前も
さながら繁華街の様相だったんだから・・・。

因みに、まだその頃には影も形もなかった後の「夢工場」は、
北大路通りと西大路通りの角で、金閣寺のすぐ側だった・・・。

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因みに工場も大将軍神社のすぐ側と、ほんと神社仏閣には縁があった。

まぁ、もともと人とは発想が違うから、ひとの反対を押し切って
そんな場所に店舗を出したんだろうけど、結果としては大正解だった・・・!

ここでひとつ、昔から「東西の通り名」を覚えた手まり唄を紹介しよう・・・

(テレビのコマーシャルで知っている人もいるかもしれないが・・・)

丸 竹 夷 二 押 御池  姉 三 六角 蛸 錦    四 綾 仏 高 松 万 五条
まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき しあやぶったかまつまんごじょう

雪駄ちゃらちゃら魚の棚 六条山哲通りすぎ 七条こえれば八九条 十条東寺でとどめさす。

北から(御所の南の通りから)丸太町・竹屋町・夷川・二条・押小路・御池・

姉小路・三条・六角・蛸薬師・錦小路・四条・綾小路・仏光寺・高辻・松原・

万寿寺・五条・魚の棚・六条・三哲・七条.八条・九条・十条となる。

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2010年2月 5日 (金)

車お宝話(219)トヨタのリコール問題

ここのところ、トヨタのリコール問題が米国で大きくなって
いるが、それに輪を掛けたように、今度はトヨタの看板商品の
プリウスにも問題が発生してきた・・・

そこで、精神的に人ごとではない気がして落ち着かないから、
いつもの「スーパーカーまでの道のり」を離れて、
気になる話題に少し触れようと思う・・・

だってちっぽけでも、僕も35年間経営者をやってきたし、
ましてや、いくら規模が桁違いでも、同じ自動車を造って
来た者としては、明るい気持ちにはなれない・・・

「アクセル」が戻らないという問題の次は、
プリウスの「ブレーキ」が効かなくなるというのだから、
経営陣としては堪ったものではない。

「アクセル」と「ブレーキ」なんて、測ったような取り合わせだが、
なんか新社長が試されているようで、気の毒になってしまう・・・!

もっとも、日本が世界に誇れる「トヨタ自動車」なのだから、
きっとうまく収拾すると信じているのだが・・・

でもこればかりは、少し心配だ・・・!

朝のABCニュースを見ていても、アメリカでの反響は様々で・・・

『トヨタのディラーはリコールに適切に対応してくれ満足している』
と答える人や、『次から次えと問題が起き、もう信頼できない』と、
インタビューで答える人など様々だった・・・。

だから命にかかわる商品を造っていると言うことは、
本当に怖い部分もあるが、それでもストーブ製造だって
人の命にかかわるのだから、何が安全とは言い切れないが・・・!

さて、そのプリウスのブレーキはコンピューターを見直せば
解決するらしいが、それでも今まで売った台数を考えると、
気の遠くなるような対応をせざるを得えない・・・。

症状としては、ごく低速で1秒ぐらいブレーキが効かない
らしいのだが、確かに乗っている人は怖いと思う・・・

多分似てると思うのだが、僕にも同じような経験がある・・・

古い話で恐縮だが、1960年代初頭のロールスロイス
・シルヴァークラウドがそうだった!

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ブレーキに、まだマスターバックが付いてない時代の車だから、
ブレーキペタルを踏んでから、効きだすまでに1秒ほど掛かる・・・

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でも、このクルマが気に入って、暫く乗っていた時期があるが、
とうとう最後にはブレーキにマスターバックを改造して取り付けた。

この場合、前もってブレーキは効かないことが判っているし、
あらかじめ早めにブレーキを踏むから、危険性は少ないが・・・

それでも、駐車場に入れる時や、信号待ちで止まるときなど、
いちいち緊張したのを思い出す・・・

やはり交通量の少ない時代の乗りもので、現代のように交通量が
多い時代には、とてもとても、恐ろしくて乗れない・・・

まぁこの場合はちと事情が違い、極々稀にそんな症状が突然出る
のだから、乗ってる方も慌ててしまうのだろう・・・

かと言って、造る方も何万台、何十万台に1台ぐらいの割合で、
それも極々稀に症状が出るのだから、予測がつかないと思う・・・

それに、ハイブリッド独特のブレーキシステムだから、
従来のクルマとはブレーキの効き方が少し違う・・・

以前に、プリウスのレンタカーを借りて乗った話を書いたが、
そのときもブレーキの効き方が独特だと感じたし・・・

なんにせよ、プリウスのブレーキはコンピューターで制御されて
いるんだから、極々稀な症状なんて予測不可能だろう・・・!

以前に乗っていた「ジャガーXJR」だって、突然「セイノウテイカ」
なる文字がメーターの中に浮かび上がる・・・

ほんとに、なんの予兆もなく、突然大幅にパワーダウンして、
走らなくなるからビックリする・・・。

もっと悪いことに、一度だけだが高速道路上で突然1000回転しか
上がらず、また下がらず、といった症状になったこともあった・・・

ところがエンジンを掛け直せば、何事もなかったかのように
もと通り走るし、数か月も同じ症状は出なかったんだから・・・

多分湿度の問題で、コンピューター・ボックスがシケて誤作動が
起きるのだと僕は思う・・・

まぁそのときも思ったが、コンピューター制御の車を造るなんて
至難のワザだと・・・!

今更ながら、コンピューターを一切使わなかった、「ZZ」の
コンセプトは大正解だったと思う。

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2010年2月 3日 (水)

車お宝話(218)(新)回想録・・・(6) シトロエン2CV

そうそう、前の回に《クルマを降りて振り返った時、
「ああ美しいな~」とか「カッコいいな~」と思えなければ、
 所有する気にはなれない・・・》

・・・と書いたけど、もうひとつ忘れていた。

「動物的な可愛さ」とでも言えばいいのか・・・!

まるで生き物のように感じられる可愛い車のことで、
僕流に言えば、初期の「フィアット・トッポリーノ」とか、
「フィアット500」とか・・・

Fiat500

この初期の「フィアット・500Bトッポリーノ」は、
映画「ローマの休日」で圧倒的なキャラを出していた奴・・・!

そう、誰れしもが憧れた映画、「ローマの休日」・・・

ほかならぬ僕も、この映画でいっぺんにトッポリーノの虜になって
しまった口だけど・・・!

国産なら、僕が最初に手に入れたクルマ、「スバル360」かな~!

Subaru360

「アルピーヌA110」にも「トミーカイラZZ」にも

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動物的な愛着が湧くけど、でも可愛いんじゃ~なく
「カッコいいな~」になってしまう!

A110green

まぁ~小さいから可愛いんだろうけど、
でも小さい成りに味がなければそうはならない・・・

・・・要するに結論は「味わい」なんだろうな~!

でも最近は省エネや安全性を無視できないから、
そっちにばかりに気が行くのか、
年々そういったクルマは少なくなってしまった・・・。

ところが、ずっと、ずっと、昔には、可愛くて味わいのある
省エネカーがあったんだよね~・・・

1948年から、1990年まで、大きなモデルチェンジもないままに、
単一モデルとしては、世界屈指のベストセラーとなったクルマ・・・

・・・そう、稀代のロングセラー車「シトロエン2CV」。

1930年代に、シトロエン2CVを生み出したコンセプトとは・・・

:ガソリン3リッターで100km以上走れること。

:農道をカゴ一杯の生卵を載せて走っても、1つの卵も割ることなく、
 快適に走れるほど乗り心地がよいこと。

:人間の重さほどの野菜や、樽を乗せて時速60kmで走れること。

:初心者でも簡単に運転操作ができること。

まぁそんな無理難題が、当初の開発目的として立派に掲げられていた、
というのだから素晴らしい・・・

・・・でもその分、スタイルやデザインにはお金を掛けないと
ハッキリしていた、これぞ機能美志向の原点だろう!

当初の2CVは廉価なだけでなく、維持費も安く、高い実用性を持ち、
扱いやすく信頼性に富んだ、世界一の省エネカーだった。

だから40年以上もの間、世界の人々に愛されたのだろう・・・。

僕もフランス車に凝っていた時は、シトロエン2CVを数多く輸入したが、
それでも初期モデルの375ccや、425ccの2CVのことはあまり知らない・・・

因みに初期のモデルは、9馬力しかなかったというのだから・・・。
本当にそんな馬力で実用性があったのだろうか、不思議なほどだ!

僕が扱ったのは602ccで28hpのものや、少し馬力があった32hpのもので、
後期モデルのお洒落な2トーンカラーのチャールストンは大量に輸入した。

この写真は最終に近いモデルだから、ヘッドライトが角目になっているが、
やはり当初よりの可愛く小さな丸目がいいな~・・・

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運転操作もユニークだが、デザインもユニーク、
可愛いいという表現が、ピッタリのお洒落なクルマだった・・・!

ところが、これがまた結構よく走るから、嬉しくなってしまう。

乗り心地も天下一品で、とても、とても、超大衆車とは思えない程で、
前出のルノー4と共に、乗り心地と価格を両立させた、世界でも稀な
車と云えるだろう。

一切の無駄を省きながらも、味わいのある「動物的な可愛さ」
を持った省エネカーが、そんな大時代にもあったというお話・・・。

現代でも乗れる、僕が推奨する省エネカー、「シトロエン2CV」。

な~んか、そんなことを書いていたら、久々に本気で欲しくなってきた!

 

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