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2009年2月

2009年2月28日 (土)

車お宝話(129)R32GTRとダツン・フェアレディ

         

そうそう、山陰の旅で、R32のGTRに出くわしたが、なかなか大迫力の
改造車で、かなり後方からチラッと見た時は、現行のGTRに見えたほど!

近づいて、やっと正体が判明したが、かなりのオーバーフェンダー仕様
で、黒いR32・GTRだったが、現行モデルより小さい分、この方が好感
が持てる!

15年以上も経つと云うのに、結構新鮮な趣で、仲々巧い改造がされて
いたし、フィニッシュ・レベルも高かったから、ヒョットしたらワンオフかも!

元々このR32のデザインは評判も良く、その上、この時のデザイン主幹
が京都出身の友人だったから、結構、僕も好きだった・・・。

この主幹君、ノーマルのR32に、トミーカイラのホイールとステアリングを
付けて、随分と永く乗っていたが、多分、今でも乗っているんだろうな~!

そんなことで、1992年の「STORY OF TOMMYKAIRA」に話を戻そう・・・!

やはり、なんと云っても、16年振りの「GTR」復活が、印象的なR32・・・

このR32のデザインは、GTRの復活に相応しく、肥大化し過ぎたそれ迄
のスカイラインからは、かなりサイズダウンされ、当時は高い評価を得た。

今でも歴代のスカイラインの中では極めてデザインの評価が高い・・・

そうそう今思い出したが、前出の主幹君も自信作だからいつまでも乗って
いたいと、言っていたな~・・・!

現行のGTRも、ターゲットをフェラーリに置いているが、この時のGTRも
独特の4輪駆動システムによって、フェラーリよりもポテンシャルが高いと
高く評価されていたのを思い出す・・・。

おそらく、このGTRが世界のクルマ好きに、「NISSAN」の名を知らしめた
最初のクルマだろう・・・

1981年以前は「DATSAN」として、アメリカでは「ダツン」、ヨーロッパでは
「ダッツン」として親しまれてきた時期が、永かったのだから仕方がないが!

それまで、「ダットサン」として世界に名を馳せたクルマは、なんと言っても
「フェアレディ」だろう・・・

特にアメリカでの「Z」人気はもの凄く、この功績は、米国日産・初代社長
片山豊氏によるもの・・・

今ではフェアレディZの生みの親として、米国自動車殿堂入りしているが、
「ミスター・K」として今でも親しまれている・・・。

当初米国日産の営業マンとしてロスアンゼルスに赴任、飛び込みセールス
で販路を広げ、「ダットサン」の名を一躍有名に・・・

だからエンジニア以外での殿堂入りはめったにない稀な事、今でも愛好家
からは「Z-CARの父」として各国のファンの間では神格化されている!

この片山氏とは、20年ほど前にロスアンゼルスの高台にある眺望絶景の
自宅に招待され、お会いしたことがある・・・

レースにも精通され、その人柄に感銘を受けたのを良く憶えている・・・。

いま思えばこのときに、日本人でも海外で認められると、教えてもらった
気がする・・・!

R32GTRに話を戻すが、以前のお宝話(79)嵐山・嵐亭「M30発表会」
に・・・この時期、日産自動車からGTRベースの開発許可が下りず、全く
違う路線でこの「M30」を仕立てようと考えていたのだ・・・と書いた。

それがこの「R32GTR」なのだが、当時の日産自動車としてはシンボル
のGTRを、そう簡単に「タネ車」として供給してくれなかった・・・

それでも躾濃く食い下がる僕に屈したのか、それともモデルチェンジ半ば
に差し掛かったからか・・・多分、後者だろうが・・・

発売から2年近く経って、とうとう開発許可が降りたという訳だが、性能
を大きく変更することには、釘を刺されていた・・・

「トミーカイラR」は、当初、確か350馬力で発表したと記憶しているが・・・!

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この事が返って良かったと後から気がつくのだが、馬力アップがダメなら、
ブレーキや、足回りの性能をもっと、と考えた・・・

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それに2代目「M30」なんか、開発許可が降りなかったからこそ世に出た
モデルの代表格なのだから・・・!

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その時ダメでも、形を変えてでも、チャレンジはするものだと思う・・・・・!

そうそう、いま作っている新しい「奇跡の杖」にもそっくりな事が書いてある
ので紹介しよう・・・

「損をしたと思っていても、結果として得することがある。」
「逆に得だと思っていても、大きな損につながっていくことも大いにある。」と!

新しい「奇跡の杖」は本格的に製本し、多少だがボリュームアップしてもうすぐ
出来上がる事になっている・・・

今度は、いつでも持ち歩けるように、手帳サイズとし、紙質も良いものにして、
デザインも一新、仲々いいものが出来ると思う・・・!

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2009年2月25日 (水)

車お宝話(128)レンタカーで走る海岸沿いの山陰道!

      

土曜、日曜日と、出張を兼ねて米子から鳥取まで、レンタカーで海岸沿いの
山陰道を移動・・・

少し残念なことに雨模様だったが、それでも久々に見る冬の日本海、白波
立つド迫力な絵ぞらには、充分に満足、満足・・・!

実を云うと鳥取は父方の出身地である。京都で生まれたが幼い頃に両親を
失った僕としては、この鳥取が故郷の様なもので、懐かしすぎるほどだ・・!

学校に行く様になってからも、毎年の夏休みは終業式が終わったその足で
”故郷”の鳥取に行くほどだった・・・。

だから40日間タップリと田舎の子として、この海と過ごしたものだ・・・!

今なら3時間も掛からないが、当時は、シュッシュッポッポの蒸気機関車で、
8時間も9時間も掛かったのだから、堪らない・・・!

なにしろトンネルが日本一多いと云われただけあって、長い旅で鳥取駅に
着いたときには、顔がズズ黒く、鼻の穴は真っ黒だった・・・

最近の、「SLマニア」には叱られそうだが、蒸気機関車しかなかった時代、
ゆで卵が腐ったような、あの臭い真っ黒い煙には、まったく閉口したものだ!

だからシュッシュッポッポなんぞ、見たくもないし、乗りたくもない・・・
ひょっとしたら、それでクルマにハマったのかもしれないな~、と・・・!

そんな事で、山陰の事は多少詳しいのだが、今は、京都や大阪から電車で
鳥取に行く方法が、3つもあるらしい・・・

今回は新幹線で岡山まで行き、そこから「特急やくも」で鳥取県の米子まで、
駅前でレンタカーを借り、今話題の朝ドラ、「だんだん」の地、島根県松江市
の「宍道湖」畔に宿を取った・・・(しんじ湖)

なんとも美しい、この松江の町、小京都と呼ばれているが京都よりもずっと
綺麗だと思うのは、僕だけだろうか・・・?!

宿の露天風呂から覗き見た、「宍道湖」に掛かる「松江大橋」の眺めは絶品、
湖畔の宿ならではの贅沢を満喫させてもらった・・・

月並みだが、日ごろ忙しく動いている身にとって、何よりの薬だとつくづく感じ
入った次第・・・!

翌日、トヨタ・マークXのレンタカーで、僕の先祖にゆかりのある、「出雲大社」
に足を伸ばし、神社の前にある、それはそれは旨い3式盛りの、「出雲そば」
を頂いた・・・!

そうそう、僕の先祖はこの社系の宮大工だったのだが、奇遇なことに解良君
も宮大工の息子だと聞いたときには、不思議な縁を感じたな~・・・。

昼過ぎにこの地を出発し、米子道を経て山陰道へ、途中先祖の墓参りをして、
荒波の日本海を横目に見ながら、1時間ほどで鳥取駅に到着・・・

駅の近くのレンタカー屋に、マークXを返して、予定の電車を待つ・・・。

今回のレンタカー、トヨタ・マークXに触れて置くと、以前に借りたノンターボの
スバルレガシーが余りにもパワー不足で困ったから、今回は2.5LのマークX
にしたというのが理由・・・

初めて乗ったが、長編コマーシャルで洗脳されていた通り、大企業の部長に
ふさわしく、ドッシリとした仕上げになっていたのが、なんとも面白かった・・・!

ステアリングも重くカッチリとしていて、室内も高級感があり、パワーも充分で、
仲々良い出来映えのクルマになっていた・・・。

帰路の電車は、「スーパーはくと」で、ワザと違う路線を選び乗って見た。

これが、2つ目の鳥取までの行き方だが、往時、鳥取から直接、新大阪まで
2時間半足らずで着いてしまうのだから、恐れ入ってしまう・・・

50年の歳月が良し悪しは別として、全てのモノのスピードを早くしてしまった
のだが、一体どこまで時間短縮してしまうのだろう・・・

この先、東海道でもリニアモーターカーが本気で走るらしいが、そんなに早く
なってしまえば、最早,東京=大阪の出張は日帰りが当たり前になってしまう。

そんな事になれば、夜のチョット一杯もなくなるし、美味しいモノも食べずに、
ホテルにも泊まらずに、となってしまう・・・。

そうなれば、ホテルも、旅館も、料理屋も、レストランも、利用頻度が落ちて
しまうではないか・・・?!

つい先日も書いたが、リニアモーターカー委員会に所属していた頃は、余計
な時間短縮は、返ってマイナスになると、僕は反対派だったのだが・・・!

残る3つ目は、僕が小・中学校と10年ほども毎年判を押したように乗り込ん
でいた「夏休み帰省列車」だが・・・・・これが本来の道筋、山陰本線だ。

あの日本一といわれる、餘部鉄橋(あまるべ)がある山陰本線、高さ41mを
超える橋脚が11本で構成され、その幾何学的な造形美は何とも美しい・・・!

ジェットコースターも真っ蒼なほどの餘部鉄橋は、なんと明治45年(1912)に
完成、すでに90年以上もの時が経過していたから、とうとう架け替えが決定。

2010年に完成するらしいから、完成したら、今度は何が何でも山陰本線で
青い海を見に行こうと思っている・・・!

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2009年2月20日 (金)

車お宝話(127)トヨタとホンダの嬉しいニュース!

       

先日、ネットの自動車ニュースを見ていて、思わず嬉しくなってしまった!

先ずは18日に、トヨタ系のチューナー・トヨタテクノクラフト(TRD)が、
「カローラアクシオ」にターボキットを搭載したモデル「カローラアクシオGT」
を発表、プレス向けに説明会を開催したというニュースから・・・

いまどき、カローラにスポーツ仕様を復活させると言う意図がおもしろい!

昨今の、若者のクルマ離れに”一矢を報いるべく”若い人に車の楽しさと、
自分でクルマを作りあげる楽しさを、アピールしたいと言うのだから嬉しく
なってしまう・・・。

以前の「AE86」の様に、ライトウェイト・スポーツの、代名詞的な存在に
育てたいという・・・

カーナビもラジオも装備されていないし、内外装もシンプルだが、フロント
とリアにスポイラーが付き、17インチのホイールと、ミシュランタイヤが
標準装備、その他、TRDとGTのエンブレムが付く・・・

1500cc・インタークーラー付きターボで、ECUもTRD専用の物が付き、
馬力も150psとまずまず・・・

価格も245万5000円だから、いじりたい人には持って来いだろう・・・。

以前に若い人から、このお宝話にコメントが来て「自動車メーカーは若者
離れと言うが、若者に対して何もして来なかったじゃないか・・・」と批判の
声が上がっていた・・・

この言葉は強く僕の頭に残っていて、この記事を読んで何故かホットした
気がしたのは、何故だろう・・・?!

もう一つは、ホンダの新型ハイブリッド「インサイト」が、11日間で1万台を
突破したというニュース・・・

このニュースは、全てのビジネスにヒントを与えたと思う、どれだけ不況でも、
モノが売れない時代でも、消費者のニーズに合えば売れると云う事を教えて
くれた最高に良い例えだろう・・・

特にクルマは、最低限度しか売れないような錯覚に、僕自身も陥ってたから
このニュースには元気をもらった気がする・・・

やはりこんな時期でも本物は売れるのだと感心させられたのは報道関係者
を対象に、公道での燃費テストを、30台もの「インサイト」を走らせて行い、
参加者はエコノミー走行が誰にでも出来る「ECON」モードで走行・・・

燃費チャレンジは、参加媒体8社で行われ、コースはおおよそ市街地走行
が3分の1、首都高速を3分の2走行するといったもので走行距離は25km。

トップが26.4km/リットルで、ほとんどが25km/リットル前後で走れたという
のだから、これは凄い・・・!

僕が知っている、今迄の「ハイブリッド」は余程うまく走らせないと現実的には
そんなに驚くようないい燃費ではなかったから、今度の「インサイト」はまさに
本物だと・・・

ちょうど今朝の通勤時に、薄いブルーメタの、「インサイト」と信号で並んだが、
デザインも仲々シャープで、これは売れるだろうな~と納得・・・!

「ハイブリッド」も、やっと完成の域に達したのかも知れない・・・。

僕が最近乗っているクルマの4倍も走れるのだから、確かに燃費だけ見れば
魅力的ではあるが・・・

・・・でも、やっぱり当分は乗らないだろうな~と思う・・・

だって燃費が悪くても、時々壊れても、そのクルマに好きで乗っているのだから、
この魅力には当分はかなわないだろう・・・!

追伸・・・・・土曜日は出張なので、早めにアップしました・・・。

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2009年2月18日 (水)

車お宝話(126)'92年・夢工場の東京支店がオープン!

      

1992年の「STORY OF TOMMYKAIRA」に話を戻して書く積りで資料を見て
いたら、その年に自前で、念願の東京支店をオープンしたことを思い出した。

残念なことに、手元に写真が1枚も残っていないのだが、確か南品川区で、
京浜急行線の「青物横丁駅」を出て、すぐの第一京浜に面した所だった・・・

奥行きはないが間口の広い3階建てのビルで、屋上に横幅一杯、派手派手
しい”ネオン”で造った「TOMITA 夢工場」の看板を、おっ立てた・・・

当然テナントで、自社ビルではないのだが、1階をショールームにして屋上
にドデカイ看板を揚げたものだから、誰が見ても自社ビルに見えたが・・!

そこは京都の本社にも似たような地形だが、室内はいたって狭く事務所と
2~3台のクルマを展示すれば、目一杯のスペースだったが、当時の僕と
しては念願の東京支店だからと、嬉しくて仕方がなかったことを思い出す。

だってそれまでは、間借りばっかりだったのだから・・・

初めて自前で作ったこのショールームは、東京の拠点として重要な役割が
あると信じていたから、惜しみなく注ぎ込んだ・・・

確か!・・・看板だけで「M30」が買える金額だったと記憶しているが!

実は、この東京のショールームを実験店舗として、旨く行くかどうかは賭け
だったが、東京の大学出身で若い営業マン達に、上司を付けずに任せよう
と決めていた・・・

それはチューニングカー・ビジネスという、新しい分野にチャレンジするのだ
から、既成概念にとらわれない、全く新しい形態を模索する為だった・・・!

ハッキリとは覚えていないが、オープン時の展示は「M30」と、「M30Z」と
「M20Si」だった様な気がする・・・

ちょうどその直後に日産自動車がBMWを意識して造った、「プリメーラ」を
ベースに、「M20t」と、「M20t4」を発表・・・

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特に「M20t4」として4WDを採用したのは、この頃は高性能スポーツカー
が挙って4WDを採用し、人気車種と成りつつあった時代が背景にあった。

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時代の先駆けで、アウディ・ポルシェ・GTRなど、人気のスポーツカーには
4WDの設定が増えつつあった時期だった・・・

以前に、お宝話でも触れたが、今やポルシェの4WDは半数を超えている
のだから、まさに時代の先駆けといえる時期だったのだろう・・・

この後ラインナップに多くの機種が出揃う「スバル車」は全てが4WDだった。
でもこの時の「M20t4」はまだまだ実験的なもので、余り人気はなかったが!

当時のトミーカイラ・チューンド・プリメーラのカタログには、こう記してある!

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「ヨーロッパ、それもドイツ車のクルマ造りを目指したといわれるこの小型車
 は、余りにも完成度が高いためか、それともコンセプトが大人すぎたのか、
 今回の開発は、かなり難しい仕事になりました。」と書いている・・・

ベースとなるプリメーラはホントに出来のいいクルマで、それまでの日産車
とは一線を記す車だったと思う・・・

だから、我々は、”ヨーロッパでも満足できるクルマにしよう”、と、タイトルに
「ユーロ・チューン」を冠し、ドイツ車を目指した、「プリメーラ」をベースに、
トミーカイラ流、ヨーロッパ仕様の、「M20t」を造ったのだ・・・!

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このクルマの実用性は、プロ達に高く評価され、上々の評判と結果を伴って
受け入れられて行った・・・

同時に、ブランド入りフロントマスクが、パーツとしてかって無いほどのヒット
商品となった事も、トミーカイラ・ブランドの浸透に、大いに寄与したと思う。

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このマスクのお陰で、日産自動車圏内にも広く浸透し、後にマーチベース、
「M13」のパーツが、全国の日産系ディーラーで扱われる元にもなった。

まぁそんないい事もあった時期なのだが、青物横丁の「東京ショールーム」
に話を戻すと、期待に胸を膨らませてのオープンだったが、苦戦の連続・・・

土地勘のない僕が、「青物横丁」を選択したのがイケなかったのか、上司を
付けなかったのが良くなかったのか・・・?!

・・・僅か一年で、「撤退」の文字が頭に浮かぶようになった・・・!

・・・悩みぬいた揚句に出した結論は、「撤退も勇断」だった・・・。

大きく期待して、過度の投資もしたから残念だったが、失敗から学んだこと
も多く、潔く撤退を決めた・・・!

でも撤退するとき、屋上の横幅一杯の”ネオン”で造った「TOMITA 夢工場」
の看板を見上げて、流石に辛かったが・・・今でも「勇断」だったと思っている!

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2009年2月14日 (土)

車お宝話(125)太陽と風と土壌で走る自動車時代!

       

オバマ大統領の就任演説、翻訳全文が手に入ったので読んで見たが、いよいよ
新しい世界が本当に始まるのだと、ひしひしと感じてしまった・・・。

それは自動車の分野においても画期的な変化が起きると予想できる内容だった!

昨年暮の金融異変から起こった、100年に一度と言われる、未曾有の大不況が、
結果的に新時代幕開けの引き金になったのだから、皮肉なことだ・・・

丁度100年前の1908年にゼネラル・モーターズが誕生し、フォードも量産車の
先駆け、「T型フォード」を発売したのだから、まさに神がかりとしか云い様がない、
新しい時代の幕開けと言えるだろう・・・

奇遇なのか、神の悪戯なのか、こんなに計った様に100年の節目で変化を必要
としている自動車分野は、一体どんな風に変わって行くのだろう・・・??

そんな未来を想像するだけでも、興味津々なのだが、ちょっぴり寂しい気持ちに
なるのはなぜだろう・・・

先が読めないからか、それとも自分が歩いて来た道が、否定されるからだろうか!

演説の中に「太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす」とある。
想像するに、電気・水素・エタノールなどで動かすという事なのかと思うのだが・・!

ところが僕の場合、困ったことにハイブリッドでさえ、余り馴染めないのだから一体
どうすれば、次世代の自動車を楽しむことができるのか、想像すらできない!

今までに何度も電気自動車にも乗ったし、随分と前の話だが、リニアモーターカー
委員会にも所属し、経済同友会の視察で体験試乗した経験もあるのだが・・・

加速もいいし、スピードが出るのも知っている・・・。

でも、何か物足りなさを感じるのは、多分、音が五感を刺激しないからだろう・・・!

僕が育ってきたクルマの世界は、吸入、圧縮、爆発、排気、を繰り返す内燃機だ。
そんな郷愁があるからだろう・・・音質にこだわるのは・・・!

まぁそれでも、そんなに性急に心配しなくても、この広い世界が一度に変わる訳
ではないのだから、むしろ変化を楽しむべきかも知れないが・・・

そう思うと急に興味が湧いてきて、いい時代に参加できたものだと思ってしまう!

これまでの「車と石油の20世紀」が終わり、これから先は「脱石油の21世紀」が、
まさに今からスタートするのだから・・・

未知への挑戦や、新しい技術は、困っているからこそ考え、それを人間の想像力
が可能にするのだから、やはり、この100年に一度の大恐慌は自然界が発する
危険信号なのだと・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「奇跡の杖」より・・・(想像は全てを創るエネルギー)を一部紹介しよう!

想像力は、人間のみが持つ、最大かつ最高のエネルギー。
地球にある自然が創り出したもの以外は、その全て人間が持つ
想像力によって、創られたもの以外は一切ない。
車も家もビルも、電話も電気も、トイレもトイレットペーパーも!

だから、人間にとって想像力はもっとも高貴で大切なものであり、
この上なく素晴らしいものなのである。
想像力が、文明や経済や文化、そして地球上の全てを発展させ、
一方で地球環境を破壊している現状には、ことのほか悲しみを感じる。

今後ますます、心を清く正しくして、美しく想像することが人間に
求められ、ますます重要なことになっていくに違いない。人生を
素晴らしいものにするもしないも、想像力の正しい使い方が最も
重要だといえる。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話を戻すが、今朝仕事場に向かう途中で「AMG・CLK/DTM」に出会ったの
だが、やっぱりいいよね~・・・タダならぬ・・あの雰囲気・・。

なんとも言えない、”あの排気音”と、”オーバーフェンダー”が醸し出す雰囲気
には、クルマ好きを虜にする何かがあると思うのだ・・・!

だから、やっぱり当分は自分が歩いて来た道を大事にして、今までのクルマを
大切にしようと決めた・・・!

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2009年2月 7日 (土)

車お宝話(124)ちょっと満足・ちょっと自慢!

    

先日PCで自動車の最新ニュースを見ていて、思わずニンマリしてしまう、
「ちょっと満足・ちょっと自慢」の記事が出ていたので、申し訳ないが書か
せてもらう・・・

なにも僕に直接関係がある訳ではないが、僕にとっては「ちょっと嬉しい」
出来事なのだ・・・

と云うのは・・この自動車不況の中「AMG」の販売台数が前年比19%増
の24200台も売れたという記事を見て、自分が永年想い描いて来た事
は間違いではなかったのだと、思わずニンマリしてしまったと言う訳だ・・!

この自動車不況の中で、前年の販売台数を20%近く上回ると云うことは、
やはりコンプリートカー・ビジネスは不況に強いという事になる・・・

それは、ちょうど前回のお宝話に書いたことが、事実だと証明された様な
もので、ゲームの任天堂にしろ、この不況下にめっぽう強いのは「AMG」
と同じで、そこにしかない、独自の魅力があるからだろう・・・

不況下でモノが売れないというが、それはユーザーが欲しいモノに対する
選択肢の絞り込みを厳しくし、どうしても欲しいモノしか買わないからだ!

だから売れないという事は、その選択肢に残れなかったと云うことだろう。

そして、そこにしかない独自の魅力をもつ商品にとって、この不況はそれ
ほど影響しないと言える・・・。

それにしても、僕が知っている、アウヒレヒト率いる、「AMG」のままなら
きっと今頃、苦戦しているに違いない・・・

やはりメルセデスという自動車メーカーの存在があってこそ大きく育った
のだろうから・・・!

「ビジネスとは何時の時代もそうだが、ユーザー不在の処に花は咲かない!」

「特に新しいビジネスモデルの場合、ユーザーが理解し、認知するまでには、
 相当な時間とパフォーマンスを要する・・・」と前章で書いたことが当て嵌る
 好例と云えるのでは・・・

また、「頭の中では最近の「AMG」のように、コンプリートカーをピラミッドの
    頂点に、エアロパーツや、アルミホイールなどの、用品販売が成立
    すると信じて疑わなかったが・・・」とも書いているが・・・

この分野でも、AMGパッケージの名称で、前年を何と73%も上回る成績
を上げているのだから「信じて疑わなかった」ことは大正解と云えるのでは!

だからコンプリートカーの認知度が低い20年前では、とても採算が取れる
販売台数ではなかったし、また日産自動車との提携も、泡と消えて苦労の
連続だったが、もし今日まで続けていられたら、花が咲いたかも知れない!

こんな事を書いていると、ベンチャービジネス誌の原稿を書いていたころを
思い出してしまうが、時代は変わっても、「お客様ありき」の原則は不滅だ!

ガラッと話は変わるが、「お客様ありき」の思い出話をしよう・・・。

僕が独立したての頃の外車屋は、クルマをズラリ並べ、その脇に、外から
中が見えないほどの小さな窓の、事務所を設けて商売をしていた・・・

ほとんど、米軍基地の近くから派生した、この手のクルマ屋が多かった。

当時の不動産屋も、窓の少ない、暗くて狭いイメージの事務所だったから、
同様に傍から見た目には恐ろしくて、胡散臭い商売と思われていたに違い
ない・・・

そんな折、今まで話したことはないが、24歳で京都のファッションビルに
当時のトップ・ファッションブランドとコラボした喫茶店をオープンした。

この喫茶店は明るく開放的で仕切りもドアもない、床を一段上げただけの
完全なオープン・ティールームで、当時は日本初と随分と騒がれた・・・

お茶を飲みながら、有名ブランドのファッションブティックが覗けるのだから
楽しいと、話題になり、いつも盛況だったが・・・

もっとも、美人の姉妹が2人で店を切り盛りしていたから、評判になったの
かも知れないが・・・!

この時期に、ファッション界を知った事で、外車屋がひどく遅れている事に
気が付き、ひょっとして何とか成るのではと・・・

そして、明るく開放的なオープン・ティールームからヒントを得て、胡散臭い
外車屋の事務所を、一転、恥ずかしいほど外から丸見えのオフィスに造り
変えた・・・

多分、新しいものと、旧いものが入り混じった、数年前の中国をイメージ
してもらえば理解できると思うが・・・

現在なら当たり前のことだが、当時としては破格の行動で、外から丸見え
のオフィスにいること自体、恥ずかしかった・・・

ところが、日本初の、この試みと戦略は、当たりに当たった・・・!

ハッキリと分かるほど客層が変わったのだ・・・・・・今までなんとも言えない
ほど暗い雰囲気の中での商いから、一転して明るく楽しい日々に変わった!

それはそうだろう、丸見えのオフィスの中には、優しい顔をした若造の僕??
が居るのだから、誰しも安心して声を掛けてくれた・・・

実を云うと、その頃は、客層の悪い外車屋が嫌で、もう辞めようと喫茶店を
オープンしたのが本当の処なのだが・・・

(お宝話 4を是非参照してください、おもしろいですよ~)

当時のそれまでは、一般の人が外車に乗ること自体、あまり考えない事で、
仮に欲しいと思っても、安心してクルマを見ることなど到底不可能・・・

それでもと思う人たちは、度胸一番、あの胡散臭い外車屋の事務所に飛び
込むしかなかったのだ・・・まるで出入りの様に・・・。

オーバーな話に聞こえるかも知れないが、余程の度胸と、自信がなければ
外車には乗れない時代だったのだから・・・!

だから当時は、自動車雑誌の、「売りたし」「買いたし」コーナーが一般的で、
個人売買が主流だった・・・

間違っても、あの恐ろしい外車屋などに行けるものではなかったのだろう!

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2009年2月 4日 (水)

車お宝話(123)マイナーチェンジ後のM30とM20

      

今回は「STORY OF TOMMYKAIRA」に話を戻して、書き始めることにしよう!

年末、最終のお宝話「2代目・M30とM20」でエクステリアの印象を、
「個性的で特徴的なエクステリアは童夢デザインで、今でも大好きだ!」と
僕の想いを書いているが、どうも当時は人気がなかったようだ・・・

アクの強いFスポイラーと、Rウイングの取り付けステーが裏目に出て、
馴染めなかったらしく、後付け感のない一体型の要望が用品販売代理店
さんから多く上がっていた・・・

この辺りがコンプリートカーと用品販売の両立の難しいところで、折角、
斬新なデザインを取り入れても、なかなか理解されない・・・

コンプリートカー販売と用品販売は「似て非なるもの」で、片や冒険好き
の個性派、片や流行に敏感なユーザー層が多いエアロパーツ派で、仲々
旨く馴染まない・・・

頭の中では最近の「AMG」のように、コンプリートカーをピラミッドの頂点
に、エアロパーツやアルミホイールなどの、用品販売が成立すると信じて
疑わなかったが・・・

まだチューニング・コンプリートカーの認知度が低く、コンプリートカーの
販売台数だけでは、とても採算が取れなかった時代のエピソードだ・・!

そんな事で、2代目「M30」と、「M20」を、マイナーチェンジすることに!

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お宝話(114)のカタログを参照しながら見てみると、その時の苦労の後
が見て取れる・・・

02014

マイナーチェンジ前の「M20」のアルミホイールが1ピースなのに対し、
マイナーチェンジ後の「M20」のアルミホイールは鍛造3ピースとなる。

(「M30」の8J×16に対し「M20」は7J×16とはなるが・・)

これなどは用品販売代理店の強い要望を意識しての仕様変更だったが、
この手の苦労は最後まで続いた・・・。

そして全く逆に、選択肢の幅を広げるべく、この2代目からはベーシック
モデルを設定し、外観に左右されない、中身重視のチューニング・コンプ
リートカーを発表、発売することにした・・・

ビジネスとは何時の時代もそうだが、ユーザー不在の処に花は咲かない!

特に新しいビジネスモデルの場合、ユーザーが理解して認知するまでに
は、相当な時間とパフォーマンスを要する・・・

だからバブルの真っ最中も下を向いて「昔取った杵柄」のスーパーカーに
は手を染めず、このチューニング・コンプリートカーをコツコツ造っていた。

まぁそんな不屈の精神が功を成すまでには、あと2年ほどの時を要するが!

自分では結構、気が短いと思っているのだが、こうして振り返ってみると、
仲々気の長い性格でもあるのだな~と、我ながら驚いた次第!

クルマに話を戻すが、当時はR32のGTRが全盛の頃で、「M30」の持つ
一番の特徴、「3リッター・ノーマルアスピレーション」は本当にマニア向け
の特殊車だったと思う・・・

その特殊車に好んでオーダーを入れてくれたのが、男子スピードスケート
のメダリストの黒岩選手で、橋本聖子さん同様、トミーカイラのオーナーに!

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このお二人は、やはり個性的で、冒険心の豊な人たちだったと記憶している。

そうそう、カタログの写真を見て思い出したが、この当時の撮影は殆どが
「嵐山・高雄パークウェイ」で、このパークウェイとは年間契約していたから、
取材やテストも含め頻繁に通ったことが懐かしく想い出される・・・

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この時の撮影は記憶に乏しいが、初代も含め、この「M30」の取材の事は
鮮明に記憶に残っている・・・

平日のパークウェイ、静かな山道、遠く山影で姿は見えないが、カメラマン
が待つアングルまで、”クォーン”という「M30」の快音が続く・・・

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この時ほど「3リッター・ノーマルアスピレーション」の快音が心地よく、また、
素晴らしく感じたことはない・・・

そしてこの時こそ、本当に心の底から、この「M30」を造って良かったと
思えた一瞬だった・・・!

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