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2009年1月

2009年1月31日 (土)

車お宝話(122)好きなクルマが幸せをくれる!

   

先日、クルマの雑誌ではないが、日経メディカルという本で面白い記事を
見つけたのだが・・・

・・・「周囲に幸せな人が多いと、自分も幸せな可能性が高い」というもの!

それは米国でフラミンガム研究に参加した人、及び配偶者を対象に人間
関係と”幸福度”を調べたユニークな研究結果だが、25年かけて5000人
近い対象者の追跡調査を行った結果、幸せな人は互いに繋がって集団に
なることがわかったというもの。

この幸福度は、「将来に対して希望を持った」、「幸せだった」、「人生をエン
ジョイした」、「他の人と同程度に良いと感じた」の4項目、それらを経験した
頻度で評価したもの、とある・・・。

(当・トキコクリニック院長の人気ブログ”ハピトレ”にも同様の内容で掲載して
 いるので、ぜひ参照を・・・!)

これは幸せの連鎖作用とでも云えるものだろうが、僕の場合に当てはめれば、
「将来に対して希望を持った」、「幸せだった」、「人生をエンジョイした」は全て、
「自動車」がキーワードになる・・・

まぁ、「自動車」が仲人となって、多くの色々な人たちと出会い、そして「輪」が
出来て・・・結果「将来に希望を持ち、人生をエンジョイし、幸せだった」となる
のだろうが・・・

23歳から、クルマを提供する側に回り、58歳まで一気に進んで来れたのも
やはり「幸せ」だったからだろう・・・

こう考えると僕にとってクルマとは友人、いや親友の様なもので、中には子供
の様な存在までいるのだから・・・!

こうして、提供出来たクルマたちを通じて、幸せを分かち合って来たのだと!

だから幸せそうで、いつも嬉しそうに、笑顔の絶えない人たちと一緒にいたい
から頑張れたんだろうな~・・・。

そうそうクルマで幸せを感じたときの事を思い出したから、横道に反れついで
に書かせてもらう・・・

僕が大好きだったクルマに、「メルセデスベンツ・280CEクーペ 3.5」という
モデルがあるが、このクルマには随分と教えられた・・・

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・・・乗り手"を"選ぶクルマとしては、第一級だろう・・・。

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上品さと、優雅さと、豪華さに、力強さ迄あるこのクーペを初めて知ったのは、
ごく最近お亡くなりになった、有名な俳優さんが若かりし頃、お会いしたのが
きっかけだった・・・

当時の京都は撮影所のメッカで、まずクルマ好きの俳優さんで、tomita auto
に来なかった人はいなかったと思う・・・

このクーペの魅力を、物腰柔らかく、静かに話すその姿は、時に力強く、また
優しくと・・・

まるでこのクルマが持っている、全ての魅力を、この大俳優さんも持っている
ではないか・・・

”なんとこのクルマに似合う人なんだろう”・・・と、当時若造だった僕は感心し、
いつの日か、僕もこのクルマに似つかわしい人になりたいと・・・

そんな事があってから、どれくらいの月日が経ったか覚えていないが、念願
の「メルセデスベンツ・280CEクーペ3.5」を手に入れた・・・

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10年以上経っているのに新車の様な状態で、手に入れた時の喜びは、今も
忘れていない・・・

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このクルマに乗る時だけは、物腰柔らかく、静かに、優しく、力強くと・・・・・

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しみじみと、自分の成長の跡を感じながら、「幸せ」になれたことを思い出す!

・・・こんな思い出もある・・・

ある時、3.5ℓではないのだが、外観は同じ280CEクーペを持っているという
紳士が、偶然通りかかって280CEクーペ3.5を見つけ、ぜひ見せてほしい
と訪ねて来られた・・・

聞けば、280CEクーペに対する思いは相当なもので、随分と手を入れられ、
ことのほか、大事にされている様子で、話を聞いているだけでも微笑ましい!

言葉使いは京都とは全く違う、関東方面の訛りだろうか・・・
やはり、物腰柔らかく、静かに、優しく、力強い話し方だが・・

月に一度、これまた撮影所に用があって、京都に来るのだとか・・・

暫くして紳士の持つ「280CEクーペ」の写真と、手土産代わりにと、お菓子が
送られてきた・・・

ひと月後、今度は当時の大スター、T氏を従えての来社だった・・・。

後々分かったことだが、このモノ静かな紳士は地方の大親分で、義理と人情
を地で行く、任侠道の人・・・!

任侠映画の大スター、T氏の後見人だったのだ・・・

当時は今と違い銀幕のスターと云えば”泣く子も黙る”時代だったから、相当
名のある親分だったのだろう・・・

でもクルマの話をする時の幸せそうな、笑顔の絶えない顔は忘れられない!

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2009年1月28日 (水)

車お宝話(121)チューニングカーの起源か?

         

実は前回触れた、メルセデスベンツ450SEL6.9などは、僕が思うに、
チューニングカーの原点ではないかと思うのだが・・・どうだろう!

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と云うのは現在のAMGのラインナップを見ても、多少はエアロパーツで
違う雰囲気を出してはいるが、見た目はベースとなるノーマル車と、殆ど
変りはない・・・

ところが細部に目を凝らすと、チューニングカーとして高性能に仕上げる
為に、ありとあらゆる所が変更になっていることに気が付く・・・

先ずは一番大事なエンジンだが、最近は6300ccと、とんでもなく大きい
排気量のNAエンジンが主体で、これがステータスな雰囲気を醸し出して
いる一番の要因だと・・・

この大排気量で、高出力なエンジン性能に対処すべく、必要な箇所に手
が入れられているのだから、少々価格が高くなっても仕方がない・・・

ハイパワーにも耐えられるミッションと、サスペンション、強力なブレーキ、
排気音を含めた排気系統に、各部の補強等など・・・。

インテリアも、オリジナリティがいっぱいだから、ノーマル車とは一味違う。

そのうえ少量生産と来ているから、クルマ好きにはたまらない魅力となる!

ところが、こうして書いていると、やっぱりメルセデス450SEL6.9の事を、
どうしても連想してしまう・・・

6900ccの超大排気量、超強力なブレーキ、ハイパワー用のミッションと、
サスペンション、効率の良い排気系統に、各部の補強等など・・・

違うのはエアロパーツがなく、インテリアがノーマル車とほとんど等しい事
ぐらいだろうか・・・

それもその筈、メルセデスベンツ・450SEL6.9の前身は、AMGの名前
を一躍有名にした、メルセデスベンツ・300SEL6,3なのだから・・・

1971年、スパ24時間耐久レースで300SEL6,3をレース仕様に仕立
上げ、428HPの大馬力と物々しいレーシングカー姿で、見事総合2位と、
クラス優勝を飾り、AMGの名を世に出したのだ!

その頃僕は独立後3年目の26歳だったが、このAMGの快挙等、その後
10年間は知る由もなかった・・・

この事は「お宝話(20)AMG社に契約に行く」の処に詳しく書いているので、
ぜひ参照して欲しい・・・。

ところが、僕が30歳ぐらいの時、不思議な事に今迄スポーツカーにしか興味
がなかった筈なのに、このメルセデスベンツ・300SEL6,3なる、"化け物"に
初めて出会ったとき、一瞬にして心を奪われてしまったのだ・・・

極上のシルバーメタリックに、ベロア張りで、シックなグレイの内装、心もち
車高が低い気はするが、気品ある佇まいの落ち着いた大型乗用車・・・!

ところが一旦走り出せば、この気品ある佇まいの大型乗用車はモンスター
と化し、頭を後ろに置き去りにする程の、トンデモナイ加速を見せつける!

この加速は、当時自家用車にしていた、フォード・ムスタングのシェルビー
コブラGT500と遜色ない加速だと・・・

(67年・シェルビーコブラGT500はV8・7ℓ・355馬力でデビュー)

このシェルビーコブラは、シェルビー社が造ったメーカー公認の純然たる
チューニングカーだが、当時もチューニングカーとは呼ばなかった・・・

このメルセデスベンツ・300SEL6,3も同様だが、日本に目を向ければ、
初代・S54スカイラインGTも、チューニングカーとは呼ばなかった・・・

要するに、未だだ見ぬ、チューニングカーの事を、僕はメルセデスベンツ
・300SEL6,3なるクルマに、感じたと云うことだろう・・・

いま思えば、この当時にメルセデスベンツ・300SEL6,3や450SEL6.9、
そしてシェルビーコブラGT500などに、心を奪われたのは「事の必然」で、
未来のチューニングカービジネスは、この時すでに決まっていたのだろう!

そんな経緯を大事にしてか、AMG社は6300CCの新型エンジンを開発し、
全てのモデルに、NAの6.3ℓを与えた・・・

・・・でも僕は現代のAMG製6.3ℓには興味はない・・・

僕にとって、チューニングカーの原点、M・ベンツ300SEL6,3が欲しい!

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2009年1月24日 (土)

車お宝話(120)オバマ大統領の凄いリムジン!

        

このリムジンの事を最初に知ったのは、ネットでオバマ大統領のニュース
を見た時だったが、その強烈な印象には、ただただ驚くばかりだったが・・・

本当かどうかは知らないが、何しろドアガラスの厚みだけでも12センチも
あると書いてあったから、さぞやあちこち、トンデモナイ細工がしてあるに
違いないと思っていたのだが・・・

テレビでパレードの様子を見て、またまたビックリしてしまった・・・!

一体この大きさはなんなのだ、車を降りて横を歩いているオバマ大統領と、
このリムジンの対比は余りにも異常だ・・・

ネットで写真を見たときは、キャデラックに見えたが、テレビで動いている
姿を見て、その桁違いの大きさに思わず戦車を連想してしまった・・・!

と云うより、やっぱり戦車!・・・クルマの形をした戦車だろうな~・・。

外車屋時代に一度だけ防弾ガラス入りのリムジンを扱ったが、そのときの
ドアガラスの厚みは1.2センチだったが、それでも肝を潰した位だから、
その10倍もある防弾ガラス車には脱帽するしかない・・・

今迄、スポーツカーの事ばかりで、リムジンの事は一度も書いていないが、
実は結構ショーファードリブンのリムジンには目がない方で大好きなのだ!

もともとクルマなら何でも好きな僕だから、当然の事だが・・・

残念ながら、未だ持ってショーファードリブンのリムジンを持つ身分には
なれないが、これも男のロマン、出来れば実現させたいと思っている・・・!

リムジンに興味を持ったのは、遡ること30年ほども前のこと・・・

スーパーカー時代に下取り車として、メルセデス600リムジンが入った

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ことが切っ掛けで大いに刺激され、一時はリムジンに傾倒したこともある
ほどだ・・・!

こんな思い出がある・・・このメルセデス600リムジンに友人と交代で、
一方が運転手、一方がリアシートのVIP役で、京都の目抜き通りをバカ
見たいに走り回っていたことがある・・・

そのうえ、この時は単に運転するだけではない、本格的に制服と、白手袋、
帽子までもかぶって仮装したものだから、ホテルに横付けした時なんぞは
とんでもなく丁重な扱いを受けてしまい、こちらの方がタジタジだったが!

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それでもこの面白さが病みつきになり、暫くは交代であちこちのホテルを
訪問させて頂いた・・・。

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何のことはない、外に偽物の運転手を待たせて、お茶を飲むだけなのだが!

その頃だったかな~?・・・ロールスロイスに興味を持ったのは・・・!

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造りのいいコノリーレザー、分厚い極上のシートに身を沈め、鏡のように

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磨きこまれたウォールナットに囲まれたインテリア・・・

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この優雅な居心地は、誰でも一度知ったら止められないだろう・・・!

スポーツカーとは全く違う別世界に誘ってくれる、このリムジンの魅力は、
乗った者にしか分からないだろうが・・・

たかがクルマ、されどクルマ・・・こんなにも乗っているクルマによって、
相手の見方や、出方が違うものかと・・・

人間社会の複雑で、面白いところを、このリムジンに教えてもらった・・・!

やはりリムジンの魅力は、人が余り乗っていない、希少なクルマに限ると
思うが、なかでも思い出深いのが、メルセデス450SEL6.9ルムジン!

外観は普通のメルセデス450SELなのだが、前の席と後部座席の間を
パーテーションで仕切ってあるリムジンタイプのインテリアで、エンジン
が6900ccの超強力な奴なのだ・・・

当時ヤナセ仕様は450SELがトップモデルで、この450SEL6.9

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はトミタオートが最初に輸入し、雑誌に紹介したことからヒットモデルと
なったのだが・・・(この話は別の機会に詳しく紹介しようと思っている)

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そのなかでも、このパーテーションモデルは特に希少なモデルで、現地で
見つけて一目惚れしてしまった・・・

どこに惚れたかと云うと、スポーツカーにも負けない、ハイパワーと走り、
それでいながら、外観は普通のメルセデス450SEL6.9、なのに室内
はパーテーション付きショーファードリブン・リムジン・・・

だからオーナーカーとしても、ショーファードリブンのリムジンとしても、
どちらの面でも第一級のクルマとして満足できる、珍しいタイプ・・・!

最近の話だが、永く忘れていた、このショーファードリブンのリムジンに
久々に乗る機会があった・・・

東京でクルマ好きのVIPに、アンチエイジングの事で知り合いになった。

食事に誘われたのだが、スポーツカーを何台もお持ちでクルマの話で盛り
上がったのだが、ケタ違いのクルマばかりで羨ましい限り・・・

食事も終わって、それではもう一軒飲みに行こうかと表に出たら、なんと
マイバッハ67が店の前に鎮座しているではないか・・・

さっきまで、マイバッハの"ハ"も話に出てこなかった癖に・・・!

天井は日本の障子を想わせ、超広い空間にユッタリとしたリクライニング
シート、ずっと向こうにワンタッチでスモークガラスになるパーテーション。

このマイバッハ67のリヤーシートの優雅さは、なんとも言えない・・・

これ以上ないチョイスだろう・・・マイバッハ67とブガッティ達なら・・!

追伸・・目標の120回になりました、勝手していたトラックバックを受け付ける

     ことにしました・・・今後ともよろしくです。

     

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2009年1月21日 (水)

車お宝話(119)日本初350馬力モデル「M30Z」・Ⅱ

   

この時期、スピードスケートの橋本聖子さんが、冬季オリンピックで堂々の
3位入賞、銅メダルを獲得したことは、国民の誰もが知るところだった・・・

それに比べ「トミーカイラ・ブランド」は、まだまだ「知る人ぞのみ知る」的な
ものだったから、全国レベルでの知名度向上には、この出来事は絶好の
チャンスだったが・・・

でも聖子さんは話題の渦中の人、このニュースを出来る限り伏せる方向でと、
お約束をした・・・。

そんなことでマスコミ取材も一切ない、静かな納車式だったが、ブルーメタの
「M30Z」と共に、聖子さん、黒岩さん達と、記念の撮影・・・

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いま思えば親しい自動車雑誌の人達にさえ”すっと呆け”ていたのを懐かしく
思い出す・・・

そうそう雑誌取材で思い出したが、この「M30Z」が矢田部のテストコースで
290㎞の最高速を出し、そのスピードでも至極安定していたと報告を受けた
時は、なんとも言えない喜びを感じたものだった・・・

当時は何と言っても最高速300㎞が一つの壁だったから、そこに近ずけた
ことが嬉しかったのだと思う・・・

それに比べ今の時代はヴァイロン以来、最高速400㎞が基準となっている
のだから、技術の進歩には驚くしかない・・・。

だから当時と比べ、世界の最高速基準は100㎞も上がったという事になる
のだが、一体この先、どこまで行ってしまうのだろうか・・・?!

なにしろ、当時は280馬力規制があり、この「M30Z」が300馬力の壁を
破った最初のクルマとなったが、最終的に350馬力で運輸省の改造申請
をクリアした・・・!

丁度その頃は、「どこのメーカーが最初に280馬力を超えるのか」と云った
記事が結構氾濫し、自動車雑誌を賑わしていた時期でもあった・・・

惜しむらくは、「初の350馬力カー」のニュースソースを有効に生かせない
まま、バブル破壊の泡に飲み込まれてしまった事が、残念でならない・・・!

話は全く変わるが、メルセデスのデザインリーダーだったブルーノサッコ氏
が、当時この「フェアレディーZ」のデザインを高く評価していた・・・

側面から見た時の丸い形状の窓と、ルーフの収まりが絶妙だと云うのだが!

そんな記憶があるものだから、たまに「Z」に出会うと、ついつい厳しい目で
見てしまうが、なるほど古さを感じさせない、良いデザインだと感心する・・。

それにしても、このデザインのことを考えるにつけ、いつも不思議に思うこと
がある・・・

それは先程の最高速にしろ、最高出力にしろ、技術的なモノはすご勢いで
進歩しているのにデザインには進化と云ったものは余り感じられないからだ!

つまり、洋服などの衣装や、食器、建物など、衣食住に関して考えて見れば、
数百年の時を経ても尚、当時のデザインが高く評価されている・・・

ヨーロッパ中世の建物や街並みは人の心を和ませ、アジアの寺院や仏閣は
人の心の拠り所となっている・・・

ところが良く考えてみると、これらは人間が造ったモノで、多分にデザインの
良し悪しといった感覚から来るのではないだろうか・・・

同じように、歴史は浅いが自動車のデザインも同じで、古き良きデザインは
人の心を和ませたり、高揚させたりして楽しませてくれる・・・!

その古き良きデザインに思い出や歴史が重なれば郷愁となり、離れがたい
味わいとなって、その人を魅了する・・・

そう考えると自分が歩いて来た道もデザインとは深い関係があり、自分なり
には一台一台、充分に拘った積りだが、少なからず気になるところだ・・・!

モノをデザインするという事は、生き方をデザインすることであり、如いては
人生をもデザインする事になるのだから、進歩とは無縁の存在なのだろう。

・・・・・追伸!

いや~、オバマ新大統領は凄いね~・・・。

テレビで見ていて感動した・・・凄い求心力だね~!
この時期に出てくること自体、歴史上に名を残す人物だよ・・・。

何かにつけて拍手を送りたくなる人だと、つくづく感心するし、尊敬できる!

僕が大事にしている心情に「楽天的」があるが、日本では余り良く取られないが、
世界中から注目されて、その上あれだけの聴衆の前でハッキリと「米国はそれを
克服できる」と楽天的に言って退けるあたりは、ケタ違いの大物だろう・・・

最早、米国は世界の中で優位ではないと誰しも思っていたけど、オバマ新大統領
の出現によって、またまたダントツのトップになったと思う・・・!

あんな統一感のある国は、米国以外にないし、またみんな「アメリカ」に誇りを
持ち、愛してるよね~!

世界中の人が言ってるけどほんとアメリカ人が羨ましい・・・

日本にはあんな指導者は絶対出てこないよ、政治家の成り立ちが違うんだから!

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2009年1月17日 (土)

車お宝話(118)日本初350馬力モデル「M30Z」 Ⅰ

      

新年早々から、レンタカー、雪物語と、随分と横道にそれてしまったから、
ここらで年末に続き、トミーカイラシリーズに戻そうと思う・・・。

このスポーツカーをベースにと考えたのは、ちょうどバブルの真っ最中で、
生産台数の少ない世界中のスポーツカーが、軒並みプレミアが付くほどの
人気となっていた時期だったからだ・・・

だからこの時期に日産車のスポーツカー、フェアレデイZをベースに開発に
着手・・・やがて「M30Z」として完成する・・・!

確かR32のM20と、M30の次で、R32のマイナーチェンジモデルの間
だったように記憶しているが・・・。

予告取材や、広告での反響は大きく、ビジネスとしては大いに期待できる
と、内心僕はほくそ笑んでいたのだが・・・!

この頃の話題の一つに、ホンダNSXのエピソードがある・・・!

発表時、バブル景気の真っ只中だった日本で注文が殺到、当初は注文から
納車までの1~2年待ちは当たり前で、最長で6年待ちとも言われた・・・

価格も、最も人気の高かった米国では、販売価格の2倍でも売れたとも・・・
当然日本でも1千万円上乗せが常識と、もっともらしく言われたものだが!

それはそうだろう・・・バブル絶頂期の1989年の大納会(12月29日)
で記録した株価の最高値は、38,915円87銭・・・!

何と現在の5倍近い株価ではないか、いったい何処の国の話かと錯覚する。

このとき記録した日経平均株価の事は、今では伝説の語り草となって語り
継がれている・・・

ところがこの最高株価を付けたのをピークに暴落に転じ、バブルは弾けた。

んんん・・・何かおかしい、今も同じ状況に陥っているではないか・・・!
どうして人間は同じ過ちを、こうも簡単に引き起こすのだろう・・・。

1990年から19年を経て、今度は世界中の経済が恐怖に陥っているの
だから、「歴史は繰り返す」という事なのだろう・・・。

この時期、こんな事を書くのも何かの縁だろうと、色々と想いを巡らして
見ると、この20年の間に僕自身も、大きく変化したと改めて気が付いた!

1990年、当時の僕はちょうど40代半ばの働き盛りで、それまでには
第一次石油ショックも、第二次石油ショックも経験していた筈だったのに、
どんどんと落ちて行く経済には、ただただ驚くばかりだったが・・・

それでも当時を振り返って今思い出した!僕の場合はバブルの最中から
リストラをしてるようなもので、他社に比べ被害が少なかった事は事実だ。

と云うのは景気が良いものだから、同業他社からトミタの社員は優秀だと、
「引き抜き」が多く、かなりの人数が高優遇で転職・・・

当時のボルボのデーラーや、ジャガーのデーラーへと・・・

その上このバブルでスーパーカーが異常に値上がりし、異業種からの参入
も多く、投機目的でスーパーカーなどを扱うクルマ屋が、一挙に増えたから
その方面にも「引き抜き」で転職した者もいた・・・

でも1年も経たない内に、バブルが弾けたのだから、転職した者は泣くに
泣けない心境だっただろう・・・・・もう引き返すことも出来ないし・・・!

僕自身も多くの同業者に、どうしてもう一度スーパーカーをやらないのか、
こんなチャンスを見逃す手はないなどと、散々言われたものだったが・・・

でも僕の場合、このバブルの最中はまだ採算の取れないチューニングカー
ビズネスに没頭していた・・・

これが幸いしたのだろう、だから他社に比べ被害が少なかったのだと思う。

話を少し元に戻すが、だから何としても自分たちの手で造った「M30Z」で
シッカリとした利益を挙げ、金融機関等にもチューニングカー・ビズネスの
将来性を認めさせたかったのだが・・・

前評判の反響が大きかっただけに、ビジネスとしては大いに期待出来た筈!
・・・バブルが弾けた事が残念でならないが!

でも数年後、「ZZ」の時も未曾有の大不況が急にやってきて、金融機関に
よる「貸し渋り」や「貸し剥がし」が横行し、散々な目に遭った・・・

だから、世の中は良いことばかりもなく、悪いことばかりでもないのだろう・・・!

それが世の中、まさに歴史は繰り返すのだろう・・・。

そんななかでも、この「M30Z」で素晴らしい思い出が残っている・・・

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それは当時スピードスケートの女王、橋本聖子さんが購入してくれたもので、
この時は監督から「もしメダルが取れたらM30Zを購入しても良い」との許可
をもらっていた・・・

当時最高の人気者だった橋本聖子さんに乗って欲しいのと、努力家の聖子さん
に何としてもオリンピックでメダルを取ってほしかったのと両面で、この時の応援
は否が応でも「力」が入っていた・・・

1992年・アルベールビル・冬季オリンピック ・スピードスケート女子1500、
堂々3位入賞、銅メダル獲得・・・

この時のニュースは、今でもハッキリと覚えている・・・

そしてパリから直接オーダーの電話を頂いたのは、それから数日後の事だった。

数ヶ月後の納車の日、自分で取りに行くからと、これまたスピードスケートの
男性のホープ、黒岩彰選手と共に来られ、黒岩さんには「M30」を気に入って
もらい、オーダーを・・・!

聖子さんにお会いしてビックリしたことは、想像していたより遥かに小さい方で、
おとなしくて、どこにあんなパワーが潜んでいるのかと、不思議なほどだった・・・

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本当に気に入ってもらい、「M30Z」のポスターカタログに僕のサインをと・・!

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立場が逆なような気もしたが、喜んでサインさせてもらった・・・。

                                     つづく

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2009年1月14日 (水)

車お宝話(117)「雪の名神高速」恐怖の初体験 Ⅱ

   

いやぁ~、ついつい「雪の名神高速道路」の事を書き出したら、次から次へと
書きたい事が出てきて、横道にそれっ放しの長い一話になってしまった!

さ~それでは本題にUターン!・・・・これからする話は横道と多少似ているが、
恐怖という点では初めての経験だった!

問題の出来事は昨年の12月、暮れも押し迫った年末に、名古屋方面からの
帰り道、下り路線の名神高速道路で起きた。

久々に車関係の仕事を済ませ、久し振りの体験に多少酔いながら、帰路に
着いたのだが、帰り道の雪の事は、少しも頭から離れてはいなかった・・・

午前中あれだけ雪が降ったのだから、夕方から夜に掛けての名神高速道路
に雪がないわけがないと・・・

・・・なにしろ恐怖の「関ヶ原」が控えているのだから・・・!

それでも淡い期待をしつつ、関ヶ原を過ぎたところまでは良かったのだが・・・
・・・いきなり9キロ渋滞の「電光掲示板」が・・・

急いでラジオの高速道路情報を聞くと、単なる雪の為の渋滞ではなかった!
トラック1台と、乗用車2台が事故で止まっていると云うのだ・・・。

このラジオの情報を聞いた時、やっぱり来たかと云うのが、正直な気持ち
だったが・・・

でもこの時は、まだ何時に帰れるのだろうか、などと考えている段階・・・

徐々に車の流れが止まって行く・・・外は深々と雪が降っている、刻々と時間
が過ぎていく・・・

そんな中をパトカーが、サイレンを鳴らして、道の真ん中に突っ込んでくる。

やっぱりか!・・・・・このパトカーが現場に到着する為の今迄の無駄な時間。
こんな時でさえも、警察の指示がない限り、事故現場から車を撤去出来ない!

この時ばかりは、日本の法規に大いに抗議したい気持ちで、一杯になった・・・
だって、この為にこのあと、とんでもなく危険な状態に、陥ったのだから・・!

自動車先進国を名乗るなら、事故が起きれば自己判断で2次事故の危険性
を考えて、安全な場所に移動するのが常識だろう・・・

どうしてこんな時まで、警察が仕切るのだろう・・・・・理解できない!
車が少なかった何十年前の法規を、今でも使う事自体、不自然だろう・・・

現場検証の集積データが、世界の自動車先進国に比べて、役に立っている
とは決して思えない・・・!

まぁ、日頃のうっ憤がこんな所で出てしまったが、渋滞解除を真剣に考えて
ほしいと思う・・・。

・・・話を元に戻そう・・・

パトカーが通り過ぎ、完全に車の流れが止まってから1時間以上も経った時、
かなり前方だが、ゆっくりと車が動き始めた・・・

いよいよ、僕の目の前のトラックが、ゆっくり、ゆっくり、と動き出す・・・!

ところが、追い越し車線側だった目の前のトラックは、ほんの少しだが車が
斜めに滑っているではないか・・・

あわや・・・もう少しで・・・中央分離帯のガードレールに・・・!

それはそうだろう・・・車の上に深々と雪が降り積もって、1時間以上も経って
いるのだから、道路は冷え切ってスキー場のゲレンデ状態になっている・・!

・・・・さ~いよいよ僕の番だ!

ゆっくりと、シフトレバーをDレンジに入れ、ブレーキから足を、少しずつ、
少しずつ、離していく・・・もちろんアクセルなど踏めるわけがない・・・

赤ちゃんが這うような速度なのに・・・なんと恐ろしい事に、お尻が少し
振っている・・・とっさにブレーキに足を掛けてしまったから、益々大変!

瞬時にブレーキから足を離し、シフトレバーをNレンジにして、どうにか
難を逃れたが、もう少しで隣の車と接触スレスレ・・・・・

ブレーキを一切使わず、シフトレバーを、Dレンジと、Nレンジに、小刻みに、
交互に往復させて、少しづつ、少しづつ進むのだが、真っすぐには進まない!

さして効果のないこの走り方で、一体どれだけ進むと云うのだろう・・・。

時間の問題で確実にぶつかると分かっている、この恐怖から、どうして抜け
だそうかと、頭をフル回転させるのだが・・・・

でも実際はこの間、数秒の出来事なのだけれど・・・

その時とっさに閃いた!・・・・中央分離帯のすぐ脇は除雪車が掻いた雪が
積もっている・・・わざとその中に頭を突っ込み、右のタイヤを雪に沈めた・・・

見事に作戦成功・・・それから数時間掛かって、無傷で無事に帰ったとさ・・!

この時乗っていたのは、先代のジャガーXJR・スーパーチャージャー・・・
雪さえなければ、デザインも、性能も、天下一品のクルマなのだが・・・・!

この状況では、最悪のクルマと云えるだろう・・・

雪に最も不利なFR車で、そのうえ重くて、大トルクと来れば、肝試し用の車
見たいなもので、こんな事が一日続けば確実に胃潰瘍になってしまうだろう!

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2009年1月10日 (土)

車お宝話(116)「雪の名神高速」恐怖の初体験 Ⅰ

      

昨年の12月、暮れも押し迫った年末に、クルマで名古屋方面に向かった。

クルマで名古屋を通過するのは、何年振りだろうか・・・?
・・・多分10年近くにはなるだろうと記憶を辿る・・・。

早朝に大阪を出発し、京都で待ち合わせている同乗者をピックアップして、
ふたたび名神高速で名古屋方面に向かう。

かなり冷え込んではいるが、天気は上々、何の懸念もなく順調にひた走る。
ところが栗東ICを過ぎた途端、状況が一変し、雪模様に・・・

走るほどに、雪国に来たのかと思うほど、景色が白一色になってしまった!
高速道路上にも徐々に雪が積り、少しづつ車の流れが遅くなる・・・

雪の事など全く予想していなかっただけに面喰ってしまったが、もうどう
しようもない・・・

いつの間にか出て来た、2台の除雪車の真後ろで暫く走る・・・

普通の人ならこの程度の雪はむしろ楽しく感じるのかも知れないが、僕に
は外車屋時代の苦い思い出が山ほどあるから・・・楽しめない!

「お宝話」の最初の頃にも書いているが、23歳でトミタオート商会を創業
してから、数えきれないほど京都~東京を往復している。

まだまだ積載車や、陸送屋を使うほど、余裕のない時代の話だが・・・

東京で仕入れた珍しいクルマを駆って、意気揚揚と快晴の東名高速道路
をひたすら京都に向かって、走る、走る!

思い起こせば、東名高速用賀インターから京都東インターまで、平均して
4時間半ほどで走っていたと記憶している。

因みに最短時間記録は、アルファロメオ1300GTJで、3時間40分!

まぁ今とは交通事情も交通量も全く違う、道路も綺麗だし、何より当時の方
が高速道路のマナーが、もっと良かったように思うのだが・・・

僕がかなり後方からパッシングしただけでも、必ず追い越し車線を開けて
くれたものだ・・・

これとそっくりの体験を、当時のイタリアのアウトストラーダでも経験し
たから、当時の日本の高速道路マナーは、案外国際的だったのかも・・・!

現代の様に遅い車が追い越し車線を、ひたすら走るような奴はいなかった。
遅いクルマは左を走るのが常識の時代・・・

これは僕の分析だが、当時は高速道路を走ること自体に、ステータス性が
あり、そのうえ車の性能差も大きかったから、マナーを守らなければ事故
が起きる・・・

それに、初めて名神高速が開通したときには、高速道路のマナーが結構
話題になり、新聞やテレビでも紹介したように思う・・・

その点、現代の車は性能差も少なく、あらゆる人が乗るからマナーを知ら
ない人も多いし、また教える人も少ないのだろう・・・。

バカな話を一つ! ルームミラーはお化粧用にあるのだと、本気で言った
タレントの話を思い出したのだが・・・

そもそも後方に追い着いた時に、ルームミラーが合っていないことが良く
あるから、この手の女性は多いのだろう・・・

だからパッシングしても見てもいないし、そもそも何のことかも知らない
だろうな~・・・!

話を戻すが、その当時は東京を出発して、名古屋まで来たら、あと1時間
ちょっと走れば京都に着くのだからと、ほっとしたものだった・・・

こんな思い出がある・・・明るい内に東京を出発して、快晴の東名高速を
順調に関ヶ原まで来た途端、「この先雪のため通行止め」の電光掲示板!

結局下の国道を、牛の歩みと停止を繰り返しながら、それから12時間も
掛かって、やっとの思いで京都に到着したことも・・・。

こんな事は数知れずで、せっかく東京から飛ばして、順調に帰ってきても、
なんにもならない・・・

今より当時の方が雪が多く、殆ど冬はダメだったように記憶しているが・・!

そうそう、最近では何も言わなくなったが、雪の多いこの「関ヶ原インター」、
当時はめっぽう評判が悪く、地元出身の政治家が、無理やりこの場所に
造ったものらしい、などと云う人が多かった・・・

こんな寒い思い出もある・・・先程と同様、東京から順調に名古屋まで来て、
小牧インターを過ぎた途端、また「雪のため渋滞」の電光掲示板が・・・

ところが、この時は事故も重なり、全く動かない・・・!

当然寒いからエンジンを掛けっ放しにしたい所だが、いつもの様に燃料補給
とトイレ休憩は、この先の養老SAと決めていたから、燃料が乏しい・・・!

思い切ってエンジンを切り、我慢に我慢をしたが、クルマだからと薄着だった
せいもあって、この時ばかりは本当に寒さで死ぬかと思った・・・

そのうえ、トイレにも困ったが、全く動かないからどうすることも出来ない・・・

まぁそんな経験は数知れず・・・だから色んな思い出がある・・・

・・・ひとつ、面白い渋滞中のトイレの話をしてみようか・・・!

冬の話だが、だいたい車が止まって3,40分もすれば、必ず誰かが車から
出てきて、俗に云う立ちションをする・・・

不思議なもので、1人がすればあちこちで知らない者同士が、話しながら、
立ちションをする「一体どうなっているんですかね~」みたいな話をしながら!

この時は止まったっきり、2時間以上がたっていた・・・

ちょうど僕の前のクルマの後部ドアが開いたのだが、誰も出てこない・・・
今度は助手席のドアが開いたのだが、また今度も誰も出てこない・・・

この寒いのにドアを開けて一体何をしてるんだろうと、ぼんやり見ていたら、
なんと・・・ドアの下に「丸いお尻」が見えるではないか・・・

僕は目が点になって凝視していたが、「ああ、そ~か~」と納得した・・・
女性だって「立ちション」したいよな~って・・・。

それにしても良く考えたよな~、前と後ろのドアの間とは・・・・!

                               つづく

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2009年1月 7日 (水)

車お宝話(115)新年 明けましておめでとう御座います。

    

この正月休み、僕は年末から、ちょっとした小旅行に出かけた・・・・・

ちょうどお宝話(113)で触れた、敦賀からクルマで1時間ほどの距離の
加賀温泉へ出かけたのだが・・・

今年の北陸地方は生憎の雪模様、「加賀温泉駅」まで電車に乗って、そこ
から、いつもの様に「ニッポンレンタカー」でクルマを借り出す。

ところが車種を指定してなかったのに、何故か新型「インプレッサ」なのだ!

やはり前回の記録から、好みのクルマを割り当てるのだろうか・・・

と云うのは、昨年の9月に九州の阿蘇を旅した時、僕が新型「レガシー」に
乗ったことがなかったので、この際と思い指定したのだ・・・

ところが・・・・・この選択は大失敗!

この失敗談をすぐに書こうと思ったのだが「ZZの試作車とテスト風景」の
Ⅱの所だったので、話の腰を折るのもナンダと思い、遠慮した次第・・・!

ちょうどいい機会だから、この時のレンタカー・新型「レガシー」の失敗談
から先にするとしよう・・・・・

熊本空港に迎えに来ていた、「ニッポンレンタカー」のバスに乗り込み、
営業所に到着・・・

なんともへんぴな場所にある営業所で、新型「レガシー」と、ご対面・・・
ピカピカのシルバーメタリックで、新車の様な奴・・・!

乗った事のないクルマに乗るのは、幾つになっても心がときめく・・・
フムフム、フンフンと勝手にあいずちを打ちながら室内を見回し納得する!

期待通りと納得して、走り出した途端、「ありゃ、こりゃなんや・・・!」。

自然に、ごく普通に、身体に沁み込んでいるボクサーエンジンのフィール
が・・・まったくない!

床が抜けるほどアクセルを踏みつけても、まったく反応なし・・・・・

「急きも騒ぎもしない静かな老人の如く」・・・あ~あ~、大失敗・・・!

後悔してもあとの祭り・・・・・僕は「急きも騒ぎもしない静かな人」では
なかったのだ、チューナーだったのだ。

この時やっと気が付いた、ノンターボになど乗ったことがなかったことを!

この先が思いやられる、と思っていたら・・・・案の定「ババ掴みのババ!」

素晴らしい景色、広大な草原、すれ違う車もほとんどない、空いた一本道。

さぞやスイスイ走れば気持も良かろうと思うのだが、前を走る軽トラックが
抜けない・・・

軽トラックに追いつき、横に並んで、もう少しで抜けると思ったら、上り坂・・・
・・・また軽トラの後ろに下がり、また横に並んでの、繰り返し!

同乗者いわく、「ナニしてんの・・・??」

僕は床にアクセルをバタバタ踏みつけながら「ご覧の通りですよ!」と・・・

この時、もう2度とノンターボのスバルには乗らないと誓ったのに、何故か
目の前に、またもやノンターボの新型「インプレッサ」が・・・・・!

それでもクルマ好きの因果か、乗った事のない新型「インプレッサ」に心が
ときめき、またまた期待してしまう・・・

この新型「インプレッサ」は、走行3万キロちょっとで、レンタカーにしては
お洒落なライトブラウン・メタリック・・・AWDで勿論スノータイヤだ!

中々お洒落なインテリアで結構室内は広い・・・さぁ~出発!

まぁ今回は雪道だから、4駆だけでも有難いと思う事にして・・・

レンタカー・新型「レガシー」の教訓よろしく、行き成り「ガバッ」とアクセル
を開けたら、「うぅ~ん」まずまずの加速・・・

これなら、あの時ほど「歯がゆい」思いはしなくていいと、大喜びで・・・!

1日置いて正月元旦、雪景色の兼六園を見ようと、ステアリングを金沢に
向ける。

高速道路、北陸自動車道に入ると、益々この新型「インプレッサ」は冴える!

結構道路には雪がある、その中を全く安心してこの新型「インプレッサ」は
進んでいく・・・本当に「進んでいく」と言った表現がピッタリの走り・・・

暫く走って気が付いたのだが、走っているクルマのほとんどが、例のFF・
1ボックスのクルマたちなのだ・・・

ところが4駆にスノータイヤの新型「インプレッサ」に、何食わぬ顔で並走
しているではないか・・・!

若いころに氷上トライアルも経験し、人の半分の時間でスキー場まで通って
いた僕でさえ、多少は緊張して走っているのに、なんと云う無謀さだろう・・・

・・・・・やはり怖さを知らないが故の、無知さだろうか・・・?!

背の高い、フワフワした足廻りのクルマが、雪に足を取られたら一たまりも
ないだろうに・・・・・往年のトミーカイラ・VOXYなら話は別だが・・!

そんな事を考えながら走っていたら、無謀なクルマの余りの多さに驚いて
しまった・・・

・・・マナーを知らないのか、守らないのか!

雪煙りや、シブきで前が見辛いのに、テールランプさえ点けずにぶっ飛んで、
そのうえトンネルでも点灯しないのだから、話にもならない・・・

パッシングしても、どこ吹く風なのだから、もう始末におけないよ~・・・!

まぁそんな事を省けば怒涛の波の日本海に沿う、北陸自動車道の雪の中を、
微動だにしないで、新型「インプレッサ」は進んで行く・・・

でもWRCで、この新型「インプレッサ」の雄姿が見られなくなると思うと、残念
でならないが・・・

だけど今後WRCで活躍しないこの「インプレッサ」を、一体どんなイメージの
クルマに育てるのだろうか・・・?!

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