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2008年12月

2008年12月27日 (土)

車お宝話(114)2代目「M30」と「M20」

    

1990年6月、京都は嵐山の地、「嵐亭」に於いて、2代目「M30」と

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「M20」のお披露目の宴を開催した。

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この発表会の模様は、車お宝話(79)嵐山・嵐亭「M30発表会」に詳しく
書いているので、ここでは経営者の立場としての心境を語って行くことに!

こうして20年近い時を経て、冷静に思い返してみると、恐らくこの2代目
「M30」が対費用効果の点では、一番採算が合っていないと思う・・・

と云うのは、開発を開始した頃には「GTR」が復活するという情報を既に
キャッチしていたが、この時期、まだ日産自動車からGTRベースの開発
許可が下りず、思案の末のスタートだった・・・

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だから2代目「M30」は、最初から採算度外視で、初代「M30」のポリシー
を引き継ぎ、「GTR」とは全く違うNAでFRという路線に加え、外観でも

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「GTR」に負けない位の迫力ある「M30」を仕立てようと考えてのスタート
だった・・・

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勿論、個性的で特徴的なエクステリアは童夢デザインで、今でも大好きだ!

当然のことながら、「2匹目のどじょう」に、マスコミは見向きもしないことは
重々承知の上だったから、販売と宣伝効果の両面で苦戦することは覚悟
していた。

だから、カタログには200台限定とうたっているが、久々に出る話題の
「GTR」に勝てる訳がないことは、重々承知の上でのチャレンジだった・・!

言ってみれば、採算度外視のトミーカイラの意地の様なもので、それでも
トミーカイラ・ブランドにとって必要不可欠なことだと決断したのだから、
仕方がない・・・

こう考えると自分の性格が如何に向こう見ずで、後ろを振り返らない無類
の突進型だと、納得してしまう・・・

でもこのチャレンジ魂があったからこそ、最後まで頑張れたのだと思うし、
後悔は一切ない・・・

でなければGTRベースの「Rz」や、オリジナルスポーツカーの「ZZ」を
手掛けられなかったと思うし、ましてや「ZZⅡ」までも造って、ルマンにも
出ようなどとは考えもしなかっただろう・・・

また、大好きな車だけの人生を、35年も続けられなかったと思うのだ・・!

要は人間のすることはみんな自分自身の心が決めることで、振り返らず
に突進すれば、どんなことでも出来てしまうのではないだろうか・・・

それを堅実にしようと、後ろを振り返って再び前を見るから、そこに恐れ
や心配事が心に出来て、止めてしまうのではないのだろうか・・・?!

高い鉄塔によじ登るようなもので、一度立ち止まって、後ろを見たら最後、
足がすくんで登ることも、降りることも出来ず、パニックに陥ってしまう!

これは人間特有の想像力がマイナスに働いた時に起きる現象で、出来る
限り想像力をプラスに働かせれば、意外なほど簡単に、目標を実現出来
ると思うのだが・・・!

人生に"崖っぷち"もなければ"谷もない"、あるのは自分が勝手に決めた
マイナスの想像力だけだ・・・

僕も随分と永く、自分勝手な"崖っぷち"人生を語っていたが、いま思えば
単なる思いあがりで、恥ずかしくてならない・・・

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これは僕が自分自身で体験したことだから、絶対に間違いないと、自信を
持って言える。

人生、山もなければ、谷もない、だから崖っぷちもあるわけがない・・・
あるのは坦々とした、平坦な道だけだ・・・!

早いもので、あと数日で2008年も終りを告げようとしている・・・
特に今年は歴史に残る年として、強く記憶に残るだろう事は間違いない。

そのなかでも、自動車に関心のある人にとっては、尚更だと思うのだが・・・

それでも今年の出来事は数年、又は十数年の時を経て、大きくクルマ社会
を成長させ、意味のあった年として語り継がれているだろう・・・。

        ・・・・・・・・・・・年末のご挨拶を!・・・・・・・・・・・・

今年1年、みなさんの応援やコメントに支えられ、なんとか無事に続ける
事ができました。

そして来年も本年同様、応援の程よろしくお願いをして、月並みな年末
の挨拶とさせて頂きます。

また、2009年も進化し続けたいと、年甲斐もなく意気込んでおります。

みなさんと、みなさんの大好きなクルマ達にも、良き年でありますように!

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2008年12月24日 (水)

車お宝話(113)80年代・最後のクルマ達! Ⅱ

         

1989年9月、丁度このシルビアベースの「M18si」と、シーマベースの

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「M30C」の量産車が順調に軌道に乗ったころ、夢工場FCの1号店が
福井県敦賀市の駅前に完成!

地元の日産プリンスで営業所長をしていた僕の古くからの友人が、是非
この地で「夢工場FCの1号店」を開設したいと・・・

大のクルマ好きで、若い時から「トライアンフTR4」を駆って京都の学校
に通っていたツワモノで、もともとは「tomitaauto」のユーザー・・・!

だからこの時はお互いの積年の夢が叶った瞬間で、大覚寺での発表会
に引き続き、この地でも発表会を開催した・・・

いま思えば40代なかばで、ある程度の成功体験と、実績で、自信もあり、
希望に燃えていた、一番いい時かもしれない!

「お宝話43」にも、楽しい思い出話を書いているが、20年近い時を経て
想い返してみると、この頃の事が楽しく想い出されてくる・・・

当時の愛車で、トミーカイラの1号車となるメルセデスベースの「M19」に
乗って、週末は毎週のように敦賀に通ったことが真っ先に想い出される・・・

もちろん1号店を早く軌道に乗せようと思っての事だったが、敦賀に行く
本当の楽しみは、もっと、もっと他にあったような気がする・・・

それは僕の田舎が鳥取で、同じ日本海に面した敦賀は、不思議なほど
共通した郷愁があったからだろう・・・

40代なかばのその時は、独立してからやみ雲に突っ走って既に20年
以上が経っていたから、多分、心の休息を自然に求めていたのだろう・・・

目の前に広がる海、そして山、素朴な暮らしに新鮮な食べ物、人の好い人々、
そんな故郷にも似た環境が、僕にとってはたまらなく大事な時間だったのだ。

その頃よく、どうして「夢工場FCの1号店」が敦賀なのか聞かれたものだが、
何のことはない、いま思えばそんな事が引き金になっていたのかも知れない!

      ・・・・・・・・・ここで少し横道にそれた話を・・・・・・・・・・・

今年の終盤に暗いキーワードばかりが溢れた自動車業界、100年に1度
の経済危機の“被害”を、もっとも受けた業界といえる。

その象徴が経営危機に直面するGM等ビッグスリー、とりあえず米政府に
よるつなぎ融資という救済でヤマ場を越えた。

しかし確実に言えるのは救済は単なる「延命」にすぎず、ビッグスリーを軸
にした再編の嵐が自動車業界に確実に迫りつつあるということだ。

国内も海外も業界再編の行方は自動車市場がいかに回復するかの一点
にかかっている。

再編の為のブランドの切り売り先は、最早、日本ではなく、中国メーカーと
の見方が強まってきた。

これは最近の記事をまとめたものだが、第一印象は”米国のたたき売り”
に対して、”中国のビッグチャンス”と云うのが僕の印象・・・!

この先10年は、ブランド面でも、技術面でも、急速に発展する可能性が
中国メーカーに出て来たと言えるだろう・・・

・・・と!。またまたこんな事を書いたのには訳があるのだ!

それは、「事実は小説より奇なり」ということわざがあるが、トヨタは昨年、
創業以来の最高益を上げたのに、一転今年は創業以来の自動車部門
、単独赤字になると云う事実。

こんなウソの様なホントの話を、もし仮に誰かが1年前に予測したとして
も誰が信じるだろう・・・・・

おそらく、100人に聞けば100人、1万人に聞けば1万人とも、一笑に
伏すだろう・・・

だから「事実は小説より奇なり」と思うのだ・・・!

でもこれを逆手に取って考えてみれば、どんな時でも、どんなピンチでも
逆転できるという事になるとは考えられないか、と・・・。

100人が100人、1万人が1万人とも、強いと思っている相手でも、必ず
弱点がある筈なのだから・・・

こんな事はスポーツの世界ではよくあることで、戦う前に目の前の巨人を
恐れていたら勝てるわけがない・・・

若いキャリアのない新人選手が、時としてとんでもない大物に勝ってしまう
事があるが、純粋にチャレンジ精神だけでぶつかって行くからに他ならない!

だってそうだろう、いくら中国が頑張っても、まだまだ時間が掛かると、僕も
思っていたのだから・・・

それがいきなり、とんでもないチャンスを、目の前にしているのだから・・・!

この事を自分に置き換えて、この先、もの凄くチャンスがあると考るのは、
僕の身勝手な想像なのだろうか・・・?

人は一生、何歳になっても夢を持ち、それに向かってチャレンジして行く
ことの方が、断然楽だし、幸せだと思うのだけれど・・・!

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2008年12月20日 (土)

車お宝話(112)80年代・最後のクルマ達!

          

最近、やたら横道にそれて、ちいっとも本題が前に進まないのが心苦しい!

今もそう書いていながら頭の片隅で、またもや本題以外の事を考えている。

それは過去の楽しかった思い出に踏み込むには、余りにも時期が悪すぎる
ように思ってしまうからなのだろう・・・

だって、毎日のように自動車を取り巻く暗い報道が、後を絶たないからだ!

例え百年に一度の大恐慌だとしても、自動車を取り巻く環境だけが余りに
も顕著に目立って、悪化していると思うのだ・・・

ほんのついこの前まで、我が国の自動車産業は「破竹の勢い」だったはず!

なのに、こう毎日毎日、暗く驚くようなニュースを目にすれば、考え込んで
しまうのは僕だけだろうか・・・?

ほんの少し前まではエネルギーの問題さえ解決出来れば、先の光は大きく
あったハズではなかったのか・・・

そんな未来の予測を根底から揺るがすような事態に、最早なってしまった!

だってそうだろう・・・未来いに役立つ新世代技術も、代替えの新エネルギー
対応のエンジンも、近未来に役立つ技術開発も凍結されてしまうのだから!

だから今の状況は今迄とは何か違うような気がするのだが、その見えない
ものは一体、何物なのだろう・・・

アメリカのビッグ3問題を筆頭に、「2008年」、この年は歴史に大きく変革の
傷跡を残すことは間違いない・・・。

やはり百年に一度の出来事は、「自動車」その物の価値を考え直し、必要性
さえも、追及することになってしまうのだろうか・・・?

世界一にもなっていたトヨタが、通期でも赤字に転落し、来季の見通しも全く
見えない今の状況を、どう理解すればいいのだろうか・・・?

世界一のトヨタでさえこの状況ならば、ホンダも、日産も、富士重も、みんな、
みんな、どうなってしまうのだろう・・・

・・・この状況が長引けば、確実に先進国での車離れが起きるだろう・・・!

僕の去った自動車業界には今でも多くの友人たちが頑張っているが、それ
が心の支えでもあり、励みでもあったハズなのに、一体どうなってしまうのか
と思うと、気になって仕方がない・・・。

だからこの自動車業界の危機に直面して"のんびり"と「思い出話」に浸って
いること自体、友人や、業界の人たちに、心苦しく想ってしまうのだ・・・!

タイトルに書いた「80年代・最後のクルマ達!」から奇しくも20年が経とうと
している・・・

たった20年なのに、実に考えられない、信じられないことになってしまった!

思い起こせば、約20年前の1989年、旧嵯峨御所の大覚寺で、シルビア

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ベースの「M18si」と、シーマベースの「M30C」2台を同時に発表・・・・・!

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この時の写真を見ているだけで、今の状況との差を感じ取ることができる!
(この発表会の模様は「車お宝話78」に詳細に記しているので、参照を。)

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無論、この時は春爛漫の桜の下での宴、今は寒々とした冬に、この世情・・・

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それにしても、着物姿の女性にお琴とは優雅、みやびな船遊び、にこやか

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な和尚の顔、華やかな雰囲気、とどめは絶景の中での茶の湯のもてなし・・・

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そんな華やいだ「お披露目の宴」の中心に主役の2人、いや!2台が居る
のだから、さぞや「M18si」も「M30C」も幸せだっただろう・・・

その頃は違った意味で、改造車(チューニングカー)を認知してもらう為の
苦労は絶えなかったが、いま思えば話にならないほど良き時代だったな~
と思い知った次第・・・・・!

今の時代、新しいクルマ達は幸せではないのかもしれない・・・
だから僕は、古いクルマを大事にしてやりたいと思うのだ・・・!

今後益々、自動車先進国の人々は、幸せな時代に生まれた古いクルマ達を、
趣味性の高い乗り物として、今まで以上に大事にして行くだろう・・・。

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2008年12月17日 (水)

 車お宝話(111)一難去ってまた一難 Ⅱ

      

いや~、なんか変なタイトルを付けたせいか、一難去ってまた一難だ~!

土曜から東京に出張だったけど、帰京日の月曜の朝から突然の体調不良!
朝食をほんの少し食べただけでも。ムカムカ、フラフラするほどヒドイ!

なんとか新幹線には間に合ったものの、大阪まで、ほぼ昏睡状態・・・・
今の仕事が仕事だけに帰ってクリニックに着いた途端、点滴にまた点滴!

そんな早期治療の甲斐あってか、それとも、いつも自分の血液の鮮度を
最高の状態に保っているからだろうか・・・!

まぁ普段からの、アンチエイジングに対する取り組みが、効いている事は
間違いないだろう・・・

未だ原因不明なのだが、「ノロ」か「腸風邪」ではと云う事だが、それにして
は回復が早すぎるし、熱も出ないし・・・と!

一晩で峠は越えたが、用心には越した事はないと云うので、食事はお粥!
だからか、おなかに力が入らないんだよね~・・・。

でも土曜日も出張で、「お宝話」をお休みしているから、何としても今日の
水曜日には書かなければと、頑張っている真っ最中・・・!

だけど、変なタイトルにしてしまったから、一瞬、何を書けばいいのか迷って
しまって・・・

そんなことで、今日の処は難解な資料調べや、遠い記憶をひも解くお話は
ご勘弁願い、いま頭にあることを書いて行くことにする・・・

と云うのは、先日の「ホンダのF1撤退」に続き、スズキもWRC撤退を早々
と決め、驚いていたところに、今度は永年WRCの顔ともなっていたスバル
が、「WRCにおけるワークス活動の終了」を発表したのだ!

これでは、ラリーの最高峰、WRC・世界ラリー選手権のトップシーンから、
ワークスの日本車の姿が消えることになる・・・

・・・ショックと云うより、何かタダならぬ心境になってしまう!

今の僕はこの業界に身を置いていないから、敢えて身勝手な言い方をさ
せてもらう・・・

僕の判断は全く逆で、この記事を読んだとき、遠い記憶が一瞬に蘇って
来て、日本企業の身勝手さを思い出してしまった・・・

昔々まだF2が全盛の頃、ホンダがヨーロッパで連戦連勝し、物凄く人気
のあったF2のカテゴリーを、ペンペン草も生えないようにして、止めて
しまったと、当時の記事にあったのを思い出したからだ・・・

確かにF1にステップするためだったし、レースは勝つ事が重要なのだが、
一つのチームだけが勝ち続ければ、観客の興味は薄れる・・・

だから、勝ち続けて止めるのではなく、育てることを、ヨーロッパの人達
は自然の法則の様に望んだのだろう・・・

これは全くの僕の考えだが、ヨーロッパの人たちは狩猟民族、日本人は
農耕民族、いや品種改良型農耕民族だから狩猟民族の様に動物と共栄
共存し、育てることには疎いのだろう・・・

だから品種改良型農耕民族の日本人としては、改良を重ね、出来上った
稲穂の食料品を根こそぎ刈り取るのが、当たり前で・・・

反対に狩猟民族のヨーロッパの人たちは、食べる分だけ食料の動物を求
める習慣が根づいていたのだろう・・・・・だから残りは育つのだ。

この違いがいい悪いではなく、育てることへの差となって現れるのだと・・・
未だに何かが起きると、大きく民族の習慣の違いが表面化するのだろう。

当時は今ほど「ホンダ」も大企業ではなく、レースにめっぽう強い企業の
イメージだったから、余計にそう思っても不思議ではない・・・

ヨーロッパの人達にしてみれば、大昔から自動車レースを大事に育てて
来たという自負があるから、勝ち負けだけで、育てることをしない民族に
反発するのは、仕方のないことだと僕は思う・・・!

またまた横道に反れるが、いつもオリンピックを見ていて思うことだが、
このスポーツの祭典もまた、「参加することに意義がある」が本義なのに、
我が国では、全く忘れ去られているように思うのだが・・・

だから正直に僕の気持ちを書くと、トヨタもホンダもスバルもスズキも、
自動車業界では世界中で知らない人はいないし、特にトヨタとホンダは
世界中の人が知っている、自動車業界の重鎮ではないか・・・

特に、トヨタとホンダは、自動車業界全体が注目する、ハイブリッドを中心
とした先進企業なのだから、尚更、自動車の文化たる「モータースポーツ」
に背を向けるのは残念で仕方がない・・・!

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2008年12月11日 (木)

車お宝話(110)一難去ってまた一難

        

いや~、昨日の水曜日に「車お宝話」(110)がアップ出来なくて・・・!
実は昨日、少々変わった事件が起きて、大変だったんですよ~・・・。

夕方、食事に出かけ、食べてる間にガソリン・スタンドで洗車とガソリンを
と思い、頼んで行きつけのイタ飯屋でパスタを食べて帰ってきたら、何故
か”クルマのキー”がない!

スタンドマンが、30分ほど大騒ぎして・・・・・”探したけれど見つからない”
ホントにキツネにつままれたような話で、洒落にもならないですよ~・・・!

仕方がないからスペアキーを家まで取りに帰って、Uターンしてクルマを
ピックアップした時は、既に夜更け・・・

そんな事情で「車お宝話」がアップ出来なかったのに、何故か他のお客さん
のクルマに、キーが落ちていたらしいのです・・・

まぁ、有ったから良かったけど、ホント、とんだ迷惑でしたよ・・・!

・・・・・それでは、書きかけを完成させて、本題に入ろう・・・・・。

1988年「M30」と「M20」を発表して、翌年の89年にはシルビアベース
の「M18si」と、一世を風靡したシーマベースの、「M30C」を発表したから、
それを基に書こうかと思っていたのだが・・・

この激変、激動の時代に、もう少し触れておきたいと思ってしまった・・・!

と云うのは、今日の日経新聞のスポーツ欄に「琢磨、F1復帰へ競争激化」と、
めずらしくF1関連の記事を載せている。

この記事を読んでいて、僕の永い人生にも思い当たる、似た様なことが数々
起こったが、脇目も振らず、前に向かって突進したことを、思い出したのだ・・・

佐藤琢磨の来季レギュラー・シート獲得の記事を読んで想うのだが、今春に
資金難でスーパーアグリ・チームが消滅した事によって、佐藤琢磨はレギュ
ラー・シートを失ってしまった・・・

そして、今シーズンの幕を閉じた段階で、来年のレギュラー・シートを獲得
するためにトロロッソに可能性を求め、最高のカタチでチャレンジしていた
のだが、まだ最終決定はしていなかった・・・

いや!情報通の話によると、トロロッソ・チームにほぼ固まる予定っだった
らしいのだが、ここに来て誰もが予想もしなかった「ホンダのF1撤退発表」
がまたまた先行きを曇らせてしまったらしい・・・

それはF1チームでホンダとトロロッソだけがドライバーを決めていなかった
から、ホンダのナンバーワン・ドライバーのバトンを除き、来季のレギュラー
シートは2チームで3人の可能性を残していたのだが・・・

ここに来て「ホンダのF1撤退発表」が、狭き門を一層狭くしてしまったのだ!

つい数日前まで2チームで3人のドライバーを欲しがっていたのに、今度は
残りたった1チームで、2人のシートしかなく、本当に狭き門となってしまった・・・

その上、ホンダのエースドライバーのバトンまで加わって、レギュラー・シート
を争うのだから、これこそ本当の椅子取りゲームの様相だろう・・・!

当然、本人はそんな事など意に介さず、ベストを尽くして、可能性を追求し、
レギュラー・シート獲得に燃えているのだろうが・・・

琢磨選手にしてみれば、デビューのときからホンダイメージが強く、ホンダ
のCMでもお馴染みで、印象深いのに、そのホンダに邪魔される形になって
しまったのだから・・・

・・・何とも釈然としない、複雑な気持ちだろう・・・!

この事が、似たような経験をした僕の記憶を、呼び覚ました・・・

詳しくは触れないが、日産自動車と大きな契約に漕ぎ着けたのだが、そこに
たどり着くまでには、13年もの永い時間が掛かっている・・・

・・・僕の最終目標でもあった、大きな出来事にとうとう、到達したのだ・・・!

下話が決まって、仮契約のような段階だったが、僕にしてみれば13年も掛
かって、やっと念願のカタチが出来上がると思っていた時期・・・・・

その時の心境といえば、過去13年を振り返って、やっとここまで来れたと
いう達成感に包まれ、これから先のことを想い、大きな夢を膨らましている
ときだった!

あとひと月もしない内に本契約という時、日産本社の副社長から電話が・・・
・・・「富田さん、あの話少し待ってもらえないか・・・!」

その言葉が仮契約からひと月も経たないうちに、日産自動車が崩壊する前兆
の「言葉」になるとは、思っても見なかった・・・

あの前身が日本産業の会社が潰れるなどとは、考えた事もなかったのだから!

それはオートバックスと業務提携する前の話だから、条件も何もかも、良かった。

・・・この時、「人生一寸先は判らない」の言葉の意味を、否が応でも教えられた!

それからオートバックスに辿り着くまでには、色々な自動車メーカーと接触したが、
最早この地点では、日産色が強すぎたのだろう・・・

それでも「そんな事など意に介さず、ベストを尽くして、可能性を追求し」・・・と!

前回の最後にも書いたが、そんな事が次々に起こっても、良き人生だと思える
気持の方が、大切なのではないだろうか・・・!

「そう考えると良き時代に生まれ、自動車を好きになり、スーパーカーブーム、
 チューニングカー、オリジナルカーと次々にチャレンジ出来た事に不思議さ
 さえ感じずにはいられない・・・」と思えたように・・・・・

そんな気持ちを大切にしていれば、また一つ、きっと夢が叶うだろう。

追伸・・・・・土曜日から出張なので、次回は水曜日に!

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2008年12月 6日 (土)

車お宝話(109)「トミーカイラM30」の発表会 Ⅱ

         

発表会の写真が手元に一枚もないのだが、東京の日産アプリーテ本社
(当時)で、「M30」と「M20」の2台を展示して、お披露目をした!

当時は日産アプリーテ社長のS氏と親しくしていたので、実現したのだが、
いま思えば日産圏内で発表出来たことが大きな反響を呼んだのだと思う。

僕にしてみれば親しいS氏が、発表会をするならアプリーテですればいい
よと言ってくれていたので、お言葉に甘えてぐらいの気持ちだったのだが!

後で判ったことだが、「トミーカイラM30」の発表会を日産アプリーテで
開催することは、日産本社にも報告され、了解していたらしい・・・

外部からの、特にマスコミ関係者は、日産自動車公認の出来事として捉え
ていたから、テレビ、新聞、一般誌、業界誌など、驚くほどの反響があった。

この時のテレビ取材のビデオが残っているが、今では女子アナの大御所に
なっているS嬢にインタビューを受けているが、僕も彼女も若いのに驚く!

僕にしてみればスーパーカーブームで、テレビや新聞の取材には多少は慣
れていたが、この時ばかりは取材依頼の殺到で、嬉しいやら、忙しいやら
で、疲れ果ててしまった・・・・

何しろ一字一句丁寧に専門用語は使わず、間違わない様に話すのだから、
発表会が終わったときには神経が擦り減って、クタクタ状態・・・!

例の前回書いた運輸省のクレーム問題の事もあるし、日産自動車に対して
も迷惑が掛からない様に、話さなければいけないのだから・・・

まぁそんなことも、今となっては楽しい思い出だが、その当時の僕は必死に
作り笑いをして、インタビューに答えている姿が、ビデオに残っている・・!

そんな甲斐あって新聞やテレビは、「合法的に市販車を改造」エンジン換え、
馬力アップしたチューニングカーが、市民権を得たと報じてくれた・・・

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業界誌は「日本初の公認チューニングカー・コンストラクター」として、評価
してくれ「日本にも本格的なチューナーが生まれる。正規の手続きを踏んだ
     ”正統派”チューニングモデルの誕生だ!」と評してくれた・・・

思い起こせば、この時より7年前に、「AMG」を訪問し、僕も将来は日本車
をベースに、「日本初の公認チューニングカーコンストラクター」として、活躍
することを心に誓っていたのだから・・・

・・・想い続けてやっとこさ、7年目にやっと願いが叶ったという事になる!

お宝話78にも触れているが、この初代「トミーカイラM30」の取材を広告費
に換算したら、何と1憶3千7百万円分に相当すると、日産自動車の広報室
が調べ教えてくれた・・・

少し横道に反れるが、同じくこの時期に日産シーマが発売され「シーマ現象」
なる言葉が横行したのだが、丁度僕の担当だった部長代理のA氏が仕掛け
の張本人!

たまたま同じ歳で日産の中でも気の合う仲間だったから、よく一緒に本社の
中を歩いていたが、「いよ~、話題のお二人さん」とか「日産の有名人達!」
と冷やかされたものだった・・・

それ程日産本社で話題になっていたから、モデル末期のスカイラインに充分
な援護射撃になったと思う・・・

でも、この良き理解者のA氏がいなければ、僕のプロジェクトは上手く行って
なかったな~と、今更ながら強く想う・・・!

そんなことで、今でも良く憶えているのは、この年の「トミタ夢工場」の決算が、
損益分岐点を、久々に軽々とクリアしたということだ・・・

背景には当時の車社会が成熟期にあり、自分だけの車を持ちたいといった
ニーズが広がり、外観や内装を変えたり量産車をオープンカーに改造したり
する、コーチビルダーが増えていた頃でもあった・・

この時期、自動車メーカーも子会社を作り、この手の改造車事業にも進出し
ていたが、エンジンの改造やシャーシーに手を加える事には手を出さなかった。

それは当時の運輸省が、エンジンの改造やシャーシーに手を加える事に厳しく、
それ迄この分野の国内実績は、1台単位のスポット的な改造車ぐらいしか存在
しなかったのだから・・・!

だから大量生産を前提にした改造車が、審査にパスしたことが大きなニュース
ソースとなり、規模の大きい取材量となったのだと思う・・・!

それに引き替え現在の自動車産業は混迷の時代、その様変わりの激しさには、
驚くしかない・・・

世界一の企業だった、巨大GMや、世界で最初に大量生産を確立したフォード、
話題に事欠かなかったクライスラーまでもが、破綻問題で揺れているのだから!

そんな驚くことには事欠かない自動車産業から、またまた凄いニュースが飛び
込んで来た・・・

予想もしなかった、「ホンダ・F1からの撤退を発表!」のニュース・・・。

なんとも言いようがないが、もし仮にホンダに続く自動車メーカーが出てくれば、
間違いなく、「F1」の世界が大きく変化することは避けられないだろう・・・

それでなくとも、エンジンの単一化や、新ルールのレギュレーションの問題など、
F1界も問題が山積みなのだから・・・

ついこの前まで、トヨタが世界一にと騒がれ、どの国産自動車メーカーも、ここ
数年は毎年、増収増益に近い環境だったのにと想うと、この移り変わりの激し
さは一体何なんだろうと、思わず腕組みしてしまう・・・

そう考えると、良き時代に生まれ、自動車を好きになり、スーパーカーブーム、
チューニングカー、オリジナルカーと、次々にチャレンジ出来た事に不思議さ
さえ感じずにはいられない・・・

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2008年12月 3日 (水)

車お宝話(108)「トミーカイラM30」の発表会

      

それでは日本初の公認チューニングカー「トミーカイラM30」の発表会の
裏話など、思い出しながら書いて行くことにしよう・・・

そうそう、裏話と言えば発表会直前に大変な事が起きたのを今思い出した!

発表会の日取りも決まって案内状も出し終え、さ~という時に運輸省から
大変なクレームが入ってきた・・・

それは案内状の文面の中に「運輸省の認可を受けた」という箇所があるのが
問題だと云うのだ・・・

前回にも(注)で触れているが、当時の運輸省の判断は認可ではなく「届け出」
が正式な見解だから、認可と書くのはマズイ、との連絡が入ったと、担当者が
血相を変えて僕の部屋に飛び込んで来た・・・

それにしても、発表会の日取りも決まって案内状も出し終えているのだから、
僕もこの話を聞いた時は、一瞬、背筋が凍る思いがした・・・

多分、案内状を受け取ったマスコミの方が、前代未聞の正規改造車のことを
記事にしようと、運輸省に質問方々、連絡したのだと思うのだが・・・

運輸省大阪支局の担当官はご立腹な様子らしく、当方の担当者はもうこれで
長年の苦労が水の泡になると、大騒ぎしている・・・

役所と違う見解を、当方が誇張して、案内状に書いたと思われているらしく、
このまま行けば、「届け出」そのものが取り消されると騒いでいるのだ・・・

そうなってしまえば、日本初の公認チューニングカーは夢と消え、前代未聞の
正規改造車の話題も泡と消えてしまう、瀬戸際の出来事だった・・・!

僕は間髪をいれず、担当者に「騒ぐな!」「部屋を出て行け!」と怒鳴った・・・

何がなんでも、何とかしなくてはいけない、ただそれだけしか頭になかった・・・

一人になったその部屋で、僕は一か八かの勝負に出た・・・!

・・・・・既に役所の対応時間の5時は廻っている。

通常は時間外の電話は取り次いでくれないだろうが、そんな事は言っていら
れない・・・

案の定、いつもの受付嬢は出て来ないで、守衛室に電話が掛かった・・・

僕は落ち着いて、ゆっくりとその守衛室の人に、”気を込めて”話した・・・

「実は、そちらにご迷惑を掛けてしまう事が起きてしまいました、例え10分
 でもいいから担当官と話をさせてもらえませんか、解決できると思うので」と。

そんな内容で食い下がったのだが、有難いことに、「少し待ってください連絡
して見ます、まだ在社していると思いますから・・」と!

その時は内心「やった~!」と思ったものだが、今こうして書いていて思うの
だが、つくづく運が良かったと思う・・・

いい人が電話を取ってくれたから、後が続く訳で、無我夢中と云うか、懸命
にと云うか、無心が良かったのだろうか・・・!

いや!・・・それとも「M30」というクルマに運があったのかも知れない・・・

まぁ、それからの事は余り良く憶えていないが、担当官とは30分程話した

と思う・・・

最初は不機嫌だったが、こちらが故意ではなく無知だったことを素直に詫び
ると、話を聞いてくれた・・・

僕が「明朝までに書き改めた文面をFAXしますから、ご指導のほどよろしく
お願いします・・」

「既に発送済みの案内状は責任を持って差し替えます・・」
「その上でマスコミ関係者には、電話での対処を責任を持って致します・・」と。

こちらの熱意に打たれたのだろう、「分かりました、見本になるようなものを
FAXして上げますよ・・」と!

恥ずかしい話だが、その時、僕の声は涙声になっていたと思う・・・
本当にこの時は嬉しかったし、誠意をもって話せば通じるという事を学んだ。

その後も、こんな瀬戸際の難題は数えきれないぐらい経験したが、苦もなく
解決して来れたのも、この時の経験が自信になっていたからだろう・・・

こうして大問題が一件落着し、何事もなかった様に予定通り発表会が出来た
からいい様なものだが・・・・・

もし解決していなければ、また違った、トミーカイラストーリーになっていたの
だろうと思うと、感慨深い・・・!

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