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2008年11月22日 (土)

車お宝話(105)日本初の公認チューニングカー・Ⅲ

    

そんな時、親しくしていた担当者が見兼ねて、重い口を開けて話してくれた!

或る日、食事をしようと、東銀座の日産本社から少し離れた小料理屋に誘
われた・・・・・顔が利いているらしいその店の、一番奥の部屋に通される・・・

顔のささないその部屋で・・・・「富田社長は入口を間違って会社の中を逆に
走ってるんですよ」と言いながら、座敷机に指で円を書いて説明し出した・・・

要するに、会社に例えたその円を、逆さ周りに僕が走っているのだと云う・・!

そのうえ「このプロジェクトを影でなんと云っているとお思いですか・・・?」
    「ウルトラC・プロジェクトと呼んで、奇異の目で見ている」と・・・!

ウルトラCとは、当時オリンピックの体操競技で、至難の業を刺すのだが、
その頃の流行語になっていたから、「ウルトラC・プロジェクト」と言ったの
だろうが・・・・・”言い当て妙だと”・・・!

僕の事も、それ迄の日産自動車ではあり得ない、至難の業だったのだろう!

だけど良い意味で言っているのではないのだから、このまま行けば全てが
頓挫してしまうと・・・!

当時の僕の経歴からすれば、お堅い大企業の組織など、想像すらできない。

特に、その頃の日産自動車は、官僚的だと誰もが思っていたから、余計に
そうなってしまったのだろう。

だけど僕としては、「右も左も分からず、ただ誘われるがままに付いて来て、
どうしてこんな事になってしまうのか、まったく理解できない!」・・・と。

少しでも早く、少しでも車を良くしようと頑張った結果が、今迄の流れに逆らう
ことになって、迷惑だと感じたのだろう・・・!

でも、この貴重な経験のお陰で、若造だった僕が一回り大きくもなったし、
後々まで、この経験が大いに役に立つたことは、言うまでもない・・・

その後、色々な自動車メーカーとお付き合いが出来たのも、この時の経験
がベースにあればこそと、つくづく想うのだが・・・!

この時の経験で学んだ事は、時と場合にもよるが、コネや、トップダウン
では返って旨く行かないし、仕事も成功しないということだろう・・・

如何に多くの理解者と、協力者を味方に付けるかが、組織に於ける仕事の
在り方だと・・・!

・・・・・翌日から仕事のやり方を根本的に変えた!

受付カウンターで面会カードを書いて、一担当者に会うところから始めた。

それまで日産自動車に訪問する時は、トップダウンだからと本社の受付で、
直接役員室に僕が来た事を、伝えてもらっていたのだから・・・

まずは担当者に僕のことを理解してもらう為に、チューニングカーの話や、
主旨、メリット等、色々な角度から話をし、打ち解けるように努力をした。

関係部署からすれば、今迄の流れからいって、僕は単なる一下請け業者と、
一納入業者と、云う事でしかない・・・

それまで、こんなウルトラC的な立場で、日産自動車と契約した人など全く
いないのだから、仕方がない・・・!

そのお陰で日産本体と比べ柔軟な体制のプリンス自販(当時)に、理解者
と協力者が少しづつだが、増えて行った・・・・・

ところが気の毒な事に、当時のプリンス自販は日産自動車に吸収合併され
た会社だったから、何かにつけて蚊帳の外的な感じが、外部の僕にも感じ
取れた。

だから、ややこしい話だが、「ハルトゲスカイライン」構想は日産本体との話、
プリンス自販とはヨーロピアン・コレクションの形で結実している・・・!

11155_2 

そうそう!・・・肝心の「ハルトゲスカイライン」構想に、話を移そう・・・

11156

時を同じくして進行していた、「ハルトゲスカイライン」プロジェクトにも、
全く違った所から横槍が入り、雲行きが怪しくなって来ていた・・・

お宝話(102)に、1985年「全日本ツーリングカーレース」参戦と書いて
いるが、今度はこれが火種となって、雲行きが怪しくなってしまったのだ!

当時、殆どのトップレーサーが参加する全日本ツーリングカーレース選手権!

11121 

このレースの結果次第でスポーツタイプ車の売れ行きが左右されるのだから、
ニッサンもトヨタもホンダも、メーカー系ワークスチームはエースドライバーを
送り込んでの争奪戦だったから、みんな力が入っていたことも事実だが・・!

この時、スカイラインで走っていた日産ワークスチーム・ニスモも同様だった。

そう、このレースは結果的に1985年の年間総合優勝を勝ち取ったのだが、
これがイケなかった・・・

JAF主催の年間表彰式で、その後永遠の天敵になるニスモの難波社長から、
「自動車メーカーに勝つぐらいだから油断できない、絶対にハルトゲスカイ
ラインは阻止する」と宣言されてしまった・・!

この年、スカイラインで走っていた日産は、総合2位だったと記憶している!

前回(104)に、「執拗な反対の裏工作にに遭ってしまった結果」と、書いたが、
実はこの事だったのだが、社内に多くの人脈を持つ、彼の執拗な攻撃に遭う!

細かくは触れないが、いま思えば、誰しも自分を守るために必死になることは
仕方のないことだと想うが・・・

そんな中、なんとか穏やかに解決したいとニスモを訪ねたが、大きな海軍旗を
机の横に翻した社長室で、「貴方とは永遠のライバル!」と難波社長は聞く耳
を持たない・・・!

                                        つづく

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