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2008年11月

2008年11月29日 (土)

車お宝話(107)日本初の公認チューニングカー・Ⅴ

      

運輸省公認の改造車両となるための書類作成だけでなく、もう一つ大事な
ことは、車のメカ的な要素が充分に魅力的で、満足の行くものでなければ
ならない・・・!

それは、既に「ハルトゲスカイライン」でスペックを発表してしまっている
以上は、それを超えるスペックでなければ、もったいない・・・

何故なら、運輸省と自動車メーカー両方の公認を取り付けた、日本で最初
の改造車両を、オリジナルブランドの「トミーカイラ・M30」として発表
できる、大きなチャンスなのだ・・・

だけどこの当時は、自動車メーカーが造った車を改造などしようものなら、
クレームなど、一切受け付けてくれない時代だったのだから・・・

そんな時代だからこそ、運輸省と自動車メーカー、両方の公認を取り付けて、
最高出力や最高速度を変更することは、大きなインパクトを与え、話題性も
充分に含んでいると云える・・・

だからこのチャンスに、何としても「ハルトゲスカイライン」のスペックを
超えなければ、もったいないこと、この上ない・・・!

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ここに、最終的に発表した初代「トミーカイラM30」のカタログがある・・・
その中から、少し歌い文句を紹介しよう・・・

この時代に僕たちが何を考え、何をしたのかを、20年を経た今、考えて
見るのも興味深く、面白いと思うからだ・・・!

                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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TUNED SKYLINE TOMMY KAIRA M30/3000CC、直列6気筒DOHC、最高出力240PS、
トルク30mkgの実力が、街に出る。・・・・・これがトミーカイラM30だ。

   「クルマ好きをうならせるチューンド・カーが欲しい」

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自動車を単なる移動手段の道具としてだけ、とらえるのではなく、”自動車
はオーナーの生き様を表現する重要なアイテムである”、というところから
我々の自動車づくりはスタートした。

そこに大手自動車メーカーでは造り得ない個性的な自動車、「チューンドカー」
がクローズアップされてくる。

誰にでも好かれる自動車から、ごく少数の人達にだけ好かれる自動車づくり。
このために我々は、まず素材選びからスタートした。

ベースとなる車両を何にするのか?白羽の矢を立てたのは、あのスカイライン
だった。自動車の原点ともいえる、FR(フロントエンジン・リアドライブ)
でNA(ノーマル・アスピレーションエンジン)であること。

また、Rのエンブレムのもとに、かつてサーキットで活躍したスカイラインに、
新たな冠を与えたいと、考えたのである。

そして何より”乗せられるクルマではなく、乗って楽しいクルマであること”
が重要だった。目の醒めるような走りとスタイリングで、本当のクルマ好きを
うならせたい。

我々の開発のスタートは、そんなシンプルなところから始まっている。

   「それはエンジンから始まった。日産自動車の協力を受けて、
    部品の安定供給を実現。    3000CC、直列6気筒DOHC」

今回、我々が発表する『トミーカイラM30』が、これまでの俗にいうチュー
ニングカーと決定的に異なるのは、ベースとなる車両をはじめ、各種パーツの
供給が、日産自動車の協力のもとに、保障されているところにある。

違法改造はやらない。アフターサービスを保証する。という基本的な点は勿論
のこと、最大の開発コンセプトに「安全性の追求」を挙げ、それをクリアして
いることで、社会的責任の大きいメーカーの協力を得られた、といえるだろう。

より安全で快適にドライブしていただくために、エンジン出力をアップ。
ただし、いたずらにエンジン出力のみを上昇させるのが目的ではないので、
よりドライバーの感覚に忠実に反応を示す”ノーマルアスピレーション”
(過給器などの補助機器は不採用)エンジンとし、排気量を増やして、
DOHC化している。

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さらにパワーとサスペンション・シャーシー性能を、バランス良く向上させる

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ことによって基本性能をさらにアップさせることに成功した・・・・・
・・・『トミーカイラM30』。

我々のこうした真面目な取り組みが、今回日産自動車の協賛を得ての、正式な
届け出というカタチとなって表われている。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注・この当時の運輸省の判断は認可ではなく、「届け出」が正式な見解)

僕も久々に読んで見たんだが、今読んでも結構まともで、ホントこれしかない
よな~と思ってしまったが、今読んでいる人はどう思うのかな~・・?!と。

もう一つ大事なことが含まれているのだが、最早お分かりだろう・・・・・
そう、ここでまた一見マイナスに見えることがプラスになったことだ・・・!

「ハルトゲスカイライン」の構想が、日産自動車の判断で闇に消えた事によって、
トミーカイラがデビュー出来たのだから、反対に感謝しなくては、と・・・。

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2008年11月26日 (水)

車お宝話(106)日本初の公認チューニングカー・Ⅳ

    

そんな難波社長との攻防が続く中で、スカイラインにとってもう一人の重要な
人物と出会う事になる・・・

そう、スカイラインの生みの親で知られる桜井真一郎氏だが、丁度この時期に
出会っている・・・

日産本社の副社長が間に入って、形は単なる食事会だが、実は公式な会見で、
やはり僕のことが気になって仕方がないらしい・・・

それはそうだろう・・・・いきなり他人の僕が、日産自動車に入り込んで来たのだ
から、僕の腹の内を知りたいと思うのは人情だろう・・・!

要するに、難波社長にしろ、桜井真一郎氏にしろ、日産自動車の内部に於いて
仕事がラップするから、僕に仕事を奪われてしまうと思っていたのだろう・・・

僕にしてみればそんな気は更々ないのだが、他人同士が分かり合う事の難しさ
なのかも知れない・・・

だから、楽しいはずの食事も、ギクしゃくした雰囲気の中で、会見は殆ど決裂に
近かったが、最後に挨拶代わりにと僕が病み上がりの桜井氏をねぎらったその
言葉で、一転して雰囲気が変わった・・・

桜井氏が、今度の病気で「三途の川」を見たというセリフに、思わず僕も同調し、
今度は僕が病気で死にかけた話をして、「三途の川」を僕も見たと・・・・!

生死をさ迷う、「三途の川」が取り持つ縁か、なぜか不思議な事に、急速に打ち
解けて行った・・・!

間に入って心配顔だった役員も、ホッとした様子で、お開きとなったが・・・

そのあと、桜井氏の車でホテルに送ってもらったのだが、何故かその車の中で
朝まで話し込んだ記憶がある・・・

その車中で「富田さん、難波さんは頑固一徹、軍人の様な人だから、僕が一度
話してみるよ!」と・・・・

ホントに人の縁とは異なもので、最初会った時とは180度逆転して、分かり合え
むしろ味方になってもらったのだから、縁とは不思議なものだ・・・

多分、桜井さんも、日産自動車に吸収合併された、プリンス自販の出身だから、
幾分似たような経験をされていたに違いない・・・!

一、ニ週間して、その桜井さんから電話をもらったが、案の定、「ダメでしたよ!
頑固一徹だから!」と難波社長と不調に終わった知らせが・・・

まぁ、そんな事も色々あったが、結局、「ハルトゲスカイライン」構想は闇に消え、

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1987年2月、中身はそのままに名称だけが「GTSターボ・ニスモバージョン」
となって発表された・・・!

ボディカラーもブルーブラックで、サイドストライプとイタルボランテ製ステアリング、
ハルトゲホイールなど、その他も「ハルトゲスカイライン」とそのままだったが全て
ハルトゲのブランドは消してある・・・

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いま思えば、単なる内輪の都合で、お客の方など無視どころか、自分のメンツが
全ての会社だった・・・

他所の会社を非難してもしょうがないから、これ以上触れないが、全てが万事の
状態だった・・・

幸い僕はトップの方たちと交流があったから、まだ救われたが、この状態を何と
か脱却しようとされていた、役員の方々の苦労が痛いほど良く分かった・・・

だから、僕のような第三者の新風を期待し、必要としていたのだと思う!

ちょうど今の日経新聞に連載されている「私の履歴書」の国鉄瓦解のストーリー
とソックリだから、驚くことも無いのかも知れないが・・・

やはり日本産業がスタートの日産自動車だから、仕方がないのかも・・・!

思いっきり、横道にそれてしまった様だが、「トミーカイラM30」の誕生物語を
語る上で、この問題に触れない訳にはいかない!

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このとき、やはり自分のブランドを確立しなければと、心の中でつぶやいた・・・

そんな流れから、「ハルトゲスカイライン」から急遽「トミーカイラM30」に作戦
変更・・・

それならばと、日産自動車の上層部に、オリジナルブランド「トミーカイラ」での
発表の了解を取り付け、同時に協力を要請した。

それはタネ車と呼ぶ、ベースとなる車の供給とか、装備とか、僕にとって重要
な問題だったが、快く引き受けてくれた・・・

やはり「ハルトゲスカイライン」が闇に葬られたことが大きく影響していると思う
のだが、「マイナスをプラスに変える技」は、僕の真骨頂でもある・・・!

日産としても翌年の発表ならばモデル末期だから、スカイラインが話題になる
のなら有難いと、お互いのメリットが交差したことも幸いした。

当然この密約には条件がある、大きなチャレンジをクリアする必要があるのだ!

そう!・・・・・運輸省(当時)公認の改造車両となる、高いハードルが待っている。

幾ら自動車メーカーの了解を取り付けても、このハードルがクリア出来なければ、
全てが水の泡と化す・・・

僕の狙いは当初から、「AMG」や、「シェルビー」の様に運輸省と自動車メーカー
公認の改造車両となる事が目的だったから、何としてもこのチャンスをモノにした
かったのだ・・・!

開発当初から、運輸省公認の改造車両となる為の作業は、坦々と続けているの
だが、この地点ではまだまだ結論は出ていない・・・

それでも僕は解良君やスタッフを信じて、そして僕がやれることは精一杯やる事で、
道が開けると信じていた・・・!

                                        つづく

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2008年11月22日 (土)

車お宝話(105)日本初の公認チューニングカー・Ⅲ

    

そんな時、親しくしていた担当者が見兼ねて、重い口を開けて話してくれた!

或る日、食事をしようと、東銀座の日産本社から少し離れた小料理屋に誘
われた・・・・・顔が利いているらしいその店の、一番奥の部屋に通される・・・

顔のささないその部屋で・・・・「富田社長は入口を間違って会社の中を逆に
走ってるんですよ」と言いながら、座敷机に指で円を書いて説明し出した・・・

要するに、会社に例えたその円を、逆さ周りに僕が走っているのだと云う・・!

そのうえ「このプロジェクトを影でなんと云っているとお思いですか・・・?」
    「ウルトラC・プロジェクトと呼んで、奇異の目で見ている」と・・・!

ウルトラCとは、当時オリンピックの体操競技で、至難の業を刺すのだが、
その頃の流行語になっていたから、「ウルトラC・プロジェクト」と言ったの
だろうが・・・・・”言い当て妙だと”・・・!

僕の事も、それ迄の日産自動車ではあり得ない、至難の業だったのだろう!

だけど良い意味で言っているのではないのだから、このまま行けば全てが
頓挫してしまうと・・・!

当時の僕の経歴からすれば、お堅い大企業の組織など、想像すらできない。

特に、その頃の日産自動車は、官僚的だと誰もが思っていたから、余計に
そうなってしまったのだろう。

だけど僕としては、「右も左も分からず、ただ誘われるがままに付いて来て、
どうしてこんな事になってしまうのか、まったく理解できない!」・・・と。

少しでも早く、少しでも車を良くしようと頑張った結果が、今迄の流れに逆らう
ことになって、迷惑だと感じたのだろう・・・!

でも、この貴重な経験のお陰で、若造だった僕が一回り大きくもなったし、
後々まで、この経験が大いに役に立つたことは、言うまでもない・・・

その後、色々な自動車メーカーとお付き合いが出来たのも、この時の経験
がベースにあればこそと、つくづく想うのだが・・・!

この時の経験で学んだ事は、時と場合にもよるが、コネや、トップダウン
では返って旨く行かないし、仕事も成功しないということだろう・・・

如何に多くの理解者と、協力者を味方に付けるかが、組織に於ける仕事の
在り方だと・・・!

・・・・・翌日から仕事のやり方を根本的に変えた!

受付カウンターで面会カードを書いて、一担当者に会うところから始めた。

それまで日産自動車に訪問する時は、トップダウンだからと本社の受付で、
直接役員室に僕が来た事を、伝えてもらっていたのだから・・・

まずは担当者に僕のことを理解してもらう為に、チューニングカーの話や、
主旨、メリット等、色々な角度から話をし、打ち解けるように努力をした。

関係部署からすれば、今迄の流れからいって、僕は単なる一下請け業者と、
一納入業者と、云う事でしかない・・・

それまで、こんなウルトラC的な立場で、日産自動車と契約した人など全く
いないのだから、仕方がない・・・!

そのお陰で日産本体と比べ柔軟な体制のプリンス自販(当時)に、理解者
と協力者が少しづつだが、増えて行った・・・・・

ところが気の毒な事に、当時のプリンス自販は日産自動車に吸収合併され
た会社だったから、何かにつけて蚊帳の外的な感じが、外部の僕にも感じ
取れた。

だから、ややこしい話だが、「ハルトゲスカイライン」構想は日産本体との話、
プリンス自販とはヨーロピアン・コレクションの形で結実している・・・!

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そうそう!・・・肝心の「ハルトゲスカイライン」構想に、話を移そう・・・

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時を同じくして進行していた、「ハルトゲスカイライン」プロジェクトにも、
全く違った所から横槍が入り、雲行きが怪しくなって来ていた・・・

お宝話(102)に、1985年「全日本ツーリングカーレース」参戦と書いて
いるが、今度はこれが火種となって、雲行きが怪しくなってしまったのだ!

当時、殆どのトップレーサーが参加する全日本ツーリングカーレース選手権!

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このレースの結果次第でスポーツタイプ車の売れ行きが左右されるのだから、
ニッサンもトヨタもホンダも、メーカー系ワークスチームはエースドライバーを
送り込んでの争奪戦だったから、みんな力が入っていたことも事実だが・・!

この時、スカイラインで走っていた日産ワークスチーム・ニスモも同様だった。

そう、このレースは結果的に1985年の年間総合優勝を勝ち取ったのだが、
これがイケなかった・・・

JAF主催の年間表彰式で、その後永遠の天敵になるニスモの難波社長から、
「自動車メーカーに勝つぐらいだから油断できない、絶対にハルトゲスカイ
ラインは阻止する」と宣言されてしまった・・!

この年、スカイラインで走っていた日産は、総合2位だったと記憶している!

前回(104)に、「執拗な反対の裏工作にに遭ってしまった結果」と、書いたが、
実はこの事だったのだが、社内に多くの人脈を持つ、彼の執拗な攻撃に遭う!

細かくは触れないが、いま思えば、誰しも自分を守るために必死になることは
仕方のないことだと想うが・・・

そんな中、なんとか穏やかに解決したいとニスモを訪ねたが、大きな海軍旗を
机の横に翻した社長室で、「貴方とは永遠のライバル!」と難波社長は聞く耳
を持たない・・・!

                                        つづく

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2008年11月19日 (水)

車お宝話(104)日本初の公認チューニングカー・Ⅱ

    

前の章で「それまでの外車屋から未知の世界へと深く入って行く事に」と
書いたが、全くその通りで、それまで僕が映画でしか見た事がなかった
ような未知の世界・・・!

その自動車メーカーの様々な光景に、トップダウンで特別待遇の若い僕が
遭遇できるのだから、こんな貴重な経験は滅多にできるものではない・・・

細かくは触れないが、日産自動車との取引コードにしろ、何にしろ、普通
は何年もかかる事が、僕の場合は特別で、何事も超特急で物事が進んだ・・・

そのうえ、まだ未発表だった「スカイライン・2ドア・スポ-ツクーペ」の
開発のために、外部の責任者としての立場まで与えてくれた・・・

その為に厚木にあるニッサン・テクニカルセンター(NTC)に、何度も足を
運んだ思い出がある・・・

見た事もないようなNTCの広大な敷地内には、移動用にナンバーのない
バスが走っているのだから、今迄の自分の世界とはスケールが違い過ぎる!

その当時から部屋に入るにはカードがいるし、特に次期モデルの開発室に
入る時なぞ2回、3回とチェックを潜るのだから、まるで007の映画だ!

スカイライン・2ドア・スポ-ツクーペの試作車を初めて見せられた時も、
同様の儀式で入室したが、初めてみるクーペは4ドアとは違った雰囲気で、
中々良くまとまっていると感じたが、個性的ではなかった・・・

だから僕たちが起用されたのだろう・・・!

とは言っても、もう最終段階での起用だから、大幅な変更は不可能だった。
大きく分けて僕がインテリア、解良君が外回りを担当したと記憶している!

クーペのスピードメーターの赤色も、シートの生地も僕が決めた事は覚え
ているが、幾つかあったその他の変更点は、忘れてしまっている・・・!

僕と解良君が、臆することなく与えられた仕事を敏速に熟していったもの
だから、多少驚かれてしまった事の方が、良く憶えている・・・

通常は1か月掛かる決済を、その場で決めてしまうのだから当たり前だが!

このとき思った事は、決済を早くすればもっと効率が上がる、上れば開発
期間が短縮できる、短縮できればコストが下がると!

この決済スピードのことは、親しかった本社の開発担当重役の副社長にも
話したし、後にNTCの親分になった友人にも話して、実行もされた・・!

今では当たり前のことだが、やはり外部の空気(意見や感想)は重要だと!

外部の責任者としての立場を与えられた水面下には、不評だったハイソ的
な軟弱イメージを一新すべく「ハルトゲ・スカイライン」の構想があった!

とは言っても、お堅い運輸省(当時)相手の自動車メーカーが大幅に馬力
を変えたり、排気量を変更することなど、当時は不可能に近かった・・・

精々エクステリアとインテリアで、ハードなイメージを出すしか手はない!

そこで「ハルトゲ・スカイライン・HS30」を独自に開発して、メーカー
製「ハルトゲ・スカイライン」のイメージをバックアップする事を考えた・・・

一応このときに発表したスペックと内容を、そのまま紹介しておこう・・!

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「輸出仕様のRB30S(3.0OHC)のブロックに、RB20DEの
 ツインカムヘッドを装着した直6ツインカム、2.960ccを搭載した。
 メカニカルチューニングと、CPの燃料系変更等によりノーマルアスピ
 レーション(NA)のまま230馬力を達成しました。」
 
「外観はサイドストライプ・ホイール・リアスポイラー・エンブレムなど、
 足周りもハルトゲパーツにより上品でヨーロピアンな味付けが施されて
 います。」

「トミタ夢工場は強烈な個性を持つコンプリートカーを製作し、近い将来
 小さな自動車メーカーとして公認される事を目標とし、既に日産自動車
 との共同プロジェクトとして、スカイラインとサニーの2車をハルトゲ
 及びトミーカイラバージョンとして、ディラーからデビューさせた実績
 を持っています。」

「その集大成として完成させたのが、ハルトゲスカイラインHS30です」

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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ざっとこんな内容の発表をしたのだが、公認されることを目標としている
レベルだから、当時の状況から公認される"ハズ"のない「HS30」には、
誰も余り興味を示さなかったのだろう・・・・・

まぁここまでは、そんなに大きな問題には、ブチ当たらなかったのだが、
この辺りから大きな問題が次々と、まるで冬の日本海の荒波の様に押し
寄せて来た・・・!

話は前後してしまうが、「ヨーロピアン・コレクションをよく見てもらえば
お分かりだろうが、ベースはハルトゲなのだから」と前回に書いた・・・

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そう・・本来はハルトゲスカイラインだったのだが、執拗な反対の裏工作
に遭ってしまった結果、ヨーロピアン・コレクションとなってしまう・・・

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(ヨーロピアン・コレクションにはプリンス系のラングレイもあった。)

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理由は、まずトップダウンでの特別待遇がイケなかった、知らなかった
とは言え、大企業の組織を無視した僕の入り方が、関係部署の人達に悪い
印象を与えてしまっていたのだ・・・

とは言え、既に100人以上の人と会って、名刺交換もしているのだから、
何事もなく順調に進んでいると、当然、僕はそのときまで思い込んでいた。

ところが日が経つにつれ、どんどんと話が先細りになって行く・・・
どしてそうなるのか、何が何やら分からないまま、悩んでいた・・・・!

                                つづく

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2008年11月15日 (土)

車お宝話(103)日本初の公認チューニングカー ・Ⅰ

    

さ~いよいよ「トミーカイラM30」の誕生秘話を書いて行く事にしよう!

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本当に秘話と言えるもので、こんな話は20年以上の時を経ているからこそ、
出来る話だと思うのだが・・!

この「M30」を開発するに当たっては、日産自動車との関係を抜きにしては
語れない・・・・・

1985年8月、R31型・スカイラインの4ドアが発表されたが、先代のR30の
硬派なイメージと比べて、ハイソ的な雰囲気を打ち出したR31は
「牙を抜かれた狼」と最悪の評価を受けることに・・・・・

そんな事情から、1986年5月に2ドア・スポ-ツクーペGTSを追加したのだが
・・・・・・・実はそこに裏話がある!

この時より2年少々前に遡るのだが、ある日突然、日産自動車から数人の人
がアポなしで、京都の「tomitaauto」に訪ねて来た・・・・・

ちょうど東京に出張中だった僕に、京都の会社から電話が入った・・・・・

「東京から日産自動車の方がお会いしたいと、数人でお越しですが・・・!」

「あいにく出張中で帰りは明日だと話すと、お帰りになるまで待ちますと!」

ところが、そのときの僕には何の事かさっぱり解らない・・・・・

いくら頭を回してみても、どうして日産自動車から本社の人が、僕に会いに
来るのか理解不能なのだから、仕方がない・・・・・

その頃の僕はまだ輸入車販売が本業で、「FAIA」と云う外車屋が集まる組合
で企画委員長をしていたから、東京での会合に出席するために出張中だった。

この企画委員長の話は、お宝話(75)にも詳しく書いているからぜひ参照
して欲しい・・・・・

そんな事だから胸中に心当たりのないまま、急遽京都に帰る事にしたのだが!

まだ陽のあるうちに京都に着いたが、会社に戻って、またまたびっくりする
伝言が入っていた・・・・・

京都は祇園、蟹専門の高級料亭「和久伝」で、総勢10人ほどが僕を待って
いるらしい・・・・・

何がなにやら分からないまま、急いで円山公園にほど近い、高級料亭「和久伝」
に急いだ・・・・・

案内されて、部屋に足を踏み入れた途端、一瞬にして全てが理解できた・・・!

僕にとって親友であり、兄貴分であり、親代わりの師匠の顔がそこにあった!

メンバーの顔ぶれは、師匠を筆頭に、その頃、日産自動車の天皇と云われた
宣伝部長、博報堂の部長など、総勢10人ほどが僕を待ち構えていた。

話はこうだ!・・・師匠が僕に内緒で、友人である日産自動車の石原社長(当時)
に、「tomitaauto」の富田と、松本恵二(トップ・レーサー)と、童無の
林君を日産圏内に勧誘しなければ、大変なことになると、話したらしい・・・・・

そんな事で急遽、日産自動車のトップシークレット部隊が京都に馳せ参じたと
云う訳だ・・・!

結果は僕と松本恵二君だけが日産と契約、だから恵二君は日産車でルマンを
走ったし、僕はご存知の如くである・・・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大事な所だから、お宝話(27)「1988年のイギリスGP」から抜粋する。
   
 「僕が独立前に働いていた日産系デーラーのオーナー社長が、
  京都の名士で、京都経済同友会の常任幹事をしていた。

  そのオーナー社長と数年前に再会、急速に親しくなり兄貴分として、
  また父親を知らない僕の親代わりとして、随分世話をしてくれた。

  学歴コンプレックスが強かった僕に、なんとか自信を持たそうと、
  一流企業のトップや識者が居並ぶ京都経済同友会に推薦してくれ、
  若造の僕が40歳に成るのを待って京都経済同友会に入れてくれた。

  その時の代表幹事が京セラの稲盛氏とオムロンの立石会長だった。
  随分このお二人には親しくして頂いた。・・F1の後日談がある!

  その兄貴分のS氏が、その後のクルマ人生の片棒を担いでくれた。
  だからトミーカイラのスタートは日産車なのだ!」

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まぁそんな訳で、昔し平社員だった僕が、多少有名になった事が嬉しかったの
だろう、雲の上だった社長と元従業員の僕が、一生のお付き合をする事に・・!

そんな強力なコネや、推薦がなければ、僕たちの様な零細企業など、当時は
どこの自動車メーカーも、相手にしてくれる筈がない・・・・・

水面下でそんな提携話があって、急速に自動車メーカーとのやり取りが増え、
それまでの外車屋から未知の世界へと、深く入って行くことに・・・・・

この事によって表面的には、サニー20周年記念の特別仕様車として発表し
た「トミーカイラ・サニー」と、スカイライン「ヨーロピアン・コレクション」

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があったのだが、この奥にはもっと深い問題が横たわっていた・・・・・

特にスカイライン「ヨーロピアン・コレクション」をよく見てもらえばお分
かりだろうが、ベースは「ハルトゲ」なのだから・・・・・

ここに一枚の面白い写真を紹介しよう・・・

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これはプラモデルの化粧ケースなのだが「ハルトゲ・スカイライン・HS30]
となっている事に注目して欲しい・・・・・

そう・・・「トミーカイラM30」に行き着く迄には、まだまだ長い道のりが!

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                   つづく・・・次回はもっと面白いですよ~!

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2008年11月12日 (水)

車お宝話(102)「マハラジャ・六本木」にショールームが!

   

さっそく横道に反れて申し訳ないが、この話は面白いので、是非紹介したい!

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ひょんなことから、当時、社会現象に迄なっていた、「ディスコ・マハラジャ」と
「車のハルトゲ」をドッキングさせて、面白いことをしようと、突然話が決まって
しまった!

その頃話題の人物、マハラジャのオーナー宅へ連れて行かれたことに、端を
発するのだが、今では誰に連れて行かれたのか、忘れてしまっている・・・・・

その頃に、プールまで付いている田園調布の豪邸でパーティーがあるからと
その記憶にない人物に連れて行かれた、という訳なのだが・・・・・

なるほど豪邸の中には少し派手めの人たちが、幾つかの溜まりを作っていた。
居宅と考えれば、随分と大勢の人が来ていたことになる・・・

意外と思われるかも知れないが、結構その頃の僕はパーティー好きで、慣れ
てもいたから、早々にオーナーのいる溜まりが、僕の居場所になってしまう!

そのオーナーのK氏が自慢話を始めた・・・・・「マハラジャも有名になったから、
本店を六本木の麻布十番に造ろうと思っているのだが・・・!」と。

そして「今話題の有名ファッション・ブランドと組んで、今までにないショー
ルーム併設の超高級ディスコにして話題作りをするんだ」と、意気込んで云う。

僕が納得いかない様子で聞いていたら、その直後に僕の目を見て「いい考え
でしょう・・・富田さん!」と念押しのセリフを・・・・・

僕はすかさず、「違うでしょう、超高級ディスコなら、毛皮を着た美しい女性が、
今話題のカッコいいクルマから、降りてくるイメージでなきゃ~・・・!」

それなら僕と組むべきですよ・・・!と、笑顔で切り返す。

一週間ほど経ったある日の事、京都に帰っていた僕にK氏から電話が掛かる!
「富田さん・・この前の話・・本気なの・・・!」と。

そんなことで、話題の「マハラジャ・六本木本店」にショールームが出現・・・!

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横道に反れついでに僕の前身に触れておくと、24、5歳の時、京都に僕と
同姓で兄貴分のような人が毎週土曜日に「Saturday」なるパーティーを居宅
で開いていた・・・!

この家も先程の田園調布の豪邸に、一歩も引けを取らない素晴らしいもので、
大きな居宅には「UFO」のような巨大な目印が屋根の上にある・・・

その豪邸の地下が完全な高級ライブハウスになっていて、そこで毎週土曜日、
「Saturday」なるプライベート・パーティーが開催されると云う訳だ・・・

・・・・・・・無論、商売ではない。

この同姓の兄貴分も、ファッション界の大御所で、この「Saturday」のことは、
その頃の週刊誌をいつも賑わせていた・・・

なにしろ東京、横浜、神戸などから、各界の有名人が京都にゾクゾク集まる
のだから、話題に事欠く筈はない・・・

ミュージシャンも、俳優さんも、歌舞伎役者も、それにファッションモデルまで
もが毎週の様に来るのだから、若い僕には信じられない光景の連続だった!

やがてこのスペースを、若い僕に任せるというチャンスを、同姓の兄貴分が
くれたことで、大きな自信にもなったし、多くの著名人とも友人に・・・!

そんな経験をしたからなのだろう、29歳の時に初めて建てた自宅の3階に
遊びのスペースを作り、毎週土曜日に盛り上がっていたな~・・・・・

余計な話は何ひとつ覚えていないが、後に多少は有名になった僕を「MR・
ハイファッション」に引っ張り出してくれたのも、この同姓の兄貴分だった。

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そのお陰で36年も生き別れていた母に巡り逢えたのだから、偶然とは言え、
この同姓の兄貴分は、本当の兄貴の様な存在だったのかも知れない・・・!
             (車お宝話(62)世にも不思議な物語・参照)

     ・・・六本木「マハラジャ」に話を戻そう・・・!

以前にも触れているが、「ハルトゲの日」と称して、この六本木・マハラジャで
1985年の「全日本ツーリングカーレース」参戦発表パーティを開催・・・

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この時は、話題性のあるイベントを、マハラジャ本店で開催したものだから、

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テレビ局も駆けつけて、それこそ、話題の「時の人」まで飛び入り参加して
大盛況だったが、今だにどうして「時の人」が参加したのか理解できない??

その頃マハラジャには必ずVIPルームが付いていて、このVIPルームに
入るのがステータスで、黒服と称するホストがひざまずいて、お相手するの
だから、狙い通り超高級ディスコとしての話題性には事欠かなかった・・・・

この黒服の他に、一般フロアー用の赤服があり、イベントのときなど大いに
活躍したが、それにしても”派手”なコスチュームだよね~!

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京都にマハラジャが出来た時なぞ、オーナーと僕が入口でタキシードを着て、
招待客を接待するのだから、僕自身がナニ屋さんだか、分からなくなりそう
だった・・・・・

そんな調子で全国の「マハラジャ」のイベントに、ハルトゲを駆って参加した

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ものだから、「ハルトゲ」と「マハラジャ」がコラボした楕円形のステッカーに、
とんでもなくプレミヤが付き、一躍有名に・・・・・

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そのお陰で、硬派だった単なるチューニングカー・ブランドから、お洒落で
流行りのブランドに変身できたのだから、宣伝効果は抜群だったのだろう・・!

その上、参戦した「全日本ツーリングカーレース」は年間総合優勝を果たした!

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この優勝でクルマ好きの間にも、「ハルトゲ」の名前が浸透したと思う。

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「トミーカイラ・ブランド」に行き着く迄に、そんな「ハルトゲ」のブランド展開が
あったことを、是非とも知って欲しかったから、敢えて横道に反れてでも紹介
したかったのだ・・・!

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2008年11月 8日 (土)

車お宝話(101)STORY OF TOMMYKAIRA・1987年~!

  

気持ちを新たに、「STORY OF TOMMYKAIRA」のタイトルで、開発車の
動機やエピソードを、1987年から順に、僕が憶えている範囲で書いて

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行く事にする・・・!

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この1年間、結構なスピードで走ってきたように思う、言い足りないこと、
書き足りないことが多かった、それにもう少し横道に反れた方が楽しい
話ができるのにと・・・

だから新しい1回目からは、全体的にもう少し掘り下げて書いていこうと、
思っているのだが・・・・・

1987年最初に手掛けたのは他でもない、輸入車べースの「M19」で、
メルセデスベンツ190Eをチューニングカーに仕立て上げたものだった。

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実はこの「M19」を造る何年も前から、チューニングカーを造っていた
事をご存じだろうか・・・?

それには「TOMMYKAIRA」以外に「HARTGE」に触れない訳にはいかない。

それは当時、別会社としてハルトゲジャパンを運営していた事によるもの
で、大ヒットした、「HARTGE・H18」などは、現地でしか手に入らない、
BMW318のキャブレター仕様をベースに使ったジャパン・オリジナル!

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ハルトゲ・ブランドが全盛の頃で「ディスコ・マハラジャ」の六本木・本店に、
ショールームを併設したのも、この時期だった。
(この話は横道にそれたいので、この次にでも・・・)

その頃、同時に国産車を使ったドレスアップカーも、数々手がけていた・・

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それは僕の戦略で、最初から自前の国産ブランドでは到底理解されない

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時代だと思っていたから、国産車と海外ブランドの融合をと、考えたのだ。

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正直この時期、既に僕の頭の中で、「TOMMYKAIRA」の名称は決定して
いたが、気恥ずかしくて、暫く誰にも話さなかった・・・!

当時、特に自動車を取り巻く環境は欧米が主流で、日本車の中で世界に
通用する高品質な、高性能車など、皆無に等しかった・・・・・

この事は、チューニングカーにとって最も大事な要素だから、ベースとなる
車の性能や品質が育つまで、まだまだベース車に相応しいクルマを、待た
なければならない時期だった!

その頃のシンボルカーは、メルセデス・ベンツやBMWが主流だったから、
それらの高性能な車をベースに使った、「AMG」や「HARTGE」といった
ブランドで先鞭をつけ、徐々に日本国内にチューニングカーを浸透させる
作戦だった・・・!

だってその頃に第一線で活躍していた輸入業者でさえ、チューニングカー
のことを、暴走族のクルマぐらいにしか思っていなかったから、「AMG」や
「HARTGE」など、まったく誰も知らないブランドだった。

だから「AMG」でノウハウを身につけ、「HARTGE」を実際に造って販売し、
その反響と成果を将来に結び付けたかったのだ・・・・・

そんな戦略だったから、自然な形でハルトゲから、トミーカイラ・ブランドに
移行させるために、サイドストライプを共通にして、ホイールで違いを出し
たのだが、この戦略は結構成功したと思う。

一方で輸入車を販売しながら徐々にチューニングカーの色を濃くして行き、
時間を掛けて「HARTGE」ブランドから、「TOMMYKAIRA」のブランドに移行
して行ったのだった。

最初のモデルをBMWの「HARTGE」から、メルセデスの「TOMMYKAIRA」
にしたことは、自然の流れだったのかも知れない・・・!

・・・・・さて「TOMMYKAIRA・M19」に話を進めよう・・・・・

この「M19」の試作車は、2ℓモデルと、2.3ℓモデルの、2台を製作したが、

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結果は総合的に2ℓモデルの方が、バランスが良かった。

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2.3ℓにするためのエンジン組み付け時間と、コストを考えて2ℓモデルのみ、
発表することにした。

性能は、1996cc ・出カ153馬力・トルク19.2㎏と、十分なものだった・・!
(ノーマル190E ・出カ115馬力・トルク17.5㎏)

その当時、自動車雑誌・ベストカーの取材で、矢田部でのフルテストを敢行、
結果は、想像以上に満足のいくテスト・データーが取れて、驚いた・・・!

2ℓモデルには、シルバーのサイド・ストライプと、ホイール、2.3ℓモデルには、

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ガンメタのストライプと、ホイールで差別化を計る。

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この「M19」の試作車には深い思い入れがある、矢田部のフルテストや取材

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で使い倒したままで、何と都合10年間も我が家で働き続けてくれたのだから!

その上、ラスト3年は、このお気に入りの「M19」を東京の住まいにまで持って
行ったほどだった!・・・・・(車お宝話43参照)

もう一台、メルセデスをベースにした「M19」の兄貴分「M30E」を紹介しよう!

現在でも根強い人気の、メルセデスベンツ・W124・300Eを、ベースにした
「M30E」は、「M19」の開発から少し遅れてスタートした・・・!

僕も大好きで、基本的に上品で美しくまとまっている、「M19」のデザインを
踏襲し、チューニングカーのセオリー通り、ハイカムや面研等のメカチューン
と、タコ足・マフラーで武装した。

性能は、2960cc ・出カ225馬力・トルク28.5㎏で、ノーマルと比較すると、
大幅にパワーアップさせる事が出来たと思う・・・・・
(ノーマル300E ・出カ185馬力・トルク26.5㎏)

性能的にも素晴らしく、評判も上々でヒットを予感させたのだが、残念な事に、
発表後間なしに、ベース車のベンツ・300Eのエンジンが変更となり、その上
ポルシェが造った事で有名になった、メルセデスベンツ・500Eも発表された。

そんな事情で、生産台数が伸びた「M19」と比べ僅かな生産台数で幕を閉じ
た不世出に近い、素晴らしい性能の「M30E」が愛おしい・・・!

こんな経験は何度かあるが、そこがチューニングカー・ビジネスの難しさだと!

そんな貴重な「M30E」に、1オーナーで今でも大事に乗っている友人がいる。
京都のお食事処「きらきらひかる」のオーナーだが、ほんと嬉しくなってしまう・・・

 http://kirakirahikaru.com

M30e

先日も、後10年は乗るからとオールペイントしたらしいが、如何せんホイール
が汚いのだ・・・・・・誰かこのホイールを、お持ちの方は是非一報ください。

     なんとこの「M30E」・・・・・現在230,000kmを走行中・・・!

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2008年11月 5日 (水)

車お宝話(祝・100) 振り返って思うこと!

       

平成19年11月6日、「これからクルマお宝話をシリーズ化して書いて
行きたい」と第一回目をスタートした。

偶然にも100回目の掲載日となる今日11月5日は、お宝話をスタート
して、丁度、丸一年となる・・・!

第一回目に「僕のクルマ人生は、大きく分けて3つのウエーブがある」と
書いた・・・・・

ファーストウエーブは、23歳で独立後、すぐにスポーツカー専門店へと
移行する、後に分かったことだが、このスポーツカー専門店は、日本で
最初のことだったらしい・・・

その間、多くの素晴らしいクルマ達と出会うが特に「ZZ」を造る切っ掛け

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となった、大好きな「アルピーヌ・A110」とも、この頃に出会う・・・

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その後ヨーロッパからの直接仕入れで、輸入車販売事業を拡大していく。

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輸入車販売を発展させた形でスーパーカーを扱い、徐々にスーパーカー
にのめり込む、やがてそれが大きく育ち仕掛け人の一人として日本全土
を巻き込む、大きなブームへと発展させた。

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セカンドウエーブは、仕入れの為に渡欧したヨーロッパでチューニングカー
に出会い、スポーツカーとも遜色ない性能とセダンの利便性を兼ね備えた
チューニング・コンプリートカーに大きな衝撃を受ける・・・

その大きなショックが「AMG」と、「HARTGE」を輸入する切っ掛けとなる。

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そして「AMG」を皮切りに「HARTGE」とも総代理店契約を結び、一気に

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この誰も知らないブランドの、チューニング・コンプリートカーを、全国に
知らしめた・・・!

そして独自のブランドとなる、「トミーカイラM30」を発表、日本初の公認
チューニングカー・メーカーとして、オリジナルブランドを確立する。

サードウエーブは、ブランドを強固にするためにオリジナルスポーツカー、
「トミーカイラZZ」を製作し発表する。

結果、日本だけでなくスポーツカーの本場イギリスでも高い評価を受ける。
その評価が自信となり、ZZⅡへと発展していく。

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オリジナルスポーツカー、「ZZ」を英国で生産し、総生産台数220台の内、
206台を国産車として国内登録、現在も元気で走っている・・・!

僕のクルマ人生の根底にはこの3つの大きなウエーブが流れ、その幸せ
な時間は、35年の時を刻むに至った・・・・・

そして58歳で現役を引退、後、5年間のブランクを経て、昨年の11月より
「車お宝話」をシリーズ化、再びクルマの世界に舞い戻る事ができたのだ!

    ・・・・・この一年間の熱い想いが、胸を駆けめぐる・・・・・

    カテゴリー(4)クルマ 2007年10月12日 (金)の回想文から~

10月7日のことである、第10回を迎えた「トミーカイラ・オーナーズ
クラブ・全国ミーティング」に参加した。

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そこには、僕のすべてを注ぎ込んだ、チューニングカーや、オリジナル・
スポーツカーが丁寧に手入れされて、ずらりと並んでいた。

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モノ造りを生業にしてきた者にとって、そのクルマ達がオーナーに愛され、
大切に扱われている姿を見るのは、コンストラクターとしてまさに冥利に
尽きると云うものだ。

僕のモノ造りの姿勢が、オーナーの皆さんに支持されていると感じた時の
一体感に、芯から胸が熱くなった!

僕は鼓動の高鳴りをそのままに、とても充実した、幸せな時間を過ごした。
やはり「クルマ」は僕にとって”特別”な宝物なのだ ・・・!

       ・・・この5年、あえて沈黙を続けてきた・・・・・

それは自分自身を慰撫する為ではなく、さらなる挑戦に熱意をもって行動
する為の、準備期間と考えていた。

「Never Give Up」その実現のために、僕は自分の心と体に向き合ってきた。

再チャレンジの成功が困難なこの国で、想像力をフルに活用し、体の手入
れを怠らず、至難の道をもう一度突き進む条件を整えてきた…

     ・・・若くなった心と体で、もう一度この世界に戻ろう!

そんな動機で書き始めた「車お宝話」シリーズも100回を数えるに至った。

大した計画性もなく、ただ思いつくままに書き綴った結果だが、それでも
根底に流れるチャレンジ精神と、プラス思考を、少しは伝えることが出来
たのではと、自負しているのだが・・・!
    

次回は約束したように「STORY OF TOMMYKAIRA」のタイトルで・・・・・!

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2008年11月 1日 (土)

車お宝話(99)ポール・フレール氏と「ZZ」

      

ポール・フレール氏と「ZZ」の出会いは丁度10年前、98年のNAVI・5月号
「スポーツカー大特集」の取材でのことだった・・・

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この取材は、世界中からいま日本で買えるスポーツカー、GT等、34台を
一同に集め、ポール・フレール、小林章太郎の両巨頭も参加して行われた!

テストの場所は、大磯プリンスホテル第一駐車場でジムカーナ、テスト走行
は箱根ターンパイクで、大磯から箱根までの往復時間は40分ほどである。

その2日後の3月1日に、東京豊島園で、「CG・DAY」が開催された・・・・・

ここに平成10年2月27日付けの「NAVI・取材参加報告書」が手元にある。

この報告書は、この取材の為に、大磯プリンスホテルまで、「ZZ」を駆って
参加した、「トミタ夢工場・東京」のスタッフが書いたものである・・・・・

と云う訳で僕は参加していないから、この正確な「取材参加報告書」を基に
書き綴っていこうと思う・・・

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     
                 「取材参加報告書」  

     日時  平成10年2月26日(木)午前9時~午後5時まで

     場所  大磯町 大磯プリンスホテル第一駐車場
     (コース 駐車場内ジムカーナ~箱根ターンパイク)

     評価  『ポール・フレール氏』

    シャーシー剛性が非常に良く、高く評価したい。
    特にシャシーの溶接部、足廻りの造りなど入念にチェック、
    造りの良さに感心し、車両価格を聞いて驚く。
 
    コーナリング特性については「フォミュラー」ほどシャープ過ぎず、
    「スポーツカー」ほど鈍くない、絶妙のバランスを出している。
    この特性はストロークが短か過ぎると絶対出せない味付けである。

    更にセッティングを換えて乗って見たいほど、自由度が広そう。
    
    エンジン特性については、アクセルについてくるピックアップの良さ、
    パワーの出方、トランスミッションギアレシオの選択、京浜製キャブ
    レターとマフラーの音質等、全てこのクルマ用にセットアップされて
    いるのがよく分かる。

    取り外せるハードトップの設計は賢くて、エンジンカバーの上にスタ
    イリング上問題なく格納できると、絶賛している。

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    欠点は、しっかりした横窓がないこと。

    以上、小林章太郎氏が通訳をしてくれた、「ポール・フレール」氏の
    「ZZ」の評価です。

    総合評価として「Very Very Nice Car!」と言い、非常に気に入った
    様子が、ご自分のカメラで「写真を撮らせて欲しい」の一言で、感じ
    られました。  

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    写真はエンジン、サスペンション、シャーシ部を念入りに撮り、他の
    クルマでは見られないほど、熱心に見つめ、質問されることから、
    評価は高いと感じました。

以上がほとんど原文のままのレポート内容だが、掲載されたNAVI五月号
にも同様の事が書かれ、「結論としてロータス・エリーゼにとって、相応しい
ライバル。しかもエリーゼより性能は上」と書いてある。

この他にも、この取材参加報告書には「吉田匠氏」や、「両角岳彦氏」など、
高い評価をしてくれた様子がこのレポートに書かれている!

その中でもジャーナリストではなく、三菱自動車・乗用車開発部主席のY氏
のコメントが特に印象に残っているので、紹介しよう・・・・・

「以前より気になっていた1台です。シャシーからボディまで、こんなに造り
 がコンセプトと一致したクルマが造れて羨ましい。
 エンジン回転のピックアップの良さ、キャブレターとマフラーの音質、音量、
 シフトフィール、サスのストローク、ブレーキフィール等、いずれも、日本の
 メーカーはこのクルマを1台購入、研究して、見習ってもらいたぐらい完成
 されている」・・・・と!

ここまで褒められると、襟を正すしかないが、本当に自動車メーカーの中で
のクルマ造りは大変だと思う・・・・・

要求が有り過ぎるから、つい、妥協、妥協になってしまい易いからだ・・・・!
その点こちらは、好きな事だけやっていればいいのだから、有難いことだ!

・・・話を2日後の3月1日に戻す・・・!

その日、東京豊島園で年に一回の「CG・DAY」が開催され、そのイベント
の中でポール・フレール氏と小林章太郎氏などによる、トークショーが企画
されていた・・・・・

当時81歳のポール・フレール氏は、一昨日のテストデイでも、朝の9時から
午後の5時まで、箱根ターンパイクを全速で6往復、誰よりも精力的に試乗
されたらしい・・・

やはり世界的な人は何歳になっても、凄いエネルギーと、情熱を持っている
ものだと感心してしまう・・・

ちょうど今年は鬼籍に入られた年だから、思い出話を心して書こうと思う・・!

このトークショーの最中に、このイベントに参加していた富士重工業の役員

さんから、京都に居た僕に電話が掛かった!

「富田さん、どうしてこのイベントに参加しなかったんだよ~、ポール・フレール
 さんが一番気に入ったのが、トミーカイラ・ZZで、二番がインプレッサ・WRX、
 その次がランサー・エボVとトークショーで話したんだから~」・・・と!
 
最初は何の事だかピンとこなかったが、このイベントの事を思い出して急に嬉
しくなり、"ニンマリ"したのを思い出す・・・

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偶然この日は僕の誕生日! 最高のプレゼントを世界一のポール・フレールさん
からいただいた・・・!

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