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2008年9月

2008年9月27日 (土)

車お宝話(89)「ZZ」の試作車とテスト風景 Ⅲ

      

テスト風景のことを考えていたら、面白い体験を色々と思い出して来た。

この時のテストは今までと違って、「ZZ」と「M25」の異なるカテゴリーの
クルマをテストする事にしていたから、中々、感慨深いものがあった・・・

僕にすればクルマが大好きでクルマ屋になって、これまで色んなクルマ
に囲まれて来たが、飽き足らず、とうとう自動車を造ってしまったのだ
から・・・・・

その自分の子供のようなクルマが、生まれ育つ事に、この上ない喜びと、
奥深い感慨を、教えて貰ったような気がする・・・!

ちょうどスポーツ選手の親が、成長した子供を観客席で見守っている図
に近いと思うが・・・・・

特にこの時は境遇が違う、兄弟のような2台のクルマを、同時にテスト
するのだから、興味が湧かない"訳がない"・・・・・

そんな子供達の成長振りを試す聖地が、このダンロップのテストコース
なのだ!

こんな至福の時を経験出来たのも、「自動車を造ってしまった」お陰だ
から、これぞクルマ屋冥利に尽きると云うものだろう・・・!

・・・テストコースの風景に戻ろう・・・・・

ここはダンロップのテストコースだから、タイヤ・テストも重要な項目で、
「ZZ」用と「M25」用のタイヤが、何種類もふんだんに積み上げてある。

ちょっとレーシングカーのテスト日のような雰囲気でもある・・・・・

「M25」は解良君と中島君が、メインコースに続き、スラローム、旋回
テストと順にこなしていく・・・・・

中々順調な仕上がりで、コーナーリングのグリップも高そうだが、新品
のタイヤは容赦なく擦り減り、山積みのタイヤから新品と交換する・・!

テストコースの舗装は、一般道路とは異なりミュー(摩擦係数)が高い
から、驚く程のぺースで擦り減るのだ・・・・・

一方「ZZ」の方はと云うと、解良君と中島君の他に、例のカーグラ陣も
激しいテストを繰り返している・・・・・

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さすがにフォミュラーカーのような出で立ちの「ZZ」は、ロールも少なく、
安定感があり、見ていても操縦性の高さが手に取るように分かる・・・・・

ところが驚いた事に「ZZ」の方のタイヤは、一向に交換する気配がない!

ダンロップのタイヤ・テスト担当の人も「せっかく用意したのに」見たいな
拍子ぬけした表情で見守っている・・・・・

・・・・・それはそうだろう!

この2台を比較すれば、裸状態の「ZZ」の重量は「M25」の3分の1程
なのだから・・・・・

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軽いと云う事が、これ程までにタイヤに影響するものだとは、理論では
知っていたが、現実を目の辺りにして驚いてしまった・・・!

特に最近はモータースポーツだけでなく、大量生産車の軽量化に対する
取り組みが世界中で火花を散らしているが・・・・・

でも僕は15年前のその時に、クルマに取って軽い事が重要だという事
を目の辺りにして、深く脳裏に焼付けていた・・・!

ダンロップのテストコースで、走行テストと、タイヤテストを無事に済ませ、
期待以上のデータをお土産に帰路に付く。

・・・・・「知られていない真実」

試作車のことを書いていて、ヒヤリとする思い出が頭に浮かんで来た!

思えばこのテストにカーグラフィックの参加がなければ、大変なことに
なっていたかも知れないのだ・・・・・

それは、もっと後の話になるが、「ZZ」の発表直後にさかのぼる・・・・・

イギリスの自動車雑誌が、「また日本人が真似をした!」と、ロータス・
エリーゼを模倣したと訴えて来たのだ・・・

その1年程前に日本のカスタムカー業者がケーターハム社から模倣を
訴えられていたから、同じように思ったのだろうが・・・

その頃偶然にも、ロータス・エリーゼと、ルノー・スピダーが、アルミ押し
出し材を使って、スポーツカーを発表した・・・・・

これは後に、偶然ではない事が判明したが、ここでは触れない・・・・・!

直ちに英国工場に手配を依頼して、95年1月号のカーグラフィックに、
世界に先駆けてアルミ押し出し材を使ったシャシーでの写真を掲載して
いると抗議した・・!

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我々としては、絶対的に自信もあったし、むしろ逆だろうと、腹立たしい
思いはしたが、証明する必要があった・・・!

二玄社に問い合わせると、英国でもカーグラフィックは手に入ると云う
返事が返ってきたから、時間の問題で解決するとは思っていたが・・・!

                            
                                    つづく

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2008年9月24日 (水)

   車お宝話(88)「ZZ」の試作車とテスト風景 Ⅱ

   

そんな嬉しい「ZZ」との初対面の後、僕も亀岡工場の敷地内を走り回った。

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全てに伝わるダイレクト感と、軽い事によるレスポンスの良さが第一印象!

それまでの僕はハイパワーと大排気量でしか、この加速感を味わった事が
なかったから、正直、驚きと同時に、嬉しさを、背中いっぱいに感じた・・・

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それから数日を経て、岡山県のダンロップのテストコースに、この「ZZ」を持ち
込むことに・・・・・

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このテストコースの使用に関しては、ダンロップの好意以外の何物でもなく、
本当に有難く、我々の様な小規模のメーカーからすれば夢のような話である。

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それは「ZZ」だけでなく、以前からトミーカイラのコンプリートカーには、テスト
結果に応じて選定されたタイヤを、トミーカイラ・オリジナルとして、採用して
いた事でも証明できる・・・・・

本格的なテストが望めるコースには、最高速や加速だけでなく、スラローム
や、人工的に雨の走行も再現できる、素晴らしい設備も備わっていた・・・

このような協力があってこそ、小規模メーカーだからと手を抜くこともなく、
「ZZ」を一人前のスポーツカーとして、完成させる事が出来たのだ・・・・

このテスト風景は、95年1月号(406)のカーグラフィックにも掲載されている。
「ZZ」としては、初めての本格的なテストだった・・・!

その「ZZ」を、普段はレーシングカーの移動に使っている積載車に積み込み、
我々は開発中のR33ベース「M25」に乗って、ダンロップのテストコースに向う。

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写真の「M25」はエアロパーツが製作中なので、リヤーウィングが取り外して
あるが、エンジンとサスペションのテストに持ち込んだと、甘い記憶に残っては
いるが・・・・・

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僕も何度かテストに参加しているが、このダンロップのコースに積載車で来た
のは初めてだった・・・・・

それまでは、チューニング・コンプリートカ-のテストだから自走できるのだ。
其れ故に、今回のテストはいつもと違って少し緊張した雰囲気が漂っている!

・・・・良いデータが取れればいいのだが・・・・・!

実はもう一台、東京からレンタカーで、このテストに参加して来た人達がいた。

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何を隠そう、当時のカーグラフィック編集長の熊倉氏と、現編集長で若かりし
頃の塚原氏が、「ZZ」のハンドルを握るために駆け付けたのだ・・・・

当時は多少オフレコ気味だったので、撮影の時はヘルメットを着けて貰ったが、
このときの写真は、ハッキリとカーグラフィックに掲載されている・・・・・

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当時はこの熊さんとも、塚ちゃんとも、非常にウマの合う間柄だったから、僕
にとって、その後のお二人の大活躍は嬉しい限りだ・・・・・!

熊さんとは永くお会いしてないが、塚ちゃんとはこの前の「NAVI」の取材の後で、
久々に会ってたっぷりと昔話を楽しんだ・・・・・

そう云えば「NAVI」の加藤編集長にも、そのときお会いしたが「やっぱりお互い
歳を経たな~」と云いつつも楽しい昔話に花が咲いた・・・・・

話をコースに戻そう・・・・・

ストレートを、中々いい雰囲気の音を残しながら疾走していく・・・・・
スラロームでも、旋回テストでも、キビキビとした動きが心地よい・・・
あの細いタイヤでよくグリップするものだと感心していたのを、今思い出した!

僕はそれを見ながら、カウルを着けた姿を想像して、少々興奮していたのかも
知れない・・・・・!

結果は解良君も、熊さんも、そしてテスト・ドライバーの中島君も、予想通りの
良い評価で、特に解良君はその結果に満足している様子だった・・・・・

ところが僕が乗った記憶が全くないのだが、やっぱり乗っていないのだろうか?
それとも興奮気味で、忘れてしまったのだろうか・・・!

                             つづく

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2008年9月20日 (土)

車お宝話(87)「ZZ]の試作車とテスト風景

      

ここ暫くは、自動車メーカーとの成り行きや、いきさつを書いてきたが、
それは、これから書こうと思っている、「ZZ」の開発にも大きく影響を
与えたことを、知ってもらう為でもあった・・・!

例えば最新の「GTR」を、まだ「夢工場」が存続していたらどうするのか、
と、先日も似たような質問がコメントに入っていたのだが・・!

答えは至極簡単で、夢工場単独でなら、何も手をつけられないだろう・・
と云うより、「GTR」のチューニング・コンプリートカーそのものを、最早
扱っていないと思う。

それは、当初から自動車メーカーと組めなければ、このビジネスは成立
しないと踏んでいたからだ・・・

10年以上の年月を掛けて、旧日産自動車と強い繋がりを作って来たが、
経営が大きく変われば方針も変わる。

だから仕方がないことだが、従来の様なベース車の供給は不可能だろう!

現在もブランドは「日産」だが中身はルノーなのだから、以前の「日産」とは
全く違う会社ということになる・・・

ビジネスとして考えれば当たり前のことだが、新しい会社と取引上で、親密
になるには、かなりの時間が掛かるし、旨く行くとは限らない・・・!

新しい「GTR」も、長年、スカイラインGTRだったのに、今は新しい「日産」の

シンボルカーとしての扱いだから、そう簡単には手は出せないだろう・・・

古い話だが、スカイラインも当初はプリンス・スカイラインだったが、買収した
日産が、プリンスの文字を外してしまったのだから、それと同じ様なもので、
歴史は繰り返されるという事か・・・!

余計な話が長くなったが・・・・・要するに20年以上も前から、チューニング・
コンプリートカーの行く先は、自動車メーカーと親密にならなければ厳しいと
踏んでいた・・・

その頃、僕が見本にしたのは、「シェルビー」と「フォード」の関係だった・・・

「シェルビー」とは、あのキャロル・シェルビーが率いる、アメリカきっての
チューナーで、僕が大好きなマスタングベースの「シェルビーGT500」や、
「シェルビーコブラ」が特に有名だ・・・!

若い頃に、この「シェルビーGT500」のブルーメタリックに乗って痺れていた
から、シェルビー社のことは結構詳しく知っていた・・・

余談だが、20年ほど後に、この憧れのキャロル・シェルビーさんから直に
手紙をもらったことがある・・・・・・・この話は別の機会に譲るとするが!

規模はそんなにも大きくないシェルビー社が、あの巨大企業のフォードと提携、
対等にお互いを尊重しながら、車を造っていたと調べた資料にもあった。

この事が頭にあったから、最初に「AMG」社を訪れた時に、AMGの社長
アウヒレヒトに、同様の質問をしてみたが、「メルセデスとはホントに良い関係
にある」と、そのとき自信満々答えてくれたが・・・・・

シェルビーがフォード・マスタングをベースに、「GT500」を造り・・・・・
オリジナル・スポーツカーの、「シェルビーコブラ」を造った様に・・・・・・
僕もオリジナル・スポーツカーを造っておかなければ、将来的に不安だった。

オリジナル・スポーツカー、「ZZ」を造る理由は、大きく二つあった!

一つはスポーツカーを量産するという、総合的な技術力を示すことを目的に!

もう一つは、年々複雑になる大量生産車に、将来的には振り回されずに済む、
別の柱をつくることを、目的として・・・・・!

この事はチューニングカー・ビジネスにとっても重要なことで、世界にアピール
できれば、将来的にも明るい展開が可能となる筈だ。

狙いどうりに、「ZZ」の発表時は、日本同様、ヨーロッパでの評価も高く、大きく
報道もされたが・・・・・・この話はもっと後に、詳しく書くことにする!

さて、話をタイトルの「ZZの試作車」に戻すことにしよう・・・!

遡ること「ZZ」の発表から数年前、「ZZ」の原型となる「試作車」が出来上がった
から、亀岡工場に乗りに行こうと、本社で顔を合わせた解良君が云う・・・・・

「試作車」の進行状況は、毎週月曜日の午前中に行う役員会で知ってはいたが、
いざ本当に出来上がったとなると、心中嬉しくて、穏やかには居られない・・・・・

ベニアで造った初期の寸法取り用のモノには座った事はあるが、実際に走る
ことが出来る「試作車」は、見るのも、乗るのも初めてだった・・・・・・・

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今でも良く憶えているが、始めてみた「ZZ」の印象は、「低くて幅の広い、中々
頼もしい奴」って感じで、美しいアルミの押し出し材が、なんとも力強い印象を
醸し出していた・・・!

嬉しそうな顔で解良君が「ちょっと乗って見せますからね~!」と、広くはない
敷地内を、思い切りよく加速する・・・・・

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ボディーとなるカウルが付いていないから、スポーツカーと云うよりは
フォミュラーカーと云った方が、表現としては適切な感じだったが・・・

ずっと後の話だが、「ZZ」のスタジオ撮影の時、シャシーの撮影のために
完成車からカウルを取り外した事があるが、走ることに関してだけなら、
このフォミュラーカーの状態で完結しているのだ・・・!

逆に考えると、この状態にカウルを着せれば、電装関係とメーター等が
装備されるから、完成と云う事になるのだが・・

                            つづく

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2008年9月17日 (水)

車お宝話(86)走り出したボクサー・サウンド!

       

積年の想いだった、スバル車ベースのコンプリートカーが、いよいよ完成!

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ネーミングは「M20b」、2りッターのボクサーエンジンという意味だが、
僕にとってスバル1000スポーツから、初代インプレッサまで、想い続け
て22年もの月日が経っていた事になる。

それにしても、とうとうボクサーエンジンをチューニングする事になった
のだから、想いは持ち続けるものだと、つくづくそのとき痛感した・・・!

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今でもハッキリと覚えているが、真っ赤な1号車の「M20b」を撮影する
為に、実は琵琶湖周辺を赤いポルシェ・スピードスターを駆って、随分と
走り回ったことがある・・・

それは「M20b」のロケハンの目的と、僕なりの考えがあって比較テスト
をして見たかったからだ。

丁度その頃、僕はこのポルシェを自分の物として5千キロほど走り込んで
いたから、「M20b」との比較がし易いと判断・・・・・このスピードスターを
敢えて引っ張り出して来たという訳だが・・・・・・

このポルシェは初代スピードスター以来、初めて造られたスピードスター
で、このターボルックのスピードスターが発表されたのを機に、初めての
新車を手に入れた・・・・・!

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RRと4WD、6気筒と4気筒の違いはあっても、同じボクサーエンジン、
どれぐらいフィーリングが違うのかを、是非とも試してみたかった・・・

結局、琵琶湖周辺をポルシェでロケハンした結果、空いていて、道の広い
奥比叡ドライブウェイを、撮影場所とすることに・・・・・

その奥比叡ドライブウェイをポルシェで何回も往復して、ハンドリングや
ブレーキ等を、「M20b」と比較する為に細かくチェックした。

カタログ撮影の当日・・今度は「M20b]のステアリングを僕が握って、
撮影現場までの道のりを、存分に楽しみながら走った・・・!

前々日に、全く同じ道をポルシェで走っているだから、この比較は面白い!

「M20b」の助手席にはカメラマンの中本君が乗っている、その中本君
が「これは凄い・・・!」としきりに感心している・・・・・

それもその筈、その頃としては非常に珍しい四駆のスポーツセダンだから、
コーナーの立ち上がりなど、助手席に乗っていても分かるのだろう・・・

その頃の主だったフルタイム四駆は、スバル以外では、GTRとAUDI
ぐらいで、ポルシェはまだまだRRが主流の時代だった・・・!

そのポルシェも時代の流れか、現在は注文の半分以上が四駆なのだと云う。

この日は最初から僕が走行写真のドライバーもやる積りだったから、結構
気合を入れて走っていたと思う・・・

・・・だから余計にカメラマンの中本君も凄いと感じたのだろう・・・!

さてさてポルシェとの比較だが、これは期待通り「トミーカイラM20b」
に大きく軍配を上げることになってしまった・・・・・

まず、サイズが小さいから乗り易く振り回し易い、その上、四駆のメリット
でグリップが良いから、ポルシェが得意とするトラクションも、ほぼ互角!

日本で乗るならサイズも小さく、価格も3分の1ほどの「M20b」に軍配
が上がってしまうのは、仕方のないことかも・・・・・

それに市販車として大事な乗員数は、「M20b」に大きなメリットがある。

ポルシェと比較して大きなハンディがあるとすれば、シートとブレーキ位だ
と、僕はその時感じてしまった!

このスピードスターのシートは格別で、レカロがこのポルシェ専用に造った
スポーツバケット・シートは、僕がそれまで座った中でも一番だと思うほど
に素晴らしいものだった。

ポルシェファンの為に少し言い訳をすると、あくまで今回はスピードスター
との比較であり、普通のポルシェではない・・・・・

このスピードスターは、パワーステアリングも、パワーウィンドウもない、
5速MTで、クラッチもかなり重い硬派な仕様だから、極太タイアでノン・
パワーステアリングの操縦性はかなりキツイのも事実だった・・・・・!

ここまでは撮影時の楽しい思い出、ここからはパーツの苦労話を少々・・!

そんなことで無事に撮影をこなし、出来上がったカタログと、ポスターを
スバルの富士重工本社に持ち込んだ・・・・・

カタログもポスターも評判は良いのだが、スバル用品の会社扱いになる
「トミーカイラ」のエアロパーツに問題が発生したのだ・・・・・

フロントスポイラーに組み込んであるフォグランプが問題に・・・・・!

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要するに、ポスター写真の様にいくらカッコ良くても、フォグランプ一体型
だとコストが掛かり過ぎ、販売価格が高くなる・・・・・

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かと言って、フォグランプのないデザインにすれば、目のないのっぺらぼう
の「お化け」の様になってしまう・・・・・

・・そこで考えたのが、この「M20b」の写真の様に、コンプリートカー

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はフォグランプの上にフォグカバーを取り付け、そのカバーに[tommykaira]
のロゴをプリントして装着した・・

そしてスバル用品のエアロパーツには、フロントスポイラーに[tommykaira]
のロゴ入りフォグカバーのみ装着して、解決した・・・メデタシ、メデタシ!

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2008年9月13日 (土)

車お宝話(85)日産自動車が筆頭株主に!

      

それ位僕はボクサーエンジンが好きだったけど、考えてみれば、最初に
就職した「マツダ」の時も、当時革新的だったロータリーエンジンの魅力
に惹かれて、就職を決めた様なものだった・・・・・

ホンダS600だって、自分でエンジンをバラした時、その精巧さに魅了
されて益々好きになったのだから、本来はエンジンの方が好きなのかも、
知れない・・・!

その頃の僕はエンジンをバラバラにして、自分なりに工夫しながら綺麗に
組上げ、自分ひとりでジャッキと手と足を使って、車にエンジンを載せて
いたのだから・・・!

そんな、一端のエンジニア気取りの若僧だったから、メカニカルなものに
憧れたのだと思う・・・!

だから間違っても自動車販売会社など、経営するとは思ってもみなかった。

あくまで「工場」を立てるのが「夢」で、その「工場」で何かしら自分で
造り出そうと、漠然とした「夢」を持っていた・・・!

思い続けて来た結果なのだろうが、その「夢」から20年ほどの時が流れ、
気が付けば日産車をベースにチューニングカーを、そして不思議なことに
大好きだったスバル車までも手掛ける事になったのだ・・・!

そんな「夢」のきっかけを、輸入車販売の中で見つけたのが「AMG」で、
チューニングカー・ビジネスに目覚め、先鞭を付けることに・・・

人生なにが幸いするか分からない・・・このとき悟った事は、人生に回り
道などない、全て必要な道なのだと・・・!

それでは「スバル」車を手がけることになった、裏話をお話しよう・・・

最初に書いた様に、大好きなボクサーエンジン車を機会があったら手掛け
ようと以前から考えていた。

開発会議で、ポルシェも何度か候補に挙がったが、やはり国産の「スバル」
でなければ将来の発展性が見込めないと・・・

かと言って日産自動車に対する気遣いもあるし、ビジネスの立場で考えて
も、二股は良くない・・・

・・・でも魅力ある機種は代理店さんの為にも是非とも欲しい・・・!

その頃だったと記憶しているが、以前のスバル1000スポーツの様な本格的
な車ではないが、スバル・レガシーワゴンの人気が急上昇して来た・・・

そんな時、日産自動車が富士重工業の筆頭株主になった事が、発表された。

富士重工の社長には、日産ディーゼルで経営手腕を発揮、見事再建させた、
日産自動車の河合勇専務が就任されることに・・・!

この河合専務、とにかく記憶力の良い方で、一度本社ビルのエレベーター
で「今日は京都からですか」と声を掛けられた時は、一度お会いしただけ
なのにと、恐縮してしまったほどだ・・・

やはりトップになる人は違う、人の話を良く聞いて、理解し、記憶すると!
これで富士重工のスバルは、益々元気になり、復活すると僕なりに感じた。

予想通り、92年には初代インプレッサを発表、翌年には「WRC」参戦
を果たし、このインプレッサによって、久々にスポーツセダンが復活した!

初期のインプレッサは220馬力と控えめだったが、当時のインパクトは
かなり大きかったと思う・・・

・・・僕はこの時をチャンスと捉え、すぐに行動を開始した・・・

まずベースとなるインプレッサを仕入れる為には、日産自動車と富士重工
のお墨付きが必要となる・・・

まずは日産自動車に出向き、開発担当の副社長に了解を求め、快く承諾を
頂いた・・・・この時は下話がしてあったので、それ程驚かれなかったが・・・!

富士重工の方は、日産自動車で苦い経験があるので、先ほどの河合勇社長
には尋ねず、京都のディーラーを訪ねた・・・

何事もコネによるトップダウンは上手くはいかないし、長続きしもない・・
やはり仕事は現場の意見が大事だからと、地元京都のディラーに話をした!

その京都スバルの常務と話すうちに意気投合してしまい、なんと嬉しい事
に常務が大応援団に・・・「私も一緒に富士重の本社に行って説明すると」。

話は早い方がと富士重本社に同行して貰ったのだが、商品企画室で待って
いた方々の暖かい心遣いにビックリ、同じ自動車会社でもこんなに違うも
のかと驚いてしまった・・・・・

同行して貰った京都スバルの常務が、トミーカイラのパンフレット片手に
余りに熱心に説明するものだから、まるで「トミタ夢工場」の常務みたい
だと、冷やかされていたが・・・・・

そんな調子で、何の問題もなくトントン拍子に話は進み、「M20b」の

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生産が始まったのだが・・・・・

それもこれも、日産自動車の様な官僚的な会社と折衝してきた経験が
大いに役立ったし、そのお堅い日産自動車の推薦があったからだと・・・!

次回は開発エピソードや、カタログ撮影時の思い出話などを・・・

                              つづく

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2008年9月10日 (水)

車お宝話(84)憧れの「水平対向エンジン!」

   

少し走り過ぎだとは思うが、スバル車のチューニング・コンプリートカー
に辿り着くまでの、裏話にも触れて置こうと思う・・・

だからと言って、これで日産系車種もスポーツカーも通り過ぎたと云う事
ではなく、少し考えがあって急いでいるのだ・・・

それは、もうすぐお宝話が100回になろうとしているので、何か企画を、
と考えて、「STORY OF tommykaira」なるタイトルで、1987年から順に、
開発車の動機やエピソードを、僕が憶えている範囲で書こうと思っている!

ただ不安なのは、詳細な写真が余り手元に残っていない事だ・・・
その節は、オーナーズクラブの写真が大量に手元にあるから、車の写真を
拝借させて頂く”かも”知れないので、了解頂きたい・・・・・!

実は、「水平対向エンジン」が大好きで、僕ほどこのエンジンの車に乗った
人はいないのでは、と思うぐらい、数多く乗ったと思う・・・

それは、お宝話の最初の頃に書いた、ポルシェの影響だと思うが・・・!

ちょうど手元にある、トミーカイラB6のイラストが表紙のスバル専門誌、

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スバリズム・VOL・1に結構詳しく、僕のボクサーエンジン車歴を掲載し
てくれている。

少し横道にそれるが、以前にも食べ物のことで書いたと思うが、僕は好き
なモノが見つかると、そればかりを食す悪い癖がある・・・

其れみたいなもので「ポルシェ356」に恋をして、金の無さ故、クランク
シャフトの折れたポルシェを手に入れたのだが、この356を自分でバラ
してからというもの、すっかり水平対向の虜になってしまった・・・

・・・今思えば、メカニック魂だったのかも・・・!

それからは水平対向エンジン車を見つけては、手当たり次第に手に入れた!
多分、その数は半端な台数ではないと思うが、列記してみる事にしよう・・・

お宝話(2)で書いたが、まず「パブリカ・コンバーチブル」と「トヨタS800」、

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356は水平対向4気筒だが、トヨタ系の2車種は水平対向2気筒である。

このトヨタの2車は以前にも書いたように、45馬力程の非力なエンジン
だが、580キロと超軽量だから、その当時は大満足で乗っていた・・・!

偶然にも「トミーカイラZZ」の初期車両と車両重量が同じなのが嬉しい!
「トヨタS800」の様な車は、今の時代にこそ、必要だと思うのだが・・・

其後1967年にスバル1000スポーツが発表されたが、ポルシェ356同様
水平対向4気筒で、ソレックスタイプのツインキャブで67馬力と高性能!

ポルシェのRRに対してFFと対照的なレイアウトだったが、当時ラリーは
ダントツに強かった。

今見れば高々67馬力だが、車両重量が僅か700kgと軽量、ゼロヨンも
17秒台で最高速は150kmと、当時のスポーツセダンとしては群を抜く!

インテリアも素晴らしく、3連の筒状のメーターは中々凝ったものだった。

シッカリ感があり、現代のスバル車に通じるものが既にあったと思う・・・
当時としては抜群の走りで、何と云ってもボクサーサウンドに僕は痺れた!

スバリスト誌のサブタイトルに、「ボクサーはやっぱり、音と鼓動から入る
ものだよね!」と僕のコメントを掲載している。

余談だが、もともと僕はスバル360が最初の車で、マツダに勤めながらも、
スバル360で会社に通うほどの反逆児、会社ではスバル党で通っていた。

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これは18歳で免許を取ってすぐに買ったスバル360で、ライトブルーの
塗装をガンメタにオールペイントし、センター2本出しマフラーにしていた。

だからスバル1000スポーツを手に入れた時は、それはもう嬉しくて嬉しくて、
随分と山道や街中を乗り回ったものだ・・・!

ここまでは個人的に手に入れた車だが、独立してトミタオート商会設立後、
最初に手に入れた車は、「パナール24BT」で、水平対向2気筒の如何
にもフランス車といったデザインのスポーツカーだった・・・

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こんな車を知っている人も少ないが、乗った人は本当に稀だろう・・・・・・
だから、こんな特殊な車を、部品のない時代に買う奴は僕ぐらいだったが!

正直この車は、加速の良い車ではなかったが、確か800ccほどの排気量
の割には、重量感があり、長距離を得意としていたと記憶している・・・

特殊な奴をもう一台、「シボレー・コルベア・コンバーティブル」で、何と
水平対向6気筒にターボチャージャーが着いたモデルだった・・・

S48年当時はターボチャージャー付きの車など、知る人も余りいなかった
時代だから、余り話題にはならなかったが、素晴らしくお洒落な車だった。

この「コルベア」は大きい車なのに、水平対向6気筒でリアーエンジンと、
ポルシェと同じレイアウトを取っていたから、雨降りなどでスピンする車
が続出、後に世界一スピンする車として、有名になってしまったが・・・!

でも僕は、オープンカーで、最高にお洒落なこの車に、なんとも言えない
色気を感じていたが、ターボチャージャーの事はあまり知らなかった・・

そんな僕でも手放してから、その特殊性に気が付き、買い戻そうとしたが
後の祭りで、随分とガッカリしたのをよく憶えている・・・

後は、随分とお宝話にも書いた、ポルシェ・オンパレードが続く・・・・・09104
その中でも、自慢できるのは「ポルシェ・904」だろう・・・

ボクサーと言えば、やはりネーミングにもなった「フェラーリ512BB」がある。

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「フェラーリ512・ベルリネッタ・ボクサー」は随分といい名前だと思う!

このネーミングのお陰か・・・・・

いつの間にか水平対向のことを、ボクサーと云う人が増えたが・・・・・!

                             つづく

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2008年9月 6日 (土)

車お宝話(83)「トミーカイラ25R」誕生秘話

      

前々回に話を戻すが、日産本社に「トミーカイラ・R」を展示していた頃、
水面下では、スカイライン・ベースの企画を日産に提案していた。

日産にとってはスカイラインの活性化、トミタ夢工場にとっては全国販売
の思惑で一致していたが、日産にすればメリットより難問の方が多かった
と思うのだが・・・!

何しろ他社でチューニングしたコンプリートカーをメーカー系列の販売店
で扱うのだから、責任問題も含め多くの難問で難航していた・・・

でも同時に「R」を展示したこともあり、解決の方向へと進展していった。

・・・系列販売が実行されれば、日本で最初の出来事となる快挙なのだが!

もともと改造車からスタートしたチューニングカーが、コンプリートカー
として成長し、大きく認知されることになるのだから、気合も入る・・・!

最初に、チューニングカー・コンストラクターとして評価されたクルマが、
初代「トミーカイラ・M30」、この時はチューニングカーが市民権を得た
と報じられた・・・

この時以来コンプリートカー・メーカーとしての道を歩んで来たのだから、
云わば、今回の出来事は集大成とも云えるものだった・・・!

つまりチューニング・コンプリートカーが市民権を得る事になる・・・
だから僕は、この事の意義に異常に執着し、闘志を燃やしたのだ・・・!

大好きな自動車の世界に身を置いて居るのだから「何かしら人のやらない
事で、この世界に役立つ事を、どうしても実現したかった」と云うのが本音
なのだが・・・!

そのプロジェクトの中身が・・・「トミーカイラ・25R」として結実。

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イメージリーダーの「R」と出来るだけ雰囲気を近づけるために、苦労した。

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なにしろ、日産系の正規ディラーで扱うのだからと、細部にわたって神経

を尖らせていた。

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だから、それまでのコンプリートカーとは、少し生い立ちが違うのだ・・!

歩留りの精度、耐久性、商品性、生産性、そして最大の課題は価格だった。

小さな会社だからと云い訳は一切聞かない、当たり前の事だが、日産側に
立った判断をしなければならないのだ・・・

でもこれらの問題は、お宝話80に書いたトミーカイラ・マーチの展開や、
スバル系車種の富士重工との間で、既に充分に経験を積んでいた・・・!

この時はスバル用品・純正部品納入業者としての経験が大いに役に立った!

だが結果としては、この直後に日産自動車があのような形になり、外資による

体制の変化で、大きく日の目を見ることなく、時間が過ぎて行った・・・・・

でもチャレンジしたことは、永遠に僕の心からは消えないし、目標に到達した

ことは事実なのだから、悔いもないし、大満足と云える・・・!

惜しむらくは、もう少し時間があれば、ビジネスとしても成功したと思う事だ!

この後チャレンジする株式公開も、あと一か月という時に・・・・・

でも、これがベンチャー・ビジネスの真髄だから、挑戦したことに悔いはない!

ついでに触れて置くと、この頃の「トミタ夢工場」のビジネスは、大きく
分けて「三本の柱」で成り立っていた・・・

コンプリートカー事業、スポーツカー事業、そして純正部品納入業者と・・

そんな訳で当時の「トミタ夢工場」は、下請けさんの方が桁違いの大企業、
同じ工場でも「夢工場」の百倍も千倍もある、大きな、大きな工場だった!

だから、品質も、耐久性も、生産性も、自動車メーカーと同レベルの物を
供給することが出来たのだ・・・!

この事がコンプリートカーとスポーツカーを造る上で、最大のメリットと
なったことは間違いない・・・

その結果、コンプリートカー事業では「トミーカイラ・25R」を自動車
メーカー系列で販売出来ることで結実。

スポーツカー事業では、「トミーカイラ・ZZ」の完成度が高く評価された
ことでも証明出来ると思う。

特にイギリスのBBC放送は、日本のバックヤード・ビルダーは大メーカー
並みのレベルだと、「トミーカイラ・ZZ」の完成度を高く評価してくれた!

尊敬する(故)ポールフレール氏が同様の評価をしてくれた事が、今でも
僕の心の中での指標として生きている・・・

近い内に、ポールフレール氏が「トミーカイラ・ZZ」のステアリングを
握る横で、ナビゲーターとして小林彰太郎氏が通訳をされていた、取材の
裏話を紹介したいと思っている・・・!

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2008年9月 3日 (水)

車お宝話(82)サーキットの「R」と「ZZ]

         

前回より後の話だが、オートバックス感謝デーをツインリンク茂木で開催!

鈴木亜久里、土屋圭一、脇坂寿一、その他大勢のドライバーや関係者
がサーキットに集結し、参加したクルマに試乗して楽しんだ・・・・・

トミタ夢工場からは「ZZ]と、2台の「R」が参加したのだが、この時の
一番人気が「トミーカイラ・R]で、休む暇なくサーキットを走り回る!

プロドライバーと一部の人を省いては、プロの横に乗せてもらう形をとる
のだが、入れ替わり立ち替わりピットアウトしていく姿が何とも勇ましい。

この時ばかりは、我がことながら、この「トミーカイラ・R」の信頼性と

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耐久性を眼の辺りにして、益々自信を深めることに・・・!

壊れる様子など全くないのだが、ド派手なドライビングでサーキットを攻
めるから、何と途中で新品のタイヤが擦り減ってしまい、交換する羽目に!

一般道路とサーキットのミューの違いも大きが、レーシングドライバーは
注目の的、ついついパフォーマンスが派手になるから、仕方がないのかも!

高価なタイヤが、僅かな時間でダメになるのだから、勿体ない気はするが、
でも、それだけ乗って見たいクルマなのだから、喜ばなければいけないと!

亜久里も「こんなに乗りやすく、思い通りになるクルマも珍しい・・」と!

僕が亜久里の横に同乗した時、好きなようにドリフトしながら楽しんでいる
彼に質問した・・・

「N1耐久マシンと、どれ位の差があるのか」と聞いたところ「ブレーキ
 の差ぐらいでしょう・・・!」と答えが返ってきた・・・

500馬力を超すレーシングカーのブレーキは超強力で、フルブレーキング
した時、口から胃が飛び出すぐらい、強いGが掛かるのだと云う・・・・・

一番気に入って、長く乗っていたのは、土屋圭一選手だったが・・・

その土屋氏が「GTRのチューニングカーには山ほど乗ったが、この車の
       完成度は群を抜いていると・・・」絶賛してくれた・・!

2輪のGPライダーで世界的に有名な青木選手が、事故で車椅子に乗って
参加、特に「トミーカイラ・R」に興味があるという・・・

それならばと、土屋選手が運転して青木選手が助手席に乗り、何周も堪能
するまで楽しんで帰ってきたのだが・・・

青木選手が・・・「この「R」を車椅子の僕が乗れるように改造できない
         だろうか?」・・・と!

「以前から雑誌で興味を持ち、このRが欲しかったのだが、今日、圭ちゃん
 に乗せてもらって本気になった」と・・・

・・・この返事は後日、解良君がしたと思うが!

僕は何時間も休む暇なく活躍する「R」を見ながら、「ZZⅡにこのエンジン
を・・・!」と考えていた。

この日は無限の本田博俊氏も来ていて、「ZZ」に乗り込み楽しんでいたが、

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ピットインして年配の紳士にバトンタッチ・・・・・

その紳士、ピットに帰ってきては、もう一周いいか?、と人差し指を立てて
はまた出て行く、とうとう10周も走って帰って来られた・・・!

「ZZ」に乗り込んだその紳士は、ツインリンク茂木の社長だと、本田博俊、
通称、博ちゃんが紹介してくれた・・・・・

紳士の社長は「ZZ」から降りるなり「イヤァー、最高だねこれは・・」と!
普段はホンダのレース仕様車に乗っているが、比較にならないとまで褒めて
いただいた・・・・・

そんなこんなでイベントの最後には、博ちゃんと、僕は、社長に食事に誘って
もらって大盛り上がり、クルマ造りの話に花が咲いた・・・・・

その横では、オートバックスの住野社長が、「ARTA・チーム」の亜久里たち
と、これまた大盛り上がり、「ARTA・チーム」からシリーズ・チャンピオン
が出たら、この「トミーカイラ・R」を、そのドライバーに進呈することにして
しまった・・・!

そんな事で、そうそうたる車が参加しているのに、何故か「トミーカイラ・デイ」
のような雰囲気になってしまった。

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