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2008年8月

2008年8月30日 (土)

車お宝話(81)トミーカイラR・執念の展示会

         

前回、掲載した写真のように、独自のオーバー・フェンダーまで造った
自信作、「トミーカイラR」を、今度は東銀座の日産本社ショールーム
に展示して欲しい旨を依頼した・・・・・

・・・ほんとに僕って、厚かましいでしょう!

当時、親しかった二人の副社長からも、「ほんとに富さんは大変な事を
平気で云うからな~・・・」と呆れられていたのも事実だ!

もっと後の話になるが、スバル車ベースのトミーカイラを日産のディラー
で扱って欲しいと言ってびっくりさせたこともある・・・

いま思えば、これは若気の至りか、自信の表れかのどちらかだと・・・

実はこのR34ベースの「トミーカイラ・R」には大きな使命があった!

当時「トミーカイラZZ]を発表した事で、チューニングカーのイメージ
が薄くなり、チューニングカーを「止めてしまうのではないか」といった
質問を多く受けた。

僕の判断としては、スポーツカー・ビジネスとチューニング・ビジネスを
両立させることが最も重要と考えていたのだが・・・・・

もともと僕は「AMG」の契約時に見た工場が発端となって「夢工場」を
スタートさせたのだから、チューニング・ビジネスがモノ造りの原点だと、
今でも思ってる・・・!

それにスポーツカーを造る上で、日産の協力が欠かせないのも事実だった。

だから日産車をベースにチューニングカーを造り続けることが重要だった。
またそうすることで、技術力も向上するし、長続きもする・・・と!

そんな訳で、「ZZ]に負けないイメージと、高い性能を持ったクルマを
完成させて、アピールすることが何より大事なことだと考えていた・・・

だからオーバー・フェンダーにもこだわったし、リアのトリプルウィング
にも本気で効果を望んだ・・・・・

足廻りもこだわった証拠に、特にホイールはF1と同じ製法と素材を採用、
一本、一本、塊から削り出す「19インチ鍛造マグネシウム切削」とした。

エンジンの内容もかなり突っ込んで開発、530馬力にする為に排気量を
上げ、オリジナルのクランクシャフトも海外で制作した・・・・・

(余談だがPCでCGの新車インプレッションを見ていたら、ポルシェ・
 911GT2も530馬力とあるから、つい嬉しくなってしまった。)

このほかに、主なスペシャルパーツだけでも、コンロッド、鍛造ピストン、
チタンリング、ハイカム、強化バルブ&ガイド、ポート研磨、シリンダー
研摩、メタルガスケット、レーシング・プラグ等のパーツを組み込んだ。

その頃の僕はブレーキにもこだわっていて、開発していたZZⅡに先駆け
て6ポットを装着するつもりだったのだが、これは間に合わなかったが!

そして何より、トミーカイラなのだからと、耐久力と信頼性を最重視した。
その為に、一機、一機、一台、一台、時間と手間を惜しまず、完成させた!

そんなことでクルマの完成度には相当な自信があったから、何より日産の
社員の人達と、日産の関係者に見て欲しかった・・・

趣旨としては、「まだまだ日産圏内の人に認知が必要」と判断したからだ。
それには日産本社ショールームに展示してもらうのが、一番だろうと・・!

ところが、さすがに今回は本社ショールームに展示する訳にはいかないと、
返事が返ってきた・・・・・

理由は、自社製品しか展示出来ない決まりになっているとのこと・・・!

そんな事で諦めるような僕ではない・・・すぐに新幹線に飛び乗り東京へ。
ショールームの外でいいからと切り返し、粘って、粘って、粘り勝ちした。

現実的には、ショールームの中でも、外でも一向に構わないと思っていた!

返って外の方が非日常的で違和感があり、イベントとしては目立つだろう
などと、考えていたのだから・・・!

有難いことに「トミーカイラ・R」が展示されることを、社内に通達して

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くれたから、当日、東京の夢工場のスタッフが、資料を手渡し質問に答え

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ていた。

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この企画は大成功で、その後、日産の社内報でも紹介されたのだが・・・!

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これには裏話があって、丁度その頃、タイミング良く、トヨタの社内報に
トミーカイラの記事が8頁も掲載されたから、大きな刺激になったらしい!

こんな気の遠くなるような戦術だが、一歩、一歩、確実に、日産圏内での

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認知度は高まって行った・・・

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こんな作業を根気良く続けて来れたのは、当初からの大きな野望が、僕に
あったからだろう・・・

その野望とは、全国の日産系ディラー、約3000店でトミーカイラ車を
扱ってもらう事だった・・・!

最初のチャンスは以前にも触れた「サニー20周年記念車」の時に来たが、
これは大失敗で、多額の損出を出してしまった。

次のチャンスは、マーチの「トミーカイラ・m13」のときだが、これも
前回のお宝話に書いたように、もう少しのところで失敗・・・!

今回は、この「トミーカイラ・R」で、今度こそスカイラインに結び付け
ようと意気込んでいた時期なのだが・・・・・

三度目の正直か・・この作戦で、とうとう「トミーカイラ・M25R」が
誕生することに・・・そしてとうとう全国展開に・・・・!

余談だが、同時にスポーツカーの話も進めていたが、この話は又の機会に!

                                           つづく

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2008年8月27日 (水)

車お宝話(80)銀座・日産ギャラリーでのお披露目

        

「嵐亭」のブログを書いている時、思い出したことが2つあった・・・!

1つは「こだわりのオーバーフェンダー」もう一つは「GTRの開発許可」で         
この言葉を書いていて、ハタと思い出したことがある・・・

多少話は横道に反れるが、その”思い出した事”を書こうと思う・・・!

実は、オーバーフェンダーでもう1つこだわったモデルがあったのだが・・
・・・日産・34GTRベースの「トミーカイラ・R」である。

この時は、日産製・GTRのフロントのオーバー・フェンダーが、リアーの
オーバー・フェンダーとデザイン処理が違うことに、どうしても納得出来な
かった!

その事を得々と、日産の開発関係者に告げたのだが、聞く耳を持たない・・
「どうしてリアーはあんなに綺麗な張り出しなのに、フロントは・・・」と。

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そんな話をしている内に、僕の頭の中でドンドンと理想のデザインが出来上

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がってしまい、R32も、R33もフェンダーには手をつけていなかったが、

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R34だけは独自のオーバー・フェンダーを造ろうと決めてしまった・・!

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これより少し前に、ランチア・デルタHFの最終限定モデルを、数台仕入れ、
そのなんとも美しいオーバー・フェンダーを、目の前にしていたから余計だ!

GTR同様、同じ箱型車のオーバー・フェンダーなら、ランチア・デルタ・
HFが世界一美しいだろう・・・

国産なら、個人的には1998年発表の、スバル・インプレッサ・22Bの、
あのオーバーフェンダーが、群を抜いて迫力があると思うがどうだろう・・!

もう1つは、「GTRの開発許可」の話だが、前回の「M30」の発表後に、
遅ればせながらも、なんとかR32・GTRの開発許可を得たのだが・・・

ところがR32、R33とGTRの開発を続けてきたが、一部のプリンス系
ディーラーでしか「トミーカイラ・R]を取り扱ってくれない・・・!

その頃のプリンス自販の社長や専務などと親しく、大応援団だったのだが・・

ところがその頃の日産は、本当に官僚的で、過去に前例のない事は、まず許可
しない・・・もともと国が作った「日本産業」がベースの会社だからなのか・・・・・?

それどころか傷つくことを恐れて、自社以外の製品は排除しようとさえする!

そんな雰囲気の中でも僕が幸せだったのは、一部の役員や、担当者が心を開い
てくれたことだ・・・!

無論、日産は世界企業で、販売台数も桁違いの大企業、改造車ぐらいのことで、
イメージダウンさせる訳には行かない。

少しでも日産のブランドに傷がついたら、信用は落ち、業績は悪化するだろう。

僕はその事を重々頭に置いた上で、日産の圏内にトミーカイラの展示を求めた。
来る日も、来る日も、そのことに費やした戦略と努力は、今でも良い思い出だ!

東京、神奈川、京都と徐々にだが、全国の日産系の展示会にトミーカイラ車の
お呼びが掛かり出した。

それは初代「トミーカイラM30」の話題性が全国の日産系販売店にとっても、
大きなメリットになったからだと思う・・・・・

その結果、その頃の集大成として、銀座4丁目の角にある「日産ギャラリー」
に「トミーカイラ・m13」が展示された。

但し、「トミーカイラ」ではなく、「ニッサン・マーチ」としてだが・・・!

前後のバンパーに太いスチールパイプを採用し、大きく口を開けたフロント・
マスクのトミーカイラ・マーチ・・・!

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この時ばかりは、早くから向かいの喫茶店に陣取って、今か、今かと心待ちに
時を待った。

クルマの入れ替え時間は、確か午後4時だったような気がするが・・・・・

向かいの喫茶店から、赤い「m13」が展示される様子がはっきりと見える。
そのとき僕が取った写真が、たった2枚だけだが、残っていた・・・・・

この出来事は日産としては大珍事で、今までこの「日産ギャラリー」に日産製
以外の車が展示されたことは、かって一度もないのだから・・・

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但し、この出来事の裏には、とてつもなくデカイ話があったのだが・・・・!

そのドデカイ話の為に「日産ギャラリー」に展示する数日間で、このデザイン
が好きか嫌いかのアンケートを来場者から集めた・・・・・

結果は、嬉しい事に80%近い人が好感を持ってくれ、ビッグ・プロジェクト
がスタートするかと、期待したのだが・・・・・

この時の気持ちを魚釣りに例えれば、超大物が掛かっているのに自分だけ
では釣り上げられず・・・・・といった心境だったが!

結局、第3者の介入で、超大物は逃がしてしまい、まずまずの魚が釣れた・・
それが日産純正オプションとしての、トミーカイラ・マーチのエアロキットだ。

この先、「超大物釣り」専門の釣り師に変貌して行くのだが・・・・・

                               つづく

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2008年8月23日 (土)

車お宝話(79)嵐山・嵐亭「M30発表会」

         

大覚寺に続き、嵐山の嵐亭で2代目「M30」の発表会を開催した。

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この企画、正直なところ最初は大覚寺の成功に味をしめ、2匹目の
ドジョウを狙ったイベントだったのだが・・・

さすがに似たような感覚のイベントは難しいと実感し、方向転換した。

当日は生憎の曇り空で、桜花も御殿の華やかさもないと、心配したが、
さすがは京都を代表する景勝の地、「嵐山」が補ってくれた。

有難い事に、2台展示した主役の「M30]も、このしっとりとした
天気に、白と黒のカラーが映え、緑の和風庭園に馴染んでいた。

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前回の主役は「旧嵯峨御所・大覚寺」そのものだったが、今回の主役は
間違いなく、白と黒、2台の「M30」だ・・・!

これがイベントの難しさでもあり、面白さでもあるのだが、何を主役に
するのかを見極めないと、本末転倒になってしまう怖さがある。

2代目「M30]は、中々凝ったデザインで、フロント・スポイラーは
アルミのステーをわざと見せ、リアとの共通性を強調したデザインとした。

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リア・スポイラーは今でも僕のお気に入りで、凝ったアルミのステーに
飛行機の翼をイメージさせるウィングで、さすがは童夢のデザインだと!

新骨董は、凝りに凝った、フロントと、リアのオーバーフェンダーで、
当時の自動車雑誌の方々に、迫力も華もあると高く評価された!

今でも良く覚えているが、この頃は日産製のGTRを意識していたから、
どうしてもオーバーフェンダーにしたいと、僕がこだわった。

特にフロントのオーバーフェンダーは、僕が好きだった「300SL」

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のホイールアーチをイメーージして、ストライプをカッティングした。

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この時期、日産自動車からGTRベースの開発許可が下りず、全く違う
路線でこの「M30」を仕立てようと考えていたのだ・・・

・・・だから「ノーマル・アスピレーション」にこだわった・・・・!

何よりも、BMWのM5をサウンドモデルにした音質は、迫力と感性が
信条の「NA」としてはマニアックでパワフルなエンジンに仕上がった
と自負しているが・・・

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最終仕様まで、エンジンの横揺れを止めるのに、苦労したのを思い出す。

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BMWM5を身近に置いて比較出来たのも元外車屋の強みと云えるだろう!

だから今回は、クルマそのものの魅力で勝負しようと考えたから、豊富な
プレスキットと、記者発表の場が重要と考え、今迄ににない面白い企画を
考え出した・・・!

それがこの写真なのだが、落語の独演会の様に、マスコミ関係者に座布団

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に座ってもらい、我々が高座で話すという、業界で初めての試みをした。

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最初は自動車雑誌の皆さんも、腑に落ちない様子だったが、話が始まると
落語ではなく中身がクルマの事だからと、いつもの調子で質問も来たから
大成功だったと思う!

単なるヘソ曲りかもしれないが、何かにつけて、人のやらない道なき道を
突き進む姿勢は、こんな所にも影響していたのかと改めて感心してしまった。

当然、今回も受付とお琴の演奏者には着物姿をお願いしたが、役員の中に

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も紋付き袴で接客する者がいたから笑ってしまった・・・

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有名な嵐山の「船遊び」もしっかりと取り入れたことは云うまでもないが!

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2艘の船を貸し切って、内1艘の船にトミーカイラのサイドストライプを
貼ったのだが、残念なことに、その船の写真がない・・・・・!

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2008年8月20日 (水)

 車お宝話(78)旧嵯峨御所・大覚寺の発表会

    

この発表会のハイライトは、何といっても会場の「地」が大覚寺と
いう事に尽きる。

昔の嵯峨御殿で、皇室ゆかりの地であることが何とも凄い・・・!
通常、使用許可など絶対に出ない処なのだが・・・

これについてのエピソードを、ひとつふたつ紹介しよう!

ある時、大手タクシー会社の社長が、大覚寺をバックにタクシーの
撮影を求めたが、門前での撮影すら許可されなかったと聞かされた。

もう一つ、その当時の僕の秘書が大覚寺系の有名なお寺の娘さんで、
その住職の父君が、翌日の新聞に発表会の記事が出ているのを見て
も、まだ、「絶対に許可など出るはずがない、何かの間違いだ」と!

通常は茶道の裏千家とか、皇室にゆかりの組織にしか許可が出ない
ものらしいが・・・

いま思い出しても、不思議で仕方がない・・・!

僕は以前から何とか東京以外の地方にも、取材班が来てくれる企画
をと考えていた。

「トミーカイラ・M30」の発表会は東京で開催したから、TVも
新聞も、雑誌も、かなり大々的にニュースにしてくれた。

このM30の取材を広告費に換算したら、何と1憶3千7百万円分
に相当すると、日産自動車の広報の人が教えてくれたぐらいだ!

だから何としても京都の地に、多くのマスコミ人を呼びたかった。

そこで考えたのが、嵯峨野にある有名な「大覚寺」での発表会だ!

キーワードは、京都、お寺、写経、お香、着物、お琴、桜、お茶、
とどめは船遊び、これだけの事が出来るのは「大覚寺しかない」と。

わざわざ京都にまで来てもらうには、今までにない面白いイベント
でないと・・・

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春の桜が満開の時に、お琴の音色を楽しみながら、本物の着物の

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モデルさんがクルマの横に立ち、その後は写経を楽しんでもらい、
高貴なお茶室でお茶をふるまい、最後は桜を見ながらの船遊び・・

こんなことは京都に住んでいる人でも、絶対にできないのだからと。

そして、お帰りのお土産には、トミーカイラのロゴ入りのお香を!

京都にお寺は沢山あるが、船遊びが出来るほどのドデカイ池がある
お寺はここしかないと・・・!

思い立ったら何としても、ヤリ通すのが、その頃の僕・・・!
少しコネがあったから、大覚寺の門をくぐり直談判した・・!

後から担当のお坊さんに聞いた話だが、僕が尋ねた時、当然断る
積りで玄関に出向いたそうだ・・・

ところが余りに熱心に僕が「夢」を語るので、ついつい話の最後に
何とかしましょう、と言ってしまったと・・・

当日は、この写真のように「M30C]に乗ってご機嫌でいらした。

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館長さんまで、引き受けてしまったものは仕方がないと、にこにこ

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顔で見学に来られ、当日は色々と協力して頂いた。

だって・・・・水が抜いてあったこのドデカイ池に、この発表会の

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船遊びの為に、満々と池に水を貯めてくださったのだ、感謝、感謝!

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受付は、「春の宴」にふさわしく、会社の綺麗どころに着物を着て

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もらい、お琴の演奏者にも着物をお願いした・・・

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この発表会は、シーマベースの「M30C]と、シルビアベースの

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「M18SI」に電動リアー・ウィングを装着したお披露目だった。

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この写真の左隅にあるように、この地は「文化財保護指定区域」で、

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この写真の部屋は、皇室よりの拝頂品の立派な屏風と会議用の机と
椅子が・・・・・

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この部屋はお茶室で、普段は使えない「望雲亭」なのだが・・・

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僕の左隣は、着物でお世話になった着物作家の斉藤三才先生、右隣
はベストカーの勝俣編集長とタケちゃんマンこと竹平氏・・・

この優雅極まりない高貴な船は、昔、嵯峨御所の頃、皇族が遊ばれた
ものだとか・・・・・

そんな事で大好評大盛況で、テレビも新聞も週刊誌までも来てくれた。

当時のカーグラ編集長の熊さんも、飲み連れのカートップ編集長の
城市氏も、とてもとても書ききれないほど、東京から来てくれた・・!

この企画が大好評で、一般誌からの問い合わせが続々と・・・
で・・・またまた京都は「嵐山の嵐亭」で続編を企画・・・・・・・!

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2008年8月18日 (月)

車お宝話(77)夏休みの報告!

      

先週1週間、北海道旅行のために、このブログをお休みしました。

いつもは水曜日と土曜日にUPしているのですが、臨時の報告を
します。

実はアンチエイジングを始めて丸5年も経ったので、どれぐらい
年齢的に若返ったのかを体験するために、北海の地を選んで自然
に触れてきました。

カヌー、乗馬、ゴルフと云ったスポーツを毎日、そして移動の為
のレンタカーの運転も、僕が担当!

車種はトヨタ・アルファードで、新車に近い車に6人が乗り込む。
なんと6日間で1000キロもの距離を、僕が運転することに・・

旅行というより、合宿といった方が適切な気がする旅程だったが!

まず北海道に着いた初日、阿寒湖で早速カヌーに挑戦・・・!
カヌーは昔からずっと憧れていたが、今回が初めての体験だ・・・

タイミングが良かったのか、誰もいない湖での初体験は予想通り。
静かな湖畔でのボート漕ぎは、まったく疲れないし素晴らしいの
一言に尽きる!

2日目は釧路湿原で、これまた初体験となる乗馬だ・・・!

丸一日、馬に跨って牧場から釧路湿原まで往復するのだが・・・
最初はアルファード同様、着座の高さに驚き、とてもとても、と!

ところが慣れてくると、これが思いのほか楽しい・・・

ポコポコとゆっくりが基本だが、たまにパカパカと駆け足で走る
スリルはクルマとは、一味も二味も違う。

やはり馬という動物との一体感は、クルマのそれとは随分と違う。

僕が乗った馬は「キク」という名前だったが、最初から最後まで
「キクちゃん」と呼んで、長い首と、お尻を擦っていたほどだ!

さすがに、丸一日ともなると別れる時、後ろ髪を曳かれたが・・・

3日目、今度は川を下るカヌーに挑戦、景色の良さと激流の操縦は
湖とは違う魅力を教えてくれた・・!

念願のカヌーは、湖と川、両方体験したから、後はシーカヤックを
体験してみたい・・・

この先、カヌーは本気で続けたいと思うのだが・・・!

4日目は富良野ゴルフコースで、昔、凝りに凝ったゴルフだ・・!

ところが今回のゴルフは7年半振りで、ひと月前からプレッシャー
が掛かりまくり、いよいよといった感じだったが、気がつけば
ワン・ハーフ・・・つまり27ホールも回っていた・・!

5日目は支笏湖でカヌーの予定だったが、霧と激しい雨の為に中止。
・・・湖底に沈んだ木が見える透明度も、この日ばかりは普通の湖。

6日目、いよいよスポーツ最終日、明日の昼過ぎには空路となる!

最終日はニドム・クラシックでのゴルフ・・・・・・プロのトーナメントも
行われる本格的なコース、6600ヤードとさすがに長い・・・

と、こんな感じの合宿だったが・・・結果は如何に!

自分でもびっくりの結果・・・まず終始、筋肉痛はなし。
                疲労、一切なし。
                益々、好奇心旺盛。
                カヌー、乗馬、ゴルフ共、高結果。

ほんとに40歳の時より、断然若いし、元気一杯の旅でした・・・!

これも日頃の筋肉トレーニングや、内筋を鍛えるピラティスのお陰。

その上、自然ホルモン補充療法や、血液クレンジングなどしている
のだから、当たり前かも・・・・・・人のチューニングも面白いでしょう!

                          自称、「改造人間より」

次回は水曜日。

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2008年8月 9日 (土)

車お宝話(76)思い出のイベントあれこれ (Ⅱ)

      

思い出に残るイベント企画の事を、つらつら思い出しただけでも
相当な数になってしまう・・・・・・と前回にも書いたが・・!

考えて見れば殆どが夢工場時代で、40歳になってからの企画なのだ!

その中でも思い出に残るイベントは、何といっても東京プリンスホテル
で開催した「トミーカイラZZ・新車発表説明会」のイベントだろう。

まぁ、全てにお金を随分と掛けたから、余計にそう思うのだろうが!

そういう意味では「トミーカイラM30」の発表会は、日産の協力の下、
日産アプリーテの本社で開催したから、規模の割には、殆どお金を掛け
ないで出来たイベントだった。

そうそう、チューニングカーの発表会で特に思い出に残る、凄い出来事
を思い出した・・・!

その凄い出来事とは、京都の大覚寺での発表会なのだが・・・・・・・!

大覚寺とは旧嵯峨御所で、云わば皇室ゆかりの地だから、民間の使用は
ご法度なのだが・・・・・不思議な事に奇跡が起きて許可が下りたのだ!

また、京都は嵐山・・・・嵐亭でのイベントも、やはり強烈な思い出だ。
何しろ船遊びの船にまで、トミーカイラのストライプを入れたのだから!

・・・これらをシリーズの中で、写真を入れて詳しく書こうと思う。

30代では、トミタオートのスーパーカー屋時代に企画したイベントで、
ブームの真っ只中に企画した「ラ・カロッツエリア・イタリアーナ」が

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何と云っても一番だろう!

この事は、お宝話12の「イタリア・お宝探しの旅 Ⅱ」に既に詳しく
書いているが・・・

この他には、前回に書いた輸入車組合「富士スピードウェイ」のイベント,

ディスコ・マハラジャでの「ハルトゲ・レーシング・チーム」の発表会。

日本タバコとの共催イベントで「アンルイス・武道館ライブ」等がある!

では20代で思い出に残るイベントは、と考えたのだが、なかなか頭に
浮かばない・・・

アルピーヌ "だらけ"のイベントは、既に30歳になっていたし・・・
・・などと幾ら考えても、イベントらしきモノを思い出せない。

・・・ところが、"ふと" 思いついた事がある!

あまり "イベント" らしくないのでつい見過ごしていたが、これぞ僕が
企画した、最初の大きなイベント、お客さんとの「ドライブ会」である!

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月に一度は日帰りドライブ、隔月で1泊旅行と結構なハイペースで開催、
正式な名称は、「COUNCIL CARS+4」だったと記憶しているが・・・・・

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23歳で独立してから5年後の28歳の時に発足している、写真に年号
が書いてあるから、正確なものだ・・・!

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今年最初のお宝話にコメントを下さった、着物作家のS氏と、クラブの
会長をお願いしていたN氏を中心として、毎回楽しいミーティング企画
を立てて遠出を楽しんでいた。

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・・・やはり1泊旅行の思い出は濃厚に記憶にある・・・!

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僕の田舎で鳥取の温泉に行ったし、レースを見ようと霧の箱根を走って
富士スピードウェイにも行った。

サーキット走行をするのも一考かと、岡山のサーキットに出かけたりも
したな~と・・・・・!

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当時、日本一と呼び声が高かったベテラン・メカニックで工場の社長が、
必ず参加してくれたのも、この「ドライブ会」の特長だった。

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その頃、まだトミタオートに自社工場はなく、この工場の親父さん頼み
だったから、"鬼に金棒"といったところだ・・・!

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今と違い、クルマは壊れるのが基本の時代・・・・・!

特にイタリア車など、壊れると部品がないのが当たり前、だからどんな
部品も改造して造ってくれるこの親父さんの名は、日本中に轟いていた。

そうそう、このドライブ会で、こんな事があった・・・

写真にあるディーノが参加した時、このディーノだけクーラーが付いて
いなかった。

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可哀そうだから、何とかならないのかと・・・驚く事に次のドライブ会
には、そのディーノはクーラー付きで参加していた・・・

こんな調子だったから、僕が平気でスーパーカーを扱えたのだと思うし、
多分、この頃に工場の必要性を痛感し、憧れたのだろう・・・!

後に、ショールームをぶっ壊して「夢工場」を造ったのも、基本の気持
は同じだろう!

こんな「COUNCIL CARS+4」のドライブ会が僕の企画の原点かもしれない!

それから30年近くの時を経て、トミーカイラ・オーナーズクラブに招待

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された時、同じ "ドライブ会"に共通する素晴らしさを感じたのは僕一人
だったと思うのだが・・・!

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2008年8月 6日 (水)

車お宝話(75)思い出のイベントあれこれ(Ⅰ)

      

毎月医師会から[LIFE STYLE MAGAZINE FOR DOCTOR]のサブタイトル
で「プレシオ」と云う美しい雑誌が送られてくるのだが・・・

クルマに関するページ数が程々にあるから、ついつい見てしまう!

その中に「輸入車販売の現場で、ちょっとした異変が起こっている」
と書いてある記事を見つけた・・・

それ迄のショールーム一本槍の売り手と買い手の接点に、付加価値
をつけて、一般ユーザーにサーキット走行の体験を、と云うものだ。

「究極の試乗会」と銘打ったBMWの広告記事なのだが、講師として
懐かしいレーシング・ドライバー達の顔が、写真に居並ぶ・・・!

その友人達の写真を見ながら、ふと、遠い昔を思い出したが・・・

・・・何をいまさらと思ってしまった!

だって同じ様なイベントを、20年以上も前の富士スピードウェイで
僕が企画して実行した経験があるんだからと・・・!

サーキット走行、プロドライバーに同乗試乗、プロの模擬レース等、
内容もその時とほとんど変わらない・・・

このBMWと同じ企画は、輸入車組合でイベント委員長なるものを
引き受けた時のことだから、相当古い話ということになる。

この時の貴重な写真が一枚だけ出てきたから、事実だと証明できる!

写真には85年6月と焼き付けられているから、僕が丁度40歳で、
夢工場建設の1年前だから、まだ輸入車を専門に扱っていた頃だ。

この頃の並行輸入車はヨーロッパ仕様だったから、馬力も足廻りも
日本仕様の正規輸入車とは、大きく違った。

その頃の日本の基準は、アメリカ連邦保安基準(FMVSS)を採用して
いたから、欧州連合基準とは大きく異なっていた。

これも今日に至るまでの経緯として、大事な道程りだったと思うが!

この大きな性能の差を、売る人にも、買う人にも、評論家の人にも
体験してもらい、その性能の差を紙面に紹介して貰うことが目的で、
このイベントを企画したのだ!

この頃の輸入販売業者など、性能的なことは殆ど無知で、売れさえ
すれば良しとする時代だったから、販売業者より求めているユーザー
の方が詳しいといった事がザラにあった。

その頃、ユーザーからの問い合わせに答えられない販売業者から、
毎日のように性能差について教えてほしいと、わざわざ京都の僕の
会社に電話してくる同業者が多かった・・・!

だからその解決と、性能の良さをアピール出来る絶好のチャンスと、
企画したのが実情だった。

その頃のTOMITA AUTOは、専門誌に対してかなりの信用があったから、
僕のこの企画には、すぐに数社が乗ってくれた!

当然、僕以外の同業者は、サーキットに初めて来たという人が大半
で、プロ・ドライバーの余りに凄い走りにただただ圧倒されていた。

この写真は昔の富士スピードウェイで、コントロール・タワーの前

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だと思うが、右端のポケットに手を入れているのが僕で、背を向けて
僕と話しているのが黒沢元治氏。

後にトミーカイラ・M30のビデオや、取材では、数え切れない程、
お世話になった、通称「ガンさん」だ! 

そして現トムス会長の舘君と、同監督の関谷正則、通称「関ちゃん」
にも参加してもらった・・・・・・写真がないのが何とも残念だが!

その他に、雑誌社のレポーターの方々にも参加して頂いた!

仕方のないことだが、こんな素晴らしいメンバーが参加してくれた
事の重大さを、組合員の殆どが、分かっていなかったと思う。

それでも後に、雑誌に掲載されたボリュームで分かった人や、自社
の若い社員に、このイベントの凄さを教えられた人もいたようだが!

実は余り人に話した事はないが、僕は企画ごとが大好きで、若い頃、
既に「トミタ企画」という会社を立ち上げていたぐらいだ!

だから、チューニングカーやスポーツカーの発表会は当然としても、
本社の落成式や、レーシングチームのお披露目会、等々・・・

・・・つらつら思い出しただけでも、相当な数になってしまう。

出て来た資料の中にも、イベントの写真がかなり含まれていたから、
この機会に面白いイベント話をシリーズにして書いて行こうと思う。

やはり写真があると、その時の記憶が細かく蘇るし、イメージして
貰い易いから書いていても楽しいし、何より懐かしさが溢れてくる!

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2008年8月 2日 (土)

車お宝話(74)最近つれづれ思うこと! Ⅲ

       

僕が多少距離を置いているからかも知れないが、クルマ好きの傾向が
少し変って来たような気がしてならない・・!

以前はもっと新車の動向に興味を示していたように思うのだが・・・

僕が思うに、この成熟した日本のマーケットの中で、特にクルマ社会
は成熟しきってしまい、興味を失ってしまったように思う。

戦後の日本は世界の中でも比類なき発展を続けてきた国の代表だろう!

その原動力は終戦直後の食糧難から始まり、ないないずくしのモノを
手に入れるために、国民が総力を挙げてきた結果に他ならない。

僕も一応は戦中派だと人にはよく云うが、実際は終戦の半年ほど前に
生まれたのだが、乏しい食料とモノが少なかった事はよく覚えている。

そんな中で、当時の一番先進的なモノが自動車だったから、中学生の
頃に出会った玩具のスポーツカーでさえ、心を奪われてしまったのだ!

だから時代の進歩と共に、国民全体が次々と発表される自動車に興味
を奪われるのは、至極当たり前のことだった。

この結果は東京モーターショーの入場者数にハッキリと表れている!

有名なアポロ11号が世界を沸かせた1969年に、東京晴海の会場
には、この頃流行りの「モーターリゼーションの到来!」のキャッチ
コピーと共に、152万人の人が押し掛けている。

開催日数は今より3日少ない14日間での記録である!

僕が自動車販売業として独立1年目の24歳の時で、この年に色濃く、
モータースポーツ、高速道路、スポーツ車などの言葉が横行して来た。

メーカーもそれまでの車造りから、モータースポーツを幅広く研究し、
先行する欧米の自動車メーカーに追いつけとばかり高性能化を図った!

その頃のユーザーの根底には新しいモノに乗りたい、欲しいといった
気持があったからこそ、モーターショーも大盛況だったし、自動車の
市場も活性して行ったのだ・・・

・・・な~んか、こんなことを書いていたら、僕の独立の時期と全く
オーバーラップしてしまうではないか・・・!

今の今まで考えた事もなかったが、何といい時期に独立したのだろう!

だからトントン拍子に業績を上げることが出来たのかと、今更ながら
運の強さに感謝、感謝・・!

それもスポーツ車・高性能・欧米車といった言葉が、モータースポーツ・
高速道路といった、今まで日本人が耳にした事のない言葉と溶け合って、
やがてスーパーカーブームや、チューニングカーへと昇華して行ったの
だろう・・・!

いや~、僕の短い歴史でもちゃんとストーリーになっているではないか!

・・・話を最初に戻すが・・・・・

高度成長のとどめにバブルが弾け、何でも彼でも上昇志向だった人々が、
今持っているものや、過去のモノを見直し、最小限度の物しか買わなく
なってしまった。

その結果、カローラの宣伝文句の「隣のクルマが小さく見えます」や、
「いつかはクラウン」的な上昇志向から、効率的なクルマへと転換して
行ったのではないだろうか!

長い時間をかけて、バブル破壊の後遺症から立ち直った人々が、次に選
んだクルマが、多目的志向のボックスタイプ車なのだろう。

「安くて、性能も良く、大勢乗れる」この手のクルマに移行して行った。
早い話、メーカーも存続のためには、売れるクルマにしか力は入れない!

これは僕の一方的な見方だが、「ホンダ」が一番スポーツ性イメージを
大事にして来たメーカーだったと思うのだが、今は見る影もない・・・

「おやじさん」が生きておられたら、もっと違う方法で業績を伸ばして
いたと信じて止まない・・・

その点、スモールBMWの運転する楽しさは「BMW」の一貫した姿勢
を感じさせる・・・

ホンダが由一国産で、BMWに近いと思っていたから、余計にそう思う!

そんなことで、クルマ好きが思う魅力的で面白いクルマは、どんどんと
影を潜めてしまった!

面白いクルマが少なくなって行く状況の中で、クルマ好きが選んだ道は、
「古いが、魅力的で、面白い、」愛車を”手放さなかった”ことだろう!

このことを言いたいが為に、長々と書いてきたのだが・・・

だから新しいクルマを選ぶ人より、古いクルマを大事に乗る人の方が、
「新クルマ好き人種」と言えるのではないだろうか・・・!

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