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2008年7月23日 (水)

車お宝話(71)初めてのF3チーム監督!

      

お宝話67に、次回に詳しく、初レース監督の思い出話をと書いて
いたのに、ついうっかり忘れてしまっていた・・!

このカタログ写真は、ターボ疾風カラーのF3で、シェイクダウン
仕立てのニューマシン・・・

07053

このニューマシンに乗るドライバーは、当時、ハヤシレーシングの
社員で、メカ上がりの新人ドライバー・小河等だった。

そう、のちに国内トップフォミュラー・F3000のチャンピオンとなる、
今は亡きあの小河等だ!

この「ターボシステム・疾風」は、トミタが発注し、童夢が開発、
それをハヤシレーシングの代理店で売るという、お友達ラインの
図式だったから、ごく自然にハヤシレーシング・チームのF3に、
フル・カラーリング・フルスポンサーの形で参画したという訳だ!

そんな訳で、僕が形の上だけの総監督ということになったのだが、
これが大変な経験をするハメに・・・

レースに詳しい人はご存じだろうが,小河等は86年にトムスに移籍、
87年には、全日本F3でシリーズ2位に、翌88年はルマンで完走。

89年には、フォミュラーの最高峰・F3000でシリーズ・チャンピオン
となり、日本一早いドライバーとして、F1からオファーが舞い込む!

当時の小河等と、ターボ疾風のF3に話を戻そう!

僕が最初に会った印象は、ホントに真面目なメカ上がりといった感
じで、同じメカ上がりの僕としてはいっぺんに惚れこんでしまった。

その彼が、最初に言ったセリフは何とも印象的だ・・・!

「F3に乗れるのなら何でもします、食べられなければ、水だけ飲ん
 ででもレースに出たい」と・・!

このハングリーさに、僕は痺れたよ~!・・・ホント。

今は偉くなって、トムスの監督をしている関谷君だって、若い頃は
ホントにハングリーで真面目なヤツだったし・・・

なんのかんの云っても、レースやってる人はいい人が多いよね~!
やはりお金儲けの為じゃなく、好きでやってるからだろうな~・・

まぁ僕だって好きな事だけやって、35年もクルマに関わって来た
んだから、似たようなもんだけど・・・ 

だから、レーシング・ドライバーの友人は結構多かったな~!

この当時、耐久王の佐藤文康君とも仲が良かったけど、残念ながら
練習中に亡くなってしまった。

事故の数日前に、突然京都に遊びに来たのが、後から思えば何かの
知らせだったのかと・・・

彼が亡くなった日の翌朝、早朝に事故の知らせが入った・・・!
ところが運悪く、数時間後にヨーロッパに旅立つ事になっていた。

現地での契約もあり、僕は後ろ髪を引かれる思いでフライトしたが、
滞在中ずっと気になっていた。

案の定この帰路、飛行機の中で意識不明になってしまい、酸素吸入
で帰ってきたが、「文康が呼んでるんだな~」と、僕はぼんやりとした
意識のなかで考えていたように記憶している!

この小河等君も、1992年の鈴鹿F3000の第4戦で、27週目に
第一コーナーの鉄柱に激突してこの世を去ったのだが・・・

その10年前の同じ鈴鹿で、小河等はF3のデビュー戦、僕も監督
としてのデビューを果たした。

ところがこの鈴鹿のデビュー戦で、10年後を予測するかのような
出来事が起きてしまったのだ!

予選の順位は忘れたが、スタートして間もない頃、2位に上がって
来て・・・やがてトップ争いをする・・・!

僕は初めての監督経験だから、嬉しくてはしゃいでいたと思う、が、
その時、第一コーナーを曲がらず、真っすぐ鉄柱に激突したのだ!

僕はこの時ピットの2階から見ていたのだが、激突したクルマから
中々・・小河が出て来ない。

そのうち救急車とレッカー車も行くのだが、いつまで経っても出て
来ない・・・目をひんむいて遠くの第一コーナーを見ているのだが、
この時ほど、まつ毛が邪魔になったことは未だない!

アナウンスは、ただただ救出作業をしている、とだけしか言わない!

ここで僕は責任者なのだからと、コントロール・タワーに走って行き、
状況を求めた。

何かに足を挟まれて、それを切断しないと救出できないのだという!

20分以上も経って、やっと小河が救急室に帰って来た・・・
小河の顔を見たら・・・・「申し訳ありません」と云う。

僕が「そんなことはどうでもいい、本当に大丈夫か?」と聞くと・・
「大丈夫です!」と云うから少しは安心したのだが・・・

ところが、夜になって救急病院の担当医が責任者に話があるという。

総監督の僕が責任者なのだ!・・・・恐る恐る担当医を訪ねた・・

担当医いわく、200キロ以上のスピードでそのまま激突している
から脳がズレている、今夜が峠だから近い親族には知らせる様にと!

有頂天になってはしゃいでいた数時間前とは、天国と地獄ほど違う!

夜中じゅう見舞いに来られた方々に「申し訳ございません」を繰り
返していた。

この時は、ただただ小河等君の無事を祈るだけだったが・・・

明け方に「もう大丈夫でしょう」と担当医に言われたときに・・・
・・・もう2度と監督はやりたくないと思った!

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