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2008年7月

2008年7月30日 (水)

  車お宝話(73)最近つれづれ思うこと! (Ⅱ)

      

最近のガソリン問題を、色々と想像して見るのも結構面白い・・!

前回も書いたように、もしガソリンが250円になり、3割も車が
減り、代わりにバイクやスクーターに置き換わったとしたら・・・

本当にそんなことになって、クルマが減り、オートバイが増えれば、
街なかの景色が変わって・・・

信号が変われば、一斉に自転車とバイクが飛び出し、その後ろから
スポーツカーや高級車が列をなして・・・

・・・それではまるで、よその国みたいになってしまうではないか。

満車が当たり前だった駐車場も、すでに変化が起きているらしいし、
このまま車離れが進んで行けば、間違いなく3割の駐車場が消えて
なくなる運命となる!

代わりに、オートバイ専用の駐輪場が繁盛することになるのだろう。

そして駐車場跡には建物が立ち、採算の取れるオシャレなイタ飯屋
にでもなるのだろうか・・・!

・・・などと、想像好きな僕としては不思議な気持に浸ってしまう!

でも何より渋滞が解消された都会で朗報と言えば、CO2の排出ガス
が減ることだろう。

僕自身、最近顕著に感じていることだが、毎日の通勤路で渋滞が極端
に減っているから、相当に時間短縮し楽になっている!

車が減ることは、いい事ずくめの様だが、果たして一般の人にとって
の車とは、一体どの程度の位置付けだったのだろうか・・・?

人それぞれ価値観も違うし、事情も違うから、批判や非難をする積り
は毛頭ないのだが・・・!

ただ僕があれだけ好きだったクルマが、その程度のモノだったという
ことに寂しさを覚えてしまうのは、身勝手だろうか・・・?

勿論、生活する上で、家計のことが一番大事なことはよく分かるが、
クルマが大好きな僕としては、やはりその程度のモノだったという
ことに寂しさを感じてしまう。

でも、こう考えると、何となく少し理解できる気がする・・・

だから日本は世界一オートマチック車が普及し、ボックスタイプの
クルマが氾濫していたのだと・・・!

だから生活の中で便利だという事以外に、余り意味はないのだろう。

僕達のように、クルマに「夢」や「憧れ」など毛頭なかったという
ことだ・・・!

それでもクルマを持ち続ける人は、必要不可欠な地方暮らしの人か、
本来のクルマ好きなのだろう。

と云うことは、僕のようなクルマ好きにとっては、良い時代になり
つつあると云うことではないのか・・・と思ってしまうのは早計か!

「うん、そうそう、いい方に考えればいくらでも考えられると!」

でもボチボチ空想から覚めて、現実を見れば・・・

世の中は面白いもので、燃料代が高騰すればするほど、技術革新の
スピードも上がる。

ハイブリッドシステム・電気自動車用の電池・革新的水素エンジン
・超高性能ディーゼルエンジンなど、燃料代に直結する代替え技術
のスピードは年々速くなる一方だ・・・

ところがここに来て、間接的だがクルマを軽くして、燃費とCO2を
3割も削減できると、「炭素繊維カー」の実用化が発表された。

この話題は、僕が目指してきたことと共通するから大賛成だ!

早い話、レーシングカーに使われてきたカーボンの改良品と考えれば
分かりやすい。

この話を僕は、10年以上も前に「将来は鉄に変わってこの炭素繊維
で、量産車が造られるようにしたい」と、東レの開発の人から聞いた
ことがある!

僕もつい数年前まで現役で、自動車業界に身を置いていた者として、
こんな波瀾万丈の時こそ、考え方一つ変えれば、ヒントが出ると思う!

今こそ自動車メーカーになる絶好のチャンスだと思うのだが・・・

・・・どうだろう!

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2008年7月26日 (土)

車お宝話(72)最近つれづれ思うこと! (Ⅰ)

      

日に日にクルマに対する思いや、考え方が、どんどんと変化している。
僕のことなのだが・・・・一体、みんなはどう考えているのだろう!

特に最近の顕著な変化は、ガソリン問題から来ていることは事実だが、
本当に200円を超せば、2割の人がクルマに乗らなくなるのだろうか?

そして250円を超せば、3割以上の人がクルマを手放すと、調査結果に
出ているが、本当にそんなことになってしまうのだろうか!

とは言え随分と昔の話になるが、僕もガソリンのことでクルマを手放
した経験がある・・・

1975年、僕が30歳の時に第一次石油ショックが突然やって来た!
丁度スーパーカー・ブーム直前の頃の話だが・・・

この時は価格の高騰ではなく数量制限だったから、一回に7リッター
とか10リッターしか入れてくれない!

運悪くその時、1リッターで2キロも走らない下取り車のリンカーン
・コンチネンタル・マークⅣを足にしていたから、全く話にならない。

一度このクルマで見栄を張って、京都から神戸の北野クラブに食事に
行ったのだが、京都に帰って来たら満タンにした筈のガソリンが空に
なっていた!

今では信じられない様な話だが、当時ガソリン代が日本の半額だった
アメリカならではの、豪快な、大飯食らいの、リンカーン・マークⅣ
だった!

でもこの頃のコンチネンタル・マークⅣと言えば、現代のベントレイ
GTのような存在で、アメリカ車の全盛時代を代表していたと思う。

「超デカクて、超静かで、そのうえ全自動、デザインに風格があり、
 まるで軍艦に乗っている様な乗り心地は懐かしい事この上ない!」

そんな花形のリンカーン・マークⅣは、満タンで100リターも入る。

そんなクルマに、たったの7リターだけガソリンを入れて、どうしろ
と云うのだ!

当時、石油ショックなんて経験は、誰も知らない初めての事だから、
すぐに数量制限は解除されると、高を括っていたのだが・・・

ところが何日経っても、一向にその様子はない・・・!

そのうち仲間内での買い取り相場が下がり出した・・・ドンドンと!

いわゆる業販価格と云うヤツが、一日10万、20万、30万と・・
・・・マークⅣの買い取り価格が下る。

辛抱溜まらず、1日30万の下落相場のときに、叩き売った・・・!
当時の僕にとっては大金の、都合120万円もの大損をしてしまった。

この時は、一体この先自動車はどうなってしまうのだろうと思ったが、
今から思えば、意外と早く元に戻ったと思う・・!

今回のガソリン問題とは、根本的に根の深さが違うといえるだろう。

それにしても、この第一次石油ショックの時でさえ、あと数十年で
石油資源が枯渇するかも知れないと、騒いでいたのだから・・・!

そんなこともあり世界中の自動車メーカーが、やがては無くなる資源
を危惧して、電気やガスや水素に早くから取り組んでいたのだが・・

でも30年以上経った最近まで、一向に変りなく石油に依存して来た
から、地球温暖化も含めて問題が大きくなってしまった!

無論、ハイブリッドも普及したし、以前より力を入れて電気自動車を、
各々のメーカーが研究開発している事は、重々承知している積りだが!

人間のすることだから、お尻に火がつかないと、ついつい後回しにして
てしまう・・・仕方のないことだ!

でもここに来て、急激に色んな分野での取り組みが、進んで来たのは、
素葉らしいことだ!

ところで不思議に思うのだが、あれから33年も経つのにドンドンと
原油の生産量は増えているように思うのだが、一体石油の埋蔵量は、
どの程度あるのだろうか・・・?!

・・・・つづく

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2008年7月23日 (水)

車お宝話(71)初めてのF3チーム監督!

      

お宝話67に、次回に詳しく、初レース監督の思い出話をと書いて
いたのに、ついうっかり忘れてしまっていた・・!

このカタログ写真は、ターボ疾風カラーのF3で、シェイクダウン
仕立てのニューマシン・・・

07053

このニューマシンに乗るドライバーは、当時、ハヤシレーシングの
社員で、メカ上がりの新人ドライバー・小河等だった。

そう、のちに国内トップフォミュラー・F3000のチャンピオンとなる、
今は亡きあの小河等だ!

この「ターボシステム・疾風」は、トミタが発注し、童夢が開発、
それをハヤシレーシングの代理店で売るという、お友達ラインの
図式だったから、ごく自然にハヤシレーシング・チームのF3に、
フル・カラーリング・フルスポンサーの形で参画したという訳だ!

そんな訳で、僕が形の上だけの総監督ということになったのだが、
これが大変な経験をするハメに・・・

レースに詳しい人はご存じだろうが,小河等は86年にトムスに移籍、
87年には、全日本F3でシリーズ2位に、翌88年はルマンで完走。

89年には、フォミュラーの最高峰・F3000でシリーズ・チャンピオン
となり、日本一早いドライバーとして、F1からオファーが舞い込む!

当時の小河等と、ターボ疾風のF3に話を戻そう!

僕が最初に会った印象は、ホントに真面目なメカ上がりといった感
じで、同じメカ上がりの僕としてはいっぺんに惚れこんでしまった。

その彼が、最初に言ったセリフは何とも印象的だ・・・!

「F3に乗れるのなら何でもします、食べられなければ、水だけ飲ん
 ででもレースに出たい」と・・!

このハングリーさに、僕は痺れたよ~!・・・ホント。

今は偉くなって、トムスの監督をしている関谷君だって、若い頃は
ホントにハングリーで真面目なヤツだったし・・・

なんのかんの云っても、レースやってる人はいい人が多いよね~!
やはりお金儲けの為じゃなく、好きでやってるからだろうな~・・

まぁ僕だって好きな事だけやって、35年もクルマに関わって来た
んだから、似たようなもんだけど・・・ 

だから、レーシング・ドライバーの友人は結構多かったな~!

この当時、耐久王の佐藤文康君とも仲が良かったけど、残念ながら
練習中に亡くなってしまった。

事故の数日前に、突然京都に遊びに来たのが、後から思えば何かの
知らせだったのかと・・・

彼が亡くなった日の翌朝、早朝に事故の知らせが入った・・・!
ところが運悪く、数時間後にヨーロッパに旅立つ事になっていた。

現地での契約もあり、僕は後ろ髪を引かれる思いでフライトしたが、
滞在中ずっと気になっていた。

案の定この帰路、飛行機の中で意識不明になってしまい、酸素吸入
で帰ってきたが、「文康が呼んでるんだな~」と、僕はぼんやりとした
意識のなかで考えていたように記憶している!

この小河等君も、1992年の鈴鹿F3000の第4戦で、27週目に
第一コーナーの鉄柱に激突してこの世を去ったのだが・・・

その10年前の同じ鈴鹿で、小河等はF3のデビュー戦、僕も監督
としてのデビューを果たした。

ところがこの鈴鹿のデビュー戦で、10年後を予測するかのような
出来事が起きてしまったのだ!

予選の順位は忘れたが、スタートして間もない頃、2位に上がって
来て・・・やがてトップ争いをする・・・!

僕は初めての監督経験だから、嬉しくてはしゃいでいたと思う、が、
その時、第一コーナーを曲がらず、真っすぐ鉄柱に激突したのだ!

僕はこの時ピットの2階から見ていたのだが、激突したクルマから
中々・・小河が出て来ない。

そのうち救急車とレッカー車も行くのだが、いつまで経っても出て
来ない・・・目をひんむいて遠くの第一コーナーを見ているのだが、
この時ほど、まつ毛が邪魔になったことは未だない!

アナウンスは、ただただ救出作業をしている、とだけしか言わない!

ここで僕は責任者なのだからと、コントロール・タワーに走って行き、
状況を求めた。

何かに足を挟まれて、それを切断しないと救出できないのだという!

20分以上も経って、やっと小河が救急室に帰って来た・・・
小河の顔を見たら・・・・「申し訳ありません」と云う。

僕が「そんなことはどうでもいい、本当に大丈夫か?」と聞くと・・
「大丈夫です!」と云うから少しは安心したのだが・・・

ところが、夜になって救急病院の担当医が責任者に話があるという。

総監督の僕が責任者なのだ!・・・・恐る恐る担当医を訪ねた・・

担当医いわく、200キロ以上のスピードでそのまま激突している
から脳がズレている、今夜が峠だから近い親族には知らせる様にと!

有頂天になってはしゃいでいた数時間前とは、天国と地獄ほど違う!

夜中じゅう見舞いに来られた方々に「申し訳ございません」を繰り
返していた。

この時は、ただただ小河等君の無事を祈るだけだったが・・・

明け方に「もう大丈夫でしょう」と担当医に言われたときに・・・
・・・もう2度と監督はやりたくないと思った!

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2008年7月19日 (土)

車お宝話(70)もう1つの「夢工場構想」

      

のっけから横道にそれて申し訳ないが、この日本の将来が気になる!
と云うより、何とかならないのかと・・・

・・・我が国の税金の高さの話だ!

主要国の中でダントツの税金の高さが、何とも寂しいかぎりだ。
事業税、地方税合わせて軽く40%を超す国など全く見当たらない。

仮に半分の20%になったとしても、驚くほどでもない、シンガポ-ル
などすでに18%なのだから・・・!

すでに優良企業は税率の低い国に投資を進めて久しいが・・・

現実はこの国を棄てて逃げ出しているのに、マスコミは一切"逃げた"
という文字を使わないのはなぜだろう?!

無論、海外投資は国際競争力を付けるために重要で、安い土地や賃金、
優遇処置など、表向きの理由は理解できるが、大事なところは税率が
とんでもなく低いことだろう!

安い税金で大きな利益を上げるのは結構なことだが、国際競争力の為
にと、儲けた利益を海外にプールすれば国税局だって手も足も出ない!

日本はどんどん高齢化して行くのに、国の税収が減る一方では話になら
ない。

このまま放置しておけば、我が国の力のある中企業、大企業は間違いなく
全て国外にシフトするだろう!

僕だって以前から、事業家の端くれとして常に考えていた事だから・・・

その上、うんざりするほどの税金を払ってまで、この日本に開発投資を
する"モノ好きな"海外企業があるはずもない!

そうこうしてる内に、極貧国や途上国は、世界中から人とカネが集まり
見る見る豊かになっていく・・・

豊かになるから、雇用のレベルも上がり、明かるい将来に向けて子供の
学力も自然に上がる。

生活が向上し、未来もあるから勢いがある、だから考えも前向きになる!

では、この日本の国はどうなのか・・?

いちいち書くのも寂しい限りだが、全てが逆で、国力も、学力も、人口も、
・・・子供の「夢」までも減る一方だ!

増えるのは、税金と高齢者ばかりとは・・洒落にもならない・・・

これでは日本の国が「姥捨て山」になったようなものだ・・・!

だから・・・僕もそうだが、今こそ高齢者が立ち上がる時だと真剣に思う。
間違っても僕は、自分だけの楽しみや、趣味で人生を終わりたくないから!

そのために、いつまでも若く、生き生きといられることに重点を置いている
から、いまの仕事でアンチエイジングを学び、実践しているのだ。

官僚も政治家も、国をつかさどる人達は、いい加減に既得権益やメンツから
離れたところで真剣に考えないと、この国は間違いなく手遅れになると思う。

・・・タイトルの本題に戻そう!

もう1つの「夢工場構想」とは、修学旅行の研修コースになるような工場と、
オート・マイスターの育成学校をひとつにした構想だった。

07182

スポーツカー・レーシングカー・チューニングカーの製造工場があり、
そこに学ぶ機能を持たせて、実地体験コースや、CGによるバーチャルで
体験できる研修コースを、と考えていた。

この計画は一企業としてでなく、市や県から誘致を受けるカタチで一緒に
造り上げる構想だったのだが!

現実に、この構想に興味を持つ地方は複数に上り、かなりの所まで進んだ。

京都市・岐阜県・兵庫県・沖縄などが、この構想に特に興味を持ってくれ、
その時の市長や総局長などが何度も対応してくれた。

特に地元京都は、京都経済同友会の会員ということもあり、力のある方が
後押しをしてくれ、京都市内のど真ん中に数千坪の候補地まで用意された。

大きなポスターも出来上がり、会社の僕の部屋に誇らしげに張ってあった!

候補地と云えば、明石海峡大橋を渡ったところにある淡路「夢舞台」の近く
にも、何度か県の局長と現場視察してカートコースも造ろうなどと、楽しい
夢のある話をした事を思い出す!

僕の考えていた内容は、修学旅行で研修に来た子供達が、ロボットなどない、
全てハンドメイドの工場を見て「これなら自分でもクルマが造れるかも」と、
自信が持てる様な夢工場にしたかったのだ!

コンピューター制御の、手も足も出ないような最新鋭工場など見ても、決して
そこで働きたいとは思はないだろうと!

僕はよく人に「子供にバカにされる様な工場を造りたいんだ」と言っていた!

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2008年7月16日 (水)

車お宝話(69)懐かしのtomita autoの資料(Ⅳ)

   

僕はやっぱり変わり者なのか、世間とは逆に厄年に「夢工場」を
おっ立ててしまい「トミタ夢工場」と社名まで変更してしまった。

その上、この年には自宅も建てたし、日産自動車とのプロジェクト
(参照・お宝話44)も進めたから、とんでもないお金が動いた!

厄年のときは、余り派手なことをしないで、おとなしくしている
ものだと、周りからは言われたが・・!

それまでの僕はほとんど休みを取らず、仕事、仕事で来て倒れて
しまったから、40歳を境に、生活を一変しょうと考えていた。

入院生活で緑いっぱいの心地よさを知ってしまったから、緑の木々
が懐かしくて仕方なかった。

それまでの自宅は工場の上だから、緑どころか、一本の木もない!

そこで、緑の木々に囲まれた中に家を建てようと思いたったのだが、
田舎暮らしはまだ早いし、かと言って街中は予算がとても、とても!

そんな時、会社から5分、有名な仁和寺のすぐ側に千坪ほどの庭を
持った、新築の売物を見つけ出した・・・

・・といっても千坪の庭は借景なのだが・・・!

ちょうど旨い具合に閑静な住宅地に、造園屋さんの庭に面した新築
の家が長く売れ残っていたのだ。

超ダサイ田舎風の建物に、小さな部屋が沢山ある大家族用ときている
から、誰も買わなかったのだろう!

僕は3人家族だから、気持ちよく暮らすには大改装するしかないと、
その分、思いっきり値切った!

敷地に面した庭は造園屋さんだから、桜の木や、山茶花、猿すべり、
大好きな紅葉など、手入れのいい木々が新居を包むように生い茂って
いる。

今もそうだが、いつも思った通りの環境が、不思議と整い手に入る!

金閣寺を出発点に嵐山まで続く「衣かけの路」の途中で、「夢工場」
からはクルマで5,6分ほどの距離なのだが、日,祭日だけは観光都市
「京都」を思い知らされることに・・・!

この「衣かけの路」は・・金閣寺、等持院、竜安寺、妙心寺、仁和寺、
大覚寺、苔寺、嵐山と名所が居並ぶ・・・

・・・だから、休日はいつも大渋滞が当たり前!

おもしろい事に、会社から僅か5分の新居は、カブトムシ、クワガタ、
ブンブン、糸切り、ヤモリ、特大ムカデ、マムシ、その上なんと・・!
猪がウリ坊まで連れて来るのだから、ホント賑やかだった・・・!

ある時、何も知らない銀行の人が、いつものように玄関まで来た時、
イノシシとバッタリ出くわしてしまい、「にらめっこ」したらしいが、
この話はあとあとまで語り草になったほどだ!

そんなシティ・リゾート的な環境が、よほど精神的に良かったのか・・
・・どんどんと健康を取り戻していった。

やはり39歳のときの闘病生活が、僕という人間を大きく変化させた
のだろう。

もし入院せずに済んでいたら、多分、「夢工場」も「この家」も必要と
していなかったような気がする!

人間は毎日の生活の中で習慣と妥協を繰り返すが、たまにはゆとりを
持って考える時間が、つくづく必要だと・・!

そんなことでこの時期、公私共にかなり充実していたが、以前とは
比べ物にならない程の資金を必要とした。

それでも、自分の中では40歳になったら、自分らしい独自のモノを
確立しようと決めていたから、迷いはなかったが・・!

昔の人がよく言う「四十にして惑わず」の心境だった。

元来、幼い頃の環境や、境遇がそうさせたのか、マイナスをプラスに
変える「力」は相当に強いと自負していたから、絶対に旨く行くと
信じていた。

(夢工場が完成したとき、建築雑誌に大きく取り上げられた。
 その時の見取り図や、写真を一部、参考までに乗せて於く)

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この建物の意匠設計は、富田義一と田中光一となっていて、随分と
建築の勉強させてもらった思い出の建物で、如何に安い材料でいい
物を造るかに心血を注いだ!

07112

この建物のコンセプトを、なかなか面白くコメントしているので書い
てみることにする。

07113

「TOMITA夢工場は,常に未知の分野の開拓に情熱を注ぎ,夢を追い求め,
 夢を実らせて来た(株)トミタオートの新社屋である。
 今回の工事もメーカーとのタイアップという大きな夢の実現,
 そして設立20周年という節目を捉え,以前よりの構想を具現化した
 ものである。
 それは[新しい形のビジネス]の提言として,
 夢舞台(見せる,売る,ショールーム)
 夢茶房(語る,考える)
 夢教室(60人が一堂に学ぶ)
  夢工房(造り,見せる工場)の融合合体した未来空間を,建築という
 カタチでで表現したものである」

07114

これが僕が41歳のときに「夢工場」に馳せる想いだったが、
実はもう1つの夢工場構想があった。

・・・つづく

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2008年7月12日 (土)

車お宝話(68)懐かしのtomita autoの資料(Ⅲ)

      

なぜ最終的にクルマの造り屋になったかを、知ってもらうよい機会
だと思い、数回に分けて書いているのだが・・・

ほとんどのクルマ屋は、ショールームを持つことに憧れる!

僕の場合も、この写真のようにスーパーカーを展示していた場所に
ショールームを作ってしまったのだが、余りの狭さに閉口してしまう
ほどだった!

07052

・・・何しろ、詰め込んでも5台しか入らない!

口の悪い友人が、建築前の地鎮祭の最中に、前を通りかかったらしく、
まるで歩道の上で、地鎮祭をやってるのかと思ったと、ぬかしやがる!

事実間口は広いのだが、2つの三角形からなる、変な地形だから、
奥行きがまるでない。

そこで僕は考えた!・・・なんとか広く見せる方法はないかと・・

・・ありましたよ~!・・なんと11台に見えると誰もが言う方法が!

三角形を利用して、三面に鏡を張ることを思いついたのだが・・・

・・・これがなかなか万華鏡のようで面白い!

初めて来られた人は一様に驚く!・・実際には5台しか入っていない
のだから・・・

まるで手品の様だと・・・これがまた面白い!

この三面に鏡を使った手法は、喫茶店とかレストランにもなく、車の
ショウルームなどは全く初めてだったらしい。

お陰様で、結構なことにお堅い雑誌の取材が増え、随分得をした!

・・・「魔法の三面鏡ショールーム」なんてタイトルもあった!

次に、この写真の上半分は、「夢工場」になる前の展示場の風景だが、

07055_2
この頃は常に面白いクルマを50台ほど展示していた。

tomita autoのロゴの横に、総代理店の「AMG」と「HARTGE」
のブランド・マークがあるのが懐かしい!

この頃は、チューニングカーに傾倒し出した頃で、出発点のホンダの
特約店から日英の特約店、そしてランボルギーニ、デトマソの代理店、
BAEターボの代理店と、少しづつモノづくりに移行して来た頃だ!

次の下の3階建ての写真は、ブームの頃はスーパーカーの倉庫にして
いた自宅兼のビルで、この頃は工場に様変わりしている。

実はこの工場で、少しづつだが、モノづくりをするためのステップを
踏んできたのだ!

最初に入社してきたメカニックは2名だったが、メカ上がりの僕は嬉
しくて、その2人になんでもやりたいことをやらせた!

・・・こんなエピソードがある!

本物の怖いおっさんが、神戸からやって来て自分のメルセデスSLC
をAMGチューニングしてくれと云う!

少し不安もあったが、当時、こんな機会は滅多にないと引き受けた!
この二人のメカには「勉強のつもりでヤレ」と!

年末に完成して無事納車・・・ところがお正月の最中に車が止まって
しまったと僕の自宅に電話が・・・!

あの手この手で何とかしたが、この時の事は今でも覚えているらしい。
現在のトミタオートに居る工場長が、その時の新人メカだ・・・!

相変わらず無口な"へんこつ者"だが、腕は間違いなく"天下一品"だ!
特殊なクルマや、古い奴なら安く直してくれる、今では数少ない職人。

ちなみに現在のトミタオートは、トミーカイラのテスト・ドライバー
だった中島君が後を継いでいる。・・・(参照・お宝話(43)

話をもとに戻そう!・・・僕はもともと工場を持つのが夢だったから、
こんな感じで手掴みしながら、段々と工場の仕事を増やして行った。

当時、国内に参考になる会社もなければ、聞く人もいない。
だってチューニングカーを扱ってる店など全くない時代だ!

その頃、東京の輸入車屋さんなんか、今でこそAMGやロリンザーを
平気で扱っているけど、誰一人として、チューニングカーの意味すら
知らなかった。

同業者がよく僕に「富田君は好きだからな~」って言ってたもんな~!

だから、一つ一つ確かめながら、失敗しても恐れずに前に進めて行った。

そして僕が41歳の厄年に、とうとう金閣寺の展示場を壊して、そこに
「夢工場」を建ててしまった!

・・・つづく!

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2008年7月 9日 (水)

車お宝話(67)懐かしのtomita auto の資料(Ⅱ)

     

前回の(Ⅰ)に写真を5枚掲載したが、どれを取っても懐かしい!

この写真は2つ折りの簡単な会社案内で、中にカタログが挟める
ようになっている。

07051_6

当時の本社ショールームで撮影したものだが、本物のメルセデス
300SLガルウィングと、なんの変哲もない280SEの2台
が写っている。

この写真を見ていると、今更ながら、その頃の自分の考え方や、
方向性が、実に良く写真に出ていると思う。

今までなら、300SLガルウィングを見つけて展示することが
一番の目的だったが、この頃は早やモノ造りに目覚め始めていた!

実はこのなんの変哲もなく見える280SEだが、外観は純正の
AMG仕様で、エンジンはtomita auto製の「ターボ・疾風」が
取りつけてあるのだ!

今ではエアロパーツ付きのメルセデスは見慣れているが、この頃
など自動車評論家ですらメルセデスはノーマルで乗るものと決め
付けていた人が多かった時代だ。

ましてやメルセデスにターボを付けるなど、"とんでもない"と云う
評論家が大半だった。

そういえば、この280SEターボの取材でこんなことがあった。

取材の後で、レーサー上がりの評論家に、メルセデスにターボを
付けるなど邪道だ!・・・見たいなことを言われた!

僕は思いっきりキレまくって、そいつを怒鳴りつけて、とうとう
謝らせた思い出がある!

確かにその頃の環境が、暴走族イコール見たいな、そんな雰囲気
だったかもしれないが、時を経て何十年も経てば答えは自然に出た。

今にして思えば、若気の至りで申し訳ないと思うが、その頃は自分
なりに新しい事に挑戦しているという自負と信念があったからだ!

いつの世も、改革派と保守派の戦いがあるものだが・・・!

その下の2枚目の写真がそのカタログの表紙で、タ-ボ・ハヤテ
と読む。

07053_2

メインには「ターボ疾風」カラーのF3のレーシングカーが写って
いるが・・・

実は僕が初めてチーム監督になった、思い出のレーシングカーなの
だが、キツイ思い出がある・・次回にでも詳しく書くことにする!

そのカタログの一番下に、カッターナイフのようなロゴ・マークが
あるが、これが例のMTDのロゴ・マークだ!

その横にターボ付きエンジンの上に女の子が乗っている写真がある。
実はこの可愛い女の子の頭には、悪魔の角が生えているのだが!

「魂を売ってもパワーが欲しい」・これ全て"林みのる"の仕業だ!

というのは、この頃はまだtomita autoのメインは販売会社だった。
だから開発部門など憧れこそすれ、まだ存在しなかった。

だからこのターボ・ハヤテは設計から開発まで全て童夢に依頼した。
その結果、カタログ・デザインまで林君がやってくれたという訳だ!

だけど、この頃のtomita autoは、既にハルトゲのチューニングや、
ターボの取り付け、エアロパーツの製作等は、結構手慣れていたが!

このターボ・ハヤテを開発するきっかけは、その下にあるカタログ
写真の、「BAE・ターボシステム」の総代理店をしていたことが
原因している。

07054

アメリカ製のターボシステムで、BAE社はそこそこの規模もあり、
製品の見た眼も悪くないのだが、価格が高い上にドッカン・ターボで、
タイムラグ出まくりの、典型的な後付けターボだった。

・・・だから極力タイムラグの少ないターボシステムを、と考えた!

価格を抑え、仕上げの良さや、取り付け性を重視した自社製ターボ・
システムが、この「ターボ・疾風」なのだ!

tomita autoがターボ・キットを造っていたなんて、余りご存じない
と思うが・・・!

ポケバイのチッパーに始まり、3輪車のコメット、ターボシステムと
その後のクルマ造りの原点が見えてくる。

・・・つづく

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2008年7月 5日 (土)

車お宝話(66)懐かしのtomita autoの資料 (Ⅰ)

   

出てきた資料の中に、沢山tomita autoの資料が含まれていた!

07051

その中にもっと懐かしい、株式会社MTDの資料まで出て来た。

この(株)MTDとは面白い会社で友人3人の頭文字をゴロ良く
並べて共同で作った会社だった!

まずMは、当時のフォミュラーカー・F2のトップドライバーで
松本啓二の会社、メイジュのM、Tは tomita auto、Dは童夢の
頭文字で形成されている。

・・・だからMTD!

3人とも周知の仲で、暇があれば飲んでいた京都の仲間3人が、
新しい分野に進出ようと、共同出資して作った会社なのだが!

中身は自動車用品専門の販売会社だった。

3人がお互いに持っている商品の総代理店として、ひとつの会社
が取り仕切るという面白い形態の会社だったが、今考えても充分
に面白い!

・・・「M」

松本啓二、通称ケイジはメイジュのオリジナル・エアロパーツ等
やレース用品を主として扱っていた。

お店は京都の北山通りにあり、結構お洒落なお店で人気があった。

JTがスポンサーの時など,タバコの自動販売機の下半分はケイジ
のポスターがデカデカと張ってあったから、知名度は抜群だった!

当時は、あのハンサムなハーフ顔でトップドライバーだったから、
そのポスターを欲しがる人が、ホントに多かったな~と!

何しろ自動販売機にくっ付いたケイジのポスターは、北海道から
沖縄まで、津々浦々に行き渡っていたから、凄い人気だった。

そのケイジがAMGのことを雑誌の広告で、「アーマーゲー」と
書いたから日本中でAMGは「アーマーゲー」になってしまった!

だから「アーマーゲー」の名付親はケイジだと思うけど・・・

・・・「T]

当時のtomita autoはターボキットとハルトゲのパーツが主な商品

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で、自動車販売が専門だった会社が、用品の販売に進出した国内で
初めてケースとなった。

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今なら自動車販売会社に、用品が置いてあるのは当たり前になって
いるが、その頃はとんでもない発想だったらしい!

その証拠に、全国からカーグラフィックの広告を見たと、同業者の
見学が絶えなかったよ!

幸い北野神社の横に本社と、そして金閣寺の側に後に夢工場になる
展示場もあり、本社のすぐ近くに工場もあった。

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だから本社に用品の展示をして、工場で取り付ける形でスタートを
切った!

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・・・「D」

今の童夢なら信じられないことだが、何とボーズのカーステレオの
国内で最初の発売元として、用品に進出した。

何も知らない僕なんか「BOSE」でボーズと読むと最初に聞いた
た時、何と変な名前だと・・・!

ホントにこんな変な名前のスピーカーが売れるのかな~と思ったり
したものだが・・・!

ところが今は、世界初のサスペンションまで開発するとんでもない
スピーカー・メーカーになってしまった。

やはり林君の先見の明はスゴイなーと!

だからtomita autoのショールームは、最初からボーズのスピーカー
だったから、後々みんなに羨ましがられたな~!

・・・続く!

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2008年7月 2日 (水)

車お宝話(65)高騰するガソリンの影響!

    

1日の新聞を見ていたら、目が釘付けになる、驚く記事があった!

あのゼネラル・モーターズと、フォード・モーターが、5年以内に
債務不履行に陥る確率は、70%と書いてあるではないか!

ここ数年、日本車の台頭で苦戦している事は知っていたが、まさか
そこまで悪化していたとは想像もしていなかったから余計に驚いた。

僕の知る限りでは、01年の同時多発テロ直後から販売不振に陥り、
05年に社格ランク付けが「投資不適格」に落ちたと記憶している。

その煽りで、身内のような部品会社、デリファイの経営不振も救え
なかったが・・・

それでも急成長する中国市場で台数を稼ぎ、昨年も僅差で販売台数
は世界一に留まったが、なんと3兆円もの大赤字を出してしまった。

それでは販売台数が世界一でも、ビジネスとして成立しないだろう!

その上、第2次石油ショック以来のガソリンの高騰で、益々株価が
下落、何とGMの時価総額はトヨタの25分の1にまで落ちている。

あの巨大なGMの総資産が僅か6千9百億円とは・・確か僕の記憶
では日産がルノーに買収された金額と遜色ないと思うが・・!

その点、燃費のいい小型車を得意とするホンダやトヨタの株価は、
落ち率も少ないから余計に差がつく!

だから収益の柱がいつまでも大型車のGMは、このガソリンの高騰
で一気に株価が半減したのだろう。

10年ほど前までは、GMといえば世界の中でも揺るぎないトップ
企業だった筈なのに・・・・・怖いことだ!

ほんとに世界の変化は早くなっていて、企業の本業も得意な分野も
どんどん変化していかなければ、世の中の変化に対応しきれなく
なってきている。

僕が独立した頃は、ひとたび事業を起こせば一生もので、旨く行け
ば孫の代までといった感覚が一般的だったが・・・!

最近の事業の寿命は10年といわれているが、今日の新聞にもこの
代表的な記事が載っている。

昭和シェル石油が、世界最大級の太陽光発電パネル工場を設立して、
年間の総発電量を原子力発電所一基分に相当する規模にするという!

早い話が、ガソリンが売れなくなったから、代替え事業ということ
なのだろうが、どんどんとエネルギーが電気に代わって来ている。

6月4日のお宝話にも書いたが、郵便事業会社が保有する2万1千
台の車を、8年間で全て電気自動車にする記事があったが・・・

エネルギー問題を身近に感じる時代になって来たと思う!

昨日初めてセルフのスタンドでガソリンを入れたが、何と197円
になっていたから、普段使っているスタンドなら間違いなく200
は超えているのだろう!

こんな体験をしてしまうと、新聞の記事が遠いものでなく、本当に
身近な問題として理解できる。

普段の足は電気自動車で、趣味のクルマはガソリン車の構図が自然
と頭に浮かぶ!

そんなことを考えていて、ふと思いついたことが・・・
ガソリンの代替えは電気があるが、もし電気がなくなったらと・・!

普段から電気がある事が当たり前になっているから気にもしなかったが、
もしも、そんなことになれば、最早この地球上は正常に機能しないだろう!

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