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2008年4月16日 (水)

クルマお宝話(44)初期の夢工場のクルマたち(Ⅱ)

「トミーカイラ・サニー」と「ハルトゲ・スカイライン」この2台
のクルマは直接的には魅力のあるクルマではない!

ところが、この2台があればこそ、その後、日産車をベースとした
トミーカイラの展開が出来たのだ!

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このクルマはサニーの20周年の記念に、日産自動車本体とコラボ
した記念モデルで、メーカーの公認車として最初のモデルとなる。

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この記念モデルの内見会では、当時の日産自動車の社長をはじめ、
全国のディラーの社長たち全員に披露された。

全国のディーラーから販売されるものは、トミーカイラのホイール
やマット、ストライプ、ステアリングなど最小限の変更だった。

この当時はまだ、自動車メーカーにエンジンやサスペションの改造話
をすること自体タブーな時代!

だから独自に、たかがサニー、されどサニー的なイメージを日産に提案
するために、このサニーを使ってフルチューニングしたモデルを製作した。

このクルマの写真が見当たらないのが残念だが!

紺色のボディーにアルミボンネットとアルミフェンダーを取り付けた、
本格的なライトウエイトのチューンドカー・モデルを製作した!

エンジンもブルーバード用、2リッターを積んで、足回りなども解良君
が相当チューニングしたように記憶している。

ひよっとして当時の取材記事を、ご存じの方もいるかも知れないが!

簡単に書いたがブルーバードのエンジンにしろ、日産車体で製作した
アルミのボンネットとフェンダーのしろ、日産自動車本体と正式に
コラボしたことで実現出来ことだ!

このアピール戦略は、日産自動車にチューニングカーというものを、
知ってもらう為に製作したのだが、良い意味で副産物もあった。

余談になるが、この時に意気投合した日産車体の工場長と、この時の
アルミ技術を使って、フェアレディーZのオールアルミボディー化を、
日産自動車に提案しようと云うことに!

結果は却下されたのだが!

細かくは書かないが、この程度の提案は、それこそ無数にしたのだが!
この当時の日産のことを、人はよく官庁のようだと表現していた。

だからこの記念モデルは、そんな堅苦しい時代の日産の出来事として、
他メーカーでも多少は話題になったりもした!

もう一台のハルトゲ・スカイラインは、少し遅れて当時のプリンス自販
とのコラボで実現したが、紆余曲折、色々あって、結局「ハルトゲ」の
名称は使わず「ヨーロピアン・コレクション」の名称で発売された。

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この時もデモカーとしてハルトゲ・スカイラインを造り、日産自動車の
宣伝部長の協力を得て、当時の一流処、ディスコ・マハラジャとJTの

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協賛で、歌手のアンルイス武道館ライブ・1万人コンサートに参加した!

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丁度その頃、フジテレビ主催のインターテック・シリーズ戦にフル出場し、
BMW635CSIで年間シリーズ・チャンピオンを獲得した!

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シリーズ2位は友人のトムス、3位がニスモ・スカイラインだった。

しかしこれが問題となり,ことごとく当時のニスモ、難波社長と衝突した。

当時の日産自動車の確執か、大企業が零細企業に負けたことが問題で、
日産社内で急激にハルトゲ・ブランドに対する風当たりが強くなった!

結局「ハルトゲ・スカイライン」は日の目を見なかった。

しかし結果として、このことが原因で、後に大きく花が開くのだが!

まだこの地点ではトミーカイラの知名度はなく、日産社内で認知される
までには多少の時間がかかった。

前出のサニー20周年記念車も、期待したほどは売れず、ステアリング
やホイールに多額の投資をした意味を見い出せなかった!

やはり零細企業が大企業と取引することのリスクは、とんでもなく大きい。

それでも諦めないのが僕の信条!・・・益々闘志を燃やした。

日産の販売店を何とか活用できないかと!

それではと考えたのが、あの「トミーカイラM30」の企画だ!

この企画は、モデルチェンジ末期を控えたスカイラインの活性化を必要
とする日産自動車と、僕の思惑が一致したことで実現した!

この時、既に僕は日産社内に多くの人脈を築いていたし、特別な立場を
手に入れていた。

と言っても、相手は世界に君臨する大企業の自動車メーカー!

日産自動車にとっても、運輸省(当時)にとっても、何から何まで既成
の概念を破る初めてのことばかりで、山のような難問が続出したが、
ひとつ一つ、淡々とクリアしていった。

そしてとうとう「トミーカイラM30]の発表会を、当時、荻窪にあった
日産アプリーテ本社で、テレビ局も含めマスコミに披露することに!

そんなことで、後々まで日産車をベースにしたチューニングカーを造る
ことになるのだが、サニー20周年記念車とハルトゲ・スカイラインの、
この2台が原点になり、大きな役割を果たしたと思う!

こんなことが出来たのは、お宝話(27)"88年イギリスGPに書いた、
兄貴分の元日産サニー京都のオーナー社長、今は亡き、S氏のお陰だ。

今とは違う、古き良き時代の日産自動車との思い出話!

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コメント

このサニー、カタログありましたよね?
確か・・・持ってた気がします。
トミーカイラ旧ロゴのものでしたよね?記憶違いかもしれませんが・・・

そして一枚目の写真に私が勤務してたとこのボスが・・・(笑)
たぶん間違いないと思います。

投稿: 今日 | 2008年4月17日 (木) 20時17分

懐かしいでしょう!
僕の兄貴分もしっかり写ってますよ。
古き良き時代のデーラーの社長たちですね!
今のデーラーはゴーンがきてから地獄みたいで、真っ暗らしいから、かわいそうですね!

投稿: 富田義一 | 2008年4月18日 (金) 12時44分

なつかしいサニーですね!

当時としては軽快に走り、トラッドサニー!!
なんて呼ばれていたと思います。

そしてハルトゲスカイラインですが、
自動車雑誌にもしばらくの間広告が載っていたような記憶
があります。

当時アルピナBMWよりもハルトゲに興味を持っていたので
どんなチューンがされているのか興味津々でした。

でもいつの日か雑誌の掲載もなくなり
一体どうなったのかな?と心配していましたが・・・

そのあとM30の発表ですね!!

車両価格を見て愕然としましたが(笑)

ターボでなくNA!!

興味が湧きました!!

投稿: R-Zファン | 2008年4月18日 (金) 21時24分

コメントどうも!
そうですかハルトゲ・スカイラインの広告のことは僕もよく覚えてないですよ!
結構その頃は日産自動車と色々あって、駆け引きしてた時期かも知れませんね~!
その頃の僕は、零細企業が大企業に立ち向かうことを楽しんでいたし、その頃、日本の優良技術1,000社に選ばれたりもして、資本金200万円の零細企業がトヨタ自動車に並んで矢野経済研究所の年鑑の掲載されたりもした頃ですよ!

投稿: 富田義一 | 2008年4月21日 (月) 12時41分

こんばんは。懐かしいサニーですね。私にも非常に思い入れのある車です。
地元が京都の北野界隈なので、子供の頃よくトミタオートへ車を見に行ってました。大人になってからもですが(笑)
350馬力Zとかの看板は非常に目の毒でした。
当時、私もCA16のサニーに乗っていまして、紺色サニーのトミーカイラを見た時の衝撃は今でも脳裏に焼きついています。
とりあえず外見だけでもとスポイラーとストライプでトミーカイラ仕様にしていました。E/Gは赤を緑に塗り替えて(笑)
ヘッドライトの内側にフォグランプを入れていましたが、見覚えありますか?
この仕様で2台いたんですよ(^^)もうひとりは当時ガソリン屋の所長です!
私は13万キロ余り、所長は15万キロ余り堪能させてもらいました!それから乗りたい車が未だ見つかりませんが・・・
また魅力的な車が出てくることを期待しています。

投稿: takao tokutani | 2013年3月28日 (木) 21時26分

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