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2008年4月

2008年4月28日 (月)

クルマお宝話(47)「夢を捨ててはいけない!」

   

ひと月ほど前のお宝話(38)に、4月が来れば素晴らしい世界が
見えて来ると信じて疑わない、と書いたのだが!

早くもひと月が経ち、4月もすでに終わろうとしている。
はたして信じていた素晴らしいものは、見えて来たのだろうか?

正直に告白すると、この5年間で初めて大きな波が来た気がする。
それも一つの大きい波ではなく、色んな形の波が5つも、6つも!

この波の内容について語るのは、もう少し時間が欲しい。

これまでの5年間は、静かな波とでも表現すればいいのか!
いわゆる凪の状態だった。

この期間の事を「未来に向けての貴重な充電と蓄積の時間」と僕の
ことをNAVIが書いてくれていたが!

大きく気持ちが前向きに変化して行くのが、手に取るように分かる!

ここで改めて思う!・・・・・やはり人間は夢を捨ててはいけない。
夢を幻で終わらせてはいけない!・・・
・・・・・・・・・・・・・・改めて想像力の偉大さを思い知った!

今回も無意識の行動だが、これは「奇跡の杖・7・想像力で叶える」
にしっかりと書いてあることだ!

自分の心から出た言葉だが、益々強く確信した。

まぁ、そんなウエーブが一度に来た4月だが、決して虎視眈眈とした
日々ではなく、自然な感じの坦々とした日々、と言った方が正しい!

僕は昔から「心悩ますな,天に任せよ」が信条だから、何事も自然体!

旨く行った時も、行かなかった時も、それが一番良い結果だと思える
から、悩まないし、後悔もしない・・・・・・だから心が乱れない!

これは、その一瞬で物事を判断してはいけないと言うこと!
これこそ「バサラの真髄」だ。

日々、自然も、人も、環境も、変化する!

その中で、日々想像力を働かせて、夢を持ち続けることだけかな~!
これが、僕の最近の心情ですよ!

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2008年4月24日 (木)

クルマお宝話(46)「ZZ・幻の430台」・Ⅱ

前回からの続きをお話しよう!

ご存じのように、この資金を元にイギリスでの生産が始まった!

日本国内でも認可作業を進めていたのだが、例の如く運輸省(当時)
の対応は膨大な資料を要求し、その上、結末がハッキリしない。

そんなことで、同時に認可作業を進めていたイギリスで生産する
ことを決めた。

英国内に、市販の為の認可作業と、月産12台を3年間続けられる
生産設備を持つトミタオートUKを設立した。

430台を消化するには、月産12台で3年掛る計算になるが、
現実的には、生産がスタートした直後の数か月は、月産12台とは
いかない。

その上、レーシングカーではなく、市販車なのだから、
途中での設計変更や、歩留まりの変更は簡単にはできない!

だから市販車として生産するためには、最初の基準が大事なのだ!

やはり最終仕上げの問題、塗装の問題など、大きな問題が次々と
出てきたが、今迄チューニングカーを生産してきた実績と、
世界一基準が厳しいと言われる国内自動車メーカーとのビジネス
経験が役に立った!

こうして全ての問題をクリアーして、最初のトミーカイラZZを
納車したのは、発表から既に2年ほど経っていた!

やっと順調に生産のペースが上がって来たとき、突然、根底を覆す、
とんでもなく大きな問題が起きた!

・・・以前に運輸省(当時)は色々問題だらけだと書いたが!

その根底を覆す大きな問題とは、納車開始後から2年ほど経った、
1999年4月に運輸省令による保安基準の改正が施行された。

改正内容・・(これまで少量生産車の衝突基準はEU適合により
       免除されていたが、4月生産分から、より厳しい
       米国基準による前面衝突実験が必要となった。)

この法改正は、英国生産のトミーカイラZZだけでなく、英国で
生産されている、有名自動車メーカーの少量生産車も日本への輸出が
できなくなった。

改正後の保安基準をクリアにする為には、設計変更が必要となる!

エアーバックを付け、衝撃吸収テストの為にフロントとリアを延長
すればデザイン・コンセプトが大きく変更になってしまう。

本来、トミーカイラZZは運動性能を高める目的でフロント、リア
共に最小限のオーバーハングにすることを、デザイン・コンセプトと
していた。

本来のコンセプトを変更すれば、「ZZ]ではなくなってしまう!
そのうえ衝撃吸収テストの莫大な費用により、販売価格も上がる。

さんざん検討した結果、いさぎよく生産中止を決めた!
そして、この問題をすべてクリアした次期車両の開発を同時に決めた。

それが「トミーカイラ・ZZⅡ」なのだ!

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ところが、この運輸省令による保安基準が同年の9月に,朝令暮改の
如くたった半年で、また元通りのEU適合で良しとなった。

信じられない出来事だが、外圧に弱い日本の運輸省が、外圧に屈し、
元に戻したと聞いているが・・・!

だが、時すでに遅し、イギリス工場は閉鎖していた。

この運輸省の朝令暮改の如き出来事を、テレビ朝日系のニュース・
ステーションが特番を組むからと取材に来た!

この番組の中で、トミタ夢工場がイギリス工場の閉鎖によって損出
した4億円を、国はどう保証するのかと報道していたが!

そんなもの未だに電話1本ない。

・・・"もしも"その運輸省による法改正の茶番劇がなかったとしたら!

間違いなく、「トミーカイラ・ZZ」を430台生産していたと思う。
なぜなら、それだけの注文書を既にそのとき手にしていたのだから!

総生産台数は220台程、国内登録台数206台で幕を閉じた!

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2008年4月21日 (月)

クルマお宝話(45)「ZZ・幻の430台」・Ⅰ

今回のタイトル、幻の430台の話をしよう!

お宝話(41)、「シムカと僕の考察」の最後の方に2枚の
写真を掲載したが、この写真こそ発表会の成果を示す写真だ!

プレス発表会の案内に返事がきた出席数だけ椅子が並べてある。
僕の記憶では150席ほどだったと記憶しているが!

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これだけ多くのプレス関係者に出席して貰えるということは、
それだけ多く報道して貰えるチャンスがあるということだ!

プレス発表会の席上で、某編集長に「この出席数は大メーカー
並みの出席者だよ!」と教えてもらい、胸を撫で下ろしたのを
思い出す!

この中には10社近くの外国メディアも含まれていた。

1995年7月、芝公園の「東京プリンスホテル」の宴会場に、
2台の発表用、トミーカイラ・ZZを持ち込み展示した。

ベールに包まれた2台のトミーカイラ・ZZを前に、大親友の
馬場弘文氏が総合司会をしてくれた。

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発表会の第一部は関係者の方々を招待し、本当に大勢の人たちに
参加して頂いた。

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特に嬉しかったのは、当時、アメリカ日産で社長をされていた
大野社長が、このレセプションのために、わざわざ帰国して出席し
て頂いたこと。

舞台に上がって褒め言葉とも、くさし言葉とも分からぬ楽しい祝辞
をくれた童夢、無限、トムスの友人の社長達!

デザイン担当の由良卓也氏、ドライバーの津々見氏など多くの人

に祝辞を頂いた。

思い出せば走馬灯のように、次々と浮かんでくる!

第2部は最初に書いたように、プレス関係者に対する発表の場と
なっていた。

例のたくさん並んだ椅子の写真がそうだ!

国内の自動車メーカーからは、ほとんど開発関係の方が来てくれ、
それ以外に、自動車業界や用品業界からも大勢参加して頂いた。

いよいよ、セレモニー!

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1台は、ZZの最大の特徴となるアルミモノコックを披露する為に
シャシーはむき出しの状態にした。

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勿論、このままの状態で走ることが出来る!

もう一台は完成車で、アルミ・モノコックのイメージを印象付ける
為にシルバー・メタリック塗装とした。

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プレス説明会では解良君がZZのコンセプトやエンジニアリング
について話をし、僕が今後の方針とか目標を話した!

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このプレス発表会の成果は、翌月の8月Ⅰ日、発売開始日に
凄い反響と共に現れた。

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1995年8月1日、朝一番から電話が殺到した!

初めての経験だった、一日数百本の電話の対応に明け暮れた。

そして一ヶ月後、3年間の予定生産台数430台を完売して
締め切った!

これが430台の根拠だが、正直、念じて、夢見ていた台数が
現実となったこの時期、430台の生産ラインを国内に造るのか、
それとも海外に造るのか、この時は全く決まっていなかった!

まして、これだけの台数を生産するには、かなりの資金が必要に
なる、これからの資金調達が大変だつた。

契約書にサインして貰った人たちに、手付金なり、内金なりを
貰えば簡単に資金は調達できたのだが!

早く納車できる人でも2年近く先になる、ましてや最後の人は
4年近く先になる。

その上、我々としても初めての事だから、何が起きてもおかしく
はない、結論として我々は、手金や内金は貰わない事とした!

そんな時、有難いことに、当時の日本興業銀行の京都支店長が、
430枚の売買契約書を見て、1年分の資金を引受てくれた。

次回につづく!

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2008年4月16日 (水)

クルマお宝話(44)初期の夢工場のクルマたち(Ⅱ)

「トミーカイラ・サニー」と「ハルトゲ・スカイライン」この2台
のクルマは直接的には魅力のあるクルマではない!

ところが、この2台があればこそ、その後、日産車をベースとした
トミーカイラの展開が出来たのだ!

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このクルマはサニーの20周年の記念に、日産自動車本体とコラボ
した記念モデルで、メーカーの公認車として最初のモデルとなる。

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この記念モデルの内見会では、当時の日産自動車の社長をはじめ、
全国のディラーの社長たち全員に披露された。

全国のディーラーから販売されるものは、トミーカイラのホイール
やマット、ストライプ、ステアリングなど最小限の変更だった。

この当時はまだ、自動車メーカーにエンジンやサスペションの改造話
をすること自体タブーな時代!

だから独自に、たかがサニー、されどサニー的なイメージを日産に提案
するために、このサニーを使ってフルチューニングしたモデルを製作した。

このクルマの写真が見当たらないのが残念だが!

紺色のボディーにアルミボンネットとアルミフェンダーを取り付けた、
本格的なライトウエイトのチューンドカー・モデルを製作した!

エンジンもブルーバード用、2リッターを積んで、足回りなども解良君
が相当チューニングしたように記憶している。

ひよっとして当時の取材記事を、ご存じの方もいるかも知れないが!

簡単に書いたがブルーバードのエンジンにしろ、日産車体で製作した
アルミのボンネットとフェンダーのしろ、日産自動車本体と正式に
コラボしたことで実現出来ことだ!

このアピール戦略は、日産自動車にチューニングカーというものを、
知ってもらう為に製作したのだが、良い意味で副産物もあった。

余談になるが、この時に意気投合した日産車体の工場長と、この時の
アルミ技術を使って、フェアレディーZのオールアルミボディー化を、
日産自動車に提案しようと云うことに!

結果は却下されたのだが!

細かくは書かないが、この程度の提案は、それこそ無数にしたのだが!
この当時の日産のことを、人はよく官庁のようだと表現していた。

だからこの記念モデルは、そんな堅苦しい時代の日産の出来事として、
他メーカーでも多少は話題になったりもした!

もう一台のハルトゲ・スカイラインは、少し遅れて当時のプリンス自販
とのコラボで実現したが、紆余曲折、色々あって、結局「ハルトゲ」の
名称は使わず「ヨーロピアン・コレクション」の名称で発売された。

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この時もデモカーとしてハルトゲ・スカイラインを造り、日産自動車の
宣伝部長の協力を得て、当時の一流処、ディスコ・マハラジャとJTの

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協賛で、歌手のアンルイス武道館ライブ・1万人コンサートに参加した!

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丁度その頃、フジテレビ主催のインターテック・シリーズ戦にフル出場し、
BMW635CSIで年間シリーズ・チャンピオンを獲得した!

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シリーズ2位は友人のトムス、3位がニスモ・スカイラインだった。

しかしこれが問題となり,ことごとく当時のニスモ、難波社長と衝突した。

当時の日産自動車の確執か、大企業が零細企業に負けたことが問題で、
日産社内で急激にハルトゲ・ブランドに対する風当たりが強くなった!

結局「ハルトゲ・スカイライン」は日の目を見なかった。

しかし結果として、このことが原因で、後に大きく花が開くのだが!

まだこの地点ではトミーカイラの知名度はなく、日産社内で認知される
までには多少の時間がかかった。

前出のサニー20周年記念車も、期待したほどは売れず、ステアリング
やホイールに多額の投資をした意味を見い出せなかった!

やはり零細企業が大企業と取引することのリスクは、とんでもなく大きい。

それでも諦めないのが僕の信条!・・・益々闘志を燃やした。

日産の販売店を何とか活用できないかと!

それではと考えたのが、あの「トミーカイラM30」の企画だ!

この企画は、モデルチェンジ末期を控えたスカイラインの活性化を必要
とする日産自動車と、僕の思惑が一致したことで実現した!

この時、既に僕は日産社内に多くの人脈を築いていたし、特別な立場を
手に入れていた。

と言っても、相手は世界に君臨する大企業の自動車メーカー!

日産自動車にとっても、運輸省(当時)にとっても、何から何まで既成
の概念を破る初めてのことばかりで、山のような難問が続出したが、
ひとつ一つ、淡々とクリアしていった。

そしてとうとう「トミーカイラM30]の発表会を、当時、荻窪にあった
日産アプリーテ本社で、テレビ局も含めマスコミに披露することに!

そんなことで、後々まで日産車をベースにしたチューニングカーを造る
ことになるのだが、サニー20周年記念車とハルトゲ・スカイラインの、
この2台が原点になり、大きな役割を果たしたと思う!

こんなことが出来たのは、お宝話(27)"88年イギリスGPに書いた、
兄貴分の元日産サニー京都のオーナー社長、今は亡き、S氏のお陰だ。

今とは違う、古き良き時代の日産自動車との思い出話!

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2008年4月12日 (土)

クルマお宝話(43)初期の夢工場のクルマたち(Ⅰ)

 

夢工場が出来た頃の写真を見て、初期の余り知られていない
トミーカイラのことを少し書いておこうと思う。

この写真を見るのは、僕もほんとに久し振りのことで懐かしい!

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このショールームの写真は初期の「夢工場」の風景で、展示して
ある3台のクルマには、それぞれに強い思い入れがある。

まず左端のクルマは、トミーカイラの開発1号車となる「M19]、
真ん中奥の白いクルマは、トミーカイラ・サニー20周年記念車、
右端の黒いクルマは、ハルトゲ・スカイラインである。

最初に「トミーカイラ・M19」の話から!
事実上、この「M19」がトミーカイラの開発一号車となるモデル。

写真にある、グレイのストライプとホイールのモデルが2.3で、

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シルバーメタリックのストライプとホイールのモデルが2リッター
モデルとなっている。

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この2台を最初に造り、2.3と2リッターモデルを比較して見たが、
性能的には、それほど遜色のないことが判明した!

2.3にするためのエンジン組み付け時間と、コストを考えて、
2リッターモデルのみ発表することにした。

当時、自動車誌ベストカーの取材で、矢田部でのフルテストを敢行!
結果は、想像以上に満足のいくテスト・データーが取れて驚いた。

トミーカイラのテストドライバーだった中島君も、その時、矢田部の
テストに参加していた。

彼はシビック・レースで活躍後、シティ・ブルドッグレースでホンダ
・ワークスを相手に、シリーズ・チャンピオンを獲得したツワモノだ。

監督は解良君で、鈴鹿のシリーズ戦となる、このブルドッグレースで、
あの黒沢元治選手をインから刺して優勝した時の活躍は鮮烈に記憶に
残っている!

そうそう、僕がこのM19に乗っている時、京都の高尾パークウェイで
正しいカウンターのあて方を伝授してもらったことがある!

カウンターの後の"おつり"が少々激しかった僕が、彼の何事もなかった
ようなカウンターステアーに憧れてお願いしたのだ。

この高尾パークウェイとは、年間契約で、走行取材の許可を取り付けて
いたから、取材でも、撮影でも、数え切れないぐらい高尾パークウェイ
に足を運んだ!

そしてまた、数えきれないほど多くの有名ドライバーのカウンターを、
見せてもらった!

その中でも印象に残るのは、「M30」発表時、トミーカイラとは特に
縁の深い、黒沢元治氏の操る「M30]のカウンターは奇麗の一言だ!

そういえば黒沢氏とは、昨年の12月、久々に小島君の引退パーティー
で会って懐かしい話をし、レーサーの息子さんも紹介してくれた!

話を戻そう・・・・その中島君につい先ほど、その時の様子を聞いた。

彼はその時のことをよく覚えていて、まるで昨日のことのように細く話
てくれた。

その説明では、矢田部のバンクの出口をアクセル全開で200km越え
で走っても、高速安定性は抜群だったという!

僕はこの「M19]が大好きで、都合10年もの間手放さなかった!

ラスト3年は、このお気に入りの「M19」を、東京の住まいにまで
持って行ったほどだ!

この「M19]が出来上がった当初、福井の敦賀市にFCで1号店と
なる「夢工場・敦賀」がオープンした。

丁度いい機会と、毎週のように、この開発車両の「M19]で京都と
敦賀を往復したが、何度もフルテストに使用したままの状態とは、
とても思えないほどしっかりとしていた!

ある雨の日、敦賀からの帰り道、北陸自動車道を京都に向けて走って
いた!・・・前方に5台ほど、怖そうなメルセデス・AMGが、とぐろを巻く
ように走っている、多分、怖い人の定番、片山津温泉の帰りだろう!

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僕がその集団の真ん中をかなりのスピードで、ほとんど何も考えずに
通り抜けた途端、このAMG軍団が一斉に追いかけて来た!

”ヤバッ”と思ったが後の祭り・・・・・・逃げ通すしかない!
「幸い雨の夜中だ!」・・・行けるところまで行くしか道はない。

この2リッターの「トミーカイラ」対「AMG]の対決や如何に!

暫くは後方からのパッシングの砲撃が続く・・・・数分のバトルの後、
僕の乗っている「M19]の方が有利だと気付く!

雨の日は、超扁平の極太タイヤは不利なのだ、あるスピードまで到達
すると、後ろのヘッドライトが少し遠のく!

そんなことを何度か繰り返す内に、後ろの景色は真っ暗になった。
相手はメルセデスAMGのS,SLC,SEC、たぶん本物だろう!

・・・・・2リッター「トミーカイラM19]の勝ち~!

だって僕は百回以上も東京~京都を往復して、余程遅いクルマのとき
以外は後塵を拝した経験がないのだから!

フルスロットルの長距離には、かなりの自信があった!

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2008年4月 8日 (火)

クルマお宝話(42)ZZと集合写真(NAVI・4)

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それにしても、このトミーカイラZZの集合写真はみんな若いな~!
(NAVI・75頁・左端の写真)

こうして見ると一人一人の顔が懐かしく、4年も掛かってやっと
出来上がったZZを囲んで、それぞれが達成感に溢れている!

この写真は、発表用のカタログ撮影が済んだあとのワンショット!

このときの撮影はスタジオで行い深夜まで続いたが、みんな生き生き
していたのを思い出す!

やはり仕事をやり遂げた達成感を、みんなで味わうことの素晴らしさ
は格別なものがある。

独立して仕事を始めた最初の頃は、僕一人の充実感だったが、
モノ造りを始めてからは、段々と仲間が増えていくことの充実感が、
何とも言えず、心地よく、楽しかった・・・・・!

だから色んな事に、苦もなく、楽しくチャレンジが続けられたと思う。

そんなことで、この撮影はお披露目の舞台を前にした最後の仕上げと
なる日だから、みんな深夜まで気合いが入っていた。

かなり大掛かりな撮影で、シャシーだけの状態を撮影するために、
なんとスタジオの中でZZのボデーを取り外し、シャシーと分離
させたのだから!

このシャシーだけの写真を掲載する目的は、当時、世界初となる
「アルミ押し出し材」による工法を紹介するためだった!

もっとも、遡ること一年ほど前のカーグラフィックの記事で、
既にシャシーだけの走行テスト風景が掲載されていたのだが!

このときのカーグラフィックの取材記事は、ZZの開発過程など
9頁の特集が組まれていた。

ZZの一番の特徴である、アルミ押し出し工法によるシャシーは、
現在、主だったスポーツカーに採用される結果となっているが!

今思っても、この工法による特許が取れなかったことは非常に残念
なのだが、ZZⅡを含め大企業のアルミメーカーと共同で色々な
工法にチャレンジ出来たことは、今でも良い思い出となっている!

どんなことでも納得いくまでやって措かないと後で悔いを残す!

ところで淋しいことに、この撮影で制作したZZのカタログが、
一枚も手元に残っていないことが何とも残念だ!

このカタログは、小さな自動車会社としてはかなり凝ったもので、
僕も気に入っていたし、おもしろいと業界での評価も結構高かった。

初めて造ったクルマのカタログだからと、いつもの悪い癖で採算を
考えずに制作したから、良くできていても当たり前かも知れないが!

そうそう、撮影のことと言えば、トミタ夢工場の中庭のパーキング・
スペースを他目的に使えるようにと、最初から設計して於いた。

この中庭を、オープン・スペースのスタジオとして使えるように、
カメラアングルを考えて、欅の木を配置したり、レンガを床に敷き
詰めたりした。

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そしてカメラマンが斜め上からのアングルを撮れるようにと、
2階にも半円の小さなテラス風の足場スペースを造って於いた。

僕は、この中庭のスタジオ・スペースで撮影するのが大好きだった!

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オープン・スタジオだから天気のいい日の撮影は本当に楽しい時間で、
数えきれない程のチューニングカーを撮影したと思う!

そんな撮影の時、完成したばかりのチュ-ニングカーを前にして
撮影するのだから、安堵の気持と期待とで楽しくない訳がない!

僕は偉そうに映画監督のようなキャンバス・チェアーに座って、
コーヒーカップを片手にアングルを探ったりしていたものだ・・・!

思い返してみると、この時が一番至福のひと時だったのかもしれない。

プラモデルでも出来上がった完成車を眺めている時は楽しいのに、
それが本物のクルマとなれば、楽しいを越して幸せを感じるひと時だ!

そういえば、このオープン・スタジオの中庭で、ほかにも楽しかった
思い出がある!

それは年に1、2度だが、この中庭に友人のミュージシャンをゲスト
に招いて、野外コンサートよろしく、楽しい時間を過ごしたりもした。

友人のミニ・コンサートの後は、恒例の焼肉パーティー場に早変わり!

いつもは完成車が展示してあるスペースに、開発メンバーがドラム缶で
造った自家製巨大バーべキューセットが用意してある!

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いやはや本当に楽しい思い出が、この中庭のスペースにはあった!

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2008年4月 4日 (金)

クルマお宝話(41)シムカ・ラリー3と僕の考察(NAVI・3)

もう一つ忘れてならない大好きな「シムカ・ラリー3」の写真が
「アルピーヌ・A110」と共に大きく見出しを飾っている!
(NAVI・74頁の写真)

アルピーヌと並んでコーナーを曲がっているカットが、なんとも懐かしい
風景を醸し出しているのだが!

久し振りにこんな写真を見ていると、どんどんと昔に戻って行く自分に
気がつく!

このクルマたちに思い入れ、純粋に好きなクルマだけを求めていた
あの頃の自分に思いを馳せる。

大好きな「アルピーヌ・A110」と「シムカ・ラリー3」、2台共
RR車で、ラリーでのステージをもっとも得意とするスポーツカーだ!

当時、この「シムカ・ラリー3」の取材記事がカーグラフィックに
10頁もの特集が組まれ「吉田匠」氏のレポートで掲載された!

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その記事の中で吉田匠氏が、このフランス製のストリート・レーサーの
事を「ちょっと比べるものが見当たらないくらいに、痛快な車であった」
と感想を記している。

僕の記憶の中でもエンジンを掛けるときの気難しさはウェーバー・キャブ
特有のものだし、渋滞などではかぶり気味になるから、プラグの品番を
少し落とすなどと結構気を使う!

その上、超クロースレシオの一速がとんでもなくハイギアなので、
スタート時は相当神経を使うし、出足も相当悪いのだが・・・!

しかし、このじゃじゃ馬のように気難しいRR車のギアを駆使して、
乗りこなす楽しさは、例えようが無いほどに素晴らしいものなのだ!

そして一旦走り出してしまえば、角度が調整出来るフルバケットシート
と共に、フランス車特有の最高に素晴らしい乗り心地を提供してくれる。

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名称は「シムカ1000・ラリー3」だが、総排気量は1294CCで
103馬力のパワーで880kgの車体を最高速度183Kmまで引っ張る
ストリート・レーサーだ!

ラリー・シリーズの頂点に立つ、この「シムカ・ラリー3」は、
その頃の高性能車のお約束通り、ウェーバーのキャブレターを2基備え、
ブレーキも4輪ディスクで、'78年当時としては最高のクルマだった。

このストリート・レーサーと出会ったときは、それはもう思いっきり
興奮して、何としてもこの新車の販売権を確保しようと思ったのだが!

この写真の「シムカ・ラリー3」をサンプルとして日本に持ち帰り、
ナンバー取得を目的に、輸入車の持ち込み車検にチャレンジした。

ところが1年以上かかっても、ナンバー取得の目どが立たず、
そのうち、何故か発売後間もない「シムカ・ラリー3」も生産中止と
なってしまった。

そんなことで、結局この一台のみであきらめることに!

当時、日本初の珍しい輸入車を扱うことでは間違いなく[tomitaauto]が
1歩も2歩も進んでいたが、その経験を持ってしても簡単ではなかった!

当時輸入車の車検はとんでもなく大変で、いかにその頃の運輸省(当時)
が無知で、お役所的で、根拠のないことに、こだわっていたことか!

最初から、お宝話を読んでいる人にはお分かりだと思うが、
好きなクルマを見つけて手に入れることはとても大変だったが、
売り物にする為の車検はもっと大変だった!

しかしその後、まだ何十年もクルマ人生を送った僕としては、
その頃のことを思い出すと、何とも複雑な気持ちになってしまう。

と言うのは、この輸入車の車検が本当に大変だと思っていたから、
どうせ大変なら、自分の手でチューニングカーやスポーツカーを
造ろうと考えたのだ!

そして同じ運輸省を相手に、エンジンの仕様を大幅に変更し装換した
チューニングカー「トミーカイラ・M30」を完成させ発表したのだが!

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このときでさえ輸入車の車検など、比較にならないほどの大変さだった。

その後「トミーカイラ・ZZ」を造ったときは、無論それどころではなく
車を造ること以外に、信じられないほど多くの難問がのしかかってきた!

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開発工場の設置、製造工場の確保、資金調達、量産用の部品調達、
運輸省との折衝、カーメーカーとの交渉、記者発表会場、発表会資料、
マスコミ対応、販売網、アフターサービス網の整備、等など・・・!

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スッと頭に浮かんだだけでもこれくらい出てくる、これに肝心の「クルマ」
の完成度、性能、デザイン、耐久力、マスコミ評価、ユーザー評価、等、
いま思い出した方が気がおかしくなる。

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本当に好きだったんだな~と、つくづく感心する・・・ひとごとみたいだが!

やはり同じ好きでも、好きなものを手に入れることと、好きなものを
造り出すことでは、随分と「好きさの度合」が違うんだな~と!

期せずして、お宝話(39)のラストの方に「やはりクルマ屋を自負
するなら何よりクルマが好きでなくてはいけないと思う」と書いている。

だけどお宝話(38)のラストの方に「趣味の範囲で留めておけば
苦しむこともなかったと思う」とも書いている。

それは「単に好きと言うのではなく、異常なまでに好きだったからだ」
と解釈を付けているのだが!

そのお宝話(38)に結論として「創造さえ出来たのだから、これ以上
の幸せはない」とクルマが造れたことに満足している自分がいる!

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2008年4月 1日 (火)

クルマお宝話(40)僕の一点集中「癖」(NAVI・2)

いよいよ大台の40話です。

本当に、ここまでお付き合いしてもらえたとは感激です!
まだまだ書くつもりなので、今後ともよろしくです。

前回のアルピーヌA110の大量仕入れは、僕の特徴をよく
表している出来事で、こんな事は其れまでに随分とあった。

例えばランチア・ストラトスだって、日本で最初に仕入れて、
900万円の定価を付けた時も、かなりの台数を確保した。

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それにイノチェンティ・ミニクーパー1300ばっかりの時も、

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メルセデス・ベンツ450SEL6.9だらけの時もあった!

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勿論スーパーカーばっかりの時もしかり、AMGだらけの時も!

まぁ僕も怖いもの知らずで若かったし、次々と色んな分野に挑戦
して元気いっぱいだったから、余計にそうなのだが!

特に僕は気に入ったモノが見つかると、それにばかりに集中する
癖がある!

その「癖」の範囲は単にクルマだけではない!

特に気に入った食べ物が見つかると、それにばかり集中して
たくさん食べたくなるのだからしようがない。

普段は「腹7分目」を提唱しているのに!

言い訳になるが、この「癖」はやはり幼い頃に食べ物がなかった
ことが、主たる原因だと思うのだが!

食い意地が張った話で恐縮だが、息子が小学生で、
僕がまだ若い頃の話!

鈴鹿サーキットに行く途中で、峠を越えた辺りだと記憶しているが、
その辺りで結構有名な「うなぎ屋・初音」がある。

その「うなぎ屋・初音」で「肝の吸い物」、通称「肝吸い」を
注文した時、中身の「うなぎの肝」を10人前ほど入れて欲しい
と頼んだ!

運ばれてきたその[お腕」の中は「肝」で一杯になっている。

当然、僕は喜んで美味しく頂いたが、息子はそれ以来恥ずかしい
からと、しばらく一緒には「うなぎ屋」に行ってくれなかった!

こんなこともあった!

むかし童夢の林君と、京都の鴨川の畔にある「ホテルフジタ」の
バー「石水」で、僕のお気に入りの「ロービーフ」つまり生肉だが、
10人前ほど頼んだ時も「トミタのバカ食い」と罵られたことも!

くどいようだが、もうひとつだけ!

最近、僕が凝りに凝った最高の食事処を紹介しよう!

当然、お気に入りの「一点集中」のメニューがある!

場所は遠く箱根で、宮ノ下の富士屋ホテルのすぐ隣にある、
イタリアン・レストラン、「ラ・バッツァ」という店だ!

大変失礼だが、決して構えのいい店ではない。

箱根で貸別荘を経営している、友人のS君のお気に入りの店で、
3年ほど前、S君に「味は最高だから、騙されたと思って」と!

その言葉通り、騙されて見ることにしたのだが!

これが最高に旨い・・・そのとき食べた「ワタリガニのパスタ」
の余り旨さに感動した!

だって前夜はあの「オーベルジュ・オー・ミラドー」で御馳走に
なっているにも関らずだ。

やはり海が近いからだろうか、ネタの新鮮さが香りと共に味に出て、
なんとも言えない奥の深い味覚になっているのだ!

僕流に解釈すれば、雰囲気といい、味といいイタリアの海岸近くで
食べたパスタの感じだが・・・・この旨さと来たら本場イタリアの
パスタを遙かに超えていると・・・!

しかしだ、この旨さが余韻を残すほどだから、始末におけない!
何しろ遠く「箱根」なのだ、そうそう簡単に行くこともできない。

一年後の慰安旅行は、この「ラ・バッツァ」に行きたさに、
「箱根・ワタリガニ・パスタツアー」を企画!

このとき僕は、一年間の余韻を取り戻すべく、さらりと3人前を
たいらげて大満足、大満足で帰って来たとさ・・・!

もし行く機会があれば是非とも足を延ばしてほしい。

この食べ物の話はブログの最初の「お宝話の4」でも触れているから、
やはり僕は「食い意地」が張っているのだろう!

しかし、この「食い意地」がアルピーヌを大量に集める原動力になって
いることは否めない事実だと・・・!

次回はZZの撮影とシムカラリー3です!

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