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2008年3月

2008年3月28日 (金)

クルマお宝話(39)続・NAVI「夢をのせて」・1

    

早速5月号のNAVIを見て、友人や知人からメールや電話を
もらって、一様に「元気付けられた」とか「期待してるよ」って
言葉でホッとして嬉しかった。

今回は「NAVI」の誌面を中心に書いているので、見てない方は
是非見てください、良く分かると思うので!

それにしてもあの頃の,[tomitaauto]の広告は元気があったな~!
「カーグラフィック」は見開きで片面全部「アルピーヌ」だよ!

大量に仕入れた「アルピーヌA110」で、ブームを起こそうと!
そんな気持ちで打った広告だが、いま思えばかなり無謀だよね~!

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まぁ、そこそこ旨く行ったから万々歳だけど!

こんな話をしていたら久々に虫が起きてきた、いい感じ,いい感じ!

誰も知らない話・・・フランス車を,もうひとつブームにした話をしよう!

アルピーヌに興味を持ってから、ルマンのレースに行く度に、
パリにあるルノーの本店ショールームに行くようになった。

お目当てはアルピーヌA110・1600SXの新車だ!

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僕としては、なんとかこの1600シリーズを新車で輸入したい、
との思惑があったから、他のクルマに目がいかなかったのだが!

ある時、何げなくショールームを見渡していたら、明るい色の
お洒落な新車、「ルノー4」、通称「キャトル」を発見した!

当時の日本で、この手のクルマは、「シトロエン2CV」の独壇場
だったから、この美しい「キャトル」を見た時はホントに発見した
と思ったぐらいだ!

パリの街中でよく見かけた「キャトル」は、暗いイメージの単なる
商用車のバンで、面白くも何ともないクルマだったのだが!

たぶん「2CV」のお洒落仕様に対抗して、「キャトル」も若い人
向きに、お洒落仕様を出してきた時だったのだろう。

そのキャトルの室内を覗き込んで、またまたビックリ!
シトロエン2CVよりオシャレで明るいインテリアに一目ボレ!

その頃はすでに何台も2CVを扱っていたから、余計にその素晴
らしさに驚いた!

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早速、パリのルノー本店ショールームで、2台のキャトルを
オーダーした。

その頃、[tomitaauto]は、ルノーの輸入元である日英自動車(当時)
の京都府の代理店をしていたから、日英を通さないと新車は買えない。

だから、パリで2台オーダーしたキャトルは、自動的に日本に到着後、
総代理店の日英自動車に入庫することになる。

その時、日英自動車の担当者が、買い付けた僕に対して必ず2台とも
責任を持って引き取ることの条件を付けてきた!

当然僕は、欲しくて買ったのだから、間違いなく引き取ると約束した。

当時、輸入元の担当者でも、この新しいルノー4、「キャトル」に対する

知識は薄かった!

ところがだ、この「キャトル」が日英自動車に到着してまもなく
僕に電話が掛ってきた。

この「キャトル」の2台の内、一台をどうしても譲ってくれという!

代理店として、お世話になっているのだからと仕方なく了解したら

また数日してもう一台もと・・・・・それは譲れないと断ったが!

結局、日英自動車はそれから短期間で400台ほど売ったとか・・・・・!

やはりクルマ屋を自負するのなら、何よりクルマが好きでなくては
いけないと思う。

そうすれば自然にクルマに詳しくなるし、勘どころも働くようになる。

僕はその点だけは、絶対に誰にも負けない自信があった!

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2008年3月26日 (水)

クルマお宝話(38)3月去る月・4月来る月

   

今回は近況報告ならぬ、心境報告をしてみることに!

もうすぐ3月も終わり、桜の咲く4月となる。
早いもので、このブログを書き始めてからほぼ半年!

お宝話も、この4月になれば40話の大台に乗ることになる。

3月は去る月、なのだそうだ!
学生は卒業式、社会は国も企業も年度末だから去る月なのだ。

だから3月中にきっちり決めておかないと、いい4月が来ない!

4月は来る月だから、入学式や入社式、年度初めの計画の月だ。

そんなことで、このブログを書き始めた半年前の10月から、
この3月までを振り返って心境報告を綴ることにする!

このブログを書き始める前の5年ほどは、忍耐の日々で、
「日々是好日」の心境。

書き始めてこの半年間の心境は、幕末好きの僕が例えると、
「おもしろき こともなき世を おもしろく」と高杉晋作の
辞世の句がふさわしいと思う!

だからこのブログに、僕にとっての宝物「奇跡の杖」の手帳を、

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毎週水曜日に昨年末まで掲載していたのだ。

何かにチャレンジしようと思っている人は「必見」だと思う!

・・・「クルマの世界」から遠のくこと5年。

表舞台から身を引いて、丁度5年を前にしてブログをスタート!

又、足掛け5年振りにトミーカイラの全国ミーティングに参加!

この半年の間に少しづつだが、また好きな「クルマの世界」が
近づいて来た。

だからきっと桜の咲く4月が来れば、素晴らしい世界が見えて
来ると信じて疑わない!

つい先日、半年振りに血液検査をして絶好調の結果が出た。

10年前より確実に若返っている・・・通常、年を重ねれば老け
るものだが!

・・・4月から益々バリバリやれるということだ!

やはり好きなことをしていると、若返るのだろうか!

僕にとってクルマと過ごした半生は、やはり今後を生き抜くため
の原動力となっているのだろう。

それでも今までに何度か、好きなクルマを仕事にしてしまったこと
を悔やんだことがある。

それは単に好きというのではなく、異常なまでに好きだったからだ。

趣味の範囲で留めておけば、苦しむことはなかったと思うことも!

無論、冷静に考えれば仕事だったからこそ、色々なクルマに出会い、
触れ、そして創造さえ出来たのだから、これ以上の幸せはない!

振り返ってみれば、この異常なほどの”好きさ”があったからこそ、
チャレンジャーとしての情熱が生まれ、「やり抜く意思」が異常な
ほど強い自分に育ててくれたのだろう!

*お知らせ・・・NAVI 5月号 3・26日発売  
 
*「夢を乗せて」74頁~77頁 カラー
 富田義一にインタビューの記事です。
 
*この記事を読んでもらえば、今回(お宝話38)のことが良く理解
 してもらえると思います。

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2008年3月22日 (土)

クルマお宝話(37)スーパーカー裏話シリーズ

 

これでスーパーカー裏話シリーズは区切りにしようと
思うのだが!

それにしても、あのブームは一体なんだったんだろう?

表舞台では子供を中心としたスーパーカー・ブーム
だったのだが・・・!

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僕が経験した、もう一つの裏舞台は子供ではなく大人が
中心だった。

もう一つの裏舞台とは、スーパーカーを投機目的とした
ブームで、これは後に迎えるバブル的な要素を十分に
含んでいたと思う!

この舞台は日本だけでなく、僕が知っているだけでも
イタリア、西ドイツ、アメリカなどが中心で、
世界的なスーパーカー・ブームとなっていた。

この時期は僕の会社もイタリアや西ドイツから輸入する
だけではなく、ス-パーカーの輸出もしていたのだが!

本業がクルマ屋なのだから売買が中心であるべきなのに、
スーパーカーのショーに貸し出すことが多くなり、
多少嫌気がさしていた。

その頃、「フェラ-リ・512BBi」の極上車を在庫
していた。

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この「512BBi」を、西ドイツの親しい友人が欲しい
と言ってきた!

日本はスーパーカー・ブームで価格が高騰しているから、
引き合わないだろうと僕が言うと、採算は取れるという!

僕は直観的に、日本のブームがヨーロッパに飛び火した
のだと感じた。

そんなことで、この「512BBi」を西ドイツの友人に
売ったのだが!

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このクルマが西ドイツに到着する頃、僕のところに又、
別の買主が現れた!

その買主は、以前からこの「512BBi」を何度も
下見して、目を付けていたのだが、なかなか決心が
着かなかったらしい!

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だから[tomitaauto ]から「512BBi」が姿を消した
ので、慌てて決心して来られたという訳だ!

僕も同じような経験を何度もしているから、
このクルマ好きの気持はよ~くわかる。

程度の良い希少車は、骨董品と似ていて、
同じものは二つとないから・・・

結局また、この「512BBi]を西ドイツから買い戻す
ことになった!

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希少車ゆえの出来事だからと簡単に書いてしまったが、
日本からヨーロッパにクルマを運ぶには、
外国航路の大型船で、当時は45日ほどかかった。

緊急のときに、何度か飛行機で運んだこともあるが、
通関も入れて数日で到着するが、費用は目が飛び出る程
高い!

・・・希少車のもっと凄い話がある!

先程の西ドイツの友人は、西ドイツの一等地にビルを
建設中で、「ブランド雑貨」で成功していた。

その友人がこの時期に世界でたった2台しかない
「フェラーリ」の超希少車を何と「12億円」で
買ったのだという!

この「フェラ-リ」をアメリカやヨーロッパの
オークションに出せば一瞬にして、彼が建設中のビル
一軒分と同じぐらい儲かるのだと言う!

しかし、そんな野望を持って勝負にでた彼も、運に見放され
ていたのだ。

時すでに遅くスーパーカーの投機はピークを過ぎていた!
結局、彼は建設中のビルもすべて失ってしまったのだが・・

こんなスーパーカーブームの裏舞台があった事をご存じでしたか?

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2008年3月18日 (火)

クルマお宝話(36)スーパーカー裏話シリーズ

   

  ランボルギーニ・「ウラコ」と「ハラマ」そのⅡ

今回は後編ということで「ランボルギーニ・ハラマ」の話を
する積りなのだが、「ハラマ」自身には大きな特徴といった
ものはないし、話題にも乏しいから話が手詰りなのだ!

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そこで今回は、この「ハラマ」を通してランボルギーニ社の
戦略を、僕なりに推測してみることにしようと思うのだが!

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もっとも、この頃から30年近く経った現在、アウディの傘下
に吸収されていることを考えれば推測し易いと思う。

僕としても、少しは似たような経験をしているから、
この推測と言うよりは臆測だが、興味のあるところだ!

ランボルギーニ社は、今から40年以上も前、
1965年のトリノショーに、一台の衝撃的なクルマを
デビユーさせた!

そのクルマこそが、「ミウラ・P400」のプロトタイプで、
この「ミウラ」の出現によって、「ランボルギーニ」の名を
一躍、世界の桧舞台に押し上げた!

フェラーリの跳ね馬に対して、闘牛のエンブレムを纏って!

フェラーリに対し、むき出しの闘志を表現する伝説をとも
なって、一瞬にしてスターダムにのし上がった!

そして1971年のジュネーブショーに、決定打ともいえる
「クンタック・LP400]」を発表して「スーパーカー」
不動の王者となった。

まぁ此処まではクルマ好きなら良く知っていることだが!

それでは僕の勝手な推測を開始しよう!

こんなトントン拍子に、衝撃的なクルマを発表した
ランボルギーニ社は凄いと思う!

やはりイタリアはデザイン大国、世界からの注目度が高く、
有名なカロッツエリアも沢山あった。

この成功はデザインの斬新さが大きく関わって「衝撃的な力」
の源になっていると僕は感じている!

フェラーリの「ピニンファリーナ」に対抗して、
「ベルトーネ」の活躍が成功の大きな要因だと思うのだが!

特にその頃のベルトーネは、チーフデザイナーのマルチェロ・
ガンディーニがノリにノッていて、自身が独立するまでは、
ベルトーネで大活躍をする。

だから僕としては、M・ガンデーニの活躍がランボルギーニ
を成功させたもっとも大きな要因だと思っている!

特に、この手のクルマは「デザイン」の斬新さが最重要だ!

この成功をベースに徐々にランボルギーニ社は市場の拡大を
意識するようになる。

当然そうなれば、「ミウラ」や「クンタック」のような
派手なクルマでは多くの人に受け入れられない!

これだけランボルギーニの知名度が上がり、
ビジネスとしても成功すれば、経営者としては
次のステップに進むのも当然だろう!

そこでランボルギーニ社が市場拡大を目的として開発したのが、
4シーターでスタイリッシュなクーペ・モデル。

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「ハラマ」や「ウラコ」それに「エスパーダ」なのだ!

「ウラコ」はより多くのユーザーを獲得するために、
ポルシェを意識したスモールサイズで、
ミドシップの2+2とした。

そして「ハラマ」は当時、世界中で人気があった
高級2ドアクーペ市場にオートマチック車を用意して
参入したのだと思う!

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当時この分野で特に人気が高かったのは、メルセデスやBMW
の伝統あるメーカーが出す2ドアで5人乗りのクーペだった。

メルセデスはベンツSLCを筆頭に、各クラスでシリーズ化し、
BMWもクーペのCSモデルは大変な人気があった!

余談だが、トヨタの「ソアラ」もこのときに誕生した!

だからこの「ハラマ」は最もスーパーカーらしくないモデルで、
デザインもおとなしく、2+2の2ドア・クーペで、
オートマチックも用意されていたのだが!

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こんなことがあった!

当時、この「ハラマ」のオートマティック・モデルに、
メルセデス・ベンツ450SLCから乗り換えた人がいた。

年配のお客さんで、何台も色んなクルマに乗ってきた人だが!

納車したその日に電話が掛った!

「上り坂になるとクルマのスピードがドンドン落ちて来て」と
言うのだ!

そこで僕が「床が抜けるほどアクセルを踏んでください」って!
そうすればキックダウンすると思って言ったのだが!

ベンツ450SLCのように自動的にギアが落ちない。

要するに、メルセデスやBMWやジャガーに乗れる人でも、
この「ハラマ」には乗れないということだ!

同じオートマチックとは言え、中身の機構が違う。

この頃のイタリア車には、僕の偏見かもしれないが、
見かけが似てれば的な感覚が多かったように、
記憶しているのだが!

そんなことでランボルギーニ社の野望は潰えたのだろう!

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2008年3月14日 (金)

クルマお宝話(35)スーパーカー裏話シリーズ

 

  ランボルギーニ「ウラコ」と「ハラマ」そのⅠ

この名前はスーパーカー世代の人なら知っている名前だが、
興味のない人には、「海の動物」か「魚」ぐらいにしか、
連想できないだろう!

列記としたランボルギーニの車種名だが、意味は僕も知らない。

まずはランボルギーニ・ウラコの裏話から!

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当時は「ウラッコ」って呼んでいたかも??

ウラコはランボルギーニが造った、最初のスモールカーで、
当時のポルシェ911のユーザーを取り込む目的で造ったのだ!

このウラコは開発中から話題で、発表時もかなりの反響があり、
2+2のスモール・ランボルギーニとして期待された。

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ポルシェ911とおなじ2+2のシ-トレイアウトにして、
ポルシェの市場をターゲットとした作戦を取ったのだとい言う!

そしてSOHC・V8・2462CCエンジンをミドシップに
レイアウトしてポルシェの上を行く作戦に出たのだ!

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デザインもコンパクトでありながら、クンタックのイメージを
踏襲したデザインはエレガントでオシャレなクルマだったのだが!

話題作りのために、発表が早すぎたのか、
発売時期が大きくずれ込んで遅れてしまった。

ランボルギーニ社としては、丁度いまのアストン・マーチンの
展開のように、12気筒から8気筒にサイズダウンして市場拡大
を大きく目論んでいたのだが,販売は不振に終わった。

なぜ、こんなランボルギーニ社の思惑を僕が知っているのか?!

それはその頃、ランボルギーニ社の西日本の総代理店として、
[tomitaauto]が、このクルマの日本の一号車を買い付けたからだ。

この買付は、僕がランボルギーニ社に招待されてミラノまで行き、
開発上がりのウラコの実車を見せられて、一目惚れした!

そのとき、ランボルギーニの担当者に聞かされた「将来の思惑」
に心を動かされて、ワインレッドのウラコを契約したのだ!

個人名でランボルギーニ社の極東の欄に、僕の名前が登録された。

楽しみに待つこと半年余り、シーサイド・モータース経由で
横浜からキャリアカーに乗ったワインレッドのウラコが到着。

イタリアで見た時よりも細部の出来がいいように見える・・!

僕はウラコをランボルギーニ社の「将来の思惑」に沿って、
新車の台数を、そこそこ売るつもりでいたから、
デモカーとして自分で乗るためにナンバー登録をした!

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当然、僕としてはこのウラコに一目惚れしているのだから、
乗りたくてしょうがなかった!

一週間ほど毎日のように、よろこんで乗ったが・・・
ところが、10日ほど経つと急に冷めてしまった!

不思議なぐらい興味がなくなった・・・・つまり飽きたのだ!

なぜ飽きたのかハッキリしない。

無論、排気量は小さいし、そのうえ新車だから走りも良くない。
クラッチは軽いが、ランボルギーニ特有のミッションは相変らず
硬くて、ポルシェのような素早いシフトなどほど遠い!

だけどそんなメカニカルなことではないような気がしていた。

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半月程して「ハッキリ」した・・・「デザイン」に飽きたのだ!
やはり僕は丸みを帯びたデザインが好きなんだな~と!

女性もそうだけど、じっくり長く付き合えることが大事だよね!

ランボルギーニ社の「将来の思惑」はポルシェの牙城を崩すこと
だが・・・この構想に僕も夢を感じてはいたが無理だと悟った!

でもこの経験はトミーカイラZZのとき相当役立ったと思う!

次回はランボルギーニ・ハラマの話を!

訂正・・・NAVIの発売日は26日でした。

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2008年3月12日 (水)

クルマお宝話(34)筋トレ用・F330GTC

    

今回は僕が特に美しいと思う2+2のフェラーリの話をしよう!

フェラーリ330GTCは優雅でほんとに美しいしクルマだと思う。

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ところが、この優雅で美しく女性を感じさせるその姿からは
想像もできないほど、中身は男性的でたくましいクルマなのだ!

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まずクラッチが半端じゃなく重い、そのうえステアリングも
切り応えがあり、シフトレバーもこの頃のフェラーリ特有の
ゲートタイプで手ごたえ十分だ!

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エクゾーストから聞こえる音と、メカニカル・ノイズの調和は
素晴らしいが、その外観から想像するエレガントさは、
クラッチを踏んだ途端吹っ飛ぶだろう!

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このフェラ-リ330GTCと共通してFRなのが、
2シーターのフェラ-リ・デイトナで、
今ではとんでもなく高価なプレミアムカーになっている。

このデイトナの場合は、2シーターのロングノーズで、
スポーツカーらしく、姿かたちが男性的だから、
少々のことはねじ伏せてでも乗ってやろうと思うから、
F330GTCのような違和感はない!

その点、スーパーカーブームの頃に人気があった、
フェラーリBBや、テスサロッサは随分と乗り易かった。

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ミッドシップになったからだろうか!

乗りやすいミドシップといえば、ディーノ246GTがあるが、
その当時はフェラーリではないと言う人が多かった。

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ディーノにはボンネット先端に、あの跳ね馬のマークがない!
その訳は、12気筒ではない、フィアットの6気筒だからと!

この認識も30年経った今とは随分と違う気がする。

しかし30年経った今、乗る気になれば毎日の足にできるのは、
フェラ-リBBでもテスタロッサでもない。

この”ノーマーク”のディーノ246GTだと思う!

これでいかに330GTCが、硬派の乗り手を選ぶ、
フェラーリだったか、ということがお分かりだろう。

この優雅で美しいフェラーリ330GTCに乗りたいという人が
現れた!

お宝話24のときに書いた、ボウリングの仲間で、医師のS氏だ。

あの頃から既に10年の時を経ている・・・!

僕からフェラーリ330GTCの話を聞いて、
是非とも見たいからと来てくれた。

医師のS氏はフェラーリ330GTCを見るなり、
その美しさに魅了されたようで、「きれいやな~」と一言!

S氏が僕に「そんなにクラッチは重いのか?」と念を押すから、
僕は正直に「普段の足使いにはちょっと大変かな~」と答えた!

まぁ乗ってみないと分からないからと、
フェラーリ330GTCに2人で乗りこんだ。

試運転しながらS氏が「このクラッチの重さが丁度いいな~」と!

びっくりして僕が、「凄い脚力やね~」って言うと、
S氏が「違う違う、その凄い脚力になりたいんや!」と意味ありげ
に言う!

聞けば、それには訳があって、いまゴルフを本格的にやっていて、
シングルプレイヤーだという。

もっと上のハンディキャップを目指すには、体を鍛えることが大事で
それにはこのクラッチの重さがベストだと言うのだ!

だから、ゴルフで一番大事な左足を鍛える為の”マシン”が、
この330GTCで、持ってこいの「トレーニング・マシン」なのだ!

世にも贅沢なトレーーニング・”マシン”だ!

だから、このクラッチが苦にならなくなるまで乗るのだと言う。
結局、330GTCに永く乗られたと記憶しているが!

それにしても仕事のストレスを解消するために始めたゴルフなのに・・
・・・すごい執念だ!

ほんとに世の中には、色々な人がいるもんだと、つくづく感心した。

そういえば以前にフェラーリ・BBが燃えたことを書いたが、
その時のプロゴルファーも、ひよっとして足を鍛えるために乗って
いたのかも!

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2008年3月 8日 (土)

クルマお宝話(33)オープン・エアーの醍醐味 Ⅱ

我が国は、自動車先進国の中で最もオープンカーが売れない国らしい!
まぁ最近は中国が急伸しているが、中国は自動車先進国ではないだろう。

最近、バリオルーフのお陰でオープンモデルが多少は増えてきたように
思うが、それでも屋根を閉じたまま走っているクルマがほとんどで、
オープンにして乗っている人は少ない!

この状況は大阪と東京では多少違い、東京の方が屋根を開けて走っている
クルマが多いように僕には見える。

やはり国際都市化しているのだろうか?!

僕は昔からオープンテラスでお茶を飲んだり、食事をしたりするのがとても
好きで、京都でも大阪でも東京にいるときでも、できるだけ穴場をさがす!

この行動癖は30年以上も続いているから、僕とよく行動をともにする人は
周知の如く「穴場」を教えてくれる。

だから約束の待ち合わせ場所は必然的にオープンテラスが多くなる!
秋でも冬でも条件が許すならお願いするし、またそうなってしまう。

これはどこにいても同じで、僕の習性となってしまった。
この「習性」が身についたのは、やはり26歳のときのイタリアだろう!

お宝話(11)のイタリアの旅でのことだ!

案内役のデザイナーY氏が、クルマ探しの途中で休憩しようと立ち寄ったカフェ
での経験が、まさか今日まで続くほどの出来事になるとは!

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だれもが普通に、屋外のテラスで楽しそうに語らいながら食事やお茶をしてる。

その上もっとおどろいたことは、大好きなクルマがすぐ側を通り抜けること!
この光景をはじめて目にした衝撃に、感動すら覚えた!

初体験だった僕も、気がつけば屋外のテラスの心地よさのなかで話に夢中に
なっている!

なんなんだろう・・・この心地よさは!

そのとき思ったのは原点回帰で、やはり人間は自然のなかが落ち着くのだろう。

だから人は太陽の下で自然と一体になったときや、星空の下で語り合うときに
しあわせを感じるのだと思う!

いまから40年近くまえの、日本の生活環境からは考えられない経験だった!

だからこの「衝撃」が「習性」となって今日まで「穴場」を探すという行動癖を
ともなって37年も・・・・・オープンテラスの食事が続いている!

いまではこの「衝撃的」に感じた出来事も日常的に身近なものとなっているが!

この「食事」のところを「クルマ」に置き換えれば、簡単に共通点が見つかる。

自然と一体になって、風を感じながら走るオープンエアーの心地よさは別格だ!
だからオープンカーに乗りたくて、オープンモデルを探しまわるのだろう。

たとえ冬でもシ-トヒーターとエアコンがあれば、なんの苦もなく楽しめる。
まるで露天風呂とそっくりな気分に浸れるのは、乗った人にしか分らない!

だからもっともっと、オープンモデルの良さをに知って、乗って欲しい。

その点、カルフォルニアはオープンカーの宝庫で世界中の自動車メーカーが、
アメリカ市場のために、昔から多くのオープンモデルを造ってきた。

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イギリスはジャガーEタイプ・ロードスターがアメリカ市場で大成功を収め、
MGやトライアンフ、ロールスなども健闘した!

西ドイツもメルセデスが300SL・ロードスターで確固たる地位を確立し、
ポルシェも356・スピードスターで大ブレイクした。

もちろんアメリカでも古くからオープンカーは多く造られたが、
スポーツカーとしての性能やスモールサイズのクルマはヨーロッパが造った!

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そのアメリカ市場のために造られたことで、伝説的に有名になったのが、
ポルシェ・356スピードスターだ!

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なんといってもこのクルマを世界的に知らしめた出来事は、「エデンの東」で
一躍、世界的スターとなった「ジェームス・ディーン」の事故死だろう!

ちょうど僕が10歳のとき‘55年にジェームス・ディーンは天国に召された!

少し余談になるが、このときの事故は永くこのポルシェ・356スピードスター
によって引き起こされたことになっていたが事実は違う!

ジェームス・ディーンは「エデンの東」の主役に抜擢されたときに初めて、
英国製オープン2シーター「MG・TD」を手に入れる。

そして次ぎの「理由なき反抗」で、このポルシェ・スピードスター・1500S
の126台目に造られた初期型を新車で手に入れ、数度レースに出場した。

そして、次の主演作「ジャイアント」のときにも、このポルシェ・スピ-ドスター
でレースに出場したが、レース中にクルマを壊してしまい下取りに出してしまう。

そこでポルシェが競技用として新たに発表した、ミドシップのレーシングモデル、
ポルシェ・550スパイダーに乗り換えた。

そして550スパイダーを手に入れた直後の‘55年9月30日にカルフォルニア
の高速道路で悲劇の事故死!

この時代に、こんな希少車のことなど、当時の人はほとんど知らないから間違えた
のだろう!

それに550スパイダーも356スピードスター報道する人にとってもたいした
代わりはなかったに違いない!

書いていて面白いことに気がついた!

当時のアメリカを代表するスター、ジェームス・ディーンが乗るスポーツカーは、
すべてオープンカーだったのに対し、

当時の日本を代表するスター、石原裕次郎が乗っていたメルセデス300SLは、
屋根つきのガルウィングだったことは興味深い!

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2008年3月 5日 (水)

クルマお宝話(32)オープン・エアーの醍醐味 Ⅰ

前回の流れから行くとフランス車に行きたいところだが・・・!
3月22日発売のNAVI誌で詳しく紹介されると思うからその後にする。

僕は独立する前の18歳から23歳までの間に、5台もオープンモデルを
乗り継いだ・・・・ホンダS6、トヨタS8、ヒーレースプライト等々!

何故それほどまでに僕の心を捉え、オープンエアーの虜になったのか?!

その当時の気持に戻って考えて見ると、おおよその見当がついてきた。

多分、それまでの境遇から来る将来への不安と期待が、オープンエアーを
浴びることによってその瞬間、瞬間で解決したのだと思う。

こんな思い出がある!

変わり者の僕は、何故か台風の目が近づくとジッとしていられなくなる。
そんな時、必ずクルマをオープンにして台風の目のなかを走る!

静かな誰もいない街の中を走っていると何でも出来そうな気がしてくる。
その気持ちはこの歳になった今も、まったくぶれないし変わらない!

独立後もオ-プンモデルには目がなく、仕事柄多く集めることができた。

これは[tomitaouto]の知名度を上げることに、結果として随分役立った。
ことわざの「趣味は身を助ける」・・・ということなのか!

既に書いたロータス7やモーガン、そのほかパンサーやロールス等々だ。

その他にもEタイプやトライアンフなど、数多くのオープンモデルに乗る
ことが出来たが、不思議なことにほとんどが寒い国のイギリス車なのだ!

そんなことで、前から気になりつつ後廻しになっていた西ドイツ製の、
ポルシェ・356カブリオレ・60のことを是非書きたいと思う。

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何度も言っているように、このポルシェ356に出会ったことが独立する
きっかけとなり、自動車屋になる決意がついたとも言える。

僕にとって思い出の詰まった大事な一台なのだ!

特にオープンモデルのカブリオレは、その頃としてはほんとに稀少で、
やっと見つけた本物のオープンモデルのお宝車だった!

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「本物」と書いたのは、西ドイツ製のカブリオレはイギリス車やアメ車と
違い、屋根付きと遜色なく、雨の日も雪の日も気にせず年中乗れる。

だから四季のある日本で、最も適したクルマと当時は言えた!

そんなオープン・モデルが大好きな僕が、独立して数年後に自動車雑誌の
「売りたし」のコーナーでポルシェ356カブリオレを見つけた。

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「1オーナー、ディーラー車、大事にしてくれる近県の方」と書いてある!
・・・通常こう書いてあると自動車屋は分が悪い、まず売ってくれない!

その当時のポルシェ356など、超希少車だからマニアの人しか乗って
いない・・・ということはクルマ好きで結構ポルシェに詳しい人が多い!

まして356のカブリオレともなると、当時の国内には数台しかないから
誰が所有していたのか、すぐに分かってしまう!

だから自動車屋に売るより密かに売りたいだろうし、また愛着もあるから、
たまには見せてほしいということだろう!

だから「近県の方」に限るのだ!

僕は雑誌に載っている番号に電話をして見に行く約束を取り付けた。

僕が正直に「自動車屋ですが個人的に大好きなので・・・」と話すと・・
打ち解けてきて・・・・10年位は乗りますからと約束して帰ってきた!
数日して・・・・・・・・・数ある希望者の中から僕に譲ってくれると!

約束通り9年半所有したが、乗ったのは9年半でたったの500km程で、
確か6万キロほどしか積算計は上がっていなかったと思う!

9年半も所有して通常のひと月分も走れなかったのには訳がある!

もともと自動車屋という仕事は自家用車に縁が薄い。

だって商品が自動車なのだから、いくら僕専用の自家用車だといっても、
お客さんが欲しいと言えば「これは僕の自家用車なんで」とは言えない!

だからいつも乗っているクルマは商品車か社用車で、自分専用のクルマは
中々持てないのは職業柄仕方がない。

・・・古いことわざにある「紺屋の白袴」と言う訳だ!

人からは「いいな~いつもいいクルマに乗って」なんて羨ましがられるが!

僕の場合は逆で、好きなクルマに対する思い入れが特別強いから自分専用
の自家用車を持つことにずっと憧れていた。

人並みにクルマのトランクに自分の持ち物を入れて置きたかったのだ!

そんな僕がやっと手に入れた憧れのクルマがポルシェ356カブリオレ!
・・・このクルマこそ自分の専用車として持ちたいと!

だからこのクルマを隠すように自宅の一階のガレージに仕舞い込んだ。
無論、手に入れた当初はちょくちょく引っ張り出してはよく乗った!

例のポルシェを着る感じで、たった60馬力しかないのだが人車一体の
フィット感につつまれ、そのうえオープンときたら申し分ない満足感だ!

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エンジンだけでなく、幌のバックスクリーンも塗装もタイヤも万全にした。

だけど、ゆっくり乗る暇などまったくない・・・
・・・だって独立後10年ぐらいは、ほとんど休みがなかったのだから!

自宅の一階はクルマの倉庫にしてあり、多い時は20台程入っているから、
乗らないクルマはドンドンと後ろの隅に追いやられるということに!

そんなとき、遠方にクルマを見に行く用事ができた。
この時ばかりは356カブリオレをオープンにして乗って行こうと想像
しながらガレージに・・・ところが・・・・バッテリーが上がっている!

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この出来事がトラウマになった!

この時から、僕の頭の中で356カブリオレに乗って行くという選択肢が
消えてしまった。

それからは、たまにエンジンを掛けに行くだけになってしまった!

ところが、エンジンを掛けに行くと必ずそのあと体が痒い!
まさかと思いつつ調べてみても僕の目には・・・ノミは見えない!

「バルサン」を焚いたり「殺虫剤」をまいたり努力はしたのだが・・・
・・・愛しの356カブリオレは戦いに敗れ・・・ノミに占拠された!

それから15年ほどしてポルシェ・スピードスターを手に入れた時にも!

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こんどは数万のアリの大軍に敗れ・・・・・早々に手放した!

やはり幌のクルマは最も日本に適してい・・・ないのか!

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2008年3月 1日 (土)

クルマお宝話(31)NAVI・突然の取材!

  

先週このブログのコメントに、突然、取材の依頼が飛び込んできた!

NAVI編集部のH氏が、あるテーマの為に僕の名前を検索していたら、
このお宝話に行きつき、思い出ばなしに花を咲かせている僕のブログを
知ったという訳だ!

丁度レース話が続いたのでボチボチ方向転換しなければと思っていた!

最近の東京で代官山を中心としたフランス文化が静かなブームになって
いるらしい・・・だから古き良き時代のフランス車の話なら・・・と!

それが編集会議のテーマだという。
関西に居るとそんなことはいっこうに知らないし情報もないが!

それから数日後・・・もう既に大阪で取材を済ませてしまった。

それにしても、もしお宝話を書いていなければ面識のない編集部のH氏
とは接点がないことになる。

白状してしまうが、このブログはまだ5ヵ月ほどしか経っていないが、
僕のパソコン歴も実は似たようなもので、まだ半年しか経っていない!

携帯電話のメール一本槍で、結構まめに当初から使っていたのだが、
パソコンは覗くぐらいで必要性をまったく感じなかった。

そんな時、「ライフチューナー」の僕に専用のパソコンが届いた!

何気なく一か月ほどキーボードを叩く練習をしていたら、何かを書きたく
なったというのが真相で・・・クルマお宝話がシリーズに!

もともと未体験だから変なクセなく、基本通りに少しずつペースを上げ!

得意の探究心で「ここは」「これは」「何で?」と・・・
ひつこく周りの人に聞いている内に、まったくの素人だった僕が、
今では自分ですべてをこなしていること事態不思議なことだ!

さて取材の話に戻る、僕は丁度5年ほどクルマから遠のいていたから
自動車関係の取材は久々ということになる。

これもクルマお宝話を書き始めたから縁が出来たのであって、いま思うと
パソコンが僕の所に届いたときから、再びクルマ人生が始まっていると!

これは必然だと考える・・・・・こう言う考え方が僕は好きなのだが!

NAVI編集部のH氏との連絡は息子の大二郎に依頼した。
だから僕の所にはH氏と大二郎が東京から、カメラマンも一緒に到着!

NAVI誌、息子、周知のカメラマン、すべてが5年前に戻った感じで、
ほんとに楽しい一日を過ごすことができた。・・・NAVI3月26日発売

H氏はスーパーカー世代で、当り前のことだがその頃のクルマに詳しい。
彼は「夢工場」時代より「トミタオート」の方が思い入れがあるという!

アルピーヌA110、シムカらりー3、カロツェリア・イタリアーナなど
の資料は万全で、これらはすべて僕が昔に輸入して取材を受けたクルマの
資料で、僕自身も久し振りに目を楽しませてもらった!

それにしてもこの頃のフランス車には夢とロマンを感じるし、その底辺に
熱い挑戦の「力」をも感じ取ることができる!

アルピーヌA110は1971、72、73年頃のWRCモンテカルロで
総合優勝を含め無敵の活躍!

1987年のルマンでは「アルピーヌA442」が総合優勝!
そして「羊の皮を被った狼」シムカラリー3も小排気量で人気があったし
WRCでも大活躍した。

高級セダンにおいても、センセーショナルな出来事として取り上げられた、
ご存じシトロエンDSシリーズが世界に与えた衝撃は計り知れない!

僕としては、最近、久々にシトロエンがC6を発表したのでほっとしたが、
昔のあの素晴らしいシトロエンは一体どこへ行ったのかと心配していた!

たった今!・・・とんでもなく恥ずかしいことを思い出した!

随分と前のことだけど・・・たぶん前回のルマンのお宝話の頃だと思うが
僕が東京にいるとき、トムスの舘君が世界的に有名なラリードライバーと
一緒に食事をしようと言う!

まだ若かった僕はおもしろい話がきければと喜んでついて行った。
しかし、その頃の僕はあまりラリーのことには詳しくはなかった!

・・・・・・・・これがいけない!

例の如く、食事の前の紹介で舘君が、有名なドライバーに僕のことを紹介
し、いよいよ、世界的に有名なラリー・ドライバー氏を紹介・・・

この人が「オべ・アンダーソン」さんだよって紹介してくれた!
当然、舘君は僕が大のクルマ好きだから知っているものと思っている!

ところが間抜けな僕は、まったく知らなかった!・・・
と言うより、せめて知ってる振りでもすれば良かったのに!

「知ってるだろう」って、舘君が!・・・・ん、ん、ん!
「ほら、トヨタのCMで崖っぷちをクルマがすっとんで行くやつ」・・・!

やっと僕が!・・・ああ、、、知ってる、知ってる!
舘君がほっとして「モンテカルロで優勝した人や!」・・・って!

僕はここではじめて気がついた・・・アルピーヌの・・・って聞いたら!
分かったらしくアンダーソンさんが笑ってくれた!・・・よかった~~!

このときの僕の気持はいまでも憶えているけど、ほんとに恥ずかしいやら
申し訳ないやら・・・だってその頃の僕にとってWRCでアルピーヌ使い
のオベ・アンダーソンは神様なのに・・・まさか眼も前にいるなんて・・!

このときの僕はWRCではこの人しか知らなかったんだ!

ご存じのように「トヨタFI」の親分がオベ・アンダーソンなのだから!

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