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2008年2月27日 (水)

クルマお宝話(30)最初で最後のスポンサー

        

お宝話(30)って書いて「ウアァ~」って思わず声をあげてしまった!
ネタが尽きることなくここまで来た!・・・早い、早い、ホントに早い。

有難いことに、次から次へとネタがどんどん湧いてくるから、
どんどんこのブログも書けるということに尽きるが!

一方で[tommykaira]の章に行き着いたら、このブログはすぐに終わって
しまうと思う気持ちが交差してどんどんとネタを生んでいるとも言える。

早い話、もっと書きたいと思っているということだ!

僕のように今まで後ろを振り返らずに来た者としては、まとめて振り返る
いいチャンスになるだろうと考えている。

だから、この際クルマに関して記憶にあることは全て書き留めておきたい
と思う。

うまくしたもので、これを機に思いで話を書いておけば、この先少々記憶
が鈍っても安心だ!

さ~!今回はいい区切りだから頑張って書きます。

1980年のルマンにG5の童夢セリカターボがトムスレーシングチーム
からエントリーした!

この童夢セリカターボに少しだが[tomitaauto]のステッカーが張ってある。
これが今回の題目のステッカー・スポンサーの話で、僕が35歳の時。

0223

その前の年、童夢の林君とロスの金古君のところに行こうということに!

この金古君のことは、お宝話(20)のAMGのところで既に書いたが、
この話はAMG行きの2年前の話ということになる。

僕と林君は、大阪から東京経由の米国行きに乗り込んだが、
東京からもう一人、飛行機に乗り込んで来ると林君が言う!

その彼は「全日本ツーリングカーのトップドライバーで舘信秀や!」と
教えてくれたが、そのときの僕は、まだ彼の活躍をあまり知らない!

その舘君を飛行機のなかで紹介してくれた。

きちんとスーツを着て、まるでタレントのような振る舞いが印象的で、
とてもレーサーには見えなかったが、親しみを覚えたのを憶えている!

舘君の方もクルマ好きだから[tomitaauto]は知っていたのだが・・・
なぜか僕のことを[tomitaauto]のメカニックだと思ったらしい!

前回のルマンでのお弁当騒動もそうだったが、よほど僕は「ガキ」に
見えるらしく、貫禄などかけらもなかったのだろうか!

それでもロスに着いた夜に4,5人で飲み明かして意気投合し、
舘君は得意のタレント振りを発揮して大いに盛り上がった!

そのときに彼は童夢セリカターボで、翌年のセブリングやリバーサイドの
レースに出場する準備のために来たことを教えてくれた。

Celica

そんな経緯があって、翌年のルマンに舘君が童夢セリカターボで出ること
を知り、応援のつもりでステッカー・スポンサーを申し出たという訳だ!

このとき一つだけ無理を言って、一般車のナンバープレートの位置に
[tomitaauto]のステッカーを貼ってもらった!

それは輸入車を扱ってナンバー取得に苦労している僕としての思い入れで、
このナンバープレートの位置こそ、僕にとっての最高の場所なのだ!

1980年のルマン!・・・このときもパリに着いたのは予選の当日で、
パリで仕事を済ませてから、高島屋の人のプジョーでルマンまで送って
もらった。

このときにプジョーの良さを知った!
地味なクルマだが、走りと乗り心地のバランスが絶妙でいっぺんに好きに
なってしまった。

このプジョーで高速道路を130km巡航、ほぼ2時間でルマンに着く。
すぐにサーキットでトムスチームの予選状況を聞いたが・・・良くない!

それでも童夢セリカターボが雨のストレートエンドを300kmで
コーナーに飛び込むシーンを見て、やっぱり舘君はレーシングドライバー
なんだって、今更ながらに感心したのを思い出す!
・・・・・残念ながら予選不通過!

さすがに本番を走れなかった舘君は、もの思いにふけって寂しそうに、
決勝のレースを見ていたが、このとき強い思いで次のルマン・チャレンジ
を決意していたのだと思う!

このときの想いは、82年トヨタ・トムス・セリカCで復活した。

Celicac_a
その後はご存じの通り、毎年のようにルマンでの活躍が始まった!

そうそう徹ちゃんのことを思い出した!

このときのルマンに生沢徹ちゃんが奥さんとキャンピングカーで来ていて
僕も舘君もそのキャンピングカーの屋根の上に椅子を並べて観戦していた。

レースが終わってから、このキャンピングカーでパリまで生沢、舘,両夫婦
2組と僕一人の5人で旅をしたのだが、途中のレストランで食べた豆腐が
良くなかったのか、泊まったホテルで僕以外は強烈な下痢!・・・
一晩中トイレの取り合いで大騒ぎだった!

その後、生沢徹ちゃんとはずいぶん親しくなり夢工場にも何度か来てくれ、
後に手に入れたポルシェ904GTSのことや、トミーカイラのデビュー
がスカイラインGTをベースとしたM30など話したのを思い出す!
(詳しくはお宝話(9)ポルシェ904GTSを参照)

904gts_3

そんなことで徹ちゃんとは縁もあったが、特に公認チューニングカーの
ことを高く評価してくれた。
徹ちゃんも同じことをオートバイで経験し成し遂げていた実績を持つ!

そんなことでルマンは色々思い出をつくってくれる。

81年のルマンもレースの帰りに金古君とAMGに行った思い出が!
82年はトヨタ・トムスセリカCで舘君のルマン復活の年!
ドライバーは舘君と関ちゃん(関谷)と亜久理君だったと思うけど・・?

この年はトムスチームのメンバーとして参加した。

ルマン初出場の亜久理君と同じ部屋だったので、面白い思い出も色々ある
けど、いまの彼の活躍を想うと想像も出来ないぐらい若かった!

関ちゃんだって日本人初のルマン優勝者になるなど思いもつかない若さで、
ほんとに良い思い出をルマンには作ってもらったとおもう!

勿論この他にも、童夢の初完走のときのなんとも言えない喜びを味わって、
林君の挑戦する気持ちが心底理解できたし、トムスが初めて24時間後の
チェッカーを受けたときヘルメットを取った舘君と抱き合って歓んだこと
など僕の記憶にいまでも「ハッキリ」と残っている。

こんなことがあったから僕もずっと「挑戦」し続けられたのだと!

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