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2008年2月

2008年2月27日 (水)

クルマお宝話(30)最初で最後のスポンサー

        

お宝話(30)って書いて「ウアァ~」って思わず声をあげてしまった!
ネタが尽きることなくここまで来た!・・・早い、早い、ホントに早い。

有難いことに、次から次へとネタがどんどん湧いてくるから、
どんどんこのブログも書けるということに尽きるが!

一方で[tommykaira]の章に行き着いたら、このブログはすぐに終わって
しまうと思う気持ちが交差してどんどんとネタを生んでいるとも言える。

早い話、もっと書きたいと思っているということだ!

僕のように今まで後ろを振り返らずに来た者としては、まとめて振り返る
いいチャンスになるだろうと考えている。

だから、この際クルマに関して記憶にあることは全て書き留めておきたい
と思う。

うまくしたもので、これを機に思いで話を書いておけば、この先少々記憶
が鈍っても安心だ!

さ~!今回はいい区切りだから頑張って書きます。

1980年のルマンにG5の童夢セリカターボがトムスレーシングチーム
からエントリーした!

この童夢セリカターボに少しだが[tomitaauto]のステッカーが張ってある。
これが今回の題目のステッカー・スポンサーの話で、僕が35歳の時。

0223

その前の年、童夢の林君とロスの金古君のところに行こうということに!

この金古君のことは、お宝話(20)のAMGのところで既に書いたが、
この話はAMG行きの2年前の話ということになる。

僕と林君は、大阪から東京経由の米国行きに乗り込んだが、
東京からもう一人、飛行機に乗り込んで来ると林君が言う!

その彼は「全日本ツーリングカーのトップドライバーで舘信秀や!」と
教えてくれたが、そのときの僕は、まだ彼の活躍をあまり知らない!

その舘君を飛行機のなかで紹介してくれた。

きちんとスーツを着て、まるでタレントのような振る舞いが印象的で、
とてもレーサーには見えなかったが、親しみを覚えたのを憶えている!

舘君の方もクルマ好きだから[tomitaauto]は知っていたのだが・・・
なぜか僕のことを[tomitaauto]のメカニックだと思ったらしい!

前回のルマンでのお弁当騒動もそうだったが、よほど僕は「ガキ」に
見えるらしく、貫禄などかけらもなかったのだろうか!

それでもロスに着いた夜に4,5人で飲み明かして意気投合し、
舘君は得意のタレント振りを発揮して大いに盛り上がった!

そのときに彼は童夢セリカターボで、翌年のセブリングやリバーサイドの
レースに出場する準備のために来たことを教えてくれた。

Celica

そんな経緯があって、翌年のルマンに舘君が童夢セリカターボで出ること
を知り、応援のつもりでステッカー・スポンサーを申し出たという訳だ!

このとき一つだけ無理を言って、一般車のナンバープレートの位置に
[tomitaauto]のステッカーを貼ってもらった!

それは輸入車を扱ってナンバー取得に苦労している僕としての思い入れで、
このナンバープレートの位置こそ、僕にとっての最高の場所なのだ!

1980年のルマン!・・・このときもパリに着いたのは予選の当日で、
パリで仕事を済ませてから、高島屋の人のプジョーでルマンまで送って
もらった。

このときにプジョーの良さを知った!
地味なクルマだが、走りと乗り心地のバランスが絶妙でいっぺんに好きに
なってしまった。

このプジョーで高速道路を130km巡航、ほぼ2時間でルマンに着く。
すぐにサーキットでトムスチームの予選状況を聞いたが・・・良くない!

それでも童夢セリカターボが雨のストレートエンドを300kmで
コーナーに飛び込むシーンを見て、やっぱり舘君はレーシングドライバー
なんだって、今更ながらに感心したのを思い出す!
・・・・・残念ながら予選不通過!

さすがに本番を走れなかった舘君は、もの思いにふけって寂しそうに、
決勝のレースを見ていたが、このとき強い思いで次のルマン・チャレンジ
を決意していたのだと思う!

このときの想いは、82年トヨタ・トムス・セリカCで復活した。

Celicac_a
その後はご存じの通り、毎年のようにルマンでの活躍が始まった!

そうそう徹ちゃんのことを思い出した!

このときのルマンに生沢徹ちゃんが奥さんとキャンピングカーで来ていて
僕も舘君もそのキャンピングカーの屋根の上に椅子を並べて観戦していた。

レースが終わってから、このキャンピングカーでパリまで生沢、舘,両夫婦
2組と僕一人の5人で旅をしたのだが、途中のレストランで食べた豆腐が
良くなかったのか、泊まったホテルで僕以外は強烈な下痢!・・・
一晩中トイレの取り合いで大騒ぎだった!

その後、生沢徹ちゃんとはずいぶん親しくなり夢工場にも何度か来てくれ、
後に手に入れたポルシェ904GTSのことや、トミーカイラのデビュー
がスカイラインGTをベースとしたM30など話したのを思い出す!
(詳しくはお宝話(9)ポルシェ904GTSを参照)

904gts_3

そんなことで徹ちゃんとは縁もあったが、特に公認チューニングカーの
ことを高く評価してくれた。
徹ちゃんも同じことをオートバイで経験し成し遂げていた実績を持つ!

そんなことでルマンは色々思い出をつくってくれる。

81年のルマンもレースの帰りに金古君とAMGに行った思い出が!
82年はトヨタ・トムスセリカCで舘君のルマン復活の年!
ドライバーは舘君と関ちゃん(関谷)と亜久理君だったと思うけど・・?

この年はトムスチームのメンバーとして参加した。

ルマン初出場の亜久理君と同じ部屋だったので、面白い思い出も色々ある
けど、いまの彼の活躍を想うと想像も出来ないぐらい若かった!

関ちゃんだって日本人初のルマン優勝者になるなど思いもつかない若さで、
ほんとに良い思い出をルマンには作ってもらったとおもう!

勿論この他にも、童夢の初完走のときのなんとも言えない喜びを味わって、
林君の挑戦する気持ちが心底理解できたし、トムスが初めて24時間後の
チェッカーを受けたときヘルメットを取った舘君と抱き合って歓んだこと
など僕の記憶にいまでも「ハッキリ」と残っている。

こんなことがあったから僕もずっと「挑戦」し続けられたのだと!

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2008年2月22日 (金)

 クルマお宝話(29)LeMans24HOUR

  

’80年代のルマンの思い出話に移ろうと思う!

F1も毎年のように「鈴鹿詣で」をしたから、まだまだ沢山の面白話は
あるのだが、またの機会に譲るとして!

今回はもっと以前より馴染みがあり、憧れていたルマンの話をしよう。

79年に童夢が始めてルマンに参加したとき、童夢チームの一員として
参加しルマンの素晴らしさと耐久レースの感動を知った!

Zerorl_a_2

最初の年の童夢チームは、ルマンのサルテ・サーキットの近くに民家を
借りて合宿のような感じでチームの人がレーシングカーをメンテナンス
していたように記憶している。

そのほかにも食事係や雑用をする人がいて、ホントになごやかな雰囲気で
楽しかったし魅力があったと思う!

・・・だから毎年のようにチーム員として参加することに!

僕は仕事の都合上レースが始まるギリギリにしか「ルマン」に行けない。

だから日本からルマンに行く最終便として、レース部品を持って行くのが
僕の役目だ!・・・・・一度、重い重いデフを持って行ったことがある。

・・・面白い話を思い出した!

確か’81年か’82年の「アマダ」が童夢のスポンサーの時だと思う
のだが、このときはレース部品ではなくイベント用の「ハッピ」を持って
来てほしいと、ルマンに居る林君(童夢社長)から電話が掛かって来た!

Rl81_a

・・・そう、祭のときに着るあの「ハッピ」だ。

「お安いご用!」と段ボールに入った「ハッピ」を車に積んで飛行場へ!
[行きはよいよい帰りは・・・」でチェックインする時は何の問題もない。

ところが「シャルルドゴール空港」で入国のとき問題が起きた!

入国手続きのカウンターで検閲官が荷物検査をするからダンボール箱を
開けろと言う!

麻薬でもあるまいし「はいはい、どうぞ!」と気楽な気持ちで箱を開けた
、ところがその検閲官が「ハッピ」を取り出してこれは何だ!と。

僕のカタコト以前の英語がいけないのか、それともフランス語以外は聞く
耳は持たないのか・・・・・「日本で祭りのときに着るキモノだ!」と。

同じ言葉を何十回もオームの如く一時間近く連呼したが、それでも通して
くれない・・・途方に暮れていたとき、やっと迎えの人が来てくれた!

以前にも書いたように、この頃は高島屋外国部の顧問をしていた時期で、
パリ高島屋で総支配人の千葉さんが迎えに来てくれることになっていた。

千葉さんは時間通りに迎えに来ていて、僕が出てくるのが余りに遅いから
手違いでもあったのだろうと特別に調べて、この始末が発覚したのだ!            

僕にとって「神様、仏様、地獄で仏か!」ほっとしたどころではない。
・・・・・・「出口の見えないトンネルの夢」から覚めた想いだった!

すぐに千葉さんがフランス語で一言、二言、検閲官に話し掛けた。
次の瞬間「富田さん、このハッピを検閲官に一枚あげてくれ」って言う!

聞けばこんな着物は見たことがないから、今後のために「サンプル」と
して検閲に寄付して欲しいとのこと!

なんと、一時間以上も掛った検閲が一瞬にして済んで無事に外へ。
あとで千葉さんが、よくあることで彼が個人的に欲しいのだろうと!

それにしても、今の空港と違い随分のんびりしていたものだ。

そのあとパリ高島屋に勤務していた卓也君(由良)のお姉さんも

誘って千葉さんに美味しい韓国焼肉をごちそうになった。

ところでこの「ハッピ」、サーキットで凄い人気で、他チームから高価な
ブルゾンと交換してと!・・・僕なんかアルピナのブルゾンと交換した。

そうそう、もうひとつ面白い話を思い出した!

いつのレースか記憶は薄いが童夢チームに豪華な日本食の弁当が届いた!

そこでタイミングピットのスタッフにその豪華な日本食を届けてやろうと
現地に多少は慣れている僕がレンタカーのシトロエンに乗って出かけた!

ルマンのレースは市街地を走るからコースが長い、だから中間地点に
タイミング・ピットを設けて、周回タイムやレーシングカーの状態を
メインピットに知らす重要な役割をしている!

もしこのタイミング・ピットがなければ、何かが起きた時メインピットの
作業が遅れることになり、この13㎞もの長いコースを又一周するロスが
生じるのだ!

タイミング・ピットは一般道路のミルサンヌのストレート・エンド、
アルナージュのコーナーを立ち上がったところにある。
(詳しいでしょう!実はたった今、林君に携帯でカンニングしました。)

だからサーキットの外へ出ることに!
ところがサーキットの周辺はとんでもない大渋滞で身動きがとれない!

大渋滞でトロトロしか進まない外周路を、助手席にお弁当だけを乗せて、
シトロエンの運転席から、前方に立っている警察官をぼんやり見ていたら
向こうの警察官も僕の方をじっと見ている気がする・・・・・ヤバイ!

とうとうその警察官の近くまで来た時、僕の顔を見ながら手まねきする!

すぐ側の広くなっている空地に誘導して、フランス語でなにやら話しかけ
てくる。

僕が日本人だから免許証を見せろということらしいが!

僕としては国際免許を持っていないので、ここは知らぬ存ぜぬの一点張り
で頑張るしかないと!

言葉が通じないのも手伝ってモタモタしていたら、いつの間にか白バイや
大勢の警察官が僕を取り巻き、その外を野次馬が円陣になって取り囲んで
いる・・・・・まったく大捕り物の様相だ。

それでなくてもサーキットの周りには暇な人が大勢歩いているのだから!
ほんとにオーバーでなく100人ぐらいの輪になっていた。

ここまで大ゴトになったら「警察に連れて行かれるだろうな~」・・・・
なんて考えていたら、突然日本語で「日本の免許証はありますか」って!

カタコトの日本語を話す警察官が出てきて聞く!
とっさに僕も「ありますよ」って・・・免許証を出して見せてしまった!
・・・・・万事休す!

その警察官が僕の顔を覗き込んで免許証の写真と見比べながらフランス語
でなにやら話している。

すると僕の免許証をを覗き込んでいた数人の警察官が、一斉に笑いだして
急になごやかな雰囲気になった!

僕が理解不明のまま唖然としていたら、一斉に野次馬さん達から拍手が
起きて「良かった、良かった」とでも言ってるのか、肩まで叩かれた!

いまだにハッキリとは分からないが、シトロエンを運転していた僕が子供
に見えたということらしい!

・そのとき僕は30半ばで、いくら僕が若く見えたとしても未成年とは!

でも、そのあと白バイ2台に先導されて渋滞の中をスイスイとタイミング
・ピットまで!

ルマンのレースで先導車付きで弁当を運んだのは僕ぐらいだろうな~!
                     
                                           (写真提供・童夢)

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2008年2月19日 (火)

 お宝話(28)1988年のイギリスGP2

  

またまた得意の寄り道が長くなってしまった、イギリスに出発しよう!

ヒースロー空港には僅かな時間で到着した。

大した額ではないがカジノで勝ったお金が多少はある。
英語が得意なT君に「ロンドンタクシーを半日ほどチャターしてよ」と!

僕は世界一タクシーらしいのはロンドンタクシーだと思っている。

シルバーストーン・サーキットまで2時間ほどのドライブの途中、
運転手さんがいろんな話をしてくれるが、これは半分も分からない。
広いリアシートから段々と田舎の風景になって行くのを楽しんでいた!

ところがシルバーストーン・サーキットの側まで来たときに、
タクシーをチャーターしたことが大正解だったということが判明した!

だって、サーキットからかなり遠い所にある駐車場からトボトボと、
大勢の人が泥濘の雨の中を、まるで蟻の行列のように歩いて来るのだ!

もしレンタカーなんかで来てれば大変な目に遭うところだった。
ほんとカジノさまさまだ!

ぞろぞろ歩いて来る人の横を、強い視線を感じながらリムジン・タクシー
に乗ったままゲートのところまで来た。

そろそろ降りなければと思っていたら、運転手さんが何やら係員に・・!
「ゲートイン、OK」と僕たちの顔をみてナントそのままゲートの中へ!

これにはびっくりしてT君と顔を見合せ、
ここまで来たらロンドン・タクシーさまさまだよなーって!

そのまま進んで観客席の入り口の前でロンドンタクシーは止まった。

運転手さんは当然の如く、この車上の客が観戦チケットを持っている
VIPと確信していたのだろう・・・・・!
入口を指さして「行ってらっしゃい」見たいなことを言った。

・・・「ギクッ!」そこではじめて気がついた・・・チケットがない!

T君がすぐに飛び降りて係員に交渉するが大きな手振りでダメだという!
・・・・・日本ならダフ屋ぐらい居るのだが!

少し歩いて別の入り口にいるチケットカッターに聞く。

コイツがまた憎たらしいほどの態度で僕の体をひじで押しながら
「チケットなんか今頃あるか・・・バカ!」とでも言っているように
聞こえる!
それもニタニタと憎たらしい態度で・・完全に日本人を馬鹿にしている。

普通の人ならここで諦めるのだろうが、絶対に諦めないのが僕の信条!

つい数日前も、せっかくだからオペラでも見ようと劇場に出かけたが、
このF1チケット同様にチケットは完売状態で話にならない!

目の前を、当日券を買えなかった人がゾロゾロと帰って行く。
何とかなると粘っていたら、案の定、入口の横の階段を正装をした人が
一人、二人と上がっていく。

辺りに目を配りながら、その怪しい階段を3階まで上ったところで
目にしたものは・・・・・・・ヤミチケットが並んだ机だった!
生まれてはじめて、高い高い天井桟敷からのオペラを満喫した。

このサーキットでもきっと同じことが起きると!

そんな想いで辺りを見回していたら、一人の人が強烈に目に入った。
その人だけが場違いなスーツ姿で何やら抱えて歩いてくる!

とっさにT君に「あれチケットかも」と言ったら、
僕の感をよく知る彼は、すでにスーツ姿の人に声をかけていた!

聞けばスーツ姿の人はナイジェル・マンセルのスポンサー会社の人で、
VIPなお客さんをヘリコプターで招待することになっていたのだ!

ところが当日はあいにくの天気でヘリコプターの飛行許可が出ないの
だという。

だから担当者として余ったチケットを幾らでもいいから売りたいと!

これぞ本当にウソのようなホントの話で僕たちにとってこれ以上望む
ことは何もない。

その上、その時払ったお金は日本円にして、僅か六千円ほどだった。
間違いなく10万円以上はするチケットだと思うけど!

すぐにロンドンタクシーの運転手さんに入口の近くに待機してと頼む。

さっきのこ憎たらしいチケットカッターの所に取って返して
日本語で「これでいいやろう!」と・・・・・!
その時ヤツは狐につままれたような間抜けな顔で・・・急に丁重に!

いよいよ、初めてのシルバーストーン・サーキットのスタンドへ!

話はそれるが10年後にトミーカイラZZが、このサーキットで取材を
現地の自動車誌から受けるようになるとは知る由もない!

さてサーキットのスタンドに戻る。
ここでも、またまたラッキーなことにナイジェル・マンセルの応援席は
最終コーナーからシケインに入って立ち上がるところのすぐ目の前だ。

最高に面白いシーンが見られて、そのうえワインのサービスまで付く。
本当に何からなにまでラッキーな話だが、一つだけ参ったことがある!

毎回ナイジェル・マンセルが目の前に近づいて来ると、
僕の周りの人は必ず全員スタンデング・オベーションで迎える!

セナ好きな僕も、周りの人には申し訳なかったがスタンディングした。
・・・・・・でも和気合い合いでホントに楽しくて幸運な一日だった!

この年はホンダもフェラーリもV6ターボ最後の年で、
翌年からホンダがV10、フェラーリがV12となる。

だからと言っては何だが、雨でもあり余りサウンドは楽しめなかった!

このときのレース結果は大好きなアイルトン・セナがマクラーレン・
ホンダで優勝した。
お世話になったナイジェル・マンセルはウイリアムズ・ジャッドで2位
ということでそれまでの不調から立ち直るレースだった。

これまた好きだったアレッサンドロ・ナニーニはベネトン・フォードで
3位と大健闘、4位のN・ピケはロータス・ホンダで、同じチームの
中嶋悟選手は10位と健闘した。

・・・・・今では懐かしいビッグネームが揃う。

という幸運なお話です・・・・・でも誇張のない本当の話ですから!

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2008年2月16日 (土)

お宝話(27)1988年のイギリスGP

   

僕のF1観戦は思い出しても結構面白いことやラッキーなことが多い。
そんなことで頭に幾つか浮かんだままに書いて見ることにする!

今から20年前の話になる、ということは僕が43歳のときで、
3年前に入会した京都経済同友会の欧州視察でのこと!

当時、僕が独立前に働いていた日産系デーラーのオーナー社長が
京都の名士で、京都経済同友会の常任幹事をしていた。

そのオーナー社長とその数年前に再会、急速に親しくなり兄貴分として、
また父親を知らない僕の親代わりとして、随分世話をしてくれた。

学歴コンプレックスが強かった僕に、なんとか自信を持たそうと、
一流企業のトップや識者が居並ぶ京都経済同友会に推薦してくれ、
若造の僕が40歳に成るのを待って入れてくれた。

その時の代表幹事が京セラの稲盛氏とオムロンの立石会長だった。
随分このお二人には親しくして頂いた。・・・F1の後日談がある!

その兄貴分のS氏が、その後のクルマ人生の片棒を担いでくれた。
だからトミーカイラのスタートは日産車なのだ!

丁度そのころ京都府北部の綾部市にサーキットを造る話が持ち上がり
経済同友会も連携してヨーロッパのサーキットを視察することに!

02162

そんな訳で仲の良い京都大学の工学部教授と兄貴分のS氏が引率役で、
各方面の識者を20人ほど引き連れ2週間の視察旅行ということに!

僕は綾部サーキットの実行委員長ということでかなり自由が利いたから、
デンマーク、オランダ、ドイツ、スイス、フランスと旅を続ける途中に
オランダで2日ほど自由時間を取ってスケジュールを空けた!

当時あっちこっち旅行に行くときは僕より10歳ほど若く英語が出来て
何事にもマメで芸達者な自称添乗員のT君と行くことが多かった。

その時も彼に「カジノに勝ったんやからF1でも見たいよな~」と僕!
彼が「そんなに都合よくやってないですよ~」と言いながら調べている。

すると突然彼が・・・「明日がイギリスGPの決勝ですわ!」と叫ぶ!
「でも飛行機が取れないことには・・・」と言いながら受話器をとる。
ホテルのフロントに問い合わせ、待つこと30分往復チケットが取れた。

このとき不覚にも、F1観戦のチケットがないことを完全に忘れている!

だけど・・・明朝そんなことにも気付かず身支度を済ませて飛び出した!

そうだ!・・・イギリスに行く前に、
この旅のそれまでの経緯を説明しておかねば話に迫力がない!

少し話は変わるが、僕は日本でまったく博打をしない。
競馬も競輪もパチンコなどもまったく興味がない!

当り前やろう!・・・と自分で突っ込みを入れたくなるほど、
僕がやっている仕事そのものが大博打なのだから!

その代わりと言ってはなんだが、海外に行くと必ずルーレットをやる!
これが不思議なぐらい強い必ず勝つ、本当の話11戦11勝なのだから!

前日もホテルからブラブラ歩いてカジノに行った!

レートが低くて、みんな楽しんでやってるって感じの、ほのぼのとした
カジノだったけど、僕が勝ち出したらみんな寄ってきて・・・・・乾杯!

そして僕と同じ処にチップを張って、縁起担ぎで煙草の火を貸せとか、
仕舞いには煙草をくれって!・・・・・ほんとに楽しい夜だった!

それに自分の腕で賭けもやる!
この2日前にもまったく見知らぬ土地なのにホテルを抜け出してT君と
プールバーに行った!

ドデカイ男達ちが玉突き台の周りにたむろしてビリヤ-ドをやっている。

コインのお金を玉突き台の斜めのラシャの端に挟むのだ!
旨くしたものでコインに球は全く触れない。

よく見ると球を突いているヤツは2人だけで、
玉突き台の周りの男達ちは2人の勝負に賭けているだ!

僕はお酒を飲みながらカウンターの椅子に腰掛けじっと見ていた。
彼らの腕を見ていて「これならいける」と!

勝負に勝ったヤツが声をかけて来たのか、こちらから声をかけたのか、
ハッキリ憶えはないが・・・・・「サシ」で勝負ということに!

実は高校生のときから5年ほど、例のボウリングにハマるまでは
玉突き三昧で、自分の持ちキュウを3本も持っていたほどだ!

その頃の土曜の夜は、京都の繁華街に近い四条御幸町にあった
「みゆき」という玉突き屋でおっさん相手に夜を明かしていた。

だから自信はあったが、何せ知らぬ外国の地、気は許せない。
T君に何食わぬ顔で万が一、ヤバイことが起きたら・・逃げるぞって!

映画のシーンみたいに書いたけどホントそんな感じだった。

でも決着ついたら肩なんか叩かれて称賛された・・・と思っているけど!
言葉が解らないから、お互い緊張してたんでしょうね。

今回は長いので・・・・この続きは火曜日にさせてくださいよろしく!

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2008年2月13日 (水)

 クルマお宝話(26)F1のスポンサーとロールスロイス

 

これから数回はレースにまつわる面白話をいくつか紹介しよう。

僕は一度だけだが本当にF1のスポンサーをしたことがある!

それは32年前に遡る1976年、F1選手権INジャパンでのことだ!

こう書くと勘のいい人は、あっ、KE007の・・・と思われるだろう!
ましてや、お宝話を最初から読んでいる人ならKEオーナーの小島君とは
仲良しの同級性だということも良くご存じの筈だし。

でも残念ながらそんな大それたことではなくもっと、もっと小さい話だ!

F1・KE007のことは、昨年トヨタのサーキットとして
久々に富士で開催された日本グランプリで、
30年前のF1の思い出としてかなり紹介された。

だからよくご存じだとは思うのだが、
実はもう一台、国産のFIが参加していたのをご存じだろうか?

このF1マシンのことを知っている人は余程のレース通だろう!

マキF101と言い、74年にほとんど無名の若者たちが造ったF1で、
なんとロンドンでセンセーショナルな発表をし注目されたモデルだ。

日本人初のF1マシンとして、その頃のレース通は期待したものだが、
74年は確かイギリスGP、ドイツGPの2戦にチャレンジし、
翌75年にもヨーロッパ・ラウンドにチャレンジしたが、
残念ながら一度も予選を通過できなかった。

という訳で本戦に一度も出られない状態が続いての、富士という事だ!

余談だが、75年のマキF1のドライバーはトミーカイラ・ZZを造って
いたイギリス工場のトミタオートUKの社長だった鮒子田寛氏で当時は
トップレーサーだった。

話を戻そう!
そのマキF101のデザイナーのM君から、F1選手権INジャパンの
開催される数日前に電話が掛った!

聞けば資金難で、予選を走るガソリン代にも困っているという。
10万でも20万円でもいいからと・・・・・!

ちょうど僕も東京に、憧れのクルマを取りに行くことにしていたので、
富士スピードウエイなら帰りに寄れる。

それもスポンサー用のパドックパスを出してくれるというので
喜んで了解した!

それにF1のガソリンのスポンサーとして生まれて初めてF1を間近に
見れるという嘘のようなホントの話だ!

その上楽しみにしていたロールスロイスのコンバーティブルに乗って
F1を見に行けるなんて!

02131_2

予選の前日に東京でロールスロイスを受取り、翌朝早くに富士に向かって
出発した。

憧れのロールスのコンバチで都内を走っていてふと気がついた!
いつもの、あまりお行儀の良くない運転が影をひそめて、
ユッタリと落ち着いて運転している自分に気がつき可笑しくなった。

02132

話には聞いていたが、本当にロールスロイスは人間を変えるのだ!
いつもなら、我先にと争うように突っ走るのに不思議なほど紳士的に、
「どうぞお先に!」みたいな気持ちになている。

そんな訳かどうかは知らないが、タップリ時間が掛ってしまった。

まぁ日本で初めてのF1開催だから混むのは仕方ないかと思いつつ
サーキットにたどり着いたら、パドックパスを受け取る時間を大幅に
過ぎていたから約束の場所に待ち人がいない!

どうしたものかとクルマを止めて思案をしていたら、
なんとフェラーリチームのウエアーを着た人がすごく丁重に、
「あそこに止めてください」と!
フェラ-リやロールスが止まっているフェラーリチームのパドックの
近くのひときは目立つ駐車場に案内してくれた。

まぁ僕もその日は一応スポンサーみたいなモノだし、正直に案内して
くれた人に事情を話したら「結構です、どーぞ、どーぞ」と!

聞けば総代理店としてコーンズがフェラーリやロールスの顧客サービスの
ために行っているのだという!

02133_2

だから僕はロールスのユーザーだから「どーぞ、ど-ぞ」」という訳だ。

ロールスを買ってまだ2日目なのに凄い威力、さすがロールスだ!

02134

厚かましくも勧められるままにフェラーリチームのパドックに案内され、
すぐ目の前のピットレーンを走る音の凄さにド肝をぬかれた!

このとき一番印象に残っているのは「リジエ」で確か12気筒だと記憶
しているが、そのエクゾーストの素晴らしさに痺れたのを憶えている。

そんなことで無事パドックにたどり着いたのだが、寄り道のせいだろう、
時すでに遅く、既にマキF101はリタイアしていた!
それもスタンド前のストレートで止まってしまったから成すすべはない。

もうひとつ大きな出来事が起きていた!

そう!・・・あの伝説の小島君のKE007がすでにクラッシュしていて、
パドックだったのか近藤ガレ-ジだったのか記憶が薄いのだが、
必死の回復作業をしていたのを見舞に行った!

ピリピリした雰囲気の中だが小島君が腕を組んで作業を見守っていたので
一言だけ声をかけたが、不機嫌そうな声で「うん」とだけ言った!
それはそうだろう、もしクラッシュしてなければ凄い快挙だったろうに!

解良君は必至に仕事に取り組んでいたので声をかけずに手で合図だけした。

のちに小島君にこの話をしたら「それがレースや!」って・・・スゴイ!

そんなことで僕のF1観戦は色々思い出を作ってくれた。

こうして30年経っても色褪せないだけの思い出を!

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2008年2月 9日 (土)

クルマお宝話(25)モーガンと個性的な二人

   

名は体を表すというが、クルマも充分その持ち主を表すと思う。
今回はモーガンを選んだ素晴らしく個性的な二人を紹介しよう!

まずは、お宝話(24)の最後に書いたモーガンを買った息子さん
の話から!

僕は本当は飽き性なのかも知れない!
と言うのは、好きなクルマが次から次と変わっていく。

そうかと言ってそれまでのクルマがきらいになった訳ではない!
次々に興味の対象が増えると言った方が適切だろう。

僕の場合、好きになる基準は国単位でクルマそのモノを直接好きに
なることは稀だ!

自己分析した結果、これは多分に26歳から頻繁に海外に出かける
ことが主因だと判明したが!

当然お宝のクルマを探しに外国に行くのだから、車文化がそれぞれに
発展している国ということになる。

その頃だと、イタリア、西ドイツ、フランス、イギリス、ぐらいで、
今でもヤフーの中古車物件検索を見たらスエーデン、南アフリカ、
韓国が増えたぐらいで自動車先進国はまだまだ健在だ!

そんな訳で訪れる国のクルマや会社の成り立ちなどを、
前もって調べるから自然に興味がわいてしまう!

この時期は丁度イギリス車に凝っているときで、前回のジャガーに
始まってモーガン、パンサー、ロータス、ミニ、バンデンプラス、
など片っぱしから集めて、最終的にはロールスロイスにまで
興味を持ってしまった!

例のジャガーEタイプの紳士の息子さんが来られたときは、
イギリス車に凝っている時期で3台のモーガンが展示してあったと思う。

一台はブラックのモーガン+4でトライアンフのエンジンが積んである
特別なモデルで内装はウオールナット、本革張りの豪華な仕様だ!

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もう一台のグリーンのモーガンは4+4の名称で4人乗りの非常に珍しい
モデルで、多分そのころ国内に一台だったと記憶している。

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残る一台はグリーンのモーガン+4で標準的なモデルの2シーターで、
新車のような状態のクルマだった。

その3台の中から、紳士の御子息がグリーンの2シーターを見つめながら、
いかにも英国通といった感じの紺のジャケットにストライプのネクタイを
自然に着こなした、その出で立ちで!
「このモーガンは売り物ですか?」と物静かに聞かれた。

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僕は一瞬、この中年の紳士が本当にモーガンに!・・・と思ったが、
でも、そうだとしたら似合うだろうな~と内心思っていた。

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それから話がはずんで・・・・・!
ケンブリッジ大学を出てイギリスに長く住んでいたことや、
イギリスでよく見かけたモーガンを探していたことなど色々話すうちに、
なんとあのジャガーEタイプの紳士の御子息であることが判明した。

すでに20年の時を経ており、これを機にお逢いしたかったのだが、
残念なことに御尊父はすでに天国へ・・・でもこの縁をつくってくれた!

という訳で一瞬にして親しくなってしまったのだが、
それにしても父君も御子息も本当に個性的な紳士だったな~と思う!

だって御子息なんぞ真冬でもモーガンの幌を外してオープンで、
バーバリーのコートの襟を立て、助手席にゴルフバッグを乗せて、
しごく当たり前のように走るさまは誰にも真似はできないだろう!

僕は、ひょっとしてクルマより人の方が好きだったのかも!

もう一人モーガンが良く似合う個性的な人を紹介しよう。

信州の八ヶ岳でレストランとコテージを経営してるという人から
カーグラフィックの広告を見たと電話が入った。

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この人もモーガンを探していたのだという。

電話で詳しくクルマの状態を話したら京都にモーガンを見に行くよと!
それにしても遠いところから本当に・・・・と思っていたらご夫婦で
本当に京都に来られた。

お会いしてまずビックリしたのは、ご主人が50歳で奥様が25歳の
親子のような仲のいいカップルだった!

自然のなかで暮されているからだろう、おおらかな気持ちと優しさが
にじみ出ている。

そんなご夫婦が自分たちでモーガンに乗って信州まで帰るという!
モーガンで信州までと驚いていたら、
その後もちょくちょくモーガンに乗って京都まで遊びに来られた。
壺に入った特製の自家製カレーを必ずおみやげに持って!

そのカレーの味が忘れられず、とうとう会社の人たちとスキーを
口実に泊まりがけでコテージ目掛けて出かけた!

スキーで疲れて冷えた体を暖めてくれる大きな舶来のストーブや、
美味しいカレーに、美味しいコヒーが懐かしくよみがえる!

ご夫婦の生活の場に行ってみて、はじめてなぜモーガンなのかが
分かった気がした。

やはりイギリスのカントリーロードに似た静けさと落ち着きがある。
そんなカントリーロードに似合うのは、やはりモーガンだろう!

だから不便とか不自由とか、そんなことを気にしないおおらかな
気持ちと自然に対する優しさがなければ暮せないのだろう!

モーガンが縁で素晴らしいご夫婦に出会って・・・・・!

このときも将来こんな人たちに愛されるクルマを造りたいと、
ちょっぴり思ったのかもしれない!

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2008年2月 6日 (水)

 クルマお宝話(24)大好きなジャガー

  

本当のところお宝話(22)のタイトルは「大好きなジャガー」として
書き進めていたのだが、気が付くとどんどん内容が「大好き・・・」から
遠のいてしまった!

仕方がないから「クルマの価値とは」にして2回に分けて書く事にした。

と言う訳で本来のタイトルだった「大好きなジャガー」の話を純粋に
書いて行こうと思う!

以前にも触れたように独立した頃はポルシェ356とジャガーEタイプ
に憧れていた。

今と違いポルシェとかジャガーの現物を見ることなどほんとに稀で、
欲しいとか、乗りたいなどとは夢のような話だった時代だ!

極々一部の人達が乗っているだけだから、単純に憧れていたとしか
言いようがない。
おそらく日本中を探しても100台もなかったと思う!

これはトミーカイラZZが国内で206台の販売実績だから、
これと比較して考えてもらえば想像しやすいと思う。
僕だって今までに偶然ZZと出会えたのは片手で余る位なのだから!

そんな稀少なクルマを知ったのはやはり第一回日本グランプリだ。
だけどサーキットで観たのではなく、自動車雑誌で知ったのだが!

ところが以外にも身近なところでジャガーに触れることになる。

そのころ大ブームになっていたボウリングに、
ご多聞に漏れず僕もハマリ切っていた!

正直に言うと、単にハマっていたというレベルではない!
凝り性の僕は毎日のように仕事帰りにボウリング場に通っていた。
サラリーマンをやめて本気でプロになろうと!

そんなボウリング三昧の日々の中、全国大会の予選で試合中に、
恰幅のいい中年の紳士に声を掛けられた!

その紳士は、何故か僕がクルマ気違いだと知っていて、
この試合で予選を突破すればジャガーEタイプに乗せてやると
云うのだ!

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紳士はそのボウリング場の経営者だという!
毎日、毎日、日曜日もボウリング場の正面にジャガーEタイプが
鎮座しているのを僕は知っている。

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そのEタイプを時には一時間近く眺めていることもある僕の姿を、
何度も目にしてよく知っていたのだという。

試合は午前中6ゲーム、午後6ゲームのトータル12ゲームで、
予選会が行われる。

僕は午前中、80人ほどが参加している中でトップで通過した。
午後の3ゲームもクリアして、いよいよ最終予選に進出することに!

最終の3ゲームはテレビ放映のためにテレビカメラの前での試合だ。

ここで少し保身のためにボウリングのウンチクを少々語る!

ボウリングのレーンは堅い木で出来ていて、その木の保護のために
木の表面に薄くオイルを引く。

このオイルの状態で勝負が決まると言ってもいいぐらい重要なのだ。

オイルがレーンの上に沢山残っていればボールが滑って曲がりにくい!
オイルが少なければ曲がりやすい!・・この状態をレーンが遅いと言い
オイルが多ければ・・・レーンが早いと言った。

さて続きだが!
テレビ撮影のために使わない隣のレーンに強力なライトを沢山ならべて
真昼のように明るくする。・・・これがイケナイ!
このライトの熱でオイルは乾燥しレーンが超遅くなる。

僕は異常にボールが曲がるタイプなので・・言い訳はこれぐらいにして
結局、最終予選で敗退してしまった。

残念ながらジャガーに乗せてもらえるチャンスを逃したと肩を落として
ボウリング場を出たら、シルバーメタリックのジャガーEタイプが横づけ
されて経営者の紳士が・・「よう頑張ったな~、食事に行こうか!」と!

比叡山にあるホテルのレストランまで、ワクワクしながら助手席で胸が
一杯になったのを思い出す!

父親の顔すら知らない僕が、理想としていた父親像に近かったのだろう、
行き慣れないレストランで御馳走を頂きながら、将来の相談をしていた!

紳士のおじさんは京都では知らない人は居ないぐらい著名な方で、
幅広く事業をされていて「君はそんなにクルマが好きなら独立しろ」と
僕の肩をたたいてくれた!

「僕も大好きなジャガーが買えるように頑張ります」と将来を語った。

帰り道、ワインを飲んだ紳士のおじさんはステアリングを僕に任せて
くれ、僕は緊張しながらも、貴重な体験を大いに楽しんだ!

多分、最初からその積りだったのだろう!
僕のそれまでの人生で最初に出会った大きい人物だ。

数年後、僕はおじさんのジャガーEタイプクーペと同じ、
グリーンのEタイプクーペを手に入れておじさんとの約束を果たした!

不思議なことにそれから20年近く経って、
息子さんが偶然来店してモーガンを買ってくれた。

その息子さんもケンブリッジ大学仕込みの紳士で大の仲良しになった。

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2008年2月 2日 (土)

クルマお宝話(23) 僕の思い出

今回はクルマをはなれて思いで話を少々! 

僕は13才でバイクに、18才でクルマに憧れ58の歳まで一直線に
車一筋の人生を“夢に挑戦し続けること”を信条に走り続けた!

結果として、
スーパーカーブームを演じ日本初のチューニングカーメーカーになり、
オリジナルのスポーツカーまで造ってしまった!

その思い出のなかでも、オリジナルスポーツカーの発表会で案内状に
詩を書いた。

自己満足と知りつつ、その詩を案内状の見出しに印刷して送りつけた。
それでも僕のことを良く知る友人はこの詩を読んで涙してくれた!
改めてここに紹介させてもらう。

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これは亀の紋章を意識して浦島太郎的なイメージにしている。
だから亀のマークの上に詩が乗せてあるという訳!

クルマの仕事は自分の天職だと信じていたし、自信もあったから、
35年もの長きに渡りあまり苦労とも思わないで続けられたのだろう!
だからどんな苦難も乗り越えることができたと思う。

そんなクルマ人生から一変して、違和感なく今の仕事に就いたのは、
不思議と遠い過去の思い出が導いてくれたと思えてくる!

すっかり忘れていたことだが中学生の頃、僕は昆虫採集が好きで
取った昆虫を解剖するのが大好きだった。
僅かな小遣いを貯め3年もかかって顕微鏡とメスを手に入れたときの
喜びは子供心にも最高の心地だったのを憶えている!

今でも思い出がいっぱい詰まった宝箱の中に大事にしまってある。
手にとって、顕微鏡が入っている小さな木箱のケースを開けた途端、
幼い頃に嗅いだ匂いに包まれて一瞬にしてむかしに戻って、
思わず涙が出そうになる!

いまに続く思い出がある!
中学生の頃、入院していた叔母を毎日のように京都大学病院に見舞に
行った。

そのとき可愛がってくれた叔母の主治医の先生が解剖展のことを
教えてくれ、そんなに昆虫の解剖が好きならと解剖展のパンフレット
を見せてくれた。

まさか本当に中学生の僕が行くとは思っていなかったらしいが、
なぜか僕は二年も続けて京都大学の解剖展を見に行ってしまった。
しかも一人で!

その解剖展とは無数の人間の死体が色々な状態で置いてあるのだ!
たとえば目の前のベッドにシートがかけてある、
恐る恐るそのシートをめくると人間の死体が、
なんと筋肉だけの姿で寝かせてある。

あまりの気味悪さに衝撃を受けてしまい、
家に帰ってもしばらく放心状態で食事がのどを通らないといった具合で、
あまり良い思い出ではないが記憶は鮮烈に残っている!

育ててくれた義理の母が、若いころ日赤の看護婦長だった。
だから潜在的に医学への興味があったのかも知れないが、
昆虫の解剖展とは訳が違う!
第一、子供など一人も見に来てはいなかった。

それでも次ぎの年もまた解剖展に行ったと言うことは、
やはり興味を強く惹かれたのだろう!

そんな思い出が潜在意識の中で存在し続けたのだろう。
不思議な事に35年のときを隔て、医療の世界へ自然と導いてくれた!
気がつくと僕は医療の世界に入り、ライフチューナーとして、
スローエイジングの目標に向かってチャレンジし始めていた!

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