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2008年1月19日 (土)

クルマお宝話(19)「チューニングカー」の章

やっとチューニングカーの章に辿り着いた感じでなぜか嬉しい!
今日は、当時を思い出して書いてみることにしよう!

そもそも、最初にチューニングカーを扱い出したのは
「AMG」ブランドで、当時の自社のチューニング・レベルは、
パーツのみを輸入して、組み付けると言った、
まだまだ実験的なものだった。

その頃のAMG社のことは、後日詳細に写真入りで紹介する積もりだが、
社長のアウフレフトに会うために訪れたAMG社は、
ほんとに質素な工場で、
ある意味、若かった僕に勇気とチャンスを与えてくれた。

もし、訪れたAMG社が現在のように立派な工場と設備を誇っていたなら、
多分、チューニングカーを造る会社を興そうなどとは思わなかっただろう。

お宝話(10)の文中で書いたアルピーヌA108に乗って山に行き、
「こんなんやったら造れる」と思ったのと寸分、変わらない考え方だが、
今考えると、なんと怖いもの知らずの「あつかましい」若者だったのか!

その怖いもの知らずの考えで、躊躇なく「将来構想」を描いた!
そして続く「HARTGE」ブランドでは、その将来の構想に沿って、
解良喜久雄も参加した中で、「株式会社ハルトゲジャパン」を立ち上げた。

誰も知らない、僕も知らなかったブランド「HARTGE」!
そのブランド発表会は「ハルトゲの日」と称して無数の旗をたて、
当時の社会的現象ともなっていたディスコ「マハラジャ」を舞台とした。

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同時にレース参戦の発表会も行い、華やかに開催した。

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当然、BMW635CSIベースのレーシングカー(お宝話1参照)

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も展示して何から何までド派手にやったから、
業界外の有名人や報道のテレビ局まで来てくれ、瞬時に有名になった!

「この頃かな~、BMW320が六本木のカローラって言われたのは!」
そんな時にBMWベースのチューンド・ハルトゲが「マハラジャ」に
常時、展示されていたのだから有名になっても不思議はない!

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その頃には「AMG」ブランドも結構、有名になっていたから、
この「HARTGE」ブランドの仕掛けも上手く行ったのだろう!

僕がなぜこのように「ブランド」にこだわるのかと言えば、
「消費者相手のビジネスに於いてブランドは最大の資産である!」
と思っていたからだ。

この言葉は、独立後5年位たった頃から強く感じるようになって、
手帳に書いた一節で、今も強く感じているし間違ってはいないと思う。
今でも講演の大きな柱のひとつだ。

ブランド力さえあれば小さい企業でも大企業に太刀打ちできる!
その頃、ブランドの仕掛け人としての地位が確立されつつあった。
取材も多く色々な話が来たが、業界誌や一般誌の取材依頼だけでなく、
自動車メーカーやファション業界からの提携話が来るようになった!

だが順風満帆とは行かなかった!

「AMG」ブランドもそうだが、「HARTGE」ブランドも自分が創った
ブランドではない!

いくら努力して有名にしても・・いや!・・・有名になればなるほど、
利権を求めて他社が参入し争いが起きて来る。

そうして追い詰められた状況の中で決断する時が来た!

オリジナル・ブランド「トミーカイラ」のスタート。

もともとオリジナル・ブランドは国産車をベース車として、
チューニングカー製作をスタートさせようと決めていたのだが!
ベースとなる国産車のレベルが、「AMG」のメルセデスとまでは
行かないまでも「土俵の外」では困る!

今後、間違いなく発展するだろう韓国やタイのことを考えて、
それに将来的には確実に中国も成長すると!
だから誇張ではなく、国際競争力が必要だと本気で考えていた。

現にそれから10年と経たない内に、是非にと韓国の貿易商から話が来た。
大企業の紹介だからと、韓国の輸入車ショーに出展したが!
商習慣の違いなど複雑な問題が発生し大損した。

これは時期が早かったのだろう!・・・・・?

だから「トミーカイラ」ブランドは、本格的なクルマ造りを目指す
チューニングカー・コンストラクターとしてスタートした。

文章として書くのは簡単だが、この決断には多くの人の理解と協力を
必要とした。

それまで輸入車の展示販売とアフターサービスをメインとしていた会社が、
いきなり展示場をブッ壊し、そこに「夢工場」と称した建物をオッ建てて、
自社で製造したトミーカイラのチューニングカーをメインに販売する。

Yumekojyo

いくら自分の「夢」が昔から「工場」を建てる事とは言え、
もはや自分だけでなく、多くの人を巻き込むことになる!
この方向転換とも言える決断は会社にとっても、
また会社に従事する人にとっても大変な出来事だった!

その上、「チューニングカー」など自動車業界にいる人でさえ、
殆ど知らない程で、一般的にはイメ-ジの良くない改造車と思われていた。

それでも将来のことを随分以前から模索して決めたことだった。
今思っても随分と思い切った決断をしたものだ!

そのころの僕は、西ドイツがTUFの基準によってチューニングカーが
公然と認知されている現状が羨ましかった。

だから報道発表会や取材のたびに、改造車=悪ではなく、
「チューニングカーと覚えてください!」と必死に連呼していた!

これは今日、チューニングカーが社会的に認知される礎になったと思う!

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コメント

「HARTGE」、富田さんが輸入されたのですかっ!

近所に、「京都」ではなくて「京」ナンバーの「HARTGE」を大事に乗っているオーナーがいらっしゃいます。

楽しいお話、今後も期待しています(^^)

投稿: さわ | 2008年1月25日 (金) 13時33分

京ナンバーか懐かしいですね~!
HARTGEは輸入した車とハルトゲジャパンで造った車が
あり、機種によって違います。
でもクルマは長く乗ると愛着が湧くよね~!
ぼくは長く乗ったのは初期のBMW750ILで9年間で
16万キロが最高です!

投稿: 富田義一 | 2008年1月26日 (土) 12時12分

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