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2007年12月

2007年12月30日 (日)

クルマお宝話(15) スーパーカーブームII

1977年頃を頂点としたスーパーカーブームは僕が丁度30歳位で、
その後もまだまだブームは続いた。

平日でも、学校が終わった3時ごろから毎日100人以上の子供が、
スーパーカーを目当てにお店だけでなく、自宅のガレージにも子供が
押し寄せた。


自宅兼スーパーカー倉庫

ピーク時の日曜日など、近畿一円から300人以上の子供が来た。
みんな必ずカメラを持っている。

ある時、一人の子供だけカメラを持っていなかった。
聞けば家にカメラなどないと言う。
僕は偽善家ぶって「これ持って行き!」とショウルームに招き入れて、
新しいフィルムを入れたカメラごと手渡した。

いま思えば自分の子供の頃とオーバーラップしたのかもしれない。
なぜかハッキリと覚えている。

もう一つの記憶は、自宅の一階をスーパーカーの倉庫にしていたから、
3歳の僕の息子がカメラを持った子供たちを掻き分けて得意満面、
我がもの顔で倉庫に出入りするから、怒鳴りつけたことがある。

これも、いま思えば少し歪んだ教育で、何も分からぬ小さい息子に
申し訳なく思う。

この頃の僕は仕事も私生活も至極順調で波に乗っていたから、
京都弁で言う「へんこつ者」!
要するに少し生意気な自信家だったと思う。・・・・・反省!

思い入れのあるスーパーカーの思い出は沢山あるが、
一号車のクンタックが船に乗っている間中、指折り数えて
首を長くして待っていたのは強烈な思い出だ。


ランボルギーニ・クンタック

その一号車のクンタックを神戸税関で通関したとき、
新聞社が取材に来て大変な騒ぎに!
あくる日の新聞にニュースとして掲載された。


ランボルギーニ・クンタック

鮮やかな赤い色のクンタックの一号車に初めて乗った時の
感触はいまだにハッキリと記憶にある。


ランボルギーニ・クンタック

スプリングの効いたクラッチ、重いアクセル、どこまでも伸びる
エンジン回転数、街中はセカンドギアですべて事足りる!
その上、あのライオンが吠えるのとそっくりなエクゾーストノート!

そのクンタックで走っているときはいいが、一旦止まったら人垣で大変、
人目のない所を探すのが大変だった。


ランボルギーニ・クンタック

名神高速に乗り入れたとき、セカンドで160kmまで引っ張って
感激したのを思い出す、そんなクルマ今までなかったもん。

お次は、デトマソ・パンテーラGT4
このクルマは本当に思い出深いストーリーがある。


デトマソ・パンテーラGT4

このクルマをオーダーした人は、当時60歳を過ぎた大変な紳士で
偉い方だったが、僕のお父さんのような人でもあった。

年齢の差など関係なくクルマの話で、夜を徹して語り明かした
こともある。
平気で何人も大臣を連れてきて僕に紹介をしてくれるのだが、
ガキの僕の方を立ててくれるから、最初は緊張し恐縮した。
その内慣れっこになって親しくなったが!

生意気な僕は、最初にその人がGT4を欲しいと言った時に、
このクルマは完全なグループ4のレース用で400HPもある。
マニアルミッションだしクラッチも強化されていて、
その上、ダウンドラフトの4連キャブだからエンジンを
掛けるだけでも大変なことだと言うような事を言った。


デトマソ・パンテーラGT4

結局、「それならパンテーラGTSを1万キロ以上お乗りになったら
オーダーします」という事でGTSに乗ってもらった。
ノーマルと言っても新車のパンテーラGTS!
無論マニアルミッションだしクラッチも相当重い、
それでも紳士のお父さんは一年で一万キロをクリア!


デトマソ・パンテーラGT4

一年後、このクルマのオーダーのためにイタリアのデトマソ本社に行った。
年に4、5台しか造らないGT4のデリバリーは一年近く先になると言う。

それでも、こんなクルマを日本人がオーダーするのだからと驚いて、
歓迎してくれ、出来るだけ早く造ることを約束してくれた。

歓迎のしるしとして、僕に試乗させると言うので最初は助手席に乗った。
この時の試乗は、僕のクルマ人生に於ける怖い思い出の三本の指に入る。


デトマソ・パンテーラGT4

運転手は自らレーシングドライバーを名乗り、クルマはGT4!
デトマソの本社の前からフルハーネスのシートベルトで公道へ!
いきなり全開!・・・・・いくら“ド田舎”とは言え公道だよ~!
ぶっ飛んで、びっくらして、絶句した。
これでも自動車メーカーかよ~!・・・・・信じられない。
細い田舎道を200kmでぶっ飛んで行く!・・・凄いより怖~い!
あとで僕が、「もし対向車が来たら確実に激突するね」って言ったら
「 大丈夫、畑に飛び込めばいいよ!」だって!

現に何回も畑に飛び込んでいるけどパンテーラは壊れないよ!って
自慢してた。・・・・・呆れて言葉もなかったけどやっぱりスゴイ!


デトマソ・パンテーラGTS

次回は僕のスーパーカー失敗談を!

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2007年12月28日 (金)

奇跡の杖(最終回)

奇跡の杖



忘れる・・・ことの大切さ


嫌なこと、苦しいこと、辛いこと、

悔しいこと、憂鬱なことなどは、

完全に忘れてしまうこと。

理性や理屈で考えれば考えるほど、心がそのことに
捕らわれ独占されることになる。

心が独占されると、感情は乱れ、食べられなくなり、
動けなく
なる。


やがて病気となってしまう。

これは、霊長類にあって、人間特有の脳の働きのようで、
猿は自分の子供が死んだ悲しさをすぐに忘れて、次の行動に移る。

人間はとかく後ろ向きに考えるのが得意な生き物で、
心が独占され、毒されてしまうと、死に至ることもある。


好きなこと、得意なことなどに熱中し、

出来る限り嫌なことから離れて、

忘れてしまうこと。



取り越し苦労退治


取り越し苦労ほど厄介なものはない。


自らが自分自身の中に、わざわざ最大の敵を作っている
からに他ならない。

この厄介者の退治には、自らが作り出した仮想、
それが取り越し苦労そのものなのだと気づくことが、
追い出す秘訣。


他ならぬ私の場合も、この厄介者の退治には、
十七年もの長い年月を要した。


何事にも精一杯努力して、もう大丈夫だと自信満々に
なっていても、大きな問題に直面したときには、
先々がどんどん不安になり、取り越し苦労はますます
増長する一方だった。


人間誰しも、取り越し苦労は、当たり前の感情だと
思っていたそんなあるとき、とある著名な経営者から
言われた言葉に、目からうろこが落ちた。


その経営者曰く、「俺は取り越し苦労は絶対にしない。
お前との違いはそれだけだ」と。

はっとして気づく。その経営者も一人の人間のはず。
自分には取り越し苦労があって、彼には無い・・・
ということは、即ち「心を不安にしているのは、
自分自身」じゃないのかということに。


今の私は、こんな心境になっている。

「心悩ますな。天に任せよう」と。


つまり、取り越し苦労は存在しえない。
自分が勝手に悪い想像をした結果に過ぎない。


このように、「想像力」とは、悪く使ってもものすごい力で、
心を不安に陥れてしまう「力」がある。


コツ集


「信じて疑わない強い心」が、

一番奇跡を起こしやすい。

「できると信じきってしまう心」が、

願望を叶える「力」

「疑いや不安」があると、願いは

決して叶わない。

「素直な気持ち」で、願望が叶った

ときのことを「想像」する。


もともとあなたの力は、無限なのだ。





自分の「心」は自分でコントロール

する以外に道はありません。




あるがままに、現実を受け入れ、

執着を無くし、

自分よがりな感情を無くす。

そのときこの上ない静寂と

平和が心に宿る。

邪気の無いその心に、

不思議な「力」が湧いてきて、

新しい世界が見えてくる。

奇跡の杖

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2007年12月26日 (水)

クルマお宝話(14) スーパーカーブーム

カメラを持った子供が少しずつお店に来るようになったのは、
僕が30歳位のときで、その数年後にあのような異常なブーム
になるなんて夢にも思わなかった。

フェラーリ

しかし同時にビジネスとはなにかを教えてくれた。

僕としては「商品を仕入れて売る」それがビジネスだと思い込んでいた。
好きなクルマを懸命に探し、リスクを負って仕入れて、また懸命に売る!

しかしこのブームを取り巻くと言うか、煽ったビジネスは限りない。
テレビ番組から消しゴムまで・・・数え挙げればキリがない!

ディーノ・イオタ・バゲーラ

このブームをビジネスにした人はチャンスと捉え懸命だったと思う。
だけど本筋から外れたところでビジネスが栄えたことは事実で、
当時は複雑な思いをしたが、結果として社会的なブームになった。

僕はたまたま自動車屋でブームの中心にいたから贅沢が言えるのだろう。
でも僕はクルマが好きだから違和感を覚えた。

ランボルギーニ・ハラマ

ここに当時の僕の気持ちが書いてある本があるので紹介したい。
雑誌、ゲンロク2002年10月号に、スーパーカーブームを検証する
特別企画があった。
「仕掛け人の裏話×3」として漫画家の池沢さとし氏、シーサイドモーター
そしてトミタオートが仕掛け人らしいと言う事になり取材を受けた。
大きな企画で3号に渡る特集だった。

それでは雑誌から僕のコメントの部分を紹介させてもらう!


ホンモノのスーパーカー文化を日本人にも
伝えたかった。

「あの異常なまでのブームの盛り上がりを見ていたら、
正直このままでは、スーパーカー本来の魅力が間違った
方向に伝わってしまうと感じましたね」

ランボルギーニ・エスパーダ

スーパーカーブームの西の立役者である、「トミタ
オート」代表(現トミタ夢工場代表取締役社長)の
冨田義一氏は当時の状況をそう振り返る。

「確かに私は、あのブームを巻き起こした仕掛け人の
ひとりかもしれません。ただ、私は子供だましの
“見せ物”としてスーパーカーを日本に紹介したかった
わけではない。私が伝えたかったのは、スーパーカーが
持つ、もっとも本質的な魅力だったんです」

マセラッティ・ボーラ

伝説的なイベント“ラ・カロッツェリア・イタリアーナ”の
仕掛け人でもある冨田氏だが、興業的な要素のみで
語られるスーパーカーブームの在り方に対しては、あまり
よい印象は抱いていなかったという。

「20代の頃、イタリアの有名なカロッツェリアをいくつか
訪れたことがありました。そこでは、職人がほとんど手造り
で自分たちが描く夢のクルマを造っていたわけです。
あれは本当にいい刺激になった。
でも、当時の日本では法制的な意味合いも含めて、
自分の手でスーパーカーを造ることは困難な状況
でした。
日本ではスーパーカーやスポーツカーに秘められて
いる“夢”というものに対する理解、というよりもそう
いった“文化”に対する理解自体が薄かったんですね。

マセラッティ・メラク

だから、ラ・カロッツェリア・イタリアーナでは、ジウジ
アーロまで呼んで、本物のスーパーカー文化という
ものを、日本人にもしっかりと伝えてやろうと考え
たんです」

本物のスーパーカー文化。確かに当時の日本人にとって
それは理解しがたい天上の文化だったのかもしれない。
ただ、冨田氏が仕掛けた一連の“夢”の伝導活動が、
現在の日本における“正しいスーパーカー文化”の礎を
築いたことは間違いない。「トミーカイラ」というブランド
を通して今でも“夢”を発信し続ける冨田氏。次なる
ムーブメントの創造にも期待したい。

デ・トマソ・パンテーラ

○次回は私自身のスーパーカーの思い出話を
 書くつもりです。

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2007年12月21日 (金)

クルマお宝話(13) イタリアお宝さがしの旅III

イタリアのラストナイトは、彼のお気に入りのイタ飯屋さんに招待された。
ゆっくりディナーなどイタリアに来てはじめてだ。

毎日、日が暮れるまで走り回っているから大した食事など到底無理で、
その上、ヨーロッパは日が落ちるのが遅く、気が着けばいつも9時すぎ!

もっとも、クルマ大好き人間としては嬉しくて走り回っているのだから、
食事より大事なことには違いない。

彼の忠告に沿って少しオシャレをして出かけたが、
気をつかいながらの食事は多少嫌だなと案じていた。

だけど店の前に着いてホッとした!
近所のレストランといった店構えで、中に入って、もっと安心した。
ほとんどが大家族連れで、小学生ぐらいの子供も結構座っている。

だけどみんなフォーマルなオシャレをしていて、
その子供までがネクタイをきちんと締めて、しゃんとしている。
まるで子供が魔法で大人になったみたいだ!

「富田さん、クルマも結構買い付け出来たし良かったね~!」
「明日はいよいよアウトバーンで西ドイツに入るからね!」
「乾杯しよう」・・・「カンパーイ!」

飲み慣れていない赤ワインがやけに旨かった!

彼の奥さんはイタリア人だし、子供もイタリア人に見える。
日本人だけどイタリアンになりきっている彼と話していると、
イタリア人と話しているようで嬉しくなる。
得した気分だ!
だってイタリア語が話せなくてもいいんだから!

お店に慣れてきたころ、ふと気がついた!
子供と大人が違和感なく渾然一体となって楽しく食事をしている。
日本では見覚えのない光景だ!何が違うのだろう。
大人が子供の守をしていない、おとな同士、こども同士って感じで、
別々に盛り上がっていながら一体感がある!

たぶんそれはフォーマルな服装のせいだろう!

正装をしたときは子供でもマナーが必要と教えているのだろう。
だから子供ながらに人格をもっていて、紳士、淑女になっているのだ。
楽しく生活をエンジョイする方法を彼らは良く知っていると感心した。
そんなイタリアが大好きになり足を伸ばして度々行くことになる!

翌朝早くに、彼が迎えに来てくれた。
いよいよ西ドイツまで長距離ドライブだ!

「ミュンヘンまで綺麗な景色をえらんで走るルートにしたから、
結構時間がかかると思うよ!」と楽しそうに言う。

僕が嬉しそうな顔で「念願のアウトバーンを走れるね!」って言ったら、
「うん、ミュンヘンに入る途中からね!」って言ったと記憶している。

ミラノからモンツァを経てスイスアルプスでインスブルックに入り、
オーストリアからミュンヘンにアウトバーンで入るルートだったと思うが、
なにせ35年も昔の記憶だからちょっと怪しいかも!

いま思えば初めてのイタリアなのに、どうして観光をしなかったのか?
多分そんなことなどまったく頭に浮かばなかったのだろう。
頭の中は、ディーノと、ミウラと、アウトバーンしかなかったのだ!

その頃の僕は、クルマ以外にはまったく興味がなかったが、
その後、何回もイタリアに足を伸ばして、たっぷりと観光した。
とくに好きで何回も見た「ローマの休日」の映画のシーンは、
ほとんど見て周った。

僕にとって、この映画の主役はなんといってもフィアット500Bトポリーノ
とベスパのスクーターである。
このクルマでなければ、王女との身分違いの表現も味も違っていただろう!


Vespa

それにしても見る映画はほとんどがクルマ絡みで、
映画に出てきたクルマのほとんどは手に入れたと思う。

少し横道に反れるが、思い出の映画話しをしてみよう!

このオードリーの映画では「いつも二人で」が強烈に印象に残っている。
建築家の夫が成功して行く過程での夫婦の心理描写を、
過去と現在を交差させるシーンに手法としてクルマを上手く使っている。

若いころに夫婦が乗っているのはMG・TDで、オードリーはジーンズ姿!
成功してから乗っているのが白のメルセデス280SLで当時話題になった
大胆なファッションでオードリーが助手席に!

メルセデス280SL

トライアンフTR4も出ていたと思うが違うかも?

そのTR4ならジャンポール・ベルモンドの「黄金の男」しかないね~!
トライアンフTR4がUターンして行くシーンを強烈に記憶している!

スティーブ・マックィーンなら沢山あるけど、やっぱり「ブリット」しかない。
あの映画の出演車はみんな手に入れた!

マスタングGT390ファストバック、440マグナム・ダッジチャージャー!
それと大好きなポルシェ356カブリオレのイエローが出ていた。

マスタングは、憧れのシェルビーGT500のブルーメタリック!
こいつの加速は凄かった、今乗ってもきっと凄いのだろう!

ダッジチャージャーはもっと凄い、ホットロッドみたいな奴!
スーパーチャージャーむき出しで、アクセルだけで曲がるクルマだった。


ダッジチャージャー

この映画をみて刺激され、手に入れたポルシェ356カブリオレは
お宝話し(4)に出ている赤いポルシェだ!

この他にも「ミニミニ大作戦」のミニクーパーなど沢山あるけど、
ラストにもうひとつだけ紹介したい映画がある。

アランドロンとシドニーロームが初共演した「個人生活」だ!
若き政治家とトップモデルの不倫の愛が、フランスを舞台に!

当時のフランス車といえば何といってもシトロエンDSだろう。

忙しい若手政治家が運転手付きのシトロエンDSのリムジンから、
自動車電話を彼女の部屋に何回も入れるが間にあわず・・・・・!

この映画でシトロエンDSと自動車電話が本気で欲しくなった。

映画を見た日から憑かれた様にシトロエンDS21パラスを探して、
とうとう四国から新車のようなDS21パラスを手に入れた。


シトロエンDS

シトロエンDS

話しを戻そう!

彼のBMWでアルプスを越えてアウトバーンで西ドイツへ!
 ミュンヘンで一泊して、フランクフルトから無事に帰国した。

念願のアウトバーンも走れたし、欲しいクルマも手に入れたし、
最高のお宝さがしの旅だった。

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2007年12月19日 (水)

奇跡の杖(7)

奇跡の杖

想像力で叶える

好きなことや得意なことを想像してみること。

もの造りなら、完成した姿をはっきりと想像する。


願い事なら、叶ったときの状態を、楽しく想像する。


仕事の願いなら、うまくいった最高のカタチを想像する。


あなたが叶えたいと願うことを自由に書いてみよう。








願望の叶え方


出来ると信じきってしまう心を持つこと。


願望を叶える力は心にある。

疑いや不安があると、決して願いは叶わない。

疑いや不安は一切考えてはならない。

私は、二十年前に取材で将来の夢を聞かれ、
「必ず自分たちで一から車を造る」と信じて
疑わない気持ちで答えた。

それから十年後、取材で答えた内容と程近い
形で、車造りを成し遂げ、発表することになる。

取材当時は何の根拠も計画すらも、まったく
無かったのに。

しかし、空想の中では毎日この車を走らせていた。


今までの自分を振り返って見て、思いがけない
出来事、願望が叶ったようなこと、あるいは、
奇跡のような出来事があれば、思ったまま
書いてみよう。

奇跡の杖

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2007年12月17日 (月)

クルマお宝話(12) 「イタリア」お宝さがしの旅Ⅱ

1週間の旅と記憶している!

滞在はデザイナー氏の自宅があるミラノのホテルに4日ほどいて、
あとは彼が西ドイツにクルマで案内してくれる事になっていた。

そのミラノのホテルに着いた翌朝のこと!

失礼なことを書くようだが、
その頃のイタリアは泥棒が町中に溢れているから、
くれぐれも気を付けるようにと、事前にチェックした本、
「旅の心得」に詳細に記してあった。

例えば、「ホテルのフロントなどに間違っても
貴重品を預けてはいけない」
「外出するときは必ずお金は全額、
貴重品はすべて身につけて」とあった。

“とくに男性には腹巻を推奨する”と書いてあったのには驚いた!

いまなら信じられないような話だが、当時、僕が読んだ「旅の心得」の
本が間違っていた訳ではない。

僕も“大真面目”で「旅の心得」の教えを守って、
子供のとき以来、見たこともなかった腹巻を買い込んで、
その中に札束をしまい込んで飛行機に乗ったと言う訳!

これが良かった!

デザイナー氏が、時差ボケもあるからと、
気を使って昼前に迎えに来てくれた。

「富田さん、最高に旨いパスタをご馳走するから出かけよう!」
「貴重品はフロントに預けたらいいよ!」とデザイナー氏が。

僕が「本当に大丈夫?」みたいなことを言ったら、
「ここは大事なお客さんを泊める、一番安心なホテルだよ」って!
だけど、したたかな僕は「わかったそうするよ」って言ったけど、
当然!・・・・・腹巻に札束とパスポートを入れたまま出かけた。

イタリアの昼飯はホントにゆっくりで3時間ほどかかった。
昼間からワイン!
普段は昼に酒など飲まないから、フラフラでホテルに帰り着いた。

部屋に入って胃薬を飲もうと、スーツケースをあけて“びっくり”!
薬の入った鞄ごとなくなっていた。

そのころの僕は胃が弱く、顆粒状の胃薬が山ほど入っていたのに!
出掛けにも飲んで行ったから間違いではない。

貴重品はすべて身に着けていたから、大丈夫な筈なのに、
なぜか、とっさに腹巻に手をやって「ホッ!」とした。

翌朝、彼が迎えに来てくれたが、そのことには何も触れなかった。

もはやイタリアンの彼への信頼が、少しだけ薄らいでいたのかも!

「富田さん、今日と明日はディーノとミウラを見に行くからね!」
例の電話で聞いたディーノ5台、ミウラ3台のことだ。

ほんとに、そんなに沢山のクルマが用意出来たのだろうか?と、
ちらっと思った。

イタリアに着いた日も、次の日も結構クルマで走り周ったが、
それらしい自動車屋は一軒も見なかったけど!
一体どこに置いてあるのだろう。

彼のBMWが20分ほど走って、
人通りの少ない清としたところで止まった。

背の低いビルが並んでいる。

「着いたよ、ここにディーノが3台置いてあるから!」と彼が、
「これが自動車屋さん?」って僕が言うと、
「日本と違って屋外にクルマは展示しないよ!」
そんなことをしたら、すぐに盗まれてしまうよ」だって!

倉庫で買付け

だからビルの1Fの倉庫のような建物の中に置いてあると言う。
それも、まるで監獄のような鉄格子が張り巡らされているから驚きだ。

倉庫で買付け

そう言えば彼の事務所のドアロックも凄かった!
機関銃のような音をさせて、鉄のドアに4ヶ所も鍵を掛けていた。

頑丈なドアを押し開いて中に入った。
突然彼がイタリア語で、わめくようにイタリア人に話しかけた。
まるで喧嘩を売っているかのような大きな声で!

何のことはない!
僕が買い主で、日本から来たことを説明しているらしく、
早くクルマを出せ、試乗させろと、まくしたてているのだ!

けっして喧嘩を売っているのではなく、
これぐらいに言わないとテキパキと動いてくれないらしい。

倉庫で買付け

かなり上質なクルマが結構な台数置いてあった。
僕は他のクルマにも興味があるから、
ゆっくり見させてほしいと頼んだ!

やはりフェラーリが多く、当時としては垂涎もののクルマばかりで、
やっとイタリアに来た甲斐があったと思った。

彼としては一刻も早く商談を成立させたかったのだろう!
「そそくさとディーノに乗り込んで、早く試運転に行こう!」と言う。
大好きで、憧れていたディーノ246GTにはじめて乗った!

試運転の途中で彼が「自分で運転してみる?」 って聞いてくれた。
嬉しそうに僕が「うん!」って応えたら、
ほとんど交通量のないところでクルマを止めて、
自分で納得したら決めればいいし、気に入らなければ他にもあるから!
と言ってくれた。

彼は、約束を守って本当にイタリアにまで来た僕に、
1台でも多く試乗させてやりたいと思っていたらしく、
電話で聞いたよりも沢山のクルマを見つけてくれていた。
だから急いでいたのだ!

彼への信頼は一挙に高まった!

ずっと後の話になるが、世界的なジウジアーロやザガード、
ミケロッティーなど、イタリアのカロッツェリアたちを招いて、
日本で最大級のスーパーカーショーを彼と企画した。

彼がイタリアで成功している日本人デザイナーだからこそ、
世界的なカロッツェリアが協力してくれて実現したのだ。

名称は「レ‘カロッツェリア・イタリアーナ」
当時の東京モーターショーと同じ、晴海イベントホールで開催。


Pininfarina Dino Competizione

残念ながら僕はスポンサーが見つからなかったから、
オーガナイザーにはなれなかったけど、大手広告会社が、
テレビ局なども巻き込み盛大に開催した。

その代わり、ランボルギーニ・イオタをはじめ数台出展したし、
特にザガードが一点もののザガード・ホンダを記念として譲ってくれた。

Hondazagard1

ホンダ・ザガード

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2007年12月14日 (金)

クルマお宝話 (11) 「イタリア」お宝さがしの旅

これから書くイタリアの旅は、多少前後するが26才の終盤で
いまから思えばスーパーカーブームの臭いがすでにあった。

だからイタリアに行ったのだろう!

自分で言うのもなんだけど、結構ビジネスのカンはあったと思う。
まだ日本人が余り海外にビジネスを求めていなかった時代だ。

大企業なら話は別だが、僕のように零細企業が海外からモノを
仕入れて日本でビジネスにするなど、ほとんどなかったと思う。

地元の銀行など海外取引の経験や知識が全くなく、
海外送金やLCの組み方など僕が調べて教える始末で、
とうとう東京銀行から僕のために人を迎え入れたほどだ。

創業から僅かな年数しか経っていなかったが、仕事は順調で
事業は急拡大して行った。

単純に言えば、自分が好きなクルマだけを探して手に入れる!
自分は誰よりもクルマが好きだから、当然詳しいし見る眼もある。
自分はクルマ好きの代表なのだから、僕が欲しいクルマは必ず
クルマ好きの人が欲しがると信じて疑わなかった。

だからその頃の僕は毎日が楽しくて仕方なかったし、
まして苦労などとは思ったこともなかった。

当然、事業が拡大しているのだから資金繰りは大変だったが!
ほんとに若いってことは素晴らしいとつくづく感じる。

だから何歳になっても自分が若いと思えば誰もが
チャレンジすべきだと思う。

僕もいつまでも若い感性でいたいからこそ、
自分の心と身体をチューニングしているのだ。

前置きが長くなったが、そろそろイタリアに出かけよう。

そのころイタリア在住で、鞄や靴を日本に卸して成功していた
デザイナーに京都で知り合った。

その彼にイタ車の話をしたら結構詳しく、乗ってきた。
「3日後にイタリアに帰るから希望のクルマは間違いなく探すよ」

ほんとに2週間程して国際電話が掛かってきた。

「フェラーリディノが5台、ランボルギーニミウラを3台確保したよ」
僕が注文したのはディノが3台、ミウラを1,2台ほどだが、
「よくこんな短時間で探せたね~、」って僕が言ったら、
「それだけじゃないよ、ランボルギーニの代理店の話がある
から、すぐにイタリアに来てくれ!」って言うので
「出来るだけ早く行くよ!」って即答した。


フェラーリディーノ246GT

フェラーリディーノ246GT

フェラーリディーノ246GTS

もちろん海外など初めてで、パスポートやビザの申請から航空
チケットまで全部自分でやった。

はじめての海外旅行、はじめての飛行機、しかも一人!
南廻りで20時間以上かかったが、
ナニがなにやら分からぬ内にイタリアについてしまった。

迎えに来ているハズの彼は、探せどもいない!
電話しようにも小銭がないし、イタリア語など話せる訳がない!

それでもナントかなるもので、
「プロント、プロント、マイネーム、トミタ」などとほざいていると、
後ろから「ごめん、ごめん、渋滞で!」・・・・・ほっとした。

イタ車でお迎えかと思いきや、BMWの2リッターセダン。
聞いてみるとイタ車はすぐ壊れるので、社会的に地位のある
人はメルセデスかBMWに乗っているのだそうだ。

そのBMWで、まずはトリノに行くという!
ランボルギーニが本社を建設中で、そこに行くらしい。
(記憶が薄いので違うかも!)

アウトストラーダ(高速道路)でおどろいたのは、ノーマルの
2リッターBMWがとんでもなく良く走るのには正直びっくりした。
やはり、いつも高速道路を走っているから、
俗に言う走りグセがついているのだろう!

こんなことを感じてしまうほど、日本の交通事情は遅れていた。

それにしても、
もう2時間もアウトストラーダを走っているというのに、
フェラーリやマセラティなど「高速道路御用達」のクルマや
心ときめくクルマに一台も出くわさない。

「僕が想像していた光景とはずいぶんと違うけど!」って聞くと
「そういうクルマは海岸辺りの別荘で眠っているよ」って!

「お金持ちは普段、そういうクルマにはあまり乗らずに、
運転手付きのリムジンに乗っているよ」だって!

滞在中、一度だけだが“これぞ”と思うシーンに
アウトストラーダで出くわした。
いつものように助手席に乗っていたら

「富田さん!来た、来た、後ろ、後ろ見て!」って叫ぶ!
紛れもないスーパーカー・・・・・ランボルギーニミウラだ!
とんでもないスピードでグン、グン、グンと急接近!
ライオンの雄叫びをあげながらブッ飛んでいった!


ランボルギーニミウラ

ランボルギーニミウラ

ランボルギーニミウラSV

ランボルギーニミウラSV

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2007年12月12日 (水)

奇跡の杖(6)

奇跡の杖

日々の実践

①「明るく元気にいきいきと、感謝の心で今日一日」
と朝起きたら必ず心の中で唱え、昼と夜を合わせて、
日中三回唱えて習慣にすること。

私の職場では、毎朝の朝礼で、全員で唱和している。
とかく人間は、ほって置くと悲観的になり、元気がなくなる。
意識して心を前向きにするこの習慣を使えば、全ての
道が開け、すばらしい人生が目前に開ける。

②意識して明るく前向きな「言葉」で話すこと。

後ろ向きで消極的な言葉を絶対に使ってはいけない。
私は、メールや書き物の場合にでも、実践している。
言葉には、※「言霊」と言われるように、魂がこめられている。
だから心に残るのだ。

知らず知らずのうちに、後ろ向きの言葉を使っていると、
長い年月の中で、心はやがて消極的になってしまう。
「苦しい」「面白くない」「もうだめだ」「やる気がない」「嫌い」
「憎い」「情けない」などなど

二度と使わないと誓うくらい、決心することが大切である。

人生にとって、心の使い方ほどシンプルで大事なものはない。

家族、友人、恋人、仕事、夢、食事、健康など、これらは
どれをとっても大切に違いないが、これらを思う中心軸に、
心がある。

心は思い、心は考え、心が行動を決めていく。

後ろ向きの心は、自信のない行動に現れ、考え方も
後ろ向きになる一方になってしまう。

明るく前向きな言葉を使い、意識して心を
前向きに使えば、自信に満ちた行動に跳ね返り、
積極的で想像力に溢れた、好循環の中に身を置く
ことができる。

※言霊(ことだま)

古来より言葉には霊力が宿るとされる。良い言葉を
発すると良いことが起こり、悪い言葉を発すると凶事が
起こるとされた。

奇跡の杖

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2007年12月10日 (月)

クルマお宝話(10) クルマ造りの原点

僕が生涯を通じて一番思い入れのあるクルマ!
それは“アルピーヌA108だ!
このクルマは良く知られているA110ベルリネッタの前身で、
欲しいとか、乗りたいとか、と言った思いではなく、
クルマ造りのキッカケを与えてくれた原点がこのクルマにある。

このクルマが僕に大きな夢を与えてくれた!

この話は904GTSより数年遡った独立3年目ぐらいだったと思う。
35年以上も前になるが、アルピーヌA108クーペを手に入れた。

アルピーヌA108

1963年製のシルバーグレイの地味なクルマで、
ノーマルのスチールホイールに細いタイア。
A110では特長的なフォグランプ一体式のデザイインだが、
このA108では取ってつけたような感じのフォグランプで迫力がない。
エンジンもルノー・ドルフィンのなんの変哲もない998ccのOHVで、
馬力も70hとおとなしいが、車両重量は700kg弱で非常に軽い。

見た目があまりにも貧弱なので、すぐにホイールの幅を広げ、
タイアのサイズを太くして、車高もすこし下げた。
ステアリングとミラーを交換し、フォグランプを取り外して、
キャブレターのジェットも少し大きいヤツに交換したら、
多少は迫力が出て、僕の好みに近くなった。

アルピーヌA108

ほんとはA110の1300Sが欲しかったのだが、
輸入元で調べたら日本に正規では一台しか入っていないとの事。
当分、持ち主も手放す気はないとのことなので、
あきらめて数台はあると聞いたノーマルを探していたのだが!

だけどこの「アルピーヌA108」は何かを考えさせてくれた。

それまではカタログデータを見て、馬力の大きいヤツが断然
走ると決め付けていたが、それは間違いだと教えてくれた。

はじめて乗ったときに印象が“ガラリ”と変化した。
「結構走るやん!」が第一印象。
ヒラリ、ヒラリと軽やかな身のこなしが気持ちいい。
絶対的なパワーは全くないが、車が軽いと実感できる。

このとき、車にとって軽いことがいかに重要か分かったような気がした。
このときの体験が20数年後のトミーカイラZZに生きてくることに!

ある時、その頃いつも遊びに来ていた林君と比叡山のふもとから
琵琶湖に通じる峠道に、このアルピーヌA108で走りに行った。
峠の途中でクルマをとめて、アルピーヌのボンネットやエンジンフード、
ドアの取り付けなど、隅からすみまで検査官みたいに覗いて見た。

「こんなんやったら造れるやろう!」が二人の一致した答えだった。

この先、林君は先進的に、僕は古典的にと別々のクルマ造りに、
思いを馳せることになるけど、多分この辺りから薄っすらと
クルマ造りの思いがインプットされたのだろう!

それから10年ほどの時が経った。
そのころ、国内に1台か2台しかないと聞いていた
アルピーヌA110・1300Sのイエローを手に入れた。

アルピーヌA110・1300S

このことがアルピーヌA110への想いを再燃させた。
フランスで走っているアルピーヌA110を全部、
日本に持って来るぐらいの勢いで火がついた。

アルピーヌA110

このとき既にヨーロッパの仕入網を確立していた。

高島屋外国自動車部の顧問としての立場もあったので、
パリ髙島屋を基点に調べてもらったところ、
このクルマは夏場のバカンス前にしか売りにでない、
希少なクルマで、個人売買でしか手に入らないことがわかった。

要するにクルマを売ったお金でバカンスに行くか、
バカンスに行くために家族が大勢乗れるクルマに乗り換える
かの何れからしい。

当時のフランス人のほとんどが7,8月は夏期休暇で、
少ない人でも1ヶ月、多い人は2ヶ月近く休む。

それならと6月と7月に集中して、新聞や雑誌の広告に
「アルピーヌA110の極上車を求む」と出した。
「アルピーヌA110捕獲作戦」と名付けて日本から陣頭指揮を執った。

アルピーヌA110

いま思えばワクワク、ソワソワの楽しい思い出だ!

おもしろいエピソードがある。
どのアルピーヌの持ち主も「自分のクルマが世界一だ」と必ず言うのには
閉口した、とフランス語が堪能な仕入担当の日本人が言っていた。

例えば「オレのクルマはホントに間違いなく無改造で極上車だよ」って
わざわざノルマンディーまで片道500キロも走ってクルマを見たら、
バリバリの改造車でオーバーフェンダーにシャコタン、程度も良くない!
そんなことも隋分あった。

それでもフランスと西ドイツの二つのルートで併せて70台以上探し出した。
結局20台ほど特に程度の良いA110を買い付けることが出来た。

このあと日本で、結構アルピーヌA110ブームが起きた。

アルピーヌA110

ゴルディーニエンジン

アルピーヌA110cockpit

アルピーヌA110red

アルピーヌA110

アルピーヌA110gold

アルピーヌA110orange

アルピーヌA110white1

アルピーヌA110white2

アルピーヌA110レース仕様

アルピーヌA110レース仕様リア

アルピーヌA110レース仕様エンジン

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2007年12月 7日 (金)

クルマお宝話(9)

お宝話の(5)で、904GTSのことは後に詳しく、と書いた。

Porsche904GTS

このクルマのことは、第2回日本グランプリの資料を見れば
詳しく掲載されているので参照されたらと思う。

この第2回日本グランプリは確か1964年に開催されたと思う。
1964年と言えば僕が19歳で、貧乏な社会人1年生の時。

まさかこの時の主役の片方を数年後に手に入れること
が出来るなど、「お釈迦様でも知る由もない」ほどだ!

このクルマを手に入れたいきさつから話をしよう!

この頃、クルマを通じて親しく交流のあった
浮谷東次郎氏の父君に、当時のこの904GTSの持ち主を
紹介してもらった。
(*浮谷東次郎・60年代を代表する伝説の天才レーサー)

当時の904GTSの持ち主はポルシェクラブでも有名な方で、
何台もの珍しいポルシェをお持ちで詳しい方だった。

お会いした時は手放す気などまったくなく、
愛しいほどに大事にされていた。

それでも僕は万一、904GTSを手放される時は必ず教えて
欲しいとお願いしておいた。

かなりの月日が経ったが、とうとうその時がきた。

904GTSの居場所は持ち主の千葉の自宅にあった。
ボデーカバーに包まれた極端に低い物体が
威容な雰囲気を醸し出していた。

高鳴る胸が一瞬止まった!
手が触れるほどの目の前に、
まるで宇宙から来た乗り物かと思うほどの衝撃をともなって
シルバーグレイの904GTSが姿をあらわした。

始めてみる本物のポルシェ904GTS!
とうとう現実となって思いが叶った。
これほどの興奮はそれまでに経験したことがない。
だからどうやって京都まで乗って帰ったのか記憶がない。


904GTS

受け取った時の状態は新車のごときで、完璧な整備が
されていたが、この時の904GTSは持ち主の要望で
911Sの2ℓ、6気筒エンジンに乗せ換えてあった。

904GTSのエンジンは空冷4気筒DOHCで1968cc、
ツインチョーク・ツインウエーバーキャブレターで、
圧縮比9.8から180hpと発表されていた。

ボディーはFRPでハインケル社製。
デザインはフェルデナント・ポルシェⅡ世とされている。

このエンジンは当時としては低速も効くし市街地でも
乗れるとされていたが、やはりレーシングカーの色が濃く
、始動時などかなり神経質で気楽にぽっと乗って行くクルマ
とは違う。

そんなことで、このクルマを充分に楽しむためと、
6気筒のハイパワーが魅力で載せ換えたと聞いた。

僕はあまり懐古主義ではないので大満足で乗っていた。

一度、ランボルギーニ・ミウラSVと京都の峠をかなりの
ハイペースで走ったが、やはりトレッドの狭い904GTS
では付いて行くのが精一杯!

904&miura

でもコクピットの狭さや、タイトなレーシングシート、
シンプルなダッシュボードなど、小さなクルマが大好きな
僕にとって忘れられない1台である。

3car

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2007年12月 5日 (水)

奇跡の杖(5)

奇跡の杖

宇宙の力

以前に何かの本で読んだ記憶だが、ロボット
学者が一番多いのは日本だそうだ。


それは、日本のロボット学者達の子供時代、
手塚治虫の鉄腕アトムに興味を掻き立てられ、
想像力を膨らませたことに起因していると、
日本のロボット学者本人達が、次々語った
そうである。


私自身にあてはめてもまったく同じで、
子供時代にスロットレーシングと呼ばれた
おもちゃのミニカーに夢を馳せ、本物が
見たい→乗りたい→手に入れたい→造りたい
と、次第に夢が膨らみ、三十年以上の年月を
かけて、これらを全て現実のものとした。


心をプラス思考に、想像力を膨らませ
続けた結果、次々と想像したとおりに
実現していった。


また、他の事でも、積極的に強く想像した
ことは、これまでの人生において、全て
実現してきたと思う。


私は、成功した人や秀でた人達と親しくなる
につけ、みな同様の心の使い方をしている
ことを知った。


心を前向きに使い、想像力を高めることが
できれば、誰にでも同じようにできる・・・

言い換えると


「意識して前向きに生きる習慣を身に付けた
人ほど、豊かで幸せに暮らしている」という
ことである。


想像力は無限だ。宇宙の力も無限だ。
全ての生命の根源となる宇宙の「力」の中に
地球があり、この地球の中に私たちは存在
している。


だから私達は、宇宙の力の中に存在している
ということだ。


宇宙の力は無限大、想像力も無限大、このこと
に気づき、無限の想像力で、宇宙の無限の力と
同化させ、すべての願いを叶えることができるのだ。

奇跡の杖

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2007年12月 3日 (月)

クルマお宝話(8)

もうひとつ、おそいクルマの思い出話をしよう!

いつもの様に、京都からクルマで東京の取引先に着いた。
するとそこに、真っ赤な新車同然のFIAT500が鎮座していた。

フィアット500

思わずニッコリするぐらい可愛くて綺麗なヤツに一目惚れ!

「このFIAT500は?」って聞くと
「やっぱり、トミちゃんが欲しがると思ったよ!」 って一言、
これで決まり!

「積載車は?」って聞いてくれたけど「いらない、乗ってくよ!」

何も考えず、ルンルン気分でFIAT500に乗って出発した。
調子はいいし結構走る、なんの不安も持たずに!

青山通りを「似合うよな~このクルマ」なんてひとり言いいながら
東名に向けてアクセルを踏んでいた。

用賀のインターから東名高速に乗ったとたん良くない予感!
「あかん、失敗や!」

今まで乗ったどんなクルマより絶対的に最高速が出ない。

少しの登り坂でもどんどんスピードが落ちてくる。
その上向かい風にあおられたら、90kmすら出ない!

頭の中で瞬間的に京都に着く時間を変更!

「あ~あ、今夜の彼女との食事はパーやな~」

この調子で行くと今日中には絶対に着かない!

いつもなら、ぼちぼち半分の浜松の感覚なのにまだ御殿場。
走れども走れども、気が遠くなるほど京都は遠い!

さすがのクルマ気違いも後悔し、反省した。

やはり、街中チョロチョロのオシャレ車。
高速道路を、しかも長距離を走るなんて!

自分の選択ミスなのに、チンクエチェント(FIAT500)に
八つ当たりしていることに自己嫌悪。

チンクエチェントのアバルト仕様ならもっと走るんだろうな~!

そんなことを考えながら気が遠くなるほど走って、
やっと名古屋を通過したら急に元気が出てきた。

そう言えば18才の時、スバル360で箱根を超えて
小田原辺りの温泉に行ったことがあったが。

京都から12時間ほど掛かったと思うけど楽しかったな~!
友達とふたりでワイワイいいながら。

当然、高速道路などあるわけもなく、それどころか地道が
まだ多く残っていたように思うけど!

でもよく走ったな~僕のスバルは!

スバル360

京都ナンバーでマフラー2本出しの軽自動車が、
箱根の山は天下の剣なのに、どんどん登って行くから
ダンプカーの運ちゃん達がビックリ!

がんばれよ~!って窓から大声で応援してくれた。

当時、他府県ナンバーの軽自動車などほとんど見ない時代。
なんて考えてたら、とうとう京都に着いた。

まぁ、いま考えても懲りないクルマバカですな~!

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